遺伝子編集技術の驚異的進歩に鈍感であってはならない

 

遺伝子(ゲノム)編集の最前線の驚異

 

私が遺伝子(ゲノム)編集技術の最前線の驚異的な進歩、特に『クリスパーキャス9』という技術のことを知ったのは、KDDI総合研究所リサーチフェローの小林雅一氏の『ゲノム編集とは何か「DNAのメス」クリスパーの衝撃*1 という著作を拝読した時だった。その本の発売は、2016年の8月だったので、およそ今から2年弱前ということになる。その時まで、この分野については、遺伝子作物等の遺伝子操作、あるいは京都大学の山中教授の研究で広く知られるようになった、iSP細胞の概要等、多少調べて知っている程度で、よもやここまで『実用的/安価/操作が簡単』な技術が実用段階に入ろうとしているとは知らなかったため、大変驚いた。そのころまでに、私は『急速に進む技術によって、どのような未来が開けてくるのか、それと共生していくためにはどうすればいいのか。避けるべきリスクは何なのか』等の問題意識を持って自分なりに考えてきたこともあり、自分では生命科学の範疇もある程度カバーできていると考えていた。だが、本書を読んでそれがまったく甘い現状認識であることを思い知った。その感想を当時ブログ記事としてまとめたので、この問題に関心がある人は是非読んで見ていただきたい。

ta26.hatenablog.com

 

 

クリスパー技術とは何か

 

前提条件がわからないと、何の話をしようとしているかわからなくなってしまいかねないので、小林氏の著作から、クリスパー技術についてのまとめの部分について引用した部分を再掲しておく。

 

クリスパー

 

1 従来の遺伝子組み換えが基本的にはランダム(確率的)な手法であったのに対し、クリスパーはゲノム(DNA)の狙った場所をピンポイントで切断、改変することができる。もちろん現時点では「オフ・ターゲット効果」などの誤操作の可能性も残されているが、それは本質的に「ランダムなプロセス」というより、むしろ「狙った結果からの誤差」といった範囲に収まる。そして、最近の研究によって、その誤差は休息に縮まりつつある。

2 従来の遺伝子組み換えとは異なり、クリスパーでは父方と母方、両方のDNA(相同染色体、ゲノム、対立遺伝子)を1回の操作で同時に改変できる。これによって(従来のノックアウト・マウスなどを作るのに必要だった)複雑で手間のかかる交配実験が不要になった。

3 従来の遺伝子組み換えは、1回の操作で1個の遺伝子しか改変できなかったが、クリスパーでは1回の操作で複数個の遺伝子を同時に改変することができる。

4 クリスパーは非常にシンプルで扱いやすい技術であるがために、たとえば高校生のような素人でも短期間の訓練で使えるようになる。つまり遺伝子工学の裾野を広げることが期待されている。

5 同じ理由から、従来の遺伝子組み換えに必要とされた膨大な時間や手間、コストなどを大幅に削減できる。

6 クリスパーは(人間を含む)どんな動物や植物(農作物)のも応用できる汎用的な技術である。

ゲノム編集とは何か「DNAのメス」クリスパーの衝撃』より

 

 

 

成果と同時にリスクも満載

 

安価で高校生~大学生程度の知識でも少し勉強すれば実験体がつくれてしまう。しかも、ほとんどピンポイントで狙った遺伝子の編集ができてしまうとなれば、何の制約も課されなければ、ものすごい勢いで新しい利用方法が開発されたり、驚くような形質の生物が次々に生まれてくる可能性もある。その中には難病の治療法等、人類の救済となるような素晴らしいものももちろん出てくるだろうが、一方で、人類を滅ぼしてしまう細菌のようなものもできてしまうかもしれない。そのような危険なものをテロリストが手にする機会も必然的に増えてしまうと考えられる。あるいは、生殖細胞の操作が普通になれば、社会構造そのものが一変してしまうだろう。

 

だが、何より恐ろしいのは、この技術が人間の身近な、あるいは止むに止まれぬ欲望を刺激するがゆえに、経済的にも大きな価値を生むポテンシャルがあり、また、それゆえに、抑制が効きにくいと考えられる点だどんなに倫理基準とか制約について合意しても、それを逃れることのインセンティブが大きいから、時間の経過とともに、なし崩しになる恐れも大きそうだ。特に昨今のように、世界が統合に向かう機運がすっかり廃れ、各国が自らの利害のみに基づいて競い合う帝国主義の様相を呈している状況では、この懸念も弥増してしまう。

 

 

短期間の間に起きたことは?

 

小林氏の著作を通じて、眼前に迫る切迫した状況を知るに至った私がとっさに思ったのは、これほどのインパクトがある『事件』とも言える技術分野の達成は、競争市場において無限の価値を生む可能性があるから、ここまで来ているということは、何らかの今後の方向を示唆する重要な出来事が矢継ぎ早に起きてくるに違いない、ということだった。将来の動向を予測する上でも、これは見逃せない。

 

ただ、一般のメディア等から情報を集めようとしても、どうしたことか、思ったほど情報が集まらない。少なくとも、同時期に異様なほどの盛り上がりを見せた人工知能や仮想通貨等と比べても、ゲノム編集はある意味、より深刻な問題を孕んでいるはずなのに、あまりにメディアでの扱いが小さすぎる。その違和感の正体を解明することも同時に自分の課題の一つになった。

 

そうしているうちに、本年の3月には、この著作の続編とも言える、『ゲノム編集からはじまる新世界 超先端バイオ技術がヒトとビジネスを変える』*2 という小林氏の新著が発売された。そこから引き出せる情報をまとめてみると、案の定、ごく短期間でこの業界の内側の空間は、ますます濃密で息苦しいものになっていることがわかる。

 

 

(1)大きな経済価値があり既に巨額な資金が動いていること

 

例えば、クリスパーキャス9は、技術開発について権利を主張する陣営が二つあり、特許訴訟が起きて、2017年2月には判決が下ったものの、反対陣営はすぐに米連邦控訴裁に上告したため、係争は継続中だ。だが、巨大バイオ企業であるモンサント社、ダウ・デュポン社等はすでにそれぞれの陣営とライセンス契約を結んでおり、また、両陣営が設立したバイオ・ベンチャー企業には欧米の名だたるバイオ・メーカーや製薬会社等が群がっていて、総額数十億ドルもの巨額資金を出資しているという。それに、この特許紛争は2015年12月に始まっているが、わずか半年間で弁護士費用だけで、双方合わせて約2000万ドル(20億円以上)ものお金が注ぎ込まれているというから、関係者がいかに将来的に巨額な利益が見込めると考えているかわかろうというものだ。私も業界の中の人にお話を聞いてみたことがあるが、バイオ企業の多く(特に巨大バイオ企業)はどちらの陣営が勝訴してもすぐにライセンス供与を受けてビジネス展開できるよう準備万端だという。しかも、クリスパーキャス9の発見以来、その代替手段もたくさん編み出されていて、場合によってはその方が優れている可能性もあるというから、さらなる巨額資金が動くことになるのは確実だ。

 

(2)短い間にも日進月歩で技術が進歩していること

 

技術自体も急速に進歩していることがうかがえる。遺伝子組替えの実験動物として使われる『ノックアウト・マウス』というのがあるが、通常のマウスのDNAの上にある遺伝子を、科学者が意図的に破壊して、これによってその遺伝子の果たしていた役割を確かめる目的で作られる。2015年には、クリスパーを使えば、10回に1回程度の確率で狙った場所にある遺伝子を操作できると言われていたのが、2016年には10回に9回は狙った通りに遺伝子を操作できるようになったという。さらに2017年になると、遺伝子の文字列に対して、『・・ACT・・』の真ん中にあるCをGに置き換えるなど、編集作業が1文字単位でできるようになったという。まさに操作精度は日進月歩で高まっている。

 

(3)倫理的な抑止力や法規制等の歯止めが効く、との確信は誰にも持てないこと

 

様々な問題が予想される中でも、現段階で最も深刻で統御不能となる恐れがあるのは、人の生殖細胞の編集で、これを行うと天才も生まれるかもしれないが、致命的な遺伝形質を持つことになったり、場合よっては怪物が生まれる恐れも否定できない。しかも、その形質は遺伝によって次世代に継承されると考えられるから、止めようがなくなってしまう(その遺伝子を持つ個体(人間)をまとめて虐殺するなら止められるかもしれないが・・)。

 

2012年にクリスパーキャス9の技術を「サイエンス」誌に発表したジェニファー・ダウドナ博士らの働きかけで、2015年12月『人遺伝子編集に関する国際サミット』が開催され、すでに何らかの病気を発症している患者の体細胞をゲノム編集で治療する行為については、基礎研究および臨床研究とも認めるものの、生殖細胞の治療については、基礎研究にとどめ、臨床研究(ゲノム編集された受精卵を女性の子宮に移植する行為)は禁止された。(ただし、あくまで一時停止)ところが、2017年に入って、米国の科学アカデミーは、『深刻な遺伝病で、他に合理的な代替手段となる治療法がない場合に限って、ヒト受精卵のゲノム編集による治療を容認する』との指針を発表した。現時点では、臨床研究には制約があるとはいえ、これは米国の科学界がヒト受精卵のゲノム編集を受け入れる方向に転換したと解釈できる。ダウドナ博士も、『今後数年以内にゲノム編集された赤ん坊が世界のどこかで誕生しても驚かない』と述べているというが、商用にも実験自体にも人の抑えがたい欲動を突き動かす技術がますます容易で安価に使えるようになりつつあるとすると、今後本当に『抑止力』が機能しつつけるのだろうか。

 

こうしてみると、やはり恐れていた方向に事態は向かっていると言わざるをえない。

 

 

生き残る『優生学思想』

 

繰り返すが、著者の小林氏も述べているとおり、私も、現段階でゲノム編集に関わる最もセンシティブな問題は、『ヒト受精卵のゲノム編集』なのだろうと思う。仮にこれが容認されるようになると、遺伝病の治療の枠を超えて、身長、容姿、運動能力といったような形質の向上を図ったり、逆に劣った形質を排除することに利用され、いわゆる『デザインベービー』の誕生につながりかねない懸念がある。

 

これで、すぐに思い当たるのは、ナチス・ドイツの『優生学思想』とそれに基づく残虐な政策だが、実のところ『優生学思想』はナチス・ドイツだけの問題ではない。ダーウィンの進化論の影響を受けて大流行した『社会ダーウィニズム』の影響は欧米各国におよんでいた。その結果、社会に望ましくない生命(障害者、精神病患者、犯罪者、社会不適合者、貧困層、人種的マイノリティー)を断種し、隔離し、追放しようとしてきたのが、科学技術の進歩の裏面にある暗い歴史の現実である。その歴史をたどって具体的な事例を漁ると、気持ちが悪くなるような事例がいくらでも見つかる。『社会進化』というけれど、少なくとも精神性という点では、『退化』以外の何物ではないと私には思えてしまう。

 

さすがに現在では、あからさまな優生思想を唱えることは事実上難しくなっているものの、その一方で、今でも、私生児/障害児の中絶であったり、安楽死容認論であったり、犯罪者への断種措置、精神病者の隔離措置等、人種差別、移民の制限等、少なからず『薄められた優生思想』は生き残っている。日本もその例外ではない。実際に自分の子供が出生前診断で障害児であることがわかって、中絶が可能と知ったら、どうするだろうか。簡単に割り切れる問題ではないことは少し考えてみればわかることだ。まして、今の日本人は、生活保護を受けるような弱者に世界の中でも突出して冷たい、というような統計もあって、日本社会の懐は決して深いとはいえない。倫理に関わる社会的合意が冷静に出来上がるとの確信は私には持てない。

 

 

柔軟な社会でなければ・・

 

生命科学に関わる問題に限らず、人工知能、自動運転等、進化が早く人間の身体/生命に関わるような技術の許容の可否を検討するにあたり、二言目には『倫理に関わる議論が必要』という意見が出てくるわけだが、問題はその先だ。一方で、2500年くらい昔に辿れる哲学や宗教、倫理学等に関わる人間の歴史の蓄積を参照するのは絶対に必要だと思うが、もう一方で、社会の柔軟性、許容力、倫理的成熟は決定的に重要で、その備えのない硬直した社会に無理やり最先端の技術を持ち込もうとすると、社会が壊れ、人々は変化を嫌悪し、過剰反応し、収拾がつかなくなってしまう恐れがある。だからといって、日本だけ技術は持ち込ませない、というのは意味のない議論で、技術の恩恵を受けたり、ビジネスを活性化する権利は日本人にも当然あるべきだし、どんなに抑制しようとしても、抑制できないことは前提とせざるをえない。

 

だからこそ、なんとしても社会の側で、これを受容できるような備えをするしかない。できるだけ社会の構造を柔軟に、新しいもの、新しい生活、新しい思想を受け入れても壊れない柔軟さを持つ社会とすべく努力する以外に対処するすべはない。歴史的に見れば、本来の日本の優越性はそこにあったはずだ。西欧のような泥沼の宗教戦争はなく、どんな宗教でも受け入れ、まったく構造の違う西欧近代への対応も、紆余曲折があったとしても実現して来た日本だからこそ、『アジアの奇跡』と賞賛されて来た。ただ、その点、今の日本は少々心配だ。どう見ても、社会の硬直化の傾向は顕著だからだ。

 

先日、ジャーナリストの神保哲夫氏と社会学者の宮台真司氏による、ビデオニュース番組、『マル激トーク・オン・ディマンド』にて、小林雅一氏がゲストとして招かれ、本件(ゲノム編集)について取り上げられていた。そこでの宮台氏の見解は、やはり非常に興味深かった。哲学者のユルゲン・ハーバーマスを引用しつつ、あまりに早い技術進歩によって社会が壊れてしまう危機感を強く表明されていた。まったくその通りだと思うし、だからこそ、日本でも、宮台氏のような識者が、真剣に『技術と社会』に関わる問題を提起し、議論を活発化していくことは不可欠だと考える。

 

ところが、番組を視聴していて、一つ私が日頃もっている危機感がいたく刺激される発言があった。まさに、宮台氏のような日本の社会学の最前線にいて、しかも、誰よりもあらゆる新しい情報に精通していると思われる人が、これまで、クリスパーキャス9のことを知らなかったと述べていたことだ。これこそ、先に私が述べた通り、関係者の間では大変な騒ぎになっているのに、そのサークル外の人にはほとんど問題の本質が伝わっていないことを象徴しているように思われたのだ。これでは、本当に、最も重要な判断を下すべき時に、それをきちんと議論できるレベルの人たちが関与しないままに流れが決まってしまうのではないか。

 

 

現代のマーケティング

 

それは、また日本におけるこの分野のビジネスの正常な流れも阻害することになりかねない。ゲノム編集に限らず、技術進歩については、昨今では、社会の側の影響や反発を過小評価する議論がどうしても多い印象があるが、実際に技術に基づいてビジネスを行う側こそ、これを深く認識しておかないと、思わぬ障害に立ち往生してしまうことになる。ある意味、それこそ現代のマーケティングなのであり、それを人任せにしているようではビジネスに関わることはできないくらいの覚悟でいて欲しいと思う。