ソーシャルメディアの現状から見えてくる危険なシナリオ

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IT/メディアジャーナリストの田中善一郎氏のブログ記事、『多様性が失われるソーシャルメディア、「沈黙のスパイラル」へ』は、非常に目から鱗が落ちる思いで読ませていただくことになった。

友達や家族、同僚に対しても、異なる意見を擁しているようだとネット上でユーザーは自分の意見を投稿しないようにしているという。またネット上では、異質な人とつながったり少数意見が広まることを、遠ざけようとする流れも強まっているというのだ。異質な意見を排除しようとする動きの中では、皆と同調して静かに黙っていたほうが無難と言うことか。
多様性が失われるソーシャルメディア、「沈黙のスパイラル」へ(田中善一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース


記事の一部を引用すると、公共の場で実名で(時に匿名でも)自分の意見を表明することに強いためらいのある日本人のことを述べてあるように見える。日本のソーシャルメディア内は、旧来の日本のコミュニティ以上に『村社会化』してているといわれてきているが、実際、自分の周囲でも、大抵の参加者は、ソーシャルメディア内で異質(特異)な意見を言うことをためらうようになってきているという実感はある。だが、驚いたことにこれは、米国民を対象とした調査なのだという。自らの意見を堂々と主張することにためらいがないのが米国人ではなかったのか!


該当部分を再びブログ記事本文から引用してみる。

スノーデン容疑者によるNSA(米国防総省国家安全保障局)の機密文書暴露事件を例に、Pewの調査では次のように報告している。
スノーデン−NSA物語について、米国人の86%もが個人的に議論したがっているのだが、ソーシャルメディアに投稿したいと答えた人はフェイスブックツイッター・ユーザーの42%しかいなかった。つまり自己主張したくても、ソーシャルメディアでの投稿を遠慮している人が半数近くいるということだ。
多様性が失われるソーシャルメディア、「沈黙のスパイラル」へ(田中善一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

沈黙の螺旋(らせん)


このブログのもとになったオリジナルの記事(Pew Research Centerの調査結果、およびニューヨーク・タイムズの記事)も精読してみたが、確かにこの調査結果が示唆するのは、米国のソーシャルメディアにおいて、ユーザーが自分の意見が少数である場合にはその表明を控え、多数が支持する意見やニュースに同調する傾向が強まる、いわゆる『Spiral of Silence/沈黙の螺旋(らせん)』現象だ(田中氏の記事では、『沈黙のスパイラル』とあるが、ここでは『沈黙の螺旋』という用語を使わせていただく)。
Social Media and the ‘Spiral of Silence’ | Pew Research Center
Social Media and the ‘Spiral of Silence’ | Pew Research Center


沈黙の螺旋』とは、Wikipediaによれば、ドイツの政治学者エリザベート・ノエレ=ノイマン (Elisabeth Noelle-Neumann) によって1966年に発表された政治学とマスコミュニケーションにおける仮説で、同調を求める社会的圧力によって少数派が沈黙を余儀なくされていく過程を示したものとされる。



米国においてさえ


この現象は、日本でも度々その存在が報告されてきており、同時に、インターネット普及に伴って起きる、関心の一極集中、すなわち集団分極化/島宇宙化や、意見の急速な一極集中化(サイバーカスケード)が起きやすくなることは以前から指摘されて来たことでもあり、今更驚くほどのことではない、というご指摘もあろう。ただ、この沈黙の螺旋を克服するための鍵を握る存在である『声ある代弁者』『悪魔の代弁者』(多数派にあえて反対する者)のタイプの人が、ソーシャルメディアの普及で増えていくことが想定されていたはずなのに、米国においてさえ、それは減る方向の力学が働いていることが確認されたかに見えることは(1回の調査だけではまだ真相がはっきりしないとはいえ)、やはり注目に値する。



愛国者法の影響は?


ただ、多少気になるのは、この調査がベースとしている記事がただ一つの事例、『エドワード・スノーデン容疑者の機密文書暴露事件』であることだ。すなわち、本件が政治的には非常にセンシティブなトピックであるだけに、米国政府がなりふり構わず波及を押さえ込もうとしている案件であることだ。2001年の米国の同時多発テロをきっかけとして、怒濤の勢いで成立した、『米国愛国者法』の影響が色濃いのではないかと考えられるのだ。ジャーナリストの堤未香氏の著書『アメリカから<自由>が消える』に紹介されているように、米国はテロ対策を口実に極端な監視社会/警察国家に変質した見られる一面がある。スノーデン容疑者のことを好意的に取り上げてブログにでも書こうものなら、自分もテロ容疑者のリストに入れらたり、場合によっては逮捕したりされかねない。少なくともそう考える米国民が一定数いる限り、このような特殊な話題を取り上げれば、調査自体にバイアスがかかってしまうことはことは想像に難くない。


なりふり構わぬ政府


ちなみに、この『政府によるなりふり構わぬ強行手段』については、残念なことに世界的な潮流といえそうだ。元外交官で文筆家の佐藤勝氏が、『国際社会は弱肉強食の「新・帝国主義」の時代に入った』と語るように、昨今、ロシアにしても、米国にしても、中国にしても、『弱肉強食』的振舞いを隠そうともしない。そして、敵とみなす相手には容赦ない。冷戦時代とも、米国一人勝ちの時期とも違うステージに入ったことは、日頃政治に疎い私でさえひしひしと感じる。


チュニジア暴動に端を発し、ソーシャルメディアが媒介となって中東全体に波及した『アラブの春』を『食い止めた』シリアでは、秘密警察の巧みな撹乱によって、反体制側のソーシャルメディアが機能不全となってしまった例が、ニューズウイーク日本版(2011年4月13日号)に生々しく記載されている(秘密警察がソーシャルメディア内で味方を装って近づいてきたり、ハニートラップをしかけたてきたり、デマを流したりしているようだ)。


ただ、そうであればこそ、むしろ今回の調査結果は、米国民の言論の自由に対する根強いこだわりと意志を反映していると言えなくもない。『自己主張したくても、ソーシャルメディアでの投稿を遠慮している人が半数近くいる』ということは、逆に言えば、半数はソーシャルメディアでの投稿の意志を持っているということだ。特に、『アメリカから<自由>が消える』を読んだ後では、一層、そう感じてしまう。



日本こそ心配


幸い、日本ではまだ『恐怖政治』が現出しているわけではない。だが、一方で、人間関係で知識の共有が分断され、村社会的な同調圧力が米国よりはるかに強く、『沈黙の螺旋』も、サイバーカスケードも起こりやすい環境にあることは認めざるをえない。しかもそれは、年々強まって来ている感がある。方や、最近総務省より発表された、『平成26年度版情報通信白書』でも総覧できるように、日本はもちろん、世界的に見ても、ICT技術のさらなる進展も、ソーシャルメディアの普及/利用の拡大も、もはや押しとどめようはない。今の日本は、一面ではまるで火薬庫に可燃性の高い引火物がどんどん溜まっているような状態にあるといえる。
総務省|平成26年版 情報通信白書|PDF版


繰り返すが、ICT技術の進展も、ソーシャルメディアの拡大も所与の前提条件と考えざるをえない。この環境から逃れることはできないことを前提に、そのリスクを一人でも多くの人が認識して、良い方向は出来るだけ伸ばし、日本の行く末を間違わないように、そのための参考資料の一つとして、今回のような記事も充分に研究しておく必要があると思う。