WOMマーケッティングサミット2013/興味と納得と心配事

去る5月27日(月)に、『WOMマーケッティングサミット2013』に参加した。レポートのタイミングとしては完全に周回遅れなのだが、このイベント、私の事前の予想をはるかに上回ってものすごく面白かったので、是非何か書いておきたいと思った。ただ、予め断っておくが、逐次的なレポートでもなければ、議事録でもなく、あくまで私の雑感/所見である。(思い込み/妄想といってもいいくらいかもしれない)その上でご一読の上、皆さんのご意見も伺いたいと考えている。


開催概要は以下の通り。


催事
WOMマーケティングサミット2013

主催
WOMマーケティング協議会

協賛
株式会社 電通
株式会社 博報堂DYホールディングス
株式会社 アサツー ディ・ケイ/株式会社 ADKデジタル・コミュニケーションズ

日時
平成25年5月27日(月曜日)
9時開場 / 9時30分開演

場所
六本木ヒルズ内 アカデミーヒルズ49


WOMマーケティング協議会



発足の頃には


WOM マーケティング協議会( The Word of Mouth Marketing Japan 略称:WOMJ )については、2009年の立ち上がり当初の印象はかなり鮮明で、そのころのことは今でもよく覚えている。当時、今で言う『ステルスマーケティング』のはしりのような事象に関連して、炎上騒ぎが頻発し、企業としての倫理を問われるだけではなく、法規制を要求する世論まで盛り上がりそうな雰囲気だった。ブログ等(当時はブログが中心だった)の新しいメディアを利用した広告宣伝のような新しく立ち上がりかかっているビジネスが、ネットの事情に暗い政治家や官僚におかしな法律でもつくられようものなら、いきなり終了してしまいかねない。そんな情勢に関係者は皆色めき立った。この騒ぎを鎮静下するためには、自分たちで世間の納得をえられるガイドラインを一刻も早く策定して、業界を守る必要があるという思いから、先行して2004年に立ち上がっていた米国のWOMMA(The Word of Mouth Marketing Association)に範を仰いで組織されたのが、WOMJだった。(少なくとも私はそう理解していた。)



難易度の高いガイドラインの策定


だが、関係者が集まってガイドラインをつくるべく知恵を絞っても、企業側の合意と世間の理解をうまく調和するような案を捻出するのは、ものすごく難易度が高い作業に思えた。会員企業の中には、かなり黒に近い灰色(あるいはほぼ黒)に踏み込むことが、必要悪としてのリスクテークであり、チャレンジスピリットある姿勢と思い込んでいるような企業も少なからずあったと記憶している。


やや強引に簡略化していえば、『企業』と『消費者』の間に、『ブロガー』という消費者側を代表し、消費者に信頼されている第三者がいて、企業(及び宣伝会社)としては、このブロガーにできるだけ沢山の企業に好意的な記事を書いてもらうこと、それをうまく仕掛けることが新しい宣伝手法(口コミの促進)、というような認識だった。


企業がブロガーに金銭等を渡して完全に支配しているのでは、従来の企業の広告宣伝と何ら変わるところがないし、一方、企業が製品やサービスの正式発表前に、『企業との関係を明示すること』を前提に、ブロガーに情報を流したりプロトタイプを見せたりして、ブロガーに自由に書かせる(批判記事もOK)ようなイベントをしかけるのであれば、一応その手法が非難されることはないし、ブログ記事自体は増えるかもしれないが、何を書かれるかわからないから、企業の宣伝手法としては不確実性が高くリスクもある。もう少し効果をコントロールするには、この二極の間のどこかを探るしかないが、それができなければ、このビジネスモデルは成立しないのではないか、という疑念があった。


二極の間のどこかといっても、直接の謝礼ではないにせよ、企業に対してブロガーが好意的な記事を書くように何らかの供出をすることが必要になるのでは、消費者から見れば(どんなに薄いとはいえ)そんな企業の色のついたブロガーの情報はやはり完全に信頼できるとは言えない、当時の私にはそう思えた。この問題には出口がないように見えたものだ。



状況は完全に変わった


だが、今回、WOMJやWOMMAの活動報告を聞くと、そのような懸念はもはや完全に払拭されているように見える。午前中に山口浩ガイドライン委員会委員長(駒沢大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授)から最新の『WOMマーケティングに関するガイドライン』改定についての説明があったが、会場には人がまばらで、質問もほとんど出ない。山口氏自身も、ガイドラインに感心が薄れていることを率直に認めていた。それは何故なのか。かつてあれほど注目が集まったのに、この間に一体何があったのか。



企業と消費者の関係の変化


端的に言えば、もはや、二律背反に悩む必要性そのものが霧散してしまったということだろう。今やステルスマーケティングをやるような企業は論外で、そんな姿勢では良い口コミなどけっして期待できない。消費者は以前よりずっとクレバーで不誠実な企業姿勢には厳しい。


しかも、小手先で口コミの拡散を期待しても、そんなに簡単にはいかない。企業は従来の防衛的で建て前ばかりの情報発信の殻を破って、身近な友人に対して話すような態度で、企業が社会に提供する価値につき、消費者に繰り返し語りかけ、価値観のレベルでコミュニケーションをはかることが必要になった。

[ポイント]


※関係性の明示は不可欠


※企業は正直で誠実でなければ消費者から捨てられる


※軟式アカウント程度ではもはや役不足。オウンドメディアを通じて『価値』の発信が必要
 → 消費者と深いレベルでの対話を繰り返すことが必須
 → それができれば、消費者はシェアし、拡散してくれる

従来型の宣伝広告の終焉


しかも、情報過多の環境は一層加速度がついて進行しており、いくら企業が金にあかして広告宣伝を繰り広げても、あっという間に巨大な情報の津波に飲み込まれ、埋もれてしまう。従来のような単純な情報伝達程度では、消費者の印象にも残らず、広告宣伝の費用対効果は低下の一途だ。消費者が興味を持って自主的に取り上げ、シェアし拡散するような『宣伝物』でなければ、どうにもならなくなってきている


まして、東日本大震災を契機に、学者、マスコミ、大企業CEO等の権威は地に落ち、自分の信頼できる近しい人の情報、すなわち口コミ情報がますます重視されるようになってきている。それを後押しするように、モバイルの急速な普及によって、消費者は非常に手軽にソーシャルメィア等のあらゆる双方向メディアに簡単にアクセスできるようになった。


だから、どんな業態の企業であれ、広告宣伝活動の費用対効果を上げたければ、発信すべき自らの中核価値をわかりやすく定義し、優れたコンテンツをつくり、それを伝達すべく面白いストーリーをつくり、消費者の反応を数値的していくことが尚一層求められるようになった。

[ポイント]


※日本では震災以来、学者やマスコミ、CEO等の権威の言うことを消費者が信じなくなり、
 口コミ情報の信頼度があがっている。


※ストーリーが重要。人々はストーリーは覚えていて、シェアしようとする。


※ストーリーを創出できる優れた人材が不可欠。外注する企業も増えて来ている。
  (P&G: ハリウッドのディレクター、日産:放送作家/脚本家/ジャーナリスト等)

1%の熱狂的なファンとのエンゲージメント


さらには、モバイルとソーシャルメディアの普及も相まって、そして、発信/発信者も、質量ともに拡大しており、その中には非常に熱心(時には熱狂的)に発信する人たちが出現してきている。このクラスターに企業としてどのようにアプローチするのかが、非常に大きな課題であり、競争条件になって来ている。その点、Lady Gagaは非常に優れて洗練された手法を展開していて、大変参考になる。
ASCII.jp:レディー・ガガに学ぶ「クチコミ」の作り方

[ポイント]


※ファンのコアにいるAdvocates ( 1%の熱狂的なファン)とのエンゲージメントを
 築くための戦略が不可欠。


※そのようなファンは、熱狂的にあらゆる手段(ソーシャルメディア等)を使って
 情報を拡散し、宣伝してくれる。

コペルニクス的転換


もはや、ソーシャルメディアは、既存メディアでは伝えにくいことを一部肩代わりするニッチ(隙間)メディアの役割を遥かに越える存在となりつつある。いまだにニッチメディアにしか見えないようであれば、そんな自分に危機感を持つべきだと思う。『企業』と『消費者』そしてその媒介者としての『メディア』との従来の関係はあちこちで断裂し、新しくつなぎ直されつつある。天動説と地動説が入れ替わるくらいの、いわゆるコペルニクス的転換が起きている。


だから、繰り返すが、今では、WOMJにもWOMMAにも、ステルスマーケティングが業界全体を壊してしまう、という危機感はさほど感じられない。ステルスマーケティングをやるような企業は、問題外で、先進企業は、もっと効果のあるマーケティング手法を開拓して、その費用対効果を目に見えるようにすることに注力し、そういう意味でしのぎを削っている。



更なる淘汰の波?


イベントの中での、WOMMAの紹介も、日本企業の事例発表等も非常に面白かったのだが、一つ気になったことがある。新しい手法をどんどん開拓し、実行に移してる米国企業に比べて、全般に日本企業が(一部先進企業を除けば)低調に見えてしまうことだ。比較的先行してソーシャルメディア利用に取り組み、その利用には長けて見える事例でも、上記に述べたごとく、マスメディアによる広告宣伝の『隙間』としての評価しか得ていないように見える。そんな日本企業のトップは、まだこのフィールドで起きている、『コペルニクス的転換』を正しく評価できていないのだろう。そういう意味では、今また大きな淘汰の波が来ていて、この業界の関係者を洗っている最中なのかもしれない。


総括的な感想を書いているだけで長くなり過ぎ、個々の具体的な事例に話を進めることができなくなってしまった。それについては、次回以降、別途取り上げてみたい。