市場のトレンドは『真・善・美』へシフトすると確信している

 

 

◾️ あらためて取り上げたい『真・善・美』

 

前回のブログ記事で、扱った著書、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』*1は、企業のコンプライアンス活動という比較的特殊な領域に関するイベントに絡めて引用させてもらい、関係者からは予想以上に好評をいただくことができた。ただ、本書で扱われているコンセプトは本来経営の根幹にかかわる大変革を示唆するものであり、前回のように法的な問題に関連して参考に使うことはもちろん可能だが、扱われている範囲から言えば、ほんの一部でしかない。しかも内容的には近年私自身が考えてきたことと驚くほど近い。よって、せっかくなので、前回は構成上言及できなかった部分についてもあらためて参照させていただきつつ、私自身がこの問題について考えていることについても(どちらかというとそれを中心に)述べておきたい。

 

 

◾️ 混迷が続く世界

 

2010年代もすでに最終コーナーが近くなってきた現在、世界は従前の予想をはるかに超えて混迷を極め一寸先を見通すことも困難な情勢だが、とりわけ2016年はまがりなりにも(良くも悪くも)世界に形成されつつあったはずの秩序を押し流してしまうような大変革を象徴する年になった。その頂点にあるのは言うまでもなく、英国のEU離脱国民投票および米国大統領選挙におけるトランプ大統領誕生(旧来の政治エリートを代表するヒラリー・クリントン候補の敗北)だ。それはすでに既定路線のように世界に波及していた『グローバリズム』をその震源地である米国と英国の内側から強烈なアンチテーゼが登場してあっという間に国論を乗っ取ってしまったのだから、世界は唖然とするしかなかった。

 

だが、就任したトランプ大統領も、未だに新秩序を生み出すどころか、混沌の中心にあって世界をかき回し続けている。トランプ大統領は常々『フェイクニュース』とメディアを罵っているが、昨年来、オックスフォード英語辞書が、2016年の世界の今年の言葉として発表した。『ポスト真実』という言葉が、現状の世界を覆う現象を一言で言い表す用語として注目を浴びたことは記憶に新しい。世界は、大量のフェイク(にせ)情報に溢れ、世論は正しい情報より感情に動かされ、まさにポピュリズムが世界中の政治シーンを席巻している。

 

一方、トランプ大統領によって抑制されることも期待された、米国の金融資本やグローバル企業は、その勢いを減じることなく、豊富な資金をつぎ込み優秀な弁護士やロビーストを抱え込み、政治家と結託して、自分たちの有利なようにルールを書き換え、その結果、市民の側の政治的な対抗力は弱まり、「1%とその他」と言われる貧富の格差は益々広がりつつある。経営コンサルタントの小林由美氏は著書『超一極集中社会アメリカの暴走』で、『1%とその他』どころか、さらにその状況はエスカレートしていて、『0.01%とその他』とも言うべき状況になっていると述べる。そして、このトレンドは米国一国にとどまらず、まさに世界のグローバル企業のスタンダード(グローバルスタンダード)として、世界に飛び火しつつある。トランプ大統領のTPP離脱宣言くらいでは、大きな流れはほとんど影響を受けているようには見えない。

 

 米国のジャーナリスト、ポール・ロバーツ氏は近著『「衝動」に支配される世界---我慢しない消費者が社会を食いつくす』*2にて、米国では社会全体が効率的市場の価値観に支配され、自己の欲求を満たすためであれば、社会的な責任も他者への配慮も生態系への負担も一切無視した、モラルの欠片もない社会が出来上がってしまったと嘆く。脳の辺縁系、爬虫類脳に対する刺激で人間の行動は制御されてしまい、欲しいもの、短期的な利益にユーザーは誘導され、ユーザー自身それを求める(求めさせられる)。だれもが、短期的な利益、欲しいものに突き動かされ、その他の社会に重要な価値(自己犠牲、献身等)が忘れられてしまったと述べる。そうして、このようにすべてを短期的な利益に誘導することに長けた経営者は株主から評価されて栄え、そうではない要素を持ち込み、短期利益を悪化させる経営者は、そこに如何に善意があっても、駆逐されてしまう。自己増殖を続ける純化された資本の法則が他の何にもまして猛威を振い続けている。

 

 

◾️ 機能しないCSR

 

この『スーパーキャピタリズム』に対する対抗軸(カウンター・バランサー)は、本来CSR(企業の社会的責任)であり、コーポーレート・ガバナンス(企業統治力)のはずだったが、昨今これが機能しなくなっていることを、編集者の松岡正剛氏は次のように嘆いている。

 

企業として社会的貢献をはたしていたと思われてきたデイトンハドソンやリーバイストラウスは、この20年間で敵対的買収を受けたり、工場閉鎖を余儀なくされている。メセナ企業として知られていたポラロイド社は倒産し、労働基準においてはトップクラスのマーク・アンド・スペンサーは買収され、やはりCSRの先駆者と見られていたボディショップアニタロディックは顧問に追いやられ、ベン・ジェリーズ(アイスクリーム・メーカー)はユニリーバに買収された。

1275夜『暴走する資本主義』ロバート・B・ライシュ|松岡正剛の千夜千冊

 

 

 実は、ここまでのところは、私自身がこの半年くらいの間にブログ記事としてまとめて来たことの抜粋であり、この内容を見れば、スーパーキャピタリズムに対して『真・善・美』なり、『美意識』なるものが対抗軸になるなどと、お前が言うなとおしかりを受けてもおかしくない。実際、企業の長期的な持続的成長のためとは言っても、株主以外のステークホルダーとのバランスといったような議論は、持出しにくくなっていると言わざるをえない。また、先の『ポスト真実』に即して言えば、『真』を求めようにも、フェイクニュースだらけの中から、どうやって『真』を見極めればいいのかわからない、というような疑問が続々と湧いてきそうなのが、昨今の実状ではある。

 

となると、前回のブログ記事は何なのかとあらためて問われてしまいそうだ。『真・善・美』や『美意識』では『ポスト真実』にも『スーパーキャピタリズム』にも対抗できなければ、これをコンプライアンスの文脈で持ち出しても意味がないのではないか、ということになる。確かに、正面から、CSR(企業の社会的責任)であり、コーポーレート・ガバナンス(企業統治力)とか持ち出しても、表面的にはともかく、根本的には拉致があかないと、正直私も思う。特に、短期志向の株主を説得することなどできるとは思えない。

 

 

◾️ 世界は『真・善・美』を必要としつつある

 

しかしながら、少々迂回路を通ってではあるが、やはり『美意識』が機能するトレンドが遠からず訪れるのではないかと、最近考えるようになった。どういうことだろうか。少し説明がいる。

 

山口周氏の著書のタイトルにある通り、そもそも世界のエリートが『美意識』を鍛えようとしている目的は、CSRでもコーポレート・ガバナンスでもない。市場で勝ち抜く経営の力を鍛えることだ。もう少し具体的に言えば(本書からその要因を引き出してきて並べると)次のようになるだろう。

 

1.差別化

 

『論理』や『理性』だけの競争では誰でも同じ結論に到達して差別化ポイントを喪失してしまう(正解のコモディティ化)。人の創造性を開花させるイノベーションが差別化の基本だが、そのためには、特に今後は、『美意識』の鍛錬が不可欠となる。しかも、『美意識』による差別化は競合他社が分析して追随することがしばし難しく、そういう意味で競合他社が入り込めない『壁』を構築することができる。

 

 

2.論理だけでは測れない問題の増加

 

世界が混沌としてきて、数値化が難しく論理だけでは白黒がはっきりしない問題だらけとなっているが、経営者はそれでも正しい意思決定ができる判断力を期待され、そのために何等かの方法を模索せざるをえない。そして、そのような判断力を鍛える方法として、『美意識』の鍛錬が有効と考えられて来ている。従来のファクトベース・コンサルティングの標準的な問題解決のアプローチは陳腐化してきているだけではなく、方法論自体が限界にきている。

 

 

3.地球規模で消費者の要望が高度化する

 

地球規模の経済成長が進展しつつあり、衣食が足りるようになった世界の消費者の欲望は『高度化』し、益々多くの人が自己実現につながる消費を求めるようになってきている。いわば世界は巨大な『自己実現欲求の市場』になりつつある。ノーベル経済学賞を受賞したロバート・ウィリアム・フォーゲルも、世界中に広まった豊かさは、全人口のほんの一握りの人たちのものであった『自己実現の追求』をほとんどすべての人に広げることを可能にしたと述べているというが、それは今後もっと急速にもっと大規模に拡大していくだろう。その市場で勝つためには、機能的優位性や価格競争力を形成する能力より、人の承認欲求自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要になっている。

 

 

このように、今、世界規模の市場競争を勝ち抜く上で美意識を鍛えるというのは、逆説的だが極めて合理的だ。企業の競争力を(経済的な面でも)大きく上げていくだろう。当然企業の唯一最大のステークホルダーとなった株主も納得せざるをえないはずだ。

 

だが、非常に興味深いことに、目標の主が、経営やビジネスの競争での勝利であっても、美意識の追求というのは思わぬ副次効果をもたらすことになると考えられる。少なくとも下記の3点を指摘することができる。

 

 

1.高まる『真実』の希少価値

 

先ず第一に、フェイクニュースだらけの市場では、『真実』の希少価値はいやがうえにも上がって来ている。同時に、人々の『真・善・美』を求める気持ちは強くなってきている。『真・善・美』の追求が、企業の競争力を確保する上でも必須ということになれば、流が大きく変化する条件は揃ってきていると言える。

 

 

2.ローカルの「善」への希求

 

次に、ローカルの復権としての『ローカルの善』を求める欲求が強くなってきていることがある。グローバル化を純粋に追及すると、ローカルの秩序を壊してしまうことになる。グローバル企業として競争に勝っても、それは従業員に還元されず、それどころか人工知能やロボット等のハイテクの進化とともに、雇用は一層縮減する方向だ。企業の存在する地域経済への還元もその実現は状況次第で変わり、もっと資本の増殖にとって都合が良ければいつでもその場所からシフトしてしまう可能性がつきまとう。1%はそれでもいいだろうが、残り99%にとっては、それでは困るだろう。まさにそれがトランプを大統領に押し上げた原動力だったはずだ。そういう意味でも、ローカルにとっての善を単純に切り捨てる方向は明らかに反転し始めている。

 

 

3.クールで美的でファッショナブルな企業の有利さ

  

そして、自己実現欲求中心の市場における消費者にとっては、物質主義は後退し、精神的な充足を求める傾向が強まると考えられている。その延長で、物資的な満足を充足させてくれれば誰でもよいという人は減り、人をワクワクさせてくれるような企業、美意識を存分に感じさせてくれる企業に対する声望が大きくなると考えられる。その先頭にいる企業として、アップルを上げることができる。西川氏がさりげなく述べている点でもあるが、株式時価総額世界一を争うアップルの最大の勝利条件は、いわゆる『イノベーション』ではない。カリスマ経営者だったスティーブ・ジョブズ亡き後、『イノベーション』の衰退が指摘され、それが今後の企業としてのアップルの将来が危ぶまれる理由となっているわけだが、今のアップルの商品の魅力の源泉は広義の『デザイン』の力であり、アップルはIT企業というより、ファッションの会社と考えたほうがよいかもしれない、と述べる。アップルが提供している最も大きな価値は『アップル製品を使っている私』という自己実現欲求の充足だというわけだ。今後アップルがどの位の期間この価値を提供できるかは正直不透明だが、現時点でのアップルの評価としては私も賛同できるところである。

 

競争の構造自体の一大反転

 

このように、市場での競争に勝ち残るためにこそ、『真・善・美』であり『美意識』が求められており、その付随効果/副次効果として、市場参加者のメンテリティが大きく変化し、競争の構造自体がドラスティックにシフトする可能性がはっきりと見えて来ている。企業の競争力を巡って一大反転が起きてくる可能性がある。このようなトレンド下にあっては、ブラック企業は論外だし、フェイクニュースを垂れ流したり、経営に美意識を持たない企業の競合力が目に見えて落ちてくることは大いにあり得るところだろう。少なくとも、そのように意図を持って世界を変えようと考えている人や企業を大きく後押しする力が湧き出してくると考えられる。

 

ここからは私の勝手な予想だが、これからの2~3年は『偽・悪・醜』の旧来のパワーと、対抗する『真・善・美』のパワーがぶつかり合い、相克の時代になるのではないか。そして、最終的には、そして、最終的には『真・善・美』が勝って、世界全体のシステムも大きく変わることになるだろう。少なくとも、その陣営に自分を置いて、『真・善・美』勝利するために、自分にできること、やるべきことは何か、十分に時間をとって考え、行動に移していきたいと思う。