トランプ大統領登場以降に何が変わるのか・変えるべきなのか
◾️ 分水嶺
先日、ブログの原稿を準備して投稿しようとしていて、絶句してしまった。ちょうど米国の大統領選の経過を見ていたら、見る見るトランプ候補の得票が増えて、次期大統領に確定してしまったではないか! 自分自身、いわゆる『トランプ現象』は決して一時的なものではなく、米国の根の深い構造問題が背景にあるとして、そのことをブログ記事にして書いたくらいなので、それほど驚くほどのことはないところなのだが、やはりそれでも、『ギリギリだが落選した』のと『ギリギリだが当選した』のとでは天と地ほどの違いがある。トランプ氏が落選していても、米国の構造問題は非常に深刻で、民主党(クリントン氏)の政権運営は厳しいことが予想されはしたが、それでも、原則としてオバマ政権の政策はほぼ継承され、今後の政策もある程度想定の範囲内に収まることが予想できた。ところが、こうなってみると、選挙期間中からずっと非現実的と揶揄され続けたトランプ氏の公約がどうあれ現実の政策として出てくる(と考えられる)。実際には、現実との折り合いをつけていかざるを得ないとは思われるが、それにしても、米国政治の変貌は計り知れない。準備した原稿は、完全に陳腐化してしまった。
これ以降は世界を従来の延長で語ることはできなくなってしまった。9.11が米国の国柄を一変させたように、また、東日本大震災が日本の言論の色彩を決定的に変えてしまったように、これ以降何を語るのであれ、従前の自分を一旦棚卸ししてからでなければ、何も語ることなどできない。
米国の様子や、トランプ氏の人となり、あるいは、クリントン氏の敗北の真相等については、米国事情に通じた現地のビジネスマンや学者のようには滔々と語ることなどできはしないが、それでも、自分のビジネスキャリアにおいて、長く様々な観点で米国事情や日本と米国との関係等について模索せざるをえなかった事情もあり、多少なりとも自分なりに語れることはあるつもりなので、これまでの経験や蓄積を総動員して、発信を続けて行こうと思う。
◾️ 今後のグローバリズムの趨勢
自分が比較的長期間に渡って関心を持ってきたテーマで言えば、レーガン元大統領以降推進されてきた、米国主導のグローバリズムの今後の趨勢については、再度徹底的に考え直してみる必要がある。もちろんこれは言うまでもなく、今世界中が固唾を飲んで見守っている論点と言っていいわけだが、何よりまずクリントン氏優位を喧伝し続けた米国のマスメディアや政治エリート(インサイダー)の情報や見解をゼロベースで見直す必要がある。私自身、いつの間にか自分に忍び込んだ情報が自分の中で妙な先入観を形成していて、突然それに気づいて驚いてしまうことも多い。例えば、今は誰もが時代の『分水嶺』を異口同音に口にするわけだが、その意味するところは決して同じではない。
手元にある情報の中で、ちょうど政治学者のフランシス・フクヤマ氏の『分水嶺』に言及するファイナンシャル・タイムズ紙への寄稿がある。おおよそ、次のような内容だ。
・トランプの勝利は、米国政治の分水嶺というだけでなく、世界秩序全体に対する分水嶺となる。
・世界はあらたなポピュリズムとナショナリズムの時代に突入した
・1950年代から構築されてきた自由主義的な秩序が憤怒の大衆に攻撃を受けている。
・世界はナショナリズム競争のリスクに陥る可能性も大きい。
・1989年間のベルリンの壁が崩れた時と同様の重大な時代の転換のシグナルになりうる。
ある意味、これは非常に常識的であり、今後の世界秩序は、『ポピュリズム』と『ナショナリズム』の脅威にさらされ、そのリスクに真剣に向き合う必要があるとの見解には、基本的には私も賛同する。しかしながら、トランプ氏の存在がこの動向を助長した、との内に込められたニュアンスには少々注意が必要だ。というのも、ヒラリー・クリントン氏が大統領になっていたら、『憤怒の大衆』をなだめ、『ポピュリズム』や『ナショナリズム』への傾倒を抑止することができたのかと言えば、おそらくそうではあるまい。そもそもここまで米国の中間層を『憤怒の大衆』へと押しやったのは、米国の富の33%を占める上位1%層であり、グローバリズムをあまりに押し進め過ぎた金融資本であり、クリントン氏はその1%層が最も強力に支援してきた存在だったはずだ。とすれば、クリントン氏が次期大統領になっていれば、『憤怒の大衆』の怒りはさらに増幅され、『ポピュリズム』と『ナショナリズム』を助長するエネルギーははるかに大きくなり、その上で均衡が崩れ、世界はもっと破局的な分水嶺を迎えることになっていたのではないか。
◾️ 長い間指摘されてきた問題
21世紀を迎えたばかりのころ、哲学者のマイケル・ハートとアントニオ・ネグリは共著『帝国』*1ですでに次のように述べている。
〈帝国 〉が 、私たちのまさに目の前に 、姿を現わしている 。この数十年のあいだに 、植民地体制が打倒され 、資本主義的な世界市場に対するソヴィエト連邦の障壁がついに崩壊を迎えたすぐのちに 、私たちが目の当たりにしてきたのは 、経済的 ・文化的な交換の 、抗しがたく不可避的なグロ ーバリゼ ーションの動きだった 。市場と生産回路のグロ ーバリゼ ーションに伴い 、グロ ーバルな秩序 、支配の新たな論理と構造 、ひと言でいえば新たな主権の形態が出現しているのだ 。 〈帝国 〉とは 、これらグロ ーバルな交換を有効に調整する政治的主体のことであり 、この世界を統治している主権的権力のことである 。(中略)生産と交換の基本的要素 ——マネ ー 、テクノロジ ー 、ヒト 、モノ ——は 、国境を越えてますます容易に移動するようになっており 、またそのため国民国家は 、それらの流れを規制したり 、経済にその権威を押しつけたりする力を徐々に失ってきているのだ 。
著書では明言されていないが、<帝国>は米国、さらに言えばその核にある金融資本を暗示していたことは明白だ。ただ、指摘は正鵠を得ていたとは言え、具体的な対策となるとこれは大変な難題だった。グローバル資本主義と国民国家(およびその中の社会)が対立的になり、後者の疲弊が『憤怒の大衆』を生むとすれば、当然その両者の調整、調和的な折り合い、弁証法的な解(正→反→合)を模索すればよかろうということになるが、どうやらそれは今のところ解のない方程式と言わざるをえないようだ。自分でもこれは散々考えてきたテーマでもあり、安易に解がないとは言いたくはないし、自分なりの案もないわけではないが、いずれにしても、極端に難しい問題になってしまっていることは認めざるをえない。
◾️ 解のない難問
経済学者で 、プリンストン高等研究所の教授であるダニ ・ロドリックは、著書『グロ ーバリゼ ーション ・パラドクス 』*2でこの辺りの悩ましさについて言及している。
国民民主主義とグロ ーバル市場の間の緊張に 、どう折り合いをつけるのか 。われわれは三つの選択肢を持っている 。国際的な取引費用を最小化する代わりに民主主義を制限して 、グロ ーバル経済が時々生み出す経済的 ・社会的な損害には無視を決め込むことができる 。あるいは 、グロ ーバリゼ ーションを制限して 、民主主義的な正統性の確立を願ってもいい 。あるいは 、国家主権を犠牲にしてグロ ーバル民主主義に向かうこともできる 。これらが 、世界経済を再構築するための選択肢だ 。選択肢は 、世界経済の政治的トリレンマの原理を示している 。ハイパ ーグロ ーバリゼ ーション 、民主主義 、そして国民的自己決定の三つを 、同時に満たすことはできない 。三つのうち二つしか実現できないのである 。
ハイパーグローバリゼーションの先頭集団(企業)が国家経済を牽引し、その恩恵はその下の階層にも十分に及ぶとする『トリクルダウン理論』も1980〜90年頃には広く受け入れられていたものだが、その後、現実との乖離を指摘され、今ではほとんど持ち出されることはなくなってしまった。かつての産業資本主義時代には、資本と国家は分かち難く結びついていたが、金融資本主義時代になると、資本も人材も自由に国境を行き来するから、資本の発展の恩恵が必ずしも国家や国民に及ばなくなる。貧富の差も年々拡大し、トリレンマは先鋭化する一方だ。
そのため昨今では、グローバリゼーションの主体(=帝国=金融資本等)と国民国家/社会はどうしても対立的に対峙する傾向があり、中間層没落による社会の崩壊→憤怒の大衆の拡大→テロリズム等の暴発/政権交代や政策変更、という流れが必然になってしまう。イギリスのEU離脱や今回の米国大統領選挙はそれを証明したとも言える。もただし、マクロで見れば、グローバリゼーションの浸透で先進国の中間層は衰退を余儀なくされたものの、アジアやアフリカ等の諸国では、総体的に賃金も上がり生活も向上したことは確かで、その点については、グローバリゼーションのメリットがあることは間違いない。
◾️ 宮台真司氏の勇気あるトランプ支持表明
ちょうどこのブログ記事の原稿を書いている最中に、社会学者の宮台真司氏がまさに同じ話題を取り上げた上で、勇気を持って(批判を恐れず)『トランプ支持』を表明している記事を見つけた。宮台氏はグローバリゼーションの恩恵を認めて原則支持するが、スピードが速過ぎて社会を壊してしまうと国家システム全体を破壊して手がつけられなくなる(憤怒の大衆を増やし暴発させる等)ので、ソーシャルキャピタルを破壊しないよう、スピードをあまり上げすぎぬような配慮が必要とする。そして、先に述べたような『トリレンマ』に覚悟を決めて向き合うべきとしている。トランプ時期大統領は少なくとも今の所は『1%層』との関係は薄い。オバマ大統領のように、当初は改革を唱えながら、結局『1%層』の巨額な資金に取り込まれてしまう可能性を否定しえないが、少なくとも当面はトランプ大統領誕生という劇薬が、それを見直す契機となることは確かで、このままクリントン氏が大統領になってもいずれ歴史は大きく旋回せざるをえないから、それよりは早く歴史が動きだす可能性を良しとするという意味で、宮台氏はトランプ支持を標榜していると言う。枝葉の議論はともかく、この主張の趣旨には私も同意する。(トランプ支持とまで言い切る勇気はないが・・)
僕、宮台真司がトランプ大統領の誕生を待ち望んでいた理由
ただ、問題は、そのスピードを抑止することが可能かどうか、誰がどのように、どのレベルまで抑止するかにある。今回のアンチ『1%層』の動向には、巨額の献金やロビーイングを通じた、米国の政治支配があまりに目に余り、政府が国民と乖離してしまっており、加えて米国の外交も歪めているという問題があるから、まずはこの点を正常化することが喫緊の課題であり、トランプ次期大統領を支持する米国民の願いもそこにあるはずだ。そして、それが実現できればかなりの程度、国民の生活も改善するに違いないという思いがある。だから今は絶対値としてのスピードが議論になる場面は(そもそも難しい議論ということもあり)あまり見たことがない。
◾️ 技術進化という大きな分水嶺に向けて
しかしながら、それはそれとして、勃興しつつある先端技術(人工知能等)は、今よりはるかに速い、想像を絶するスピードで、既存の市場参加者を追い落とし、社会を崩壊させてしまう恐れをはらんでいる。しかも、その主体は、巨大資本に限らない。タクシー配車ビジネスで巨大な成功モデルとなったUberの例に見るように、今後は少人数のベンチャー企業が続々と同様の成功を実現していくだろう。市場全体で見ると、少しでも不能率な部分にはすぐにベンチャー企業が押し寄せて、全てをデジタル化し、世界は人間のペースではなく、デジタルエコノミーのペースに巻き込まれていくだろう。何もしないでいると、それこそ大量の『憤怒の大衆』を生むことになりかねないし、今度はウオールストリートのような具体的な仮想敵は設定しにくくなっていく。今回の分水嶺のすぐ後に、また超巨大な分水嶺が待っていることを忘れるわけにはいかない。それを含めて、そこで生きる人の幸福や満足度を第一にする世界をどのように構築していくべきなのか、あらためて考え始める出発点としたいのもだ。
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*2: グローバリゼーション・パラドクス: 世界経済の未来を決める三つの道