インドの差別との戦いは世界規模の課題を暗示している

 

 

▪️ 世界の中心に踊り出るインド

 

昨今の世界のビジネスシーンにおけるインドの勢いはものすごい。少し前までは、いくらそのように説いても皆半信半疑だったものだが、今ではそのパワーを疑うものは逆に少数派になった。21世紀は「アジアの世紀」とは、ずっと前から言われていたことだが、時の経過と共に、その意味と中心は大きくシフトして来ている。当初は日本、そしてそれを追随する韓国の急成長が注目され、発展の中心は東アジア、あるいは、儒教経済圏が中核、と言われていたものだ。だが、今やその中心は中国および華僑経済圏(シンガポール等)に完全にシフトしているし、同時にインドが次の主役として認知されるようになってきた。しかも、中国は一人っ子政策が仇となって日本に続いて急激な高齢化に悩まされることが確定していて、いわゆる人口ボーナス(子供と高齢者の数に比べ、働く世代の割合が増えていくことによって、経済成長が後押しされること)を使い果たしつつある。ところが、インドはまさにこれから人口ボーナスの恩恵を受けることもあり、将来性で言えばダントツの存在と言っていい。大抵の日本人には、中国と比較しても、その実態がほとんど知られていないインドだが、これからはそうはいかなくなる。否が応でも、あらゆる意味でインドやインド人のことを理解せざるをえなくなって行くだろう。

 

その日本人の中では、少数派ということになるのかもしれないが、私は多少なりともインドのことを知っているという自負があった。ある時期ビジネスで関係を持って、広くインド中に出張し、現地の友人もたくさんできた。もともとインドの思想や宗教に興味もあったので、歴史から現代の宗教に至るまでかなり時間を割いて探索した。それはその後仕事がかわってビジネスの関係が切れてからも続いた

 

だが、それはまったくの思い上がりであることをごく最近になって思い知らされることになった。きっかけは、インドで相次ぐあまりに悲惨なレイプ事件について、あらためて(今頃、という感じでもあるが・・)調べていたことだ。私が知るインド人の友人達のたたずまいや、垣間見たインド人社会からはこれほどの残忍な事件が頻発するという光景がどうしても想像できなかかった。よって、従来の自分の先入観を一旦横に置いて、事の真相を明らかにしてみたいと思った。

 

 

▪️ インドの深層理解の鍵

 

その途上で、私は、外国人の目には触れにくい不可触賎民の実態のことをよく理解していなかったことを自覚することになった。そして、今まで全く知らなかた偉人の生涯とその事績を知ることになった。その偉人とは、カースト制の最下層の不可触賎民に生れながら驚くべき苦闘を乗り越えて、欧米の最高学府で学位を得て、独立後のインドで最初の法務大臣となりインド憲法の起草を事実上独力で成し遂げたビームラーオ・アンベードカルである。*1*2私がそれまで知っていたインドの偉人の数はおそらく普通の日本人並からすればかなり多いと思うし、その生い立ちや業績の評価、彼らの回顧録の類に至るまでかなり詳しく読んで来た。インドの友人にも随分時間を割いてもらって様々な話を聞いて来た。だが、その友人たちの話にも、私が読んで来た文物のどこにもアンベードカルの名はなかった。ところが、一旦彼のことを知ってしまうと、聖人ガンジーが霞んでしまうほどの偉人としか思えなくなってくる

 

私の無知と浅学はともかくとして、インドのことを詳しく知ると称する私の友人達の顔を思い浮かべても、アンベードカルの名前が出てくるとはとても思えない。どうやらこのギャップ、この空白にこそ、日本人がこれから本当のインドを知り、彼らと深く付き合っていくにあたっての一つの鍵があるように思えてならない。アンベードカルと彼の後継者たちの苦闘から見えてくるインドの現実を知ることの意味は大きいと考える。

 

 

▪️ ガンジーとアンベードカル

 

  黒人解放運動に殉じたリンカーンはじめ、差別と闘った偉人は世界で数多く知られているが、インドでは、ガンジーもまたそのような偉人の一人で、不可触賎民の待遇改善に尽力した人だったはずだ。それは確かにそうなのだが、一つ言えることは、ガンジーは不可触賎民ではなかったし、不可触賎民を構造的に生み出すカースト制には反対ではなかった。むしろ、インド人の生活の基盤であり、心の支えでもあるヒンドゥー教カースト制含みで守ろうとしていた。

 

そのヒンズー教の思想の一端に触れるには、数多くある聖典を紐解いてみるのが手っ取り早いが、「ヴェーダ「マヌ法典」「マハーラーバタ」等いずれも、カースト制の聖なる由来とそれを絶対の義務として守り通すべきことが明記されている。昨日今日できあがったものではなく、何千年もの歴史を生き延びた聖典であれば、その言葉の端々に至るまで信者の心に深々と浸透していると考えられる。聖典を読み継ぎ、語り継ぎ、その教えを守ることを通じて、インド人としてのアイデンティティを形作ってきた歴史があるのだから、巨大な西洋文明を背景とする宗主国のイギリスに対抗するにあたって、このヒンズー教をよすがと頼ることは当然のことで、その教えの一部であっても否定することはガンジーであれ、誰であれ容易ではなかっただろう。だから彼の立場は政治的には理解できる気がする。

 

だが、どうみても、聖典が意図したであろう不可触賎民の扱いより現実の扱われかたははるかに過酷で非人間的としかいいようのないものだ。世襲の職業として、糞尿や動物の死体処理等に縛り付けられ、村の井戸から水を飲むことも禁じられ、殺人やレイプを含む日常的な暴力から法的な保護を受けることもできない。ヒンドゥー教徒なのにヒンドゥー寺院に立ち入ることも、聖職者の説法を聴くことも許されない。しかも、その割合(人数)が半端ではない。何と総人口の20%、約1億8000万人(2001年国勢調査)もいるという。他の社会、例えば西欧世界であれば、革命を起こすにたる理由を持つ大勢力をこの国の支配層はずっと抑え込んできていたわけだ。不可触賎民の側も、現世の幸福を諦め、来世での不可触賎民からの脱出を願い、聖典に定めるとおり過酷な奴隷の地位に甘んじていたことになる。(実際にはそう思っていなくても、どうすることもできなかったからかもしれないが・・)宗教的信念の恐るべき強靭さ、拘束力にあらためて驚いてしまう。

 

だからこそ、その中から這い上がってインド政治の最前線で戦ったアンベードカルという存在は、どこから見ても奇跡としかいいようがない。アンベードカルは、不可触賎民を「ハリジャン(神の子)」という呼称で持ち上げながらも不可触賎民の政治的な地位向上をはかるアンベードカルを否定し、活動を阻止しようとするガンジーにも、堂々と対峙した。当然、すでに「聖人」として崇められていたガンジーに歯向かう存在として、バッシングを受ける。

 

だが、ガンジーも、アンベードカルもその生涯を全体として評価できる立場にある私たちから見れば、この論争はアンベードカルに理があるとしか思えない。だが、あまりに長い歴史を持ち、強い強制力となってインド人民にのしかかるヒンドゥー教徒の宗教的信念を内側から切り崩すことは、どうしてもできなかったようだ。最終的に、アンベードカルは仏教に改宗することになる。残念ながら、死の2ヶ月前というから、彼の支持者も仏教者としての彼の活動を目にすることはほとんどできなかったわけだが、不平等を説く宗教的信念に対しては、平等を説く宗教で対抗するしかない、というところに追い込まれていったことは、実のところ極めて示唆的だ。

 

 

▪️ 補助線としてのベルクソンの思想

 

今、世界は「寛容」や「平等」というような概念が押しつぶされつつあるような状況で、移民、異民族等の「よそ者」の排除を声高に叫ぶことで、自分たちのコミュニティ(国家)の結束を強化しようとするような勢力が跋扈し、拡大しつつある。そして、「寛容」や「平等」を説く者のことを、あろうことか「非現実的」「ナイーブ」と蔑むようなことが横行している。世界は帝国主義に逆戻りして、ファシズムが跳梁した第二次大戦前夜へ逆戻りしようとしているかのようだ。あの恐るべき時代と同色に染まりつつある昨今であればこそ、まさにそのナチスの占領下のパリにあって、混迷の極みにある時代を克服すべく、最後の力をふり絞っていた偉大な哲学者、ベルクソンのことを思い出さずにはいられない。

 

 

ベルクソンはそのパリで最後の時を迎えることになるが、遺作となった「道徳と宗教の二源泉」*3は、今の時代にこそ、再び紐解いて、噛みしめてみる必要があるように思える。特に、上記に述べたような、ヒンドゥー教カースト制を現実的なインドの統合と独立のために肯定したガンジーと人間性を無視したカースト制を肯定するヒンドゥー教を離脱して、仏教に救いを求めたアンベードカルという対比に想いを馳せる機会を得た今の私には、尚のこと、かつて熟読した本書の思想を思い出さないではいられない。

 

「人間は社会的動物である」と言われるが、この社会の維持のために、初期の宗教は個々人に道徳や習慣、教育等の責務を負わせる。この道徳/宗教教育によって植えつけられる責任感によって、社会は崩壊から免れる。そしてその道徳/宗教は、家族、集落、国家くらいまでは合理的に機能する。これをベルクソンは「第一の源泉から生まれる道徳」とする。しかしながら、「第一」は本質的に閉じたものであり、国家の枠を超えることはできない。

 

それに対して、ベルクソンは「第二の源泉」があると述べる。国家の限界を超えた開かれた道徳、人類愛である。ベルクソンによれば「第一の源泉」から生まれる道徳/宗教の範囲を拡大していっても「第二」に到達することはない。従って、「第一」により形成された国家が寄り集まって国連のような組織を組成しても、「第二」に昇華することはないことになる。では、それはどこに起源を持つのか。ベルクソンの言う「エランヴィタール(生命の躍動、生の飛躍)」の根源に触れ、神的達観を得て、魂が高度な感動で揺さぶられ、それを周囲に広げずにはいられない「エランダムール(愛の躍動)」に駆られた一個の人間から、というのがその答えだ。具体的には、釈迦、イエスソクラテス等が該当する。

 

ガンジーはインド社会を統合し、イギリスから独立するために、おそらくは「第一の源泉」が主となっているであろうヒンドゥー教を、その思想の中にあるカースト制もろとも肯定せざるを得なかったようだ。一方、かつて「第二の源泉」に触れたと考えられる釈迦の思想を再発見したアンベードカルは、当初ヒンドゥー教の内側からの改革を目指しながらも、最終的には仏教に改宗する。教派・教団としての仏教は、「第二の源泉」ではなく、自らの教派を守るために「第一の源泉」支配下にあるようなのも多いから、十把一絡げに「仏教といってしまうと語弊があるのだが、自らもバラモン教の苦行を試しつつ、最終的には、ベルクソンの言う「第二の源泉」に触れたと考えられる釈迦の「質的な違い」にアンベードカルは共鳴し、インドの地から生まれた奇跡の人にインドはもちろん、世界を変える根源的な力を感じたようだ。それは単に、政治的なヒンドゥー教から仏教への宗旨替えというようなことではまったくないことは留意しておく必要がある。

 

 

▪️ インドから世界へ

 

アンベードカルは早逝するが、彼が切り開いた道は後を継ぐ者達によって大道となる。驚いたことに、日本からインドに渡った僧侶(佐々井秀嶺がその先頭に立って、アンベードカルの意志を継いで大きな成果をあげている。*4*5アンベードカルが改宗した頃には、ほとんどものの数にも数えられていなかった仏教徒が今では1.5億人もいるという。この数に根拠がないと批判する人もいるようだが、今のインドで仏教徒が非常に大きな勢力になっていることは確かだ。少なくとも、インドで「閉じられた宗教」から「開かれた宗教」へ飛躍しようとする偉人が現れ、その運動が大きな勢力となって来ていることを素直に認めてあげていいと私は思う。まして、同胞の日本人がその先頭に立って心身をインドに捧げているのだ。

 

 

これは経済的に世界の中心に躍り出ようとするインドにとっても好材料であることは確かだろう。同時に、世界の困った潮流に対する「アンチ」の旗頭となる潜在力を秘めている。だから、どんどん「閉じた」方向に向かう世界を、少しでも「開く」ための活動拠点の一角となって欲しいと願ってしまう。もちろん、インドにも狂信的で過激なヒンドゥー至上主義があり、しかもその勢力は近年非常に大きくなり、政権の一端に絡んで来てさえいる。だが、佐々井秀嶺やアンベードカルの思想を受け継ぐ仏教徒には是非負けないで頑張ってほしいと願わずにはいられない。

*1:ビームラーオ・アンベードカル - Wikipedia

*2:

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

 

 

*3:

世界の名著 (64) ベルクソン 中公バックス

世界の名著 (64) ベルクソン 中公バックス

 

 

*4:

*5: