東芝に見る日本の企業組織の危機/下落する日本を反転させるには
◾本番はこれから?:東芝不正会計問題
2015年の重大ニュースの一つに、東芝の不正会計発覚があるのは異論のないところだろう。年内には収束せず、一旦は見送られる気配さえあった経営者の刑事告訴も、2016年には実現する可能性が出てきた。そうなれば、あらためて2016年を揺るがす重大ニュースとして記憶されることになるだろう。
東芝は、2006年に買収して子会社化した米原子力大手ウエスチングハウスについて処理を先送りにしているし、社内では経営者の甘い処分案に納得のいかない社員の怒りが渦巻いていて、今でも経済誌や証券取引等監視委員会にはそういう社員から次々と内部告発が寄せられているというから、新たな重大な不正が発覚する可能性もある。そうなれば上場廃止という事態にも現実味が出て来かねない。東芝に限らず社員の同様の怒りが渦巻く会社は今本当に多くなってきているので、東芝の事例が突破口となって『内部告発による下克上』が他社にも波及し、場合によっては彼方此方で火を噴くかもしれない。昨年以上に注目しておくべき案件と言えそうだ。
◾日本企業にありがちな構図
発覚した直後は、担当者や一部門レベルの問題だろうと思い、さほど気にも止めなかった。あまりほめられた話ではないが、企業に長く勤めていると、『不正の境界ギリギリ、時々ややあやしい』という会計処理はさほど珍しくないことがわかってくる。違法にならないギリギリの節税対応は、企業の側から言えば、株主から預かった貴重な資本を最大限有効活用するための務めであり、従業員に報酬を保証するための原資の確保でもあり、正当化する理屈はいくらでもある。その努力がうっかり一線を越えて『違法』扱いされることはままあることだ。脱税と節税では、そのイメージはまるで違うが、境界線は案外曖昧である。
だが、東芝のケースは、実態が明らかになるにつれ、筋がまったく違うことがわかってきた。なんと、経営トップが指揮して、しかも節税のための利益隠しなどではなく、経営者が経団連会長の椅子を目指す等のプライドを維持するために、利益が出てもいないのに出ているかのように糊塗するのが主目的だったという。しかも、その規模や広がりが尋常ではない。
しかも、異例という意味では、世間での会社のイメージと実態とのギャップが極端なことにも言及しておくべきだろう。普段から個性の強いカリスマ経営者が、世間の常識など歯牙にも掛けないで、あぶなっかしい言動や経営手法で世間を騒がせているような会社とはまさに正反対で、常識的で、保守的なイメージが強いのが東芝という会社だ。歴史も伝統もあり、しかも後世に名が残るほどの名経営者を何人も排出している。家電やパソコン等、電気業界が軒並み業績を悪化させて呻吟している最中にも堅実な経営を維持していると思われていた(結果的にはそうではなかったわけだが・・)。従業員の気質も、お行儀が良いおぼっちゃん、無理をしすぎずスマートというのが最大公約数的な印象だろう。だが、今回の不正発覚で社内の実態が生々しく暴露されると、そんなイメージは完全に吹っ飛んでしまった。なんのことはない、上層部が押し付ける無理難題を、唯々諾々(自分の意見を少しも主張せずに、他人の言いなりになって盲従する様。 事の良し悪しに関わらず、ただ人の意見に従って言いなりになること)と承るしかない、日本企業にありがちな構図だ。個人的にはとても優れたビジネスマンとしての東芝社員を何人も知っているだけに、彼ら個人を侮蔑する意図はまったくないが、そうした有能な社員が言いたいことも言えずにひたすら忍従する様が目に浮かんできて気の毒でしかたがない。
◾東芝だけではない
ただ、繰り返すが、上司の命令は絶対という体制で、組織ぐるみで不正やその隠蔽が行われ、発覚して会社の経営が危機に瀕すると、従業員側が左遷やリストラにより切り捨てられる、という構図は昨今ものすごく目立つようになってきている。歴史や伝統のある大企業もその例外ではない。東芝はいわばその動向を象徴していると言えないこともない。
不正とは違うが、優良企業と謳われた企業が、その経営の失敗によって没落していく事例がこの数年続出しているのはご存知の通りだ。例えば、かつて液晶で一世を風靡したシャープなど、その典型的な事例の一つとして、解体の危機に瀕している。同じ業界では、昨今では立ち直ってきているとは言え、数年にわたって空前の巨額赤字を計上したパナソニックやソニーなども、その原因をたどると明らかに経営の責任によるところが大きいことがわかる。
◾大企業ほどうまくいかない
歴史のある大企業は、優秀な人材を数多く抱え、過去の成功体験も多く、資金も潤沢だ。経営環境の変化にも本来対処できる能力も高いはずだが、必ずしもそうはなっていない。むしろ、大企業ほどうまくいかない、という事例が実際に非常に多くなってきている。これはどうしてなのか。実のところこれはすでに語り尽くされてきた感のある論点であり、私自身も何度も取り上げて書いてきたことでもあるのだが、あらためてそれをきちんと言語化して総括しておくべき時期なのかもしれない。その補助線として、今回は経営学者の入山章栄氏の新著『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』*1を利用させてもらおうと思う。以下、本書を参照して用語を借りつつ、市場で起きたことをたどってみる。
上記に例にあげた、東芝、シャープ、パナソニック、ソニー等の企業の主戦場である(あった)IT・電気業界は、かつてはこうした日本企業が世界の市場を寡占し牛耳っていたが、2000年代の半ばともなると、小規模でもスピードと変化への順応性に富みイノベーションを起こす能力のある会社が、新しい製品やサービスを次々に持ち込んで激烈な競争にしのぎを削る場に変わった。
旧来の市場の勝利条件は、改善による製品品質や能力の向上、大規模な生産によるコスト競争力等であり、日本企業はそれぞれの得意な分野でこの競争を勝ち抜くための組織を精緻に作り上げた。だが、その結果社内等の身内に限定した『身近な知』だけを活用しがちになり、企業を超えた交流は軽視されるようになった。(そして、それを『選択と集中』と称して正当化する。) その方が余計な活動に資源を使わないという意味で、当時は合理的な企業行動とも言えた。
ところが、現代の市場における製品やサービスは、従来のカテゴリーを軽々と飛び越え、様々な要素の新しい組み合わせによる妙を競うようになった。しかもそれがものすごいスピードで入れ替わっていく。そこで勝つために不可欠なのは不断のイノベーションということになった。イノベーションは『知』と『知』の組み合わせから生まれてくるから、新鮮な組み合わせを志向すればするほど従来の自分たちでは知らなかった遠い分野の『知の探索』が必要になる。会社内だけではもちろん足りず、広く社外との『知』の交流が不可欠であり、そのような志向を持つ社員を多く抱える必要がある。それどころか、経営者自身も新しい経営の仕組みや手法を求めて広く交流し、自ら蓄積してきたものを棚卸し、常に新しく入れ替えていく姿勢が必要になった。こうなると社内で精緻に作り上げられた組織はむしろ阻害要因になってしまう。
◾没落が運命づけられている
東芝に限らず、過去の成功体験を金科玉条としてしがみつく上司が組織に君臨し、上司の命令には絶対服従というような体制では、少なくともイノベーションの絶えざる更新が必要な市場では勝てないのは当たり前だ。成功体験も失敗体験もその後の企業のパーフォーマンスを上げる効果があることは一般に認められている。だが、『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』では、米ブリガム ・ヤング大学のピ ータ ー ・マドセンと米コロラド大学デンバ ー校のヴィニット ・デサイの共同研究論文を引用して、より効果があるのは、失敗体験であるとする。というのも、組織は『新しい考え方 ・アイデア ・知見 ・情報などを常に探す 』(サーチ行動)によって学習していくが、失敗体験を重ねるほどサーチ行動拡充したり、深化するようになり、長い目で見ると学習効果が上がって成功確率が上がっていく。ところが成功体験ばかりだと『自分は正しい』と認識するから、いつの間にかサーチ行動を取らなくなるからだという。
硬直した日本企業の組織では、成功体験(=成果)だけを基準にして出世競争するようなことはまずない。成功体験以上に、上司や社内での受けが良い人がヒエラルキーを上がるケースが多い。そんな仕組みの中で組織の上層部に上がる人が継続的なサーチ行動を重ねて研鑚を続けることは期待薄だ。それどころか自らの成功体験を批判する部下を排除してでも、自分の過去の成功体験という『神話』を守ろうとする。あるいは、自らの上司の成功体験の神話を守ることで生き残る。もちろん日本企業に個人として優秀な人は沢山いる。だが、成功体験で目立つ人は困ったことに『嫉妬』の対象になりがちだ。そういう人は組織の上に登るのではなく、優秀な構成員として組織の実質的な競争力を担保する役割にまわることが多い。これが帝国陸海軍の時代から続く日本の組織の特徴とも言え、それは21世紀の現代でも連綿と続いている。こんな組織で、しかも今のような市場環境で、『上司の命令には絶対服従』なんてやったら、没落の運命は決まったようなものだ。
もちろん、中にはまだ改善とコスト低減が重要な競争条件となっている業界や市場も少なくないがのは確かだが、現代の技術革新とその行方を探求していると、ほどなく新しい競争条件(イノベーションが不可欠)でほとんどの市場が塗り替えられていくことは確実と言わざるをえない。してみると、東芝タイプが多い日本企業各社は、没落、解体が避けられないということになる。加えて、『知の探求』や『サーチ行動』は成功のための必要条件であっても、十分条件ではない。Googleで華麗な業績を重ねた、マリッサ・メイヤーがYhaoo!のトップなって、失敗を重ねている事例に見る通り、現代の先端の競争は本当に過酷だ。
◾40年周期説
歴史作家の半藤一利氏は、著書『昭和史』*2で、40年周期説を述べていて大変興味深い。私は今回あらためてこの説のことを思い出してしまった。日本の近代史には陽と陰が40年サイクルで訪れているように見える。1865年の開国から40年で日露戦争に勝利した絶頂期を迎え、それから下降期に入り、1945年の終戦でどん底となる。その終戦から立ち上がり、40年経った頃の1985年は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と言われた絶頂期で、それからしばらくはバブルの酒盛りに酔いしれる。しかし、そこからは下降を続け、『失われた20年』は安倍政権の経済政策で歯止めがかかったようにも見えるが、実は円安が続くこの国は一人当たりのGDPの国際比較では下落を続けており、90年代初ごろには3位だったのが、2014年にはついに27位*3まで落ちて過去最低を更新した。40年周期説が正しければ、次のどん底は2025年であり、日本はまだ下降を続けることになる。1985年ごろに経営の苦労も知らずにバブルや『強い日本』の勢いに乗ることばかりに血道をあげた若者が、今まさに東芝を含む各社の『上層部』となって君臨している。これは日露戦争にかろうじて勝利したものの、日本の本当の苦境や実態を知らずに、『一等国』日本を過信した若手の軍人や軍事官僚がその後日本を国家壊滅の淵に追い込んだのと似ているのかもしれない。下降を続けるうちに、今の経済界には尊敬に値する経営者が激減してしまった。(政界はこれを上回る惨状だ。)
かつて私は、バブル崩壊後の日本経済が転回の可能性があるとすれば、インターネットが本格普及期に入った1995年ごろに社会人になった大学生が企業のマネジャークラスを占めるようになるちょうど今くらいからではないか、との淡い期待を抱いていたが、どうやら現実は厳しそうだ。苦労を知らずにバブルに踊った、あるいは、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を過信した世代が経営の一線を退くまでは、この状況に歯止めがかからないと見ておくのが現実的というべきなのかもしれない。
◾少しでも早く陰を陽に反転させるために
このような現状を勘案すると、少しでも早く陰を陽に反転させるためには、東芝問題では、経営者にあまい処分を下して抜本的な改革を先送りしたりせず、徹底的に膿を出して、場合によっては解体するくらいの姿勢が必要ということになる。そうでなければ、ただでさえ『下方圧力』がまだまだきついと考えられる日本を反転させることなど望み薄だろう。そういう意味では、あからさまに下克上を煽るつもりは毛頭ないが、東芝の社員には覚悟を決めて頑張って欲しいものだと思う。
もちろんこれは東芝社員だけの問題ではない。近年『大企業志向』で『終身雇用』を好感する若年層が増えているというが、その先には、2045年まで続く長期低落/没落しか待っていないと考えておくべきだ。『大変化』に逆らうのではなく、『大変化』をチャンスと捉えて、組織とは関係なく自分の足で立ち上がるにはどうすればいいのか考え抜く。2016年はそのような決意を固める年にしたいものだ。
◾本番はこれから?:東芝不正会計問題
2015年の重大ニュースの一つに、東芝の不正会計発覚があるのは異論のないところだろう。年内には収束せず、一旦は見送られる気配さえあった経営者の刑事告訴も、2016年には実現する可能性が出てきた。そうなれば、あらためて2016年を揺るがす重大ニュースとして記憶されることになるだろう。
東芝は、2006年に買収して子会社化した米原子力大手ウエスチングハウスについて処理を先送りにしているし、社内では経営者の甘い処分案に納得のいかない社員の怒りが渦巻いていて、今でも経済誌や証券取引等監視委員会にはそういう社員から次々と内部告発が寄せられているというから、新たな重大な不正が発覚する可能性もある。そうなれば上場廃止という事態にも現実味が出て来かねない。東芝に限らず社員の同様の怒りが渦巻く会社は今本当に多くなってきているので、東芝の事例が突破口となって『内部告発による下克上』が他社にも波及し、場合によっては彼方此方で火を噴くかもしれない。昨年以上に注目しておくべき案件と言えそうだ。
◾日本企業にありがちな構図
発覚した直後は、担当者や一部門レベルの問題だろうと思い、さほど気にも止めなかった。あまりほめられた話ではないが、企業に長く勤めていると、『不正の境界ギリギリ、時々ややあやしい』という会計処理はさほど珍しくないことがわかってくる。違法にならないギリギリの節税対応は、企業の側から言えば、株主から預かった貴重な資本を最大限有効活用するための務めであり、従業員に報酬を保証するための原資の確保でもあり、正当化する理屈はいくらでもある。その努力がうっかり一線を越えて『違法』扱いされることはままあることだ。脱税と節税では、そのイメージはまるで違うが、境界線は案外曖昧である。
だが、東芝のケースは、実態が明らかになるにつれ、筋がまったく違うことがわかってきた。なんと、経営トップが指揮して、しかも節税のための利益隠しなどではなく、経営者が経団連会長の椅子を目指す等のプライドを維持するために、利益が出てもいないのに出ているかのように糊塗するのが主目的だったという。しかも、その規模や広がりが尋常ではない。
しかも、異例という意味では、世間での会社のイメージと実態とのギャップが極端なことにも言及しておくべきだろう。普段から個性の強いカリスマ経営者が、世間の常識など歯牙にも掛けないで、あぶなっかしい言動や経営手法で世間を騒がせているような会社とはまさに正反対で、常識的で、保守的なイメージが強いのが東芝という会社だ。歴史も伝統もあり、しかも後世に名が残るほどの名経営者を何人も排出している。家電やパソコン等、電気業界が軒並み業績を悪化させて呻吟している最中にも堅実な経営を維持していると思われていた(結果的にはそうではなかったわけだが・・)。従業員の気質も、お行儀が良いおぼっちゃん、無理をしすぎずスマートというのが最大公約数的な印象だろう。だが、今回の不正発覚で社内の実態が生々しく暴露されると、そんなイメージは完全に吹っ飛んでしまった。なんのことはない、上層部が押し付ける無理難題を、唯々諾々(自分の意見を少しも主張せずに、他人の言いなりになって盲従する様。 事の良し悪しに関わらず、ただ人の意見に従って言いなりになること)と承るしかない、日本企業にありがちな構図だ。個人的にはとても優れたビジネスマンとしての東芝社員を何人も知っているだけに、彼ら個人を侮蔑する意図はまったくないが、そうした有能な社員が言いたいことも言えずにひたすら忍従する様が目に浮かんできて気の毒でしかたがない。
◾東芝だけではない
ただ、繰り返すが、上司の命令は絶対という体制で、組織ぐるみで不正やその隠蔽が行われ、発覚して会社の経営が危機に瀕すると、従業員側が左遷やリストラにより切り捨てられる、という構図は昨今ものすごく目立つようになってきている。歴史や伝統のある大企業もその例外ではない。東芝はいわばその動向を象徴していると言えないこともない。
不正とは違うが、優良企業と謳われた企業が、その経営の失敗によって没落していく事例がこの数年続出しているのはご存知の通りだ。例えば、かつて液晶で一世を風靡したシャープなど、その典型的な事例の一つとして、解体の危機に瀕している。同じ業界では、昨今では立ち直ってきているとは言え、数年にわたって空前の巨額赤字を計上したパナソニックやソニーなども、その原因をたどると明らかに経営の責任によるところが大きいことがわかる。
◾大企業ほどうまくいかない
歴史のある大企業は、優秀な人材を数多く抱え、過去の成功体験も多く、資金も潤沢だ。経営環境の変化にも本来対処できる能力も高いはずだが、必ずしもそうはなっていない。むしろ、大企業ほどうまくいかない、という事例が実際に非常に多くなってきている。これはどうしてなのか。実のところこれはすでに語り尽くされてきた感のある論点であり、私自身も何度も取り上げて書いてきたことでもあるのだが、あらためてそれをきちんと言語化して総括しておくべき時期なのかもしれない。その補助線として、今回は経営学者の入山章栄氏の新著『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』*4を利用させてもらおうと思う。以下、本書を参照して用語を借りつつ、市場で起きたことをたどってみる。
上記に例にあげた、東芝、シャープ、パナソニック、ソニー等の企業の主戦場である(あった)IT・電気業界は、かつてはこうした日本企業が世界の市場を寡占し牛耳っていたが、2000年代の半ばともなると、小規模でもスピードと変化への順応性に富みイノベーションを起こす能力のある会社が、新しい製品やサービスを次々に持ち込んで激烈な競争にしのぎを削る場に変わった。
旧来の市場の勝利条件は、改善による製品品質や能力の向上、大規模な生産によるコスト競争力等であり、日本企業はそれぞれの得意な分野でこの競争を勝ち抜くための組織を精緻に作り上げた。だが、その結果社内等の身内に限定した『身近な知』だけを活用しがちになり、企業を超えた交流は軽視されるようになった。(そして、それを『選択と集中』と称して正当化する。) その方が余計な活動に資源を使わないという意味で、当時は合理的な企業行動とも言えた。
ところが、現代の市場における製品やサービスは、従来のカテゴリーを軽々と飛び越え、様々な要素の新しい組み合わせによる妙を競うようになった。しかもそれがものすごいスピードで入れ替わっていく。そこで勝つために不可欠なのは不断のイノベーションということになった。イノベーションは『知』と『知』の組み合わせから生まれてくるから、新鮮な組み合わせを志向すればするほど従来の自分たちでは知らなかった遠い分野の『知の探索』が必要になる。会社内だけではもちろん足りず、広く社外との『知』の交流が不可欠であり、そのような志向を持つ社員を多く抱える必要がある。それどころか、経営者自身も新しい経営の仕組みや手法を求めて広く交流し、自ら蓄積してきたものを棚卸し、常に新しく入れ替えていく姿勢が必要になった。こうなると社内で精緻に作り上げられた組織はむしろ阻害要因になってしまう。
◾没落が運命づけられている
東芝に限らず、過去の成功体験を金科玉条としてしがみつく上司が組織に君臨し、上司の命令には絶対服従というような体制では、少なくともイノベーションの絶えざる更新が必要な市場では勝てないのは当たり前だ。成功体験も失敗体験もその後の企業のパーフォーマンスを上げる効果があることは一般に認められている。だが、『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』では、米ブリガム ・ヤング大学のピ ータ ー ・マドセンと米コロラド大学デンバ ー校のヴィニット ・デサイの共同研究論文を引用して、より効果があるのは、失敗体験であるとする。というのも、組織は『新しい考え方 ・アイデア ・知見 ・情報などを常に探す 』(サーチ行動)によって学習していくが、失敗体験を重ねるほどサーチ行動拡充したり、深化するようになり、長い目で見ると学習効果が上がって成功確率が上がっていく。ところが成功体験ばかりだと『自分は正しい』と認識するから、いつの間にかサーチ行動を取らなくなるからだという。
硬直した日本企業の組織では、成功体験(=成果)だけを基準にして出世競争するようなことはまずない。成功体験以上に、上司や社内での受けが良い人がヒエラルキーを上がるケースが多い。そんな仕組みの中で組織の上層部に上がる人が継続的なサーチ行動を重ねて研鑚を続けることは期待薄だ。それどころか自らの成功体験を批判する部下を排除してでも、自分の過去の成功体験という『神話』を守ろうとする。あるいは、自らの上司の成功体験の神話を守ることで生き残る。もちろん日本企業に個人として優秀な人は沢山いる。だが、成功体験で目立つ人は困ったことに『嫉妬』の対象になりがちだ。そういう人は組織の上に登るのではなく、優秀な構成員として組織の実質的な競争力を担保する役割にまわることが多い。これが帝国陸海軍の時代から続く日本の組織の特徴とも言え、それは21世紀の現代でも連綿と続いている。こんな組織で、しかも今のような市場環境で、『上司の命令には絶対服従』なんてやったら、没落の運命は決まったようなものだ。
もちろん、中にはまだ改善とコスト低減が重要な競争条件となっている業界や市場も少なくないがのは確かだが、現代の技術革新とその行方を探求していると、ほどなく新しい競争条件(イノベーションが不可欠)でほとんどの市場が塗り替えられていくことは確実と言わざるをえない。してみると、東芝タイプが多い日本企業各社は、没落、解体が避けられないということになる。加えて、『知の探求』や『サーチ行動』は成功のための必要条件であっても、十分条件ではない。Googleで華麗な業績を重ねた、マリッサ・メイヤーがYhaoo!のトップになって、失敗を重ねている事例に見る通り、現代の先端の競争は本当に過酷だ。
◾40年周期説
歴史作家の半藤一利氏は、著書『昭和史』*5で、40年周期説を述べていて大変興味深い。私は今回あらためてこの説のことを思い出してしまった。日本の近代史には陽と陰が40年サイクルで訪れているように見える。1865年の開国から40年で日露戦争に勝利した絶頂期を迎え、それから下降期に入り、1945年の終戦でどん底となる。その終戦から立ち上がり、40年経った頃の1985年は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と言われた絶頂期で、それからしばらくはバブルの酒盛りに酔いしれる。しかし、そこからは下降を続け、『失われた20年』は安倍政権の経済政策で歯止めがかかったようにも見えるが、実は円安が続くこの国は一人当たりのGDPの国際比較では下落を続けており、90年代初ごろには3位だったのが、2014年にはついに27位*6まで落ちて過去最低を更新した。40年周期説が正しければ、次のどん底は2025年であり、日本はまだ下降を続けることになる。1985年ごろに経営の苦労も知らずにバブルや『強い日本』の勢いに乗ることばかりに血道をあげた若者が、今まさに東芝を含む各社の『上層部』となって君臨している。これは日露戦争にかろうじて勝利したものの、日本の本当の苦境や実態を知らずに、『一等国』日本を過信した若手の軍人や軍事官僚がその後日本を国家壊滅の淵に追い込んだのと似ているのかもしれない。下降を続けるうちに、今の経済界には尊敬に値する経営者が激減してしまった。(政界はこれを上回る惨状だ。)
かつて私は、バブル崩壊後の日本経済が転回の可能性があるとすれば、インターネットが本格普及期に入った1995年ごろに社会人になった大学生が企業のマネジャークラスを占めるようになるちょうど今くらいからではないか、との淡い期待を抱いていたが、どうやら現実は厳しそうだ。苦労を知らずにバブルに踊った、あるいは、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を過信した世代が経営の一線を退くまでは、この状況に歯止めがかからないと見ておくのが現実的というべきなのかもしれない。
◾少しでも早く陰を陽に反転させるために
このような現状を勘案すると、少しでも早く陰を陽に反転させるためには、東芝問題では、経営者にあまい処分を下して抜本的な改革を先送りしたりせず、徹底的に膿を出して、場合によっては解体するくらいの姿勢が必要ということになる。そうでなければ、ただでさえ『下方圧力』がまだまだきついと考えられる日本を反転させることなど望み薄だろう。そういう意味では、あからさまに下克上を煽るつもりは毛頭ないが、東芝の社員には覚悟を決めて頑張って欲しいものだと思う。
もちろんこれは東芝社員だけの問題ではない。近年『大企業志向』で『終身雇用』を好感する若年層が増えているというが、その先には、2025年まで続く長期低落/没落しか待っていないと考えておくべきだ。『大変化』に逆らうのではなく、『大変化』をチャンスと捉えて、組織とは関係なく自分の足で立ち上がるにはどうすればいいのか考え抜く。2016年はそのような決意を固める年にしたいものだ。
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*3:世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング - 世界経済のネタ帳
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