『静かなる革命』について自分でも考えてみた

ネットに期待していた


前回のエントリー*1でも書いたような、イノベーティブな個人を潰す傾向のある日本企業の組織のことは、ずっと以前から私が意識し続けた問題なのだが、2000年代の半ば位からSNSが本格的に普及し、インターネットを通じた双方向コミュニケーション、バーチャルコミュニティの形成、インターネットを通じた動員力等を目の当たりにするようになったころから、日本企業にいる企業内個人が、社内、社外を問わず、志を同じくする者どうし繋がり、会社に籍を置いたままでも、共同で新しいサービスを立ち上げたり、その力を組織改革に向けたりする可能性が開けてきたことを感じ、期待していた。



残念な結果


ネット世論では、この勢いを、社会改革、さらには政治改革につなげて行くことができるとの期待も盛り上がっていた。その可能性を私も全く考えないでもなかったが、しがらみの強い日本の政治の改革や社会全体の改革には、正直そこまで楽観的ではいられなかった。とはいえ、個別の企業内の改革は、それ以前よりずっと進むようになるのではないかと、正直こちらはかなり期待していた。だが、政治改革は言うに及ばず、企業内改革についても、残念ながら思った以上に難しい実態を認めざるをえなくなってきている(あくまで現時点では、だが)。



平家ではなく源氏へ


この点について、評論家の宇野常寛氏が使う比喩が妙に気になる。宇野氏の最新の著作、『静かなる革命へのブループリント』*2は行きづまるこの国で、それでも何らかの突破口を切り開きつつある若手のイノベーター/オピニオンリーダーとの対話集だが、その内の一人、社会起業家駒崎弘樹氏との対話で宇野氏はこのように述べる。

僕はメディアの人間で、既存メディアの体制内リベラルの人たちに声をかけてもらっている。それはすごくありがたいし、彼らに絶対に恥をかかせてはいけないと思って、僕なりにがんばっているつもりです。でも、最後の最後で、体制内変革を信じているかというと・・・・・やっぱり信じていないんだよね。
彼らは、大河ドラマ平清盛』で言えば平家のような存在だと思う。貴族社会を内側からハックしようとリベラルな政策をバンバンやっていて、その情熱自体は本物だと思うけれど、根本的に覆そうという段になると、彼らはきっと既得権益を手放せないはずです。だから最後の最後は源氏にならないといけないのではないかと思うんだけど・・・・・。

『静かなる革命へのブループリント』より


すなわち、今、組織内改革に取り組むことは、平家(公家政権内で武士の勢力を拡大したが、官職を餌に釣る公家政権に取込まれ自らが公家化して破滅した)のようになりかねず、うまくいかない。自分たちは源氏(当時の公家政権から独立して、自分たちの組織を構築し、部下が官職等で公家政権に取込まれることを戒めた)をめざす、という。



グレート・リセットを希求する若手官僚


日本はGDPの倍を大きく上回る巨額の債権残高を抱える一方で、世界最速で少子高齢化が進み、GDPの主要な稼ぎ手である生産労働人口(15歳〜64歳の人口)は急激に縮小しつつある。組織内の漸進的なカイゼン程度のスローモーな歩みではどうにもならないのではないか。そう、感じている人は想像以上に多い。政策の当事者である官僚とてその例外ではない。


対談の相手方の駒崎氏も中央官庁の若手の実態を次のように語る。

中央官庁の若手と話すと、『他の場所では言えませんが、この国はもう1回焼け野原になったほうがいい』という話は必ず出てきます。『もしかしたらカイゼンによって延命できるかもしれないけど、地獄を見る可能性もある。だったら余力が残った状態で1回リセットになってくれたほうがいい』と。戦後復興の場合も、官僚機構がある程度残っていたから、焼け野原になってからパッとビルドできた。矛盾しているのですが、『自分たちは国を助けなければならないし、そのために毎日がんばってはいるけれど、リセットになってくれればどんなに楽か』という思いも、彼らにはある。

『同掲書』より


駒崎氏はこれをグレートリセットと呼ぶが、確かに、かつて日本が輝いていた戦後〜高度成長期をお膳立てしたのは、まさにこの『グレート・リセット』だった。


サービスから政治へ


このように、本書を企画編集した宇野氏の、全ての対談に通底するメッセージは、内側からの改革はもうだめで、旧勢力の力は借りずに、旧勢力が支配する組織の外に自分たちの価値を共有できる仲間のコミュニティを構築し、その絆を強固にして規模を拡大していくしかなく、インターネット等の情報技術が発達した現在、その技術を使いこなす術を知る者にはそれが出来る環境が整ってきている、ということになるだろうか。しかも、個別のビジネスやサービス等を小規模にひっそりと仲間内だけで行うというような話ではなく、基本的なライフスタイルを同じくする仲間がそれぞれの立場で、そのビジネスやサービスのプレゼンスを大きくしていけば、結果的に大きな政治的影響力を発揮することが可能になるとの思惑があるようだ。


この点、対談相手の一人、楽天(株)の執行役員、尾原和啓氏も次のように呼応する。

今までの『シェア』って、Airbnb(エアービーアンドビー)のように『空いているキャパシティを有効活用しよう』という観点からしかビジネスをつくっていなかった。でも今の話って、要は芝刈り機を辻てライフスタイルを群体にすることができるならば、『必要とされるファイナンスサービスはこれで、ヘルスケアサービスはこれだ』というようなかたちで、生活インフラを束ねたベクトルにできる、と。そしてライフスタイルが群体になると、政治に対しての圧力という話につながってくるわけですね。
『同掲書』より


確かに、このコンセプトを理解して、自らの周辺で出来る事に取り組む人が増えていけば、政治的な勢力にまとまっていく可能性はあると思うし、まして、今回の対談に出て来るような人達に共通するのは、インターネットを中心とする情報技術の進化を最大限自分の力として利用することができる『強い個人』だ。この技術のほうは、これからさらに劇的な進化が見込めるため、そのような有能な『強い個人』を従来以上に強力にエンパワーすることは確実だ。だから、彼らが構築するビジネスやサービスが、政治的にも大きなプレゼンスを持つ存在になることは大いにありえる話だと思う。



懸念点


だが、懸念点もある。宇野氏が糾合を呼びかけるのは、『若手の都市型サラリーマン』だが、今後の技術革新の果てに想定されているのは、そのコミュニティ自体の構成員を上下に切り裂き、中間層が窮乏化して行く未来像だ。確かに『昭和タイプ』の旧来のオールド層との激突には勝ち抜いても、ゆくゆくは自らの母体から中間層が抜けていって、コミュニティの核はか細くなっていくのではないか。数は少なくなっても、都市のハイエンドクラス(クリエイティブクラス等)のコミュニティとしての絆をより強くしていくことはできるかもしれないが、少なくとも、政治的に『数の力』を頼みにすることは難しくなるだろう。このあたりの未来像を併せて想定しておく必要がありそうだ。


また、如何にテーマコミュニティとしての凝集力が強くなっても、その階層を統べる理念が曖昧だと、政治的には統一性のない烏合の衆になる懸念はやはりある。源氏は政治感覚に優れた源頼朝に率いられて、公家政権を圧倒していくが、当初は血腥い内部抗争が相次ぎ、安定とはほど遠い状態だった。鎌倉幕府が政権として本当に落ち着いて来るのは、武士政権のための法令である御成敗式目』を制定した執権の北条泰時あたりからだろう。この類比でいえば、現代の『御成敗式目』にあたるものを策定すること、というよりも、これを構築するベースとなる思想の枠組みを平行して準備しておく必要があると考えられる。



不可欠な近未来の想定


宇野氏のいう『静かなる革命』へ向けた活動は非常に興味深いし、そのような取り組みを『プロトタイプ』として自分の周囲でも実現できないものか、考えてみたくもなってくる。だが、本当に自分自身の取り組みとするのであれば、テクノロジーの変化でドラスティックに変わっていく事が予想される近未来像を想定して、そこに焦点をあわせてみることはやはりどうしても必要に思える。(『近未来への対応』は最近の自分の主要な取り組み課題の一つでもあるので、チャレンジしてみたくなってきた。)



できることから始めるべき


ただ、時間を空費する余裕はなさそうだ。財政破綻というようなハードランディングが追いついてくるまでに、それほど時間的猶予があるようには思えない。そうなった時に、『グレーとリセット』を主導するための準備は早ければ早いほどいい。自分がどんな立場にいるのであれ、とにかく、始めることが出来ることから手をつけること、今はその姿勢が一番大事なのかもしれない。