地域SNSには日本の新しいコミュニティー文化創生をリードして欲しい

地域社会とソーシャルネットワーク


2010 年10〜11月に開催されたGLOCOM(国際大学)の講演会シリーズ「ネットの力、みんなのチカラ」の番外編として講演会がシリーズで開催されるという企画があり、その第一回目としてGLOCOM研究員の庄司昌彦氏が登壇されるという。庄司氏とは共通の友人を通じた知己でもあり、また、氏の地域SNSの研究に熱心に取組む姿勢や研究成果に私自身尊敬の念を持って来た一人でもあるため、他の予定を切り上げて急遽参加させていただいた。


開催概要は下記の通り。


日時:  2011年1月18日(火)18:00〜20:00
議題: 地域社会とソーシャルネットワーク
講師: GLOCOM(国際大学)講師・主任研究員 庄司昌彦
資料: http://www.glocom.ac.jp/project/chiiki-sns/2011/01/post_154.html



雑多な要素で構成される『地域活性化


地域コミュニティーに関しては、地元産業/経済の発展、生活の楽しさ/質の向上、政治的活コミュニケーション促進、選挙対策、地域の相互扶助等々様々な利害や思惑が交錯しており、その一つ一つをよく見れば、かなり違った要素で構成されていることがわかる。しかしながら、どの活動であれ、活性化を期するところは同じであり、しかも相互に影響を与え合うことでお互いに活性化することも期待できるため、全体として『地域活性化』の一言で括られてしまいがちな印象がある。



地域SNSの登場


ここに、インターネットの進化に伴い、コミュニケーション活性化に援用できそうなツールが次々に現れ出てくると(電子メール、ブログ、掲示板、mixiのようなソーシャルネットワークサービスや安価で利用できるサーバー等)、地域コミュニティーに関心を持つ人達の間でも、それぞれの思惑で、利用が急速に進むことになる。中でも、コミュニティー作りがサービスそのものとも言える、ソーシャルネットワークサービス(SNS)の利用や自前での構築は百家争鳴状況となる。いわゆる地域SNS』の幕開けだ。その中から、成功例も生まれて来て、ノウハウや教訓等も蓄積されて来たのは確かだ。



立ち枯れ


だが、当日の来場者の一人である、ジャーナリストの藤代氏が指摘しているように、時間の経過とともに、運営がうまくいかずに立ち枯れてしまう地域SNSが頻発するようになる。ネットサービスは栄枯盛衰が習いだから、多産多死自体はやむを得ないところだろう。そして、庄司氏が言うように、一定数の成功例の出現自体、全体として見た成果と評価することはもちろん間違いではない。だが、一方でその庄司氏自身の悩ましい表情が物語るように、全体としては踊り場に達して、衰退の兆しがあることは否めない。少なくとも、連鎖的にどんどん活性化していくようには見えない。そうなると、蓄積されたノウハウや教訓も、そもそも活動や目的が多様な中で必ずしも整理されずに積み上がっていることに気づき、いざとなると、どの場面でどのように使えば良いのかわからずに困惑してしまうことにもなる。



地域コミュニティー自体の衰退


地域SNSもさることながら、地域社会/コミュニティー自体、一部例外はあるが、全体としてみると衰退/弱体化の方向にあることはもはや誰しも認めざるを得ない。今回の庄司氏の講演でも、様々なデータを引用しつつ非常に厳しい見通しについて言及している。



そして、このままでは陰惨な未来が待っていることを嘆く。



少なくとも、『相互扶助』『不安感の抑止』という点で地域コミュニティーに期待する向きは多いし、そのニーズを感じている人が多いことは確かだ。現場で苦闘する人達も沢山いる。なのに、衰退の方向に歯止めがかかっているようには思えない。



活性化の方向にあるネット・コミュニティー


だが、興味深いことに、いわゆる「ネット・コミュニティー」は「mixi疲れ」に代表されるような問題も孕みながらも、もっと緩やかな繋がりをつくりだす、 Twitterのようなツールを利用する人が増加したり、最近では米国発のFacebookのような今まで日本では難しいとされた実名性を前提とする SNSの会員増大の兆しもある。もはやコミュニティー・サービスと言ってよいのか疑問を感じるくらいに変質し始めてはいるが、Greeモバゲータウン等は、ソーシャル・ゲームに支えられてビジネスとしても大きな成功を納めるようになってきている。少なくとも、広義のSNSはまだ衰退の兆しはない。むしろ、サービルのバラエティーを広げながら全体としては拡大していると言うべきだろう。とすれば、この違いは一体何に起因するものなのか。



「結束」と「橋渡し」


庄司氏の講演で示されたヒント(というより、以前からこの分析視点については繰返し語られてきた)は、コミュニティーにおける2種類のつなぎ方(「結束」と「橋渡し」)という考え方だ。


この概念は、地域コミュニティーに限らず、コミュニティー全般を語るにあたっても有効な概念と言える。日本で形成されるコミュニティーはどうしても、「結束」を強化することで活性化をはかるタイプのものが多い。確かに、短期的には「結束」がコミュニティーに熱いエネルギーを注ぎ込み、参加者を増やしたり、様々な活動が活発になることも少なくない。だが、「結束」はやがて「束縛」になり、コミュニティー内のボスとその取り巻きの「支配」に変質し、蛸壺と化してしまう。


もう一つの、「橋渡し」だが(用語がややわかりにくい印象があるかもしれない)、要はコミュニティーを他のコミュニティー等に接続したり、新しいメンバーを呼び込んだり、参加メンバーやその中での役割を代えて行くことを促して新陳代謝をはかることと考えてよいだろう。これが織り込まれていなければコミュニティーは長続きしないし、早晩人は去って行くだろう。



蛸壺化しやすい地域コミュニティー


問題は、地域コミュニティーの場合(実際にその場所に住んでいるため)移動/入退場に制限がかかることが多いことから、やがて束縛を受け、蛸壺となって気まずくなる可能性のあるコミュニティーの参加には慎重になる人が多いことは容易に想像がつく。「結束」による活性化のネガの部分を知る人は案外多いのではないか。同様の事例は企業内でのコミュニティーでも数多い。私自身、かつて自動車会社の企業城下町に住んでいたこともあり、そのネガティブな面をさんざん体験したから、未だにコミュニティー・アレルギーが抜けないでいる。



村社会の恐るべき側面


無縁社会の悲惨さを回避すべきことは重要な課題であることを私も十分理解する一人という自負はある一方で、無縁社会にしないため(=有縁社会にするため)に、かつてどこにでも存在した村落社会のようなものでもよいから復活すべき、という議論には与することはできない。どうもノスタルジックに昔の地域社会を語る議論には、村社会の恐るべき側面を語る視点が欠けているものが多く、辟易してしまうことが少なくない。



無縁社会は悪くない?


先日、宗教学社の島田裕巳氏や作家の坂口安吾氏を引用しつつ「無縁社会否定論」に対するアンチテーゼを語る「無縁社会は悪くないー島田裕巳『人は一人で死ぬ』」というブログ記事があったが、正直共感できるところが多い。少し長くなるが、その一部を以下に引用する。
無縁社会は惡くない――島田裕巳『人はひとりで死ぬ』 - ラディカルな経済学(旧館)

たとへば有縁社會では信教の自由が妨げられることがあ る。島田が村を調査した經驗によれば、創價學會など新宗教の信者が村の行事に參加するかどうかでもめ事が少なくなく、死者をどこにどうやつて葬るかも難しい問題になるといふ。

有縁社會では人々は地域社會に強く縛られてをり、しきたりに逆らへば村八分などの制裁を受けることになる。一方、都會の無縁社會では、人々は孤立して生活し、孤獨を感じることになるかもしれないが、地域社會に縛られることはない。しかも都會では市場經濟が發達し、生活は豐かだ。

新潟出身の作家、坂口安吾は島田よりもはるかに無遠慮に村社會の一面を痛罵してゐる。「一口に農村文化というけれども、そもそも農村に文化があるか。盆踊りだのお祭礼風俗だの、耐乏精神だの本能的な貯蓄精神はあるかも知れぬが、文化の本質は進歩ということで、農村には進歩に関する毛一筋の影だにない。あるものは排他精神と、他へ対する不信、疑ぐり深い魂だけで、損得の執拗な計算が発達しているだけである」(「続堕落論」)

日本人の巨大な課題


「そこまで言ってしまうと身もふたもない」と感じられただろうか。しかしながら、実は、日本人が本当のところ乗り越えて来れなかった巨大な課題がここにあるのだと私には思える。その課題とはこういうことだ。

村落社会の粘着エネルギー以外のコミュニティー構築のエネルギー源の発見


人の流動性と多様性を受け入れてなお活性化する地域コミュニティー運営のあり方の発見


地域コミュニティーならぬ、地域SNS』には、日本の有縁社会のネガを乗り越えて、日本に新しいコミュニティー文化を創生する、というくらいの意欲で取組んで欲しいし、そうでなければ、歴史に蓄積したネガティブなエネルギーにやがて飲み込まれてしまうだろう。ネットツールは日進月歩で進化し、様々な経験とノウハウを生み出しつつある。かつての村社会では望むべくもなかった、他の地域コミュニティーとの接合、近すぎない近隣者との関係構築、対面が苦手な人の参加促進、参加者の意志による関係の濃淡の持ち方等々が実現できる可能性が広がって来ている。理想的な地域SNS構築により、上記課題に糸口が見つかったとき、それこそ、国際社会に向き合う日本のあり方が本当の意味で見つかるはずだ。その意味でも、庄司氏の尚一層のご活躍を期待している。


<関連情報>

GLOCOM講演会「ネットの力、みんなのチカラ」番外編第1回(庄司昌彦氏)まとめ - Togetterまとめ
H-Yamaguchi.net: 「ネットの力、みんなのチカラ」番外編第1回(講師:庄司昌彦氏)まとめ
http://www.ustream.tv/recorded/12091488
「2011年版 ソーシャルメディアと地域活性化事業の最新動向」が発刊されます:『ビジネス2.0』の視点:オルタナティブ・ブログ