行き過ぎた『標準化』思考が敗因となることに気づいているか
■標準化による成功
職種にもよるが、ある程度の規模の会社であれば、『業務の科学的分析』、『標準化』に影響を受けない人はいないのではないだろうか。この概念は、製造業だけでなく、サービス業にも広く浸透してきている。具体的には、ISO(国際標準化機構)の規格取得のための活動であったり、トヨタ生産方式のようなシステムの導入であったり、場合によっては、マクドナルドに典型的に見られるようなサービスの標準化ということもあるだろう。
私自身も、かつてトヨタ生産方式は身近で見たり体験する立場にあったし、今はISOの審査があるたびに、それなりに準備に忙殺される。日本の戦後の成功は、科学的なプロセス管理に熟達したことが大きな要因であったことは間違いない。マクドナルドも、かつてセオドア・レビット氏*1が分析したように、工業的管理をサービスに持ち込んで成功した代表例だ。
■それだけでいいのか?
こういう成功体験を持つ会社(職場)は、大抵その科学的管理を業務全般に敷衍しようとする傾向がある。数値化しにくい業務も可能な限り数値化して、管理しやすいようにして、目標設定/管理をする、というのもこの延長にある管理手法だ。いわゆる、『見える化』も同様だ。 だが、私は昔から、このような管理手法を業務全般に持ち込むことには、大変違和感を感じていた。例えば、企画、デザイナー、新規事業案出、弁護士のような高度なコンサルティング等の業務を、機械工を管理する手法で管理すれば、うまく行かないことは誰でも想像がつくだろう。創造性が求められ、裁量の範囲の広い職種の職業人を丸ごと抱える、デザイナー事務所なり、弁護士事務所などでは、人事評価や管理手法もそれなりに納得の行く仕組みが出来あがっているのだろうが、特に日本の、年功序列、終身雇用を前提としてきた普通の会社は、これをうまく運営している例が少ないのが実態だと思う。
昨今では、創造的な仕事の出来る人材の重要性とか、クリエイティブな仕事の必要性等、スローガンとしてはどの会社でも掲げているはずだ。だが、実際のところそういう人材が納得できる評価の仕組みを構築するのは大変難しいし、まして、相対評価ということで、職種や内容を区別せず人材を比較しようとすると、どうしても工業的管理と評価手法の方に偏って行く。それはそうだろう。何せ、QCのような科学的管理、標準化で、一度は世界を制したのが日本企業(製造業)なのだから。その成功体験の呪縛は、人事評価や仕事の進め方にも深く浸透している。さらに事態を複雑にしているのは、思い切って創造性が必要な仕事のやり方だけを全面的に取り入れようとすると、仕事によっては、科学的管理、標準化こそ必要なケースもあり、逆にうまくいかないこともあることだ。しかも、同じ仕事でも、市場のライフサイクルのステージによって変化することがある。あるいは、強力な競合の出現によって突如状況が変わることもある。
■『科学』より『アート』
ハーバード・ビジネスレビュー2009年7月号の記事、『行きすぎた標準化を問いなおす アートすべき時、科学すべき時』は、このあたりの問題を取り扱っていて興味深い。科学に対して、アートを対置させ、業務のプロセスの中には、その性質ゆえ、定義や標準化になじまず、標準化すべきでないプロセスもあり、それは科学よりアートに近い、とする。
例として、ザ・リッツ・カールトンを上げて、次のように述べてある。
ザ・リッツ・カールトンは長年、従業員に厳密な接客ルールを課していた。しかし、その後『顧客の多様化が進んでいるため、型にはまった接客では、すべての顧客ニーズに対応できない』と悟った。顧客はお仕着せでない個別対応に価値を見出しており、これに応える方法は、一律には決まらないため、アート的プロセスが必要だったのだ。そこで、ザ・リッツ・カールトンでは、客室の清掃や館内のメインテナンスなどに関しては、厳密な作業基準を適用し続ける一方において、フロント係、コンシェルジュ、ウエイターやウエイトレスに、従来より大きな裁量を与えた。この結果、心づかいやむくもりにあふれた接客がなされ、顧客の心をとらえることに成功した。ハーバード・ビジネスレビュー2009年7月号 P111
短い例だが、大変重要な示唆に富む一例と言える。まず、最初はサービスを標準化/マニュアル化することで、標準以下のサービスとならないように、厳密に管理をする。そして、それは一定の効果を上げたことだろう。(上記にあげた、初期のマクドナルドも同様の一例だ。) しかしながら、顧客がそのサービスに慣れ、競争が激化してくると、むしろその標準化が顧客にお仕着せと感じられるようになる。そして、職種を限定して、従来より大きな裁量を与えて個別対応することで、標準化、科学的管理を行う以上の成果を上げることに成功したわけだ。
すべての仕事に裁量を与えるのではなく、必要な仕事に限定していることが一つのポイントで、それを見極めるのが、経営者なり管理者の力量/実力ということになる。場合によっては、同一人の仕事に、科学とアートの要素が混在し、しかも変化することがある。それを見極めて、仕事の中身で評価手法を変えることも(評価ミックスを変えることも)時には必要だ。
これは、顧客サービスの例だが、同記事では、その他にも、科学よりアート、標準化より優れた個人の裁量にまかせることによって、より大きな成果が期待できる仕事として、次のような例を上げている。(その一部をピックアップする。)
会計監査 ヘッジ・ファンドの運用 ソフトウェア開発 新規事業開発 工業デザイン
私の実感だが、最近のIT系の仕事の多くは、ここで言う、アートの要素がないと使いものにならなくなりつつある。
■自由放任だけではだめだ
ただ、本当に難しいと思うのは、科学的な管理がなじむ仕事のほうは、かなり手法として開拓されてきていることもあり、比較的アプローチが分かりやすい。仕事の種類が違っても、ほぼ一つのパターンにあてはめることができる。だが、アートには、あまり決まったパターンというのがない。個人の裁量と言っても、なにも指導や教育をしなければ、企業としての方向性はバラバラで、成果が出るかどうかは出たとこ勝負になってしまう。しかも、ザ・リッツカールトンの例に戻ると、ある個人の仕事が如何に優れたものであっても、ザ・リッツカールトンが追求するサービスの理念と一致するとは限らない。よって、具体的な業務については、標準化に頼らず、個人の裁量に任せるものの、企業としてのビジョン、理念、姿勢等は、徹底的に教育指導し、個々の具体的な業務に自然にそれが現れるように配慮している。そして、そういう観点での個人の評価は厳しく問われる。個々人はそれをきちんと理解して、体現できるようになっていることを求められる。(スターバックスでも同様のコンセプトが採用されている。個人に裁量が与えられる一方で、スターバックスの理念については徹底的に教育を受ける。)
コンサルタントの高橋俊介氏によれば、同ホテルに勤務する世界すべてのスタッフのモットーは、「紳士淑女をおもてなしする私たちも紳士淑女です」とし、ザ・リッツ・カールトンのクレド(信念)と、20のベーシック(行動規範)が書かれたカードを常に携帯しており、スタッフ全員の共有意識にしているという。たとえばベーシックの10番では、「従業員一人一人には、自分で判断し行動する力が与えられている(エンパワーメント)と書かれている。実際にスタッフは、目の前の問題解決のために、上司の決裁を得ることなく2千ドルまで個人の自主裁量で使えるようになっているし、上司も部下の行動を全面的にサポートする体制が整えられている。
顧客サービスに限らず、どの市場のユーザーも高いレベルの満足度を求める一方、市場は不透明で、かつ、ものすごいスピードで変化しており、どんな優秀で経験豊富な人材でも、あらかじめ標準的なパターンを持って仕事に取組むことは、どんどん難しくなっている。ISOやトヨタ生産方式に注力するのもいいが、それだけに埋没せず、『アート』という観点を持って、一度仕事の棚卸しをしててみてはどうだろうか。