インターネットの健全な政治利用について議論するべき時が来ている

インターネットサービスへの影響


今回の不況は、インターネットサービスについては、どのようにおよんで来るのだろうか。サービス供給者の側について言えば、現時点でマネタイズ出来ていない多くのサービスが淘汰されていくであろうことは、残念なことだが避けられないだろう。市場のキャッシュ(流動性)不足はインターネット業界にもおよんで来ているし、これからしばらくはもっと深刻になっていくことを覚悟せざるをえないからだ。


一方、サービスを使う側から見ると、インターネットサービスは無料のものがほとんどで、多少お金がかかったとしても、非常に安価だ。だから、特に不況の影響を受けて利用が減るというようなことは考えにくい。むしろ他の高価なレジャーや趣味からシフトして一層盛んになる可能性さえある。特にその傾向が顕著に出る可能性があると私が考えるのは、教育(社会人教育を含む)やもう少し範囲を広げてカウンセリングのようなサービスである。失業率が上がり、不況が長期化するようなことになれば、自己教育等への自助努力意欲が促進される可能性は高いし、逆にその状況に対応が困難になる人や心理的な問題を持つ人が多くなると、ソフトな自己啓発、癒し、ネット経由のカウンセリング等にビジネスチャンスが到来することは想像に難くない。



インターネットの健全な政治利用の拡大が必要だ


だが、今何より進展して欲しいのは、インターネットの健全な政治的利用の拡大だ。


現時点では、日本のインターネットの政治利用は、そもそも公職選挙法でインターネット利用が原則禁止されていることもあり、米国等と比較すると全く未成熟な状態にある。

日本の公職選挙法では、選挙運動のインターネット利用は、第142条第1項で禁止されている「文書図画の頒布」にあたると解釈されている。また、第146条では、「文書図画の頒布又は掲示につき禁止を免れる行為の制限」が記述されており、インターネットを利用して情報を発信することが第142条第1項に抵触しなくても、第146条により違法行為とされる可能性が高いため、選挙期間中に候補者はウェブサイト更新や電子メール配信が自粛することが一般的になっている。また、選挙期間以外に、当選を目的として投票の依頼などを行うことは事前運動として禁止されているため、事実上、政治家はインターネットを利用して投票依頼を行うことが出来ない。
インターネット選挙運動 - Wikipedia


政治利用を進めるべき時が来ている


一方、政治的な、乃至、政治に影響を与えそうな言説はインターネット空間にも非常に多くなって来ている。今後、不況の進行→失業率の増大→社会不安の拡大、という方向に行けば、インターネットでの政治的言説も一層盛んになると思われる。リアルで暴発して、テロや殺人が起きるより、ネット言論にエネルギーが向かうなら、それは健全な方向とも言える。



インターネット言説の影響は非常に大きくなっている


また、毎日新聞低俗記事事件の教訓が示すように、新聞言論とインターネット言論が解離して、しかもインターネット言説にある『真実』が無視できなくなってきているという事情もある。新聞が報道しないがネットでは猛烈に議論されるというタイプのトピックが非常に多くなっていることは、日頃インターネットに接触の多い人なら誰でも感じていることだろう。宮台真司氏が最近よく枕詞として、『ネットで情報を得ている人ならご存知の通り』という言い方をされるが、まさにこの事態を象徴しており、私などこの枕言葉を聞くたびにドキッとする。ネットとリアルの対立構図が、まさに臨界点にあることについては、元毎日新聞の記者でもあるジャーナリストの佐々木俊尚氏の熱のこもった記事があるのであらためて読んでみて欲しいが、今回の不況が既存のメディア解体の後押しとなるかもしれない。そういう歴史的な場面に立ち会うことになるのではないか、というスリリングな予感を禁じ得ない。


毎日新聞社内で何が起きているのか(上):佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan
毎日新聞社内で何が起きているのか(下):佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan
毎日新聞問題の情報集積wiki - ひどすぎる..変態/低俗/捏造 WaiWai事件のまとめ



日本の言論の非対称性解消実現のためにも


最近でも、トヨタ自動車の奥田相談役が年金記録問題などで厚労省に対する批判的な報道が相次いでいることに対して、『何か報復でもしてやろうか。例えばスポンサーにならないとか』という発言をして、騒動になったことにも典型的に見られるように、テレビ、新聞等の報道は巨額の広告宣伝費(=資本の論理)に左右されている。この事件を通じて報道の自由、さらに言えば、言論の自由を担保するバランサーとしてのネット言論の重要性を再認識した人は多かったはずだし、もっと注目されていいことだと思う。インターネットを通じた内部告発が増加し、従来であればけして公表されなかったような企業内部の俗悪な問題が暴露されるようになっていることも、言論の一極集中や非対称性の解消の象徴であり、大変大きな問題を同時にはらみながらも、日本の言論空間がもっと公正になる可能性を感じさせる。



しかし現状は・・


もっとも、現状のネット空間、ネット言論は責任のある政治活動に使えるような成熟したメディアなのか、という点になると、残念ながら問題は相当に多い。匿名性が主流という日本のインターネットのメディア利用の問題も大きいと思うが、非常に優れた言説がある一方で、多くの誹謗中傷、無責任発言、いじめ等が横行している。以前に引用した、社会学者吉田純氏のワーディングを借りると、インターネットでコミュニケーションを娯楽的に楽しむユーザーには日本のインターネットは大変な成熟を遂げたと言っていいと思うが、インターネットに草の根の意見集約の役割を期待する人達から見ると、暗澹たる状態を嘆きたくなるのもよくわかる。



インターネットの良い部分が語れていない


インターネットはもともとその圧倒的な自由度とひきかえに、清濁あわせ飲むところがあり、すばらしいものと、とんでもないものとの混在が特徴だ。日本のインターネットの現状は、とんでもないもののほうが多いのではないかとの印象を持つ人が最近は増えているような気がする。Googleストリートビューをめぐる言論を見ても、人々の許容限界が著しく下がっているように思えてならない。その一番の理由は、ストリートビューがもたらす『すばらしい点』が説明しきれていないことだろう。だから、悪い印象のほうがどうしても先行する。大阪の橋本知事の「児童・生徒の公立小中学校への携帯電話持ち込みを禁止」「府立高校では持ち込みは認めるが使用は禁止(大阪市堺市など政令指定都市を除く)」という方針に対しても、本来、子供のIT利用、IT環境について、もっと積極的で明るい意味や意義を語ることができれば、知事の処置に対する反対論も盛り上がるはずだが、そうはなっていない。どうも、現状ではインターネットの良い面が語りにくく、良くない面は沢山語れるという状況のようだ。



もっとネットに質の高い言説をもたらすために


どうしてこんなことになっているのだろうか。その原因として、まさに『インターネットの政治利用禁止』に象徴されるように、インターネット言論空間に質の高い言論をもたらす導線の部分が寸断されていることがあるように思える。ジャーナリストの湯川鶴章さんを見ていると、既存のメディアに所属しながら、インターネット等で言論活動することの難しさ、苦悩が伝わってくるが、既存のメディアにいる優秀なジャーナリストや言論人がその意見をインターネットに流すことに対する人為的な壁も大きいようだ。だが、この状況は、どうみても日本の言論や政治シーンを歪んだものにしている。何らかのブレークスルーが必要だ



ブレークスルーのきかっけとして


05年のエントリーになるが、駒澤大学准教授の山口浩氏の主張を今こそ取り上げて賛意を表したい。

(1)候補者がブログをはじめとするインターネットをその選挙運動に利用することを許容すべきだ
(2)候補者や運動員でない一般人が、ブログをはじめとするインターネットにおいて、選挙期間中に政治的見解を表明したり議論したりすることを許容すべきだ
H-Yamaguchi.net: ネット利用に関し公職選挙法を改正すべきであるという主張


当然、本格的な政治活動を展開するものには、インターネットとはいえ、相応の規制をかけて行くことは不可欠だが、そういう努力を通じて政治活動がインターネット言論空間に浸透することの意味はすごく大きい。

日本の政治はドラスティックに変化するべき時期を迎えている。是非この機会に、こういう議論が盛り上がることを期待したい。