ウオール・ストリートに打ち勝つヒッピーたち
■グローバリズムの世界制覇
ソ連等の共産主義国家が次々と崩壊し、中国も事実上自由経済圏に入ったと言って良い現在、アメリカ流の資本主義がほぼ覇権を握り、『グローバリズム』と称して世界を席巻することになった。特に資本主義国といいながら、実のところ、会社資本主義とも事実上の社会主義とも言われる日本においては、経営者が四半期ごとの短期の成績で評価を受け、経営者から従業員に至るまで、非常に早いスピードで会社を移り変わる替有様は、理屈ではわかっても本音では理解に苦しむところであったと思う。日本人の多くが持つ倫理観というか、道徳観念とも相反すると思われる。積極的にその『グローバリズム』を受け入れて新しい資本主義のゲームで勝者であろうとした、前ライブドア社長、堀江貴文氏や村上ファンドの村上世彰氏を日本人の集合意識は、裁き排除したがっていた。(そして、そうなった。)
その『グローバリズム』は、地球的限界が見えた環境問題を自制的に解決する仕組みを持たないどころか、成長拡大を志向して、全世界的規模で産業社会を地球環境の限界を超えても拡大するしかないベクトルを持ち、過剰流動性のエネルギーはデリバティブズに代表されるような高度な金融工学で奇怪なまでに膨張し、マネーは全世界をまるで破壊伸のごとく徘徊する。本来神の見えざる手によって、均衡し安定に向かうはずが、むしろ世界的に緊密になるほど不安定となって行く。そして、マネーを熟知する一部の金融工学の天才たちに世界は支配されるようになる。市場に参入するものは、『グローバリズム』のルールを受け入れ、自らの倫理観や道徳観をしばし押さえ込みつつ、その体制を強化する側に回る。産業の中にある夢も、固有の性格も、グローバルスタンダードにおけるマネーの原則(盲目的な短期損益拡大最優先)に飲み込まれて行く。
多少誇張して言えば、このように感じている人は、日本人の中にも本当に多い。私自身は、日本の、特に昭和的価値観の支配する世界は決して好きではなく(むしろ苦手で)、経済社会も『多様性』、『公平性』、『自由』がどんどん広がって行く方がよいと考えているのだが、一方で今の『グローバリズム』やその強者の論理はあまり受け入れたくない。ただ、確かに市場での競争に勝ち残るには、少なくともこの法則を良く知り、この中での勝利条件をきちんと把握しないと、自分も自分の大切な人たちも守れない。心までは売らないが、手法としては誰よりもクレバーに受け入れ演じて見せる。この数年はそのように考えることが多かったように思う。
■アメリカの内部からの自浄作用
ただ、当のアメリカにも、アメリカ式の株主資本主義を嫌い、アンチテーゼを実践する経営者はいたし、今もいる。私が実際に会った中では、パタゴニア社*1のイヴォン・シュイナード氏はまさにそんな人だった。彼は、私達に、『君たちはアメリカの資本主義のやり方だけが本当に優れていると思っているのか?』と問い、彼の経営は、環境との調和を徹底し、門番(ローアーの従業員)と経営者の給与格差は7倍以内(アメリカの多くの企業は、何百倍ということも全く珍しくない。)とする独自のポリシーを押し通していた。(アメリカの経済学者の中にも、ケネス・ガルブレイス*2のように、それまで疑われることのなかった前提、すなわち物質生産の持続的増大が経済的・社会的健全性の証である、とする考えに対して疑問を投げかけたような人もいる。)
今回、起業家の小川浩氏とジャーナリストの林信行氏の共著、『アップルとグーグル』を読み始めて、一番初めに感じたのは、アップル創始者のスティーブ・ジョブズ氏も、グーグルの創始者である、セルゲイ・ブリン氏、ラリー・ペイジ氏らも、パタゴニアのイヴォン・シュイナード氏と思想背景が非常に似ている、ということだった。
- 作者: 小川浩,林信行
- 出版社/メーカー: インプレスR&D
- 発売日: 2008/04/21
- メディア: 単行本
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それがわかる部分を、本書から引用すると、
P35
アップルの以前の経営者といえば、契約条件として、前にいた会社を上回る巨額の年俸を引出せるまで、なかなかサインをしない人物もいたが、この4人はこうすること(年俸は1ドル)によって『われわれはお金のために働いているのではない』ということを、社会に対しても、社員に対しても意思表示している。
『グーグルは上場しても普通の企業のようには運営されない』と投資家たちに注意を呼びかけた。また、『多くの企業は業績をアナリストの予想にあわせなければと大きなプレッシャーを感じている。そのため、彼らは些細な予測可能なリターンを求めてしまいがちが。サーゲイと私(ラリー・ペイジ)は、これは害悪だと考えており、それとは反対の方向を目指すつもりだ』と宣言している。また、グーグルの株式でもう一つおもしろいのは、株式をまったく分割しないことだ。多くの成功しているIT系企業は、ある程度株化が上がってくると、急激な下落を嫌って株式を分割する。しかし、グーグルは、まるで周囲が本業に関係ない話題で盛り上がるのを嫌うように、『株式分割の予定はなし』という方針を貫いている。
P39
アップルは、大量のキャッシュを持ち、借金のない健全経営を続ける企業だが、それにもかかわらず株主への配当金を支払わない姿勢をずっと貫いている。(これはグーグルも同じだ) また、年次の株主総会でも、将来の製品計画について言及することも、将来の目標を語ることも滅多にしない。株主たちから強い要望があっても、『意見は承った』として、その場で無理に返事をすることはない。
P39
同年の株主総会で、この件(株価が急落したこと)について聞かれたジョブズは、『経営陣の主業務は従業員を管理することであり、株主を管理することではない』と答えている。
このような姿勢を貫き、あくまで自分たちの理想のありかたを優先するアップルやグーグルに喝采を送る人がものすごく増えている。
■ヒッピーの勝利
アップルも、グーグルも、パタゴニアも、すべてカリフォルニア州にある会社で、その思想的な源流は、『ヒッピー*3』に遡る、カウンターカルチャーにある。ベトナム戦争を大義なき戦争として反対し、アメリカ帝国主義、軍産業複合体等に反抗する。そういう反骨精神はアップルにもグーグルにも受け継がれている。若き日にインドに精神修行に出かけたスティーブ・ジョブズ氏など『ヒッピー』そのものだ。「海軍に入るくらいなら、海賊になったほうがましだ」という発言など、ウオール・ストリートの巨大権力に屈しない彼の気骨が筋金入りであることがわかる。
ヒストリーチャンネルの「60年代のヒッピー・ムーブメントとその後」という特集の内容をメモした、次のサイトにも興味深いことが書かれている。
ヒッピー・ムーブメントというのは、社会と個人、集団と個人の相克の結果生まれてきた人間回帰の精神運動のようなものだったとされる。スティーブ・ウォズニアック氏(アップル・コンピューターの共同創始者)のインタビューで彼は「当時のスティーブ・ジョブズはヒッピーそのものだった。ファッションも考え方も。だから我々は個人向けのコンピュータというアイデアに自然に取り組んでいった」と発言しているそうだが、この個人コンピュータはやがてインターネットの普及とともに社会と個人の比重を逆転させ、人間の歴史でインターネットが普及した今日ほど個人の発言力が増した時代はないと番組は結論づけているそうだ。そして、集団的な社会運動としては失敗し、敗北したヒッピームーブメントだが結局社会はヒッピーたちが目指した個の世界観を選択した。これは結果的には彼らの勝利だったのではないか? というのだが、彼らが本当に勝利するとするとむしろこれからだろう。
ヒッピームーブメントの思想は、カリフォルニアン・イデオロギー*4として、インターネット全般に浸透し(オープンソースを支える、ハッカーのカルチャーがまたヒッピームーブメントを源流としている)、双方向のコミュニケーションは個人が発言できる機会を激増させ、従来型のマスメディアを媒介して発言力を行使している巨大資本や国家に対しての対抗手段となりつつある。また、本来ハイテクを駆使する彼らは、自然との共生をテーマの一部に持つ、ヒッピームーブメントの影響下にあるため、最近のグリーン・ムーブメントの先導役となって、環境問題に取り組むという様相も見せて来ている。グーグルのセルゲイ・ブリン氏やラリー・ペイジ氏が電気自動車の会社に投資していることなどもその一例とされている。
■日本では・・
翻って日本のIT業界を見ると、重厚長大の保守主義に浸かった会社の一部門だったり、ウオール・ストリートばりの人や企業だったり、マネー・ゲームこそ ITと考えている人だったり、上場してエスタブリッシュの仲間に入りたい野心家だったり、というような企業や人が多すぎるように思う。日本のIT企業にいる人も、本当はスーツを着たうざい奴らをひっくり返して、自由にやろうとしたはずではなかったのか。六本木ヒルズやミッドタウンにオフィスを構えて巨額の金を手に入れて自分が楽しくなればそれでいいのか。そう言いたくなるような人たちが、残念なことだがすごく多い。 これでは、アップルやグーグルはもちろん、巨大な思想に自己を投影して邁進するシリコンバレーの企業群に対抗することは難しい。ユーザーに尊敬され、熱く支持を受けることも望めないはずだ。
かつて、自動車業界をウオッチしていた時に、自動車産業で働く、労働者やその労働者の扱いの日米の違いを見ていて、何年か何十年か分からないが、いつかきっと日本の自動車産業がアメリカの自動車会社に勝つ日が来るに違いないし、来てほしいと感じたものだ。アメリカの労働者が、その尊厳を奪われラインにおける機械のような扱いを受けているのに対して、日本の労働者は、仕事はキツくても、自主運営を行う裁量が大幅に認められ、労働者の尊厳ははるかに重要視にされていた。いわば、思想的には完全に日本の方が勝っていたと思うし、自分たちのやり方を信じる彼らのエネルギーは大変なものだった。
日本企業再生をこのレベルで議論することを始めて行きたいものだと思う。そういう意味では、日本のサブカルチャーは日本におけるカウンターカルチャー・ムーブメントで、しかも世界性を持つ可能性のあるものとして、注目したいと考えている。
*1:Patagonia Outdoor Clothing & Gear
*4:96年にロンドンのウェストミンスター大学のハイパーメディア研究所が投げかけた論文で使われた表現。シリコンバレーとサンフランシスコをベースにしたデジタル文化の創出基盤が,戦後ベビーブーマー世代が夢見た巧妙な新対抗文化生産の結果で,全世界規模にその影響を及ぼすための戦略的な文化覇権主義であり,なかでも雑誌『Wired』によって巧妙に喧伝された文化戦略であったと指摘する。