読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『価値』を救い出せ!

炎上した『従業員は家族』発言


多少時間が経ってしまったが、昨今ブラック企業と揶揄されることの多いワタミの桑原社長の『従業員は家族』発言は、ちょっとした炎上騒ぎにもなったので、記憶に留めている人も多いと思う。この発言は、2014年7月28日付けの東洋経済オンラインにおけるワタミの桑原社長へのインタビュー(記事のタイトルは、「ワタミがブラックとは全然思っていない」 桑原社長が語る、ワタミの進むべき道(前編) )の中で出て来たものだ。

――「ブラック企業」という批判について伺いたい。根本的に批判をはね返すには、労働組合を認めるくらいのことが必要では?


組合は認める認めないというよりも、経営側が決めることではないと思っている。ワタミには、企業理念の中に「社員は家族であり同志」という言葉がある。そういう人に対して、労使の関係は基本的に存在しないと思っている。
今も、今までも、これからも組合問題についてはいろいろなご意見が出るかもしれない。だが、今の段階として作らなければならないとも思わないし、作ろうとも思わない。組合があるから、社員の考えていることがつかめるわけでもない。今はワタミにとって必要かというと、必要ではないと思う。

「ワタミがブラックとは全然思っていない」 | 企業戦略 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

たまたまこの記事が出てすぐに読んだ私は、これは大変な感情的な反発を誘発するに違いないと直感したが、実際その通りになった。



『家族』がポジティブな時代


かつては、『従業員は家族』を標榜する経営者は温情がある経営者とみなされ、経営の神様と呼ばれた松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助氏は『社員は家族と同じ。絶対に解雇しない』というスローガンを掲げていた。自動車会社等でも、現場作業員に自主性を与え、雇用を保証し、そこでできるコミュニティを支援した上で、経営者は(中間管理職ですら)、従業員/部下は家族、と当然のように口にしていた。そのような経営姿勢に共感して、同様のスローガンを掲げた会社は数多かった。だから、その時代から続く会社や、その時代を知る経営者が、『家族』というのは、『ポジティブ』な共感を得る『マジカルワード』と考えていても不思議はない。そういう意味で言えば、ワタミもそんな数ある会社のひとつだっただけ、という見方もできなくはない。



『家族』がネガティブな時代


だが、今回の桑原社長発言に対する反応を見ていると、『会社に「家族」というような概念を持ち込むなんて、そもそもブラック企業っぽい』というようなニュアンスの発言が非常に多い。そして、その種の意見に賛同する人もまた大変多い。極論すれば、もはや企業経営者が口にする『家族』は『ネガティブワード』になっているとさえいえそうだ。『脱社畜ブログ』の日野瑛太郎氏の次のような発言には、ある年代以上の人には反発する向きも少なくないと思うが、『企業イメージ』防衛を、経営課題の一つと考えば、安易に軽視することはできないと思う。


「社員は家族です」と社長が言っている会社にかぎって、実は連日深夜まで残業させられたり、有給休暇が全然とれなかったりすることが多かったりもします。一部では、「社員は家族です」という言葉は、「アットホームな職場です」という言葉と並んで、ブラック企業を強く推定させるワードだから気をつけなければならない、とさえ言われています。
「社員は家族です」という経営者の甘え | あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準


そんな甘言につられてブラック企業に入ってしまうくらいなら、ドライかつビジネスライクな会社のほうを選択しておいたほうが無難で、むしろ従業員を保護する目的で制定された法律の恩恵をちゃんと受けることができる、ということだろう。ブラック企業は論外としても、昨今では『従業員は家族』と発言する経営者から漂う『家父長的な経営スタイル』の匂い自体、あまり人気があるとはいえない。それどころか、積極的に反発する向きも少なくない。



炎上した『おにぎり記事』


ちょうど、このことを考えている最中に、もう一つの興味深い事件があった。春日部共栄野球部マネ「おにぎり記事」だ。

 

夏の甲子園」で活躍した春日部共栄高校(埼玉)の野球部選手のために、2年間でおにぎり2万個を握ったという女子マネジャーの存在がネットで大きな反響を生んでいる。その「献身」を勝利の原動力として紹介した報道に対し、美談として称賛が集まる一方で、「性別役割分業を助長する」等の反発も巻き起こり、思わぬ大論争に発展した。


これが、ツイッターを中心に大きな反応を呼び起こした。当初は「これは部員がんばるわ」「マネのためにわざわざ進学クラスから普通クラスに転籍とか根性あるな」などと素直に感嘆するツイートが相次いだが、ネットで話題の拡散が進むにつれ「学業よりおにぎり優先で美談扱いか」「ブサイクな男子マネジャーだったらニュースにもならなかった。典型的な性別役割分業構造が中等教育に生き残っている」(いずれもはてなブックマーク)など、反発する声が大きくなった。

【ネットろんだん】夏の甲子園 「おにぎり女子マネ」は美談なのか (1/2ページ) - スポーツ - ZAKZAK

価値は伝わらない


『学業よりおにぎり優先で美談扱いか』『ブサイクな男子マネジャーだったらニュースにもならなかった。典型的な性別役割分業構造が中等教育に生き残っている』というような反発には、逆の側からの反発も出て、大きな『炎上』になってしまったわけだが、この記事の後段にもあるとおり、この『美談』を取り上げた書き手の目線に、『空気を読めない痛さ』を感じざるをえない。ワタミの桑原社長のケースもそうだが、『今こういう言い方をすると当然炎上する』という想像力が乏しいように思える。少なくとも彼らが良かれと感じているであろう価値を伝えることには成功していない

最も反発を買ったのは「献身的でかわいい女子マネ」という切り口をことさらにクローズアップした記事の“おっさん目線”だった。「こういう書き方をするという点がスポーツ新聞の読者層であるおっさんの欲望をよく表していますね」(はてなブックマーク)。それは「これが美談なのだから高校野球はクレイジーだな」(ツイッター)といった従来の高校野球批判とも結びつき、書き手が予想もしなかったマイナスの反応を引き出した。
【ネットろんだん】夏の甲子園 「おにぎり女子マネ」は美談なのか (1/2ページ) - スポーツ - ZAKZAK


企業経営でも、高校野球のようなイベントでも、家族制度でも、今の時代は、どこでもかしこでも『制度疲労』が起きている。どの制度も社会状況が変化し、制度の目的と実情がずれてうまく動かなくなっている。そんな現状の制度自体と、制度の目的、さらには、制度の背後にある思想と価値をきちんと区別する姿勢が望まれる。そしてその認識がないままに発言すると、良かれと思っていても『炎上』してしまう。



『価値』を救い出せないか


ワタミの桑原社長や、『美談』の記事のライター氏を経由すると、残念ながら、『家族』も『献身の美談』も、アナクロな昭和的(あるいは戦前的)価値観を喚起するネガティブワードになりかねないが、冷静に考えれば、『家族的コミュニティ』にも、『自己犠牲的な献身』にも日本の枠を超えて、人類的な、普遍的な価値とつながる奥深ささえあるはずなのだ。少なくともそういう観点で探求することには重要な意味がある。すぐに『昭和的/戦前的な家父長的価値観』の良し悪しに還元されてしまうような構図から、何とか『価値』の部分を救い出すことはできないものだろうか。



中国人にも響く『稲盛イズム』


日本に残る数少ない昭和のカリスマ経営者である、京セラ名誉会長の稲盛和夫氏は、今でも企業の家族的価値観の重要性を説いているわけだが、先頃この『稲盛イズム』が中国人の心に響いたという報道があった。
中国経営者「稲盛和夫イズム」に学べ!従業員は家族…もう金儲けだけじゃ会社は成り立たない : J-CASTテレビウォッチ


実際にその場にいたわけではないから、そのニュアンスは知りようもないが、あり得る話だと思う。しかも、そうであるなら、日本人と中国人の両者の意識の深いところをつなぐ架け橋のヒントがあるかもしれない。こじれにこじれた日中関係を解きほぐすきっかけを見つける事ができるかもしれない。



評判のいい『応援団』の物語


また、今フジテレビで放映中の、『あすなろ三三七拍子』*1というテレビドラマがあって、解散寸前の『大学の応援団』を扱っているが、応援団という存在も、何のために存在するのか、何をやっているのかよくわからない、時代錯誤でアナクロな戦前文化の成れの果てとみなす人も少なくないはずだ。シゴキ、男尊女卑、非合理な慣習等々、いくらでも突っ込むところがある。実際にこのドラマでも、そんな目線にさらされながら応援団を立て直すべく苦悩する団員の姿が描かれる。だが、『団は家族、家族はどんなことがあっても見捨てない。家族の為に一生懸命できることをやる』という人間的な包容力、『自分のことを忘れて他人のことを懸命に応援できる気持ち』の大切さ、『理不尽さを共に懸命に耐えること』で生まれる連帯感など、しんみりと伝わって来て、なかなかの圭作だ。ドラマを視た人の評判も上々のようだ。
「あすなろ三三七拍子」へのクチコミ(口コミ) - Gガイド.テレビ王国



探求を!


昔がよかった、今の方がいいという議論を一旦棚上げにして、そこにある感動や共感自体をもっと探求してみたり、制度を再構築するにしても、そのような価値を新しい形で再現出来るような制度ができないものか探求してみるのも悪くないと思うのだが、どうだろうか。

*1: