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『資本主義の死』と『幸福』と『良く生きること』

不都合な真実


不都合な真実』と言えば、アル・ゴア元米国副大統領が出演し、地球温暖化問題を喧伝する映画であり、出版された本のタイトルだ。二酸化炭素はじめ、様々な温暖化物質の排出増大によって引き起こされる気候変動の危機を問い、当時非常に話題になった。(もっとも、その後、データの誤りを指摘されたり、地球温暖化二酸化炭素原因説自体に反対する説等も出て、今では話題としても政治的な取り組みとしても、すっかりトーンダウンしてしまった。)



資本主義の『死』


だが、現代には、ある意味もっと深刻で、かつ、逃れることができない『不都合な真実』がある。それを教えてくれたのは、元三菱UFJモルガン・スタンレー証券でチーフエコノミストをつとめ、現在日本大学国際関係学部教授の職にある、水野和夫氏の一連の著作だ。水野氏は、『16世紀以降現代まで続く資本主義というシステムそのものが終焉に向かいつつある』、という。世界史上、極めて稀な長期にわたる低金利は、もはや資本を投下してもそれに見合う利潤が期待できないことを意味しており、これは資本主義の「死」という他はなく、その過程で、世界的に中間層は崩壊し、国民国家は解体の危機に迫られ、民主主義も崩壊の危機に瀕するという



最新刊のリアリティと気迫


私が初めてこの水野氏の見解にふれたのは、2007年に出た、『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』*1経由だから、今を遡ることもう6年も前ということになるが、先頃(2014年3月)、新しいデータを折り込み、水野氏の年来の主張の核心をコンパクトにまとめた新書が発刊された。『資本主義の終焉と歴史の危機』*2がそれだ。これに先立つ、思想家の大澤真幸氏との対談本である、『資本主義という謎「成長なき時代」』*3をどう生きるか』(2013年2月)もそうだが、止むに止まれぬ危機感に身悶えするような水野氏の気迫が伝わって来るような本だ。2007年当時『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』を読んだ時には、すばらしい『視座』を得たとは思ったが、喫緊の課題とまでは思わなかった。しかしながら、今回は、非常なリアリティと切迫感を感じてしまう自分に何より驚きを禁じえない。


その理由の一部は、私自身、この数年のIT電機市場等の変化をGoogleAppleAmazonといった巨大国際資本を軸に観察してきた(ブログにも書いてきた)ことにあるように思える。



幸福で楽観的な時代


それ以前の、日本の製造業が非常に強かった時代には、企業の成長が国家の中間層を潤し、共産主義的な思想を無意味にし、フランシス・フクヤマの言うように、資本主義の勝利で歴史も終わり、これが世界に広がっていけば、独裁国家で苦しむ国民もゆくゆくは資本主義と民主主義が浸透して、経済的には豊かに、政治的には自由を得ることができるかもしれない、そう夢想する事ができた。今思えば、何と楽観的で牧歌的だったことだろう。


各自、自分の会社で一生懸命働いて、会社が成功するように頑張れば、それ以外の難しいことは考えなくても自然に自分が豊かになり、国民が皆平等で豊かになり(一億層中流)、世界も順々にそうなっていくと思えた。資本主義も、民主主義も、決してベストではないが、他と比較すればベターではあり、まさにセカンドベストとして受け入れることに抵抗はなかった。だが、事はそんなに単純ではなかった。



誰もがわかる常識へ


中国や韓国、インドといった新興国が本当に競争力をつけて追いついてくれば、当然日本企業も競争にさらされ、一億層中流を支えた経済基盤は危うくなる(現実にそうなった)。となれば、これらの国が追いついて来れないような何らかの高度な付加価値をつけて差別化を実現しなければいけなくなる。取りあえずのお手本は米国にあった。ITと金融である。


リーマンショックもあり、日本企業が金融技術を駆使してのし上がるという道にはもう現実味はないが、GoogleApple等のタイプの企業をめざすことには、まだ可能性は残っている。LINEのような成功例もある。だが、その場合、個別企業が繁栄しても、日本の中間層を広く潤すことは期待できず、日本を含む先進国の企業がGoogleAppleタイプになればなるほど、先進国全般に中間層の没落は進む。それは新興国が成長の糧にしている購買力が消えることを意味しているから、新興国の成長もほどなく止まる。ところが、そうなると各国とも景気浮揚策と称してさらに金利を下げて経済を活性化しようとする。しかしながら、製造業等の実需からは資金投入に見合う利潤機会が見つけられないから、少しでも高い運用機会を求めて、余剰資金が不動産や株式、金融商品等に流れ込む。当然、パブルとその崩壊を繰り返すことになり、その度に企業はリストラをすすめ、ますます中間層は没落していくことになる。この一部始終はまさに水野氏のストーリーそのものなのだが、今では誰でもこれくらいのことは語れるくらいに当たり前のことになってきている。



市場と資本主義は違う


私も(そして大抵の人も)、市場と資本主義を区別して考えてみた事はなかったが、水野氏も引用する、フランスの歴史学者フェルナン・フローデルは、『資本家は、理想的には情報の非対称性がなく等価交換が行われるべき場としての市場を、権力や情報、技術等で、非対称性をつくりだして独占を手中にし、利益を最大化しようとする』、と主張する。それは巨大な資本の蓄積を可能にして、産業革命の原動力となり市場のダイナミズムの源となるなど、一概に否定的にのみ語るべきものではないとはいえ、近年の金融帝国化した米国の生む過剰流動性などを目の当たりにすると(そしてリーマンショックのような出来事を身を以て体験すると)、やはりこのシステムには根本的な欠陥があることに同意せざるをえない。実際に非対称性は極端に大きくなり、資本は過剰に強化され、中間層は没落し、かつては一体化していたはずの資本主義と民主主義が乖離し始めている。所得格差もまた一概に悪いとばかりは言えないものの、所得格差の指標であるジニ係数が0.4を上回ると社会騒乱が起きる警戒ラインと認識されているように、極端な格差は社会を不安定にして、場合によっては暴動や騒乱等が頻発するリスクが高まることも否定できない。



不幸とばかりはいえない


困ったことに、水野氏の著作にも、明快な回答があるわけではない。しかも、かつての日本のように、目先の仕事に集中し、市場における競争に没入していれば社会も良くなり民主主義も促進されていく、というような、社会正義と一体化していられるような時代は終ってしまった。『経済だけに集中する』生き方が是認されていた戦後の日本が今本当に終ろうとしているともいえる。


いわば、かつての日本では、『豊かになること』と『幸福』と『良く生きること』がさも一致しているような、安易な幻想の中で生きていられたともいえる。ところが実際には、先進国の中でも、豊かさと幸福感が日本ほど乖離している国はないことは各種の統計資料が示唆する通りである。また、豊かになることをいきなり不道徳と断じるのはバランスを崩していることは確かだが、経済的な充実と社会正義の実現は、本来別の概念だ。経済的な成功者が尊敬に値するとは限らない。考えてみればそれも当たり前のことだ。


現実は苦いかもしれないが、幻想の方が恐ろしい。人を抜け出ることができない泥沼に引きずり込んでしまう。現実を直視して、この羅針盤のない、大海原に向かうことは『不幸』だとは限らない。むしろ『幸福』『充実』を感じることができるチャンスも広がっているというくらいな開き直りこそ、今一番必要な姿勢だと信じる

*1:

人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか

人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか

*2:

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

*3:

資本主義という謎 (NHK出版新書 400)

資本主義という謎 (NHK出版新書 400)