中高年クライシスには社会全体で真剣に取組むべき

若者の中高齢層批判


IT ジャーナリストの佐々木俊尚氏が自身のTwitterで紹介しているブログ記事を何気なく読んでいたら、すごく色々な思いが去来して胸がいっぱいになってしまった。ここのところずっとひっかかっていながら、どうしても考えがまとまらなかった『若年層と中高年層の間にある深い断層に関わる内容だったからだ。何だかタイミングよく背中を押された気がして来たので、とりとめない話になるかもしれないが、今書けることだけでも書いておこう。


このブログ記事に書かれた若者の不満、なかなかに辛辣である。例えば、こんな感じだ。

しかし、現役世代にとって、ほとんどの高齢者は知恵者ではない。自分たちに知恵を授ける存在ではない。

高齢者と書いたが、団塊の世代ぐらいまでは、そうした傾向が強いと思われる。私の目から見ても、人生をなめているなぁと感じる団塊世代は多い。高度成長の波頭から始まった彼らの職業人生は、挫折しても、ちょっと頑張ればなんとかなったらしい。

知恵を授けることができない年配者たち - おぴにおん0号 - Yahoo!ブログ


仕事柄、私もIT系の若年層とお話する機会が多いが、ここまではっきり口に出すかどうかは別として、中高齢者の仕事ぶりや考え方等に不満を感じている人が大変多くなっていることは、最近頓に感じるところだ。IT系という仕事柄もあるのかもしれないが、このブログに書かれた内容よりもっと厳しい意見を聞くこともけして少なくない。



越えることが難しい『断層』がある


もちろん、昔から、中高齢者は若年層に未熟さや物足りなさを感じ、若年層のほうも横暴で頭ごなしの中高齢者に反発する、という構図はあった。それ自体は、史上延々と続いた『典型的な物語』と言えなくもない。だが、基本的には経験者の知識や知恵は企業の中の仕事を進めて行く上ではかかせない貴重な共有財産で、若年層は反発しながらも重厚な年輪には畏敬の念を感じてそれを学び、中高齢者も自分がそういう若年層に技能伝承できることを自己の誇りとしてアイデンティティーの拠り所としていたものだ。若年層も自分自身、そういう技量豊富な自分たちの先輩のような存在になることを密かに目標にするというような微笑ましい構図も実は少なくなかった。


自分自身について言えば、すでに若年とは言えない年代だが、この数年、IT業界の知識を懸命に吸収し、先端的な人達と話す機会を多く持ち、時代にキャッチアップすべく自分なりに一生懸命取組んで来た。そうして久しぶりに、学生時代の友人とか、前職/前々職の友人や先輩等と話をすると、あまりのギャップに愕然としてしまうことが本当に多くなった。ブログ記事の若者の意見とまでは言わないまでも、若年層がどうしてそういう気持ちになってしまうかというのも、かなり理解できるようになって来た。確かに『断層』があると言わざるをえない。そして、その断層をちょっとまたいだだけで、突き上げるような違和感を感じてしまう。


中高齢層の中でも、団塊世代くらいになると、断層があってももこれを埋めて行こうという意図が感じられることはあまりない。さほど気に病む人とてあまりいないのではないか。日本史上まれに見る経済成長のど真ん中で成功体験を積み重ね、その高揚感に包まれて自分のキャリアを終えた(終えようとしている)のだから当然とも言える。問題はそのすぐ下から、40才代までくらいのレンジに入る人達だろう。ただでさえ、子弟の教育や住宅ローン等で一番金銭的な負担が多い時期に、いきなり自分たちの大事にしてきた価値の陳腐化に直面してアイデンティティー・クライシス陥るどころか失業の不安と隣り合わせなわけだから、穏やかでいられるはずがない。



逃れることができない環境変化


戦後経済を安定的に支えたブレトンウッズ体制が、1971年の、ニクソン元米国大統領による、いわゆる『ニクソンショック』(ドルと金の交換停止を発表。米ドルは信用を失って大量に売却され、市場で大暴落。)によって終わりを告げると、国際通貨制度は変動相場制へと移行し、資本移動が自由化されることになった。しかも、中国やインド、ロシア等が続々と資本主義の競争世界に参入し、通信技術や交通手段も格段に進化する。こうなると、日本の労働者は中国等の途上国の労働者と低賃金を競うことになるのは当然で、これは先進国と言われる国ならどこでも起きている現実だ。それを回避したければ自動車や電気等の既存の工業分野からもっと高度で新興国が追いつけない分野に産業構造をシフトするしかないことになる。(米国や英国は一早くそのようなシフトを成し遂げた。)額に汗して働くのは中国やインドの労働者も同じだ。それなのに、日本にいるからというだけで彼らより高い賃金を得ようというのはむしろアンフェアという見方もあろう。



構造改革に取組まなかった『つけ』


では、この構造改革に取組んで来たのかといえば、そうでないことは最早誰の目にも明らかだろう。雇用の安定化の美名の元に既存の産業は、労働組合と共に、結果としてではあれ、変化を拒む勢力として機能してきた。そうして無理に無理を重ねて来た結果、小手先の対応ではもうどうにもならない矛盾を抱えて身動きが取れなくなっている。


ちょうど『製造業派遣解禁』が『雇い止め』多発による多量の失業を生んで政治問題化したため、今からまたこれを禁止しようと言うようなドタバタ劇を見せられているわけだが、まさに構造改革が進まずに袋小路に入ってしまっていることを象徴する出来事だと言える。今の産業構造をそのままに製造業派遣を禁止すれば、困るのは当の労働者だ。先頃(9/27)発表された、東大社会科学研究所のアンケート調査結果でも、製造現場で働く派遣社員のうち55.3%が製造業派遣の禁止には「反対」と回答していて、これが実施されれば「失業リスクは帰って高まる」と考えている人が多いという。

日経プレスリリース



中高齢層に勝ち味が薄い


こうして、矛盾があっても本音のところ何とか自分のキャリアが終わるまではシフトしないで欲しいと願う中高齢層と、未来を見据えて思い切ってシフトすべきと考える若年層という対立構図が生まれて来ることになる。既存産業における成功体験とその知恵が、シフトすべき新しい産業を志向する若年層に役に立たないように見えるのも無理もない。経済環境も激変してしまった。これに『インターネット革命』がかぶさってくる。貴重な成功体験を誇る中高齢者には大変気の毒だが、この勝負、勝ち味が薄いと言わざるをえない。



日本のビジネスや経済に興味を持たない海外の学生


すでに、1980年代くらいから、生産中心主義的な産業社会が消費中心的な情報/サービス社会へと組み替えられていく徴候は明らかに見られた。皮肉なことに、日本の製造業がその頂点に向かうまさにその時に、すでに価値意識のレベルでは転換が急テンポで進んでいたことになる。当時は、『クール・ジャパン』どころか文化などかけらもない『エコノミック・アニマル』が日本の代名詞だったし、日本が文化で世界の共感を得るなどということはおよそ想像の外にあった。一方、日本の経済的な成功は脅威であると同時に他国の憧れでもあった。当時、日本に興味を持つ外国人は、ほとんどが日本の経済的な成長の秘密に興味を持つ人達だった。それがどうだろう。今日本のビジネスや経済的な成功に興味を持って学ぼうとする米国の学生はほとんどいなくなって、日本に興味を持つ学生の関心はほとんどが、経済やビジネスとはまったく関係のない日本のサブカルチャー(漫画等)の方だそうだ。これは、『如何に日本製品ガラパゴスと言われようと技術は世界の最先端』と自負する中高齢者にはショッキングな現実ではないだろうか。



日本の若年層の職業観/価値観の変化


かつて、私自身ブログにも書いたことだが、最近の若年層には、社会的な上昇を志す職業観が流行遅れになっていて、成功者のイメージがかつての、『金銭/名誉/社会的承認/物的価値重視』から、『クリエイティビティ/自己追求的/脱会社的』にシフトして来ている。もっと極端な例では、組織的に強制される生産を拒否すること自体が『クール』で『かっこいい』と感じている若者も増えている。もちろん、誰もが自由でクリエイティブな仕事で身を立てることができるわけではない。だが、貧しい若者も価値の次元では、(無意識にせよ)物欲や金銭欲に背を向けること自体を良しとし、精神的な自由や創造性に高い評価を与えるというようなことが起きている。資源が枯渇し、環境破壊が時代のキーワードとなっている現代では、文明論的に言えば、彼らの価値意識のほうに正当性があるとも言える。

若年層に見られる『成功者イメージ』の変化 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る



断層は埋まらない


こうしてみると、当面断層が埋まる可能性はどう見ても低い。むしろ、広がって行くと見るべきだろう。しかも『中高齢層は時代の変化を所与のものとして、早く意識改革せよ』、という物言いには合理性はあるものの、個々人がそれぞれに乗り越えるには高過ぎるハードルになっているのではないだろうか。市場での自由競争/優勝劣敗は合理的な進化を加速する面もあり、市場がグローバルに繋がってしまっている現在、入り口で規制したり構造改革を先送りしたりすると矛盾が広がってしまうことは先に述べた通りだが、大量に出る負け組が放置されたままになるようであれば、『健全な競争社会』自体が担保されなくなってしまう。



真剣に取組むべき問題


現在のところ、堅固な『解雇制限』に守られ、中高年の雇用は若年層に比べると厚く守られている。若年層は、非正規雇用比率がますます高くなり、将来の展望を持てないばかりか、生残ること時代に不安を感じるような人がごまんといる。だから、若年層の問題こそ、直近の大問題と誰もが感じている。私も、中高年者の転職が不利にならないように制度を変え、再雇用市場を活性化し、その上で解雇制限を緩和することはやむを得ないと思う。だが、断層』と『価値の陳腐化』を内に抱えたまま、『自己責任』を強要されれば、じきに中高齢層のほうにも、恐るべき規模で悲惨な問題が噴出することは確実だ。もっと真剣にこの問題の分析と解決策(あるといいのだが)策定に取組まないといけないと思う。しかも早急にだ。