経済と自由/苛立つ大人たち

現実路線の管新政権


民主党の鳩山政権が倒れて、管政権が誕生し、新しいマニフェストが出て来た。巷間言われている通り、賛否はあるかもしれないが、非常に現実的で、成長戦略もそれなりに語られている。少なくとも、鳩山政権の時のような根拠のない理想を語るようなところはあまり感じられない。選挙前だが、消費税の増税についても言及されている。具体的な内容に踏み込むと、様々な問題が見えて来るが、それでも、もはや夢や理想を語っている場合ではない、という切迫感は伝わって来る。



日本は窮地にいる


日本は相当な窮地に追いつめられている、という認識はどこまで共有されているのか。政治ももちろんそうだが、企業の現場にいても、自分の感じている危機感がどうしても共有されているようには思えない、そういうもどかしさを感じることが最近本当に多くなった。そういう苛立ちもあって、つい危機感のない人達ちにキツいことを言ってしまうことも少なくない。だが、残念ながら好意的な反応が返って来ることはあまりない。


他の現場ではどうなのか。よく耳をすましてみると、どうやら同様の構図はあちこちに見られるようだ。



佐々木俊尚氏のTwitter


先日、ジャーナリストの佐々木俊尚氏のTwitterでのつぶやきとその反応をまとめたTogetterがアップされたが、その内容を見ると、典型的にこのパターンが見られる。 「日本でITの利活用が進まない理由」のまとめ - Togetterまとめ


日本では企業でも政府等の公共団体でもITの導入は遅れ、利用/活用は進まない。どの企業も今では国際競争にすっかり遅れを取っているのだから、良さそうなことは何でもやって追いつき追い越すどん欲さが必要な局面だと思うのだが、企業内でも『お年寄り』は変化を好まず現状維持を最上とし、若年層は経済成長も企業の成長も、もう結構というような姿勢を見せる。


佐々木氏の発言は、私にはしごく真っ当に読める。非常にすぐれた現状認識だ。

OECD加盟国で日本ほどITの利活用が遅れている国はなく、これが競争力減退の原因の一つになっている。「ITなんか使う必要がない」と言うかたは、日本がアルゼンチン化することを受け入れるか、ITを使わずに競争力を高める代案を考えないと。


そして、やはり『苛立ち』があるのだろう。強引なくらいにIT導入を進め、誰でも使わざるを得なくなるような荒療治も必要との主旨の発言をする。

日本でITの利活用が進まない最大の理由は、「ITがなくても生活できるから」だと思う。クリティカルな生活必須サービスにITが導入されてこれば、嫌でも使わざるを得なくなり、結果としてITが普及するはず。


だが、もう変化する気のない『お年寄り』はともかく、若年と思われるTwitterユーザーの反応も総じて芳しくない。明らかに反発を感じている人も多い。こんな感じだ。

それではITが目的であるように見えます。ITはあくまで手段のはず。

何でもかんでもITを使わなければならない世の中も歪んでいると思います。選択の自由があっても良いというか、寧ろ残すべき。

使いたくなければ使わずに済む現状が幸せかも。

目的と手段を取り違えていること夥しい言説だと感じる…

一見便利なようだが、絶対ITで良いのか?

そこまでしてITを普及させないといけない理由とは?

IT導入の自己目的化ではない、と佐々木氏も反論する。だが、反応はいいとは言えない。

IT導入の目的は、国全体の労働生産性を上げ、それによって国際競争力を高めていくことです。そのためにはまず労働生産性以外のクリティカルな生活シーンでIT利活用を進めないといけない。一見ITの自己目的化に思えるかもしれませんが。


佐々木氏の真意は伝わらず、議論がすれ違ってしまっている。



語ができなければクビを宣言する三木谷氏


際化が遅れ、国際競争に対応できる人材の手当がどんどん薄くなって来るように見える昨今の日本だが、企業経営者の立場でこれに危機感を募らせ、『英語ができなければクビ』『社内公用語を英語化する』と宣言してしまった人もいる。楽天の会長兼社長、三木谷氏だ。


http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/810ee47297d49033c2a4b43a0a5216e0/



意外に難しい英語の公用語


日本企業内での英語の公用語化というのは、案外古いトピックで、商社やメーカーの海外部門等でも時々英語の得意なトップから同様の提案が出て来たりする。私もそういう現場にかつていたから、この雰囲気は良くわかる。だが、現実問題として複雑な問題を英語で話す不能率さに耐え切れずに挫折することが多い。英語しかしゃべれない人がいるときには英語を使うのがエチケットということもあるから、英語で日本人同士議論することももちろんあるわけだが、それでも微妙なニュアンスが伝え切れずに日本語に戻ってしまうことが多かったりする。


ただ、英語の公用語化はそれができるのなら、メリットは計り知れない。それは海外関連の仕事をしたものなら、多かれ少なかれ理解できるはずだ。だが、実行は実に難しい。そして、誤解を受け易い。手段と目的をはき違えているというような意見が必ず出て来る。


三木谷氏の発言に対しても、早速次のような反応が出て来ている。
『三木谷さんってここまで頭わるかったっけ?』
http://topsy.com/neta.ywcafe.net/001087.html



失われる『自由』


佐々木氏にしても、三木谷氏にしても、ITや英語が手段であり目的ではないことくらい、当然わかっている。わかっていても尚言わざるを得ない切迫感と苛立ちがあるということだ。


国際競争に負けて、経済成長できなくなることの帰結は、経済的な窮乏化もさることながら、もっと大きな問題は『自由』『自由度』が失われることだ。もちろん、経済成長などせずとも心豊かな生活を築くというのは非常に大事な心構えだし、そういう外的要因に捕われることなく、精神の自由をどんな環境でも失わない(前回のエントリーでこれを私はストア哲学的と表現した)人は究極の自由の中にいるとも言える。だが、普通に言えば、経済的な窮乏化はあらゆることが不自由になることを意味する。本人が良くても、家族を不自由にして、選択肢を狭めてしまうことになる。それはしばし堪え難いことだろう。


移動の自由、職業選択の自由、家族を形成する自由、生き方の選択の自由、同調圧力からの自由、思想信条の自由・・・・それがすべて『不自由』になったらどうだろう。


佐々木氏、三木谷氏に共通しているのは、両氏とも同調圧力が強く、個人の個性を押しつぶす、日本社会の悪弊と対峙してけして負けなかった不屈の精神だ。強い同調圧力を求める『空気』に支配された日本の村落共同体にも似た社会は、自由な精神にとって堪え難いものがある。だが、大抵の人は生きるためにそれを押しつぶし、早々に抑圧する側にまわる。(今の日本の停滞の主要な原因の一つでもある。)だが、両氏は、あきらめることなく、日本社会で自由な生き方を体現していった人達だ。そして、その自由の素晴らしさを知るだけに、やすやすと自由を手放してしまう昨今の若年層に対しては苛立ちがつのるのも当然だと思う。そして、その自由を得るための最大の武器が、ITであり英語ということになる。その武器を最大限生かせ! という彼らにとって、本末転倒と言われようが、最強の武器が一人一人の手に渡れば、必ず変革が起きる、と言いたくなるのもよくわかる。



由からの逃走の帰結


そういう切り口で現状を見ると、折角の重要な『自由』を得ることを今の日本の若年層は必ずしも望んでいないように見える。むしろ、かつて『自由からの逃走』を書いたエーリッヒ・フロムが指摘するように、自由を恐れ、誰か(何か)に判断をゆだねてしまおうという気配がある。かつて、そうして自由から逃走した人達に待っていた運命は、ヒットラーのような独裁者による支配だった。そして、過酷どころか、破滅へと一直線で進むことになる。


現代の日本で、若年層がITにも英語にも興味を示さず、自由から逃走すると何が起こるだろうか。


日本でも既存の企業の中で優秀な経営者は、生残る為に、日本を離脱する策を続々と打ち出して行くことになる。文芸春秋の2010年7月号への寄稿で話題になった論文、『わが「打倒サムスン」の秘策』パナソニック社長の大坪文雄氏による寄稿)を読むと、すでにそうなりつつあることが実感できるはずだ。

徹底したグローバル化は人材採用でも進めます。来年度は千三百九十人を採用する計画ですが、このうち「グローバル採用」枠を千百人としました。日本国内の新卒採用は二百九十人に厳選し、なおかつ国籍を問わず海外から留学している人たちを積極的に採用します。今年度は千二百五十人採用しましたが、内訳はグローバル採用が七百五十人、国内新卒は五百人。人材採用の面でも、来年度からグローバル化への対応をドラスティックに進めることになります。
文芸春秋 2010年7月号 P261



勝利する韓国企業/敗北する日本企業


現在のパナソニックの海外での売り上げ比率は全体の48%だそうだが、3年後にはこれを55%に、2018年には60%以上にして行くという。論文のタイトルにあるとおり、海外の新興国市場で強いのはサムスンやLGといった韓国企業だ。日本を代表するエレクトロニクス・メーカーのパナソニックとて今やとてもかなわないばかりか、その差は開く傾向がある。この秘密は、韓国企業の徹底した現地化にある。


日本企業はどの国にも存在する少数の富裕層への販売を得意としてきた。その理由は、そのような富裕層は、特にローカル仕様に必ずしもこだわらず、しかも金に糸目をつけないから、日本で造った物をほぼそのまま持ち込んでも売れる。だが、その次の所得クラス、企業のマネジャークラスについては、市場規模は大きくても価格用件が厳しく、日本の製品をそのまま持ち込んでも価格が見合わないか利益が出ない。ゆえに、その市場は日本企業があきらめてきた市場だ。だが、韓国企業はその市場に狙いを定め、そのクラスの市場にジャストフィットな仕様を厳選するために、徹底した現地化をすすめ、その国の人の生活を詳細に研究した。その結果、不要な仕様は徹底的に削り、逆にその市場に不可欠な仕様を熟知し、結果的に、その市場に最適でかつ収益をあげることのできる製品を作り上げることに成功したサムスンの現地化の徹底振りは何年も前から知られていた。韓国本社から派遣されて、現地市場の専門家として10年、20年と留まり、言語、習慣を理解するだけではなく、現地での人脈を徹底的に作り上げる。同じころ、日本企業の多く、特に一流大手企業では、労働組合の要請もあって、現地への赴任は3年〜5年程度を上限として日本に帰任させていたものだ。その成果が着実に出ているとも言える。それを考えれば、今回の大坪氏の措置はごく順当なものであることがわかるだろう。



今一度自分で選択すべき


国際競争の現実を知る企業は(パナソニックのように)ますます、日本離れを加速することが予想される。その帰結は、日本の労働者の所得水準は維持できなくなり、失業率の大幅増か、今の新興国の所得水準に限りなく近づいていくことになる。現在、国民の8割が年収600万円以下、その半分は年収300万円以下となっているという。一億総中流と言われたのがついこの間だった印象があるが、すでに国民の大多数は、低所得階層に収斂しつつある。このままではこの傾向に歯止めがかからないと考えられる。本当にそれでいいのだろうか。もちろん、幸福はお金だけが問題なのではない。だが、あるレベルを超えてお金がなくなることは、社会全体を疲弊させ、生活環境を悪化させ、人々の不安感を強くし、子供に教育を受けさせることができず、家族に経済的な苦労を課すことを意味する。


今の日本は、正直バランスを失していると言わざるをえない。もう少し冷静になって、今一度自分たちがどういう状況にあって、何をすべきなのか考えてみてはどうだろうか。