本当に世界を変えてくれるかもしれない経営者とは
■イーロン・マスク氏のすごさ
先週のエントリーで、米国のカリスマ起業家/経営者であるイーロン・マスク氏が、人工知能に関して衝撃的な見解を持っていることを取り上げたわけだが、意外に自分がイーロン・マスク氏のことをあまり知らないことに気づいた。そこで、あらためて少し詳しく調べてみると、この起業家の圧倒的なスケールに今更ながら驚嘆することになった。ただのラッキーボーイでもなければ、ほら吹きでもない。それどころか、従来の著名な起業家を上回る実行力と思想性を併せ持っている。
この機会に、イーロン・マスク氏のことをちゃんと知るために、ネット記事だけではなく、著書『未来を変える天才経営者 イーロン・マスクの野望』*1を読んでみた。主にそこから、彼の履歴をざっとおさらいしてみる。
1971年南アフリカ共和国生まれ。
1988年、17歳でカナダに渡り、90年にクイーンズ大学に進学。
1992年、アメリカのペンシルベニア大学に進学。物理と経営学を学ぶ。
1995年、スタンフォード大学の大学院に進学したが、2日で辞めて、ソフト制作会社「Zip2」を起業。
1999年、コンパック社に約3億ドルで同社を売却。これで得た資金(約2200万ドル)を元にインターネット決済サービス会社「Xドットコム」を立ち上げる。1年後にコンフィニティ社と合併し、これが2001年にPayPal社となる。
2002年、PayPal社をネットオークション大手のeBayに15億ドルで売却。約1億7千万ドルを手中にする。
同年、宇宙ロケットベンチャー『スペースX社』を設立。スペースX社は、わずか6年で独自開発のロケット『ファルコン1』の打ち上げに成功。その2年後、国際宇宙ステーションに、宇宙船『ドラゴン』を民間として初めてドッキングさせ、地球に無事帰還させる。しかも、家電やパソコンの『コモディティ(汎用品)化』のアイデアを取り入れ、従来の10分の1という激安な製造コストを実現。
2004年、電気自動車ベンチャー『テスラ・モーターズ社』に出資し、会長となる。そこで、ポルシェより速く、1回の充電で400kmの長距離走破が可能な電気自動車『ロードスター』を発表。しかも、ノートPCに使うリチウムイオン電池、約7000個を車体に積むという独創的な発想で、高い走行性能を実現。
2010年(創業から7年目)に、株式上場(新規自動車会社の上場はフォード社以来54年ぶり)。
2013年、高速充電が可能な『スーパー・チャージャー・ステーション』の全米展開を発表。わずか20分で最大容量の半分まで充電可能。さらには、90秒でバッテリーを自動交換するシステムを構想中。
http://www.teslamotors.com/jp/supercharger
http://wired.jp/2013/06/26/tesla-battery-swap/
充電ステーションは、電力会社からの電気供給を仰がず、太陽光パネルを各充電ステーションに設置して自家発電で電気を供給。太陽光パネルの設置事業は、マスク氏が会長を務め、従兄弟が経営する会社、『ソーラーシティ社』が行っている。この会社は、2012年に上場。
■国家事業を『素人』が実現
宇宙ロケットも、電気自動車も、太陽光発電も、想像を絶する資金投入が必要な大事業だ。宇宙ロケットなど、一機飛ばすだけで、何十億円もかかる上に、失敗して墜落したら、まさに海の藻くずだ。しかも、簡単には成功しない。実際、結果的には順調に見えるスペースX社も、何度も打ち上げに失敗している。どの一つをとても、国家的大事業のはずなのに、新規参入者として臨んだ『素人』が、これほどの成果を上げ続けるというのは、およそ従来の常識の完全に埒外にある。しかも、その全てにおいて、独自の創造力を発揮して、その分野を大きく進化させる役割を果たしている。
■超弩級のビジョン
だが、イーロン・マスク氏が本当にすごいのは、この実績だけではない。何より、『ビジョン』が超弩級だ。そもそもスペースX社を設立した時の目標が、『火星へ人類を移住させること』だったという。地球の総人口は2050年には100億人に迫る勢いだが、もうすでに異常気象は常態化し地球環境は悪化しているのに、政治的な問題に押されてこの問題に対処するための国際的な合意は遅々として実現しない。このままでは人類は地球を捨てて、地球以外の惑星に住まなくてはならなくなる、とイーロン・マスク氏は考えて、人類を火星に移住させるための行動を起こしたのだという。
電気自動車への参入も、人類を火星に移住させるにはまだ時間がかかるから、それまで地球を少しでもクリーンに保つための『つなぎ』なのだという。しかも、電気自動車の燃料(電池)を化石燃料に頼っていては意味がないから、太陽光を有効活用するシステムを作り上げる。
子供のころの荒唐無稽ともいえる使命感や夢を大人になってもそのまま持ち続け、本当に実現してしまうというのは、返す返す、すごいとしかいいようがない。宇宙ロケット、自動車、エネルギー、共に巨額の資金が必要なだけではなく、古くからの業界のしきたりやしがらみが非常に多く、足を引っ張る有象無象が山のようにいる。加えて、それぞれが巨大資本であるだけに、政府や他の業界等との関係も強く、そもそも新参者が簡単に入っていけるような業界ではない。私自身、自動車業界、エネルギー業界の両方にいた事があるから、これが如何に困難なことか実感を持ってわかる。
■米国のカリスマから人類史に残る偉人へ
もちろん、スペースX社もテスラ・モーターズ社も、まだこれからが本番で、今後とも障害はいくらでも出て来るだろう。だが、個人がここまでできることを示しただけでも、世の起業家に与えた影響は計り知れない。特に米国では、彼の達成した業績が非常に好感を持って受け入れられ、米国民を勇気づけているであろうことは容易に想像がつく。
米国の開拓とそれを支えたフロンティア・スピリットは、西海岸を開拓し尽くして一旦行き場を失ったが、ケネディ大統領は、『ニューフロンティア』政策の一貫で、宇宙開発計画(アポロ計画)を押し進め、見事にソ連に先んじて月の有人飛行を成功に導いた。ところが、宇宙事業にはあまりに巨額の資金投入が必要で、さすがの米国でも支えきれなくなった。そこに、民間人が『火星への移住』という高みまでビジョンを持って宇宙事業を進めようというのだから、いわば米国のフロンティア・スピリットの正当継承者とでもいうべき地位を継ぎつつあるとさえいえる。彼自身は南アフリカからの移民だが、起業家にとって米国の環境が世界一恵まれていることを公言していることもあり、その点でも米国人は面目躍如の思いだろう。
もちろん、米国だけではなく、狭義の起業家の枠を超えて、人類の歴史全体にとって類のないほどの貢献を成し遂げる偉大な人物に成り上がっていく可能性を十分に秘めている。
■夢と現実の狭間で
だが、通常、どんな成功した起業家にとっても、使命感や夢と実際のビジネスの現実とのギャップは大きい。先ずは会社を大きくすることが使命であり、夢の第一歩とかいっている間に、従業員には雇用安定を、株主には短期利益を要求され、いつのまにか、『収益をあげることが最大の社会貢献』とか言い出すケースがほとんどだ。そんな中、使命感や夢を全面に押し立てて、尚、成果を上げていくイーロン・マスクのような存在であり続けることは極めて難しい。
もちろん、イーロン・マスクのことを、『名誉欲』の塊で、そういう意味では単なる俗物と腐す向きもあるだろうが、それでも、現実の経営の難しさに負けて、シニシズム(冷笑主義)に落ちてしまうよりはよほどましだ。今の日本にそんな起業家がいるのかと言えば、お寒いことこの上ない。
■『使命感』を感じる川上氏の発言
だが、まったくいないわけでもない。昨今、日本の若手経営者の代表格とみなされるようになってきた、KADOKAWA・DOWANGOの川上量生会長など、その候補の一人として、以前から私は期待を持って見守っている。イーロン・マスクとは意味はまったく違うが、最近の川上氏の発言には質の高い『使命感』とスケールの大きさを感じることができる。
経営者の『使命感』について、川上氏は非常に率直につぎのように語る。
たしかに、世の中の役に立ちたいという気持ちはありますよ。でも、それが第一義になったら会社はつぶれるじゃないですか。会社としては生存することを第一にするしかないし、それを基準に考えるべきなんです。そうではない正義や使命感を軸にすることは、会社にとってはマイナスにしかなりません。
一見おちゃらけて見えることもあるが、経営者としての芯が強く、現実家の川上氏らしい発言ではある。だが、彼の本音はちゃんと別のところにあるようだ。
そういうことはね、秘めておけばいいんですよ。どうしても自分がやりたくて、これは世の中のためになるって信じられるものを心に秘めておく。それで、いざ実行できるとなったら、普段やっていることを覆してでも決断すればいい。
『ニコニコ哲学 川上量生の胸のうち』 より
照れ屋で、日本人らしい奥ゆかしさが微笑ましいが、経営者が『使命感』とか『夢』を語ると日本では『実業以外の道楽』と非難されることも多いことを十分承知していて、慎重になっているようにも思える。公言せずとも秘めておく、というやりかたでもかまわないから、こういう経営者が増えていくことを心から応援したいものだ。
■すばらしいビジョン『ニコニコ宣言』
ちなみに、川上氏の思いは、秘めているどころか、堂々と宣言されている。
2010年6月1日に発表された『ニコニコ宣言』など、まさにそれだ。
ニコニコ宣言(9)‐ニコニコ動画
これは世間でどのように評価されているのかわからないが、実に奥深い思想が体現されているように私には読める。
イーロン・マスク氏が人工知能の技術革新によって、知性を持ったロボットが人類の制御を超える存在となることを懸念していることは先週述べた通りだが、どうやら川上氏も同様の懸念を感じているようだ。それはこんな発言の節々からもうかがえる。
テクノロジーやコンピュータが進化していけば、人間の居場所がなくなる。これはどう考えてもそうで、疑う必要もないくらいの真実です。
歴史の決定権が、人間からシステムに移るということですね。今の社会システムは、生命体のように自律進化をとげている。その進化を、人間の個体はもう止めることができません。
人間の究極的な価値判断は、理屈じゃないんですよね。理屈が正しくて、人間の感情のほうが間違っていると言った瞬間に、人間はどんどん解体されていく。それをどこまでやっていいのかというと・・・これはすごく難しい問題だと思います。理屈で構成されるものばかりになると人間はいらなくなる、ということだけは確実ですね。
『ニコニコ哲学 川上量生の胸のうち』より
■感情を持ち人間的な暖かさを持つ集合知
だから、ニコニコ宣言の第一宣言には、高らかに、次のようにうたわれている。
ニコニコは無機的な集合知ではなく人間のような感情を備えた集合知を目指します
(前略)われわれはそのような仮想社会に生きる等身大の人間そのものの姿を投影した集合知をつくることを目標とします。感情と人格を持ち、そして生命そのもののように変化し、流れていき、寿命をまっとうし、また、新しいものが生まれる。そういった集合知です。われわれの集合知は真実にむかって収束することを目指すものではなく、人間のパートナーとして共に苦しみや悩みも共有しつづけて永遠に完成することのない集合知です。そんな人間的な暖かさをもつ集合知が人間と共存するような未来のネット社会を目指します。
この集合知という部分こそ、まさに昨今話題になることの多い『機械学習を繰り返す人工知能』そのものであり、それを『感情を持って悩みも人間と共有しつづけて永遠に完成せず、人間的な暖かさを持って人間と共存する』存在とすることを目指す、というのだ。今の日本にこれほどの宣言ができる経営者を探すことは難しい。この点において、川上氏はイーロン・マスク氏に匹敵する、見識とビジョンを持った日本の経営者というべきだろう。(本人には、恥ずかしいからそんなことは言わないで、とか言われそうだが・・)これをどう具体化していくのか、可能ならば、まさに人類に貢献する事業になる可能性がある、と大げさではなく、私は思っている。今後とも期待を込めて見守っていきたいものだ。
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