若手論客の梁山泊? 文化系トークラジオLife

若手論客ブーム?


最近若手のジャーナリストや学者、文化人等の活躍が目につくようになってきた印象がある。ジャーナリストの津田大介氏、社会学者の古市憲寿氏、評論家の荻上チキ氏、経済学者の飯田泰之氏、哲学者の國分功一郎氏、評論家の宇野常寛氏、フリーライター速水健朗氏等、比較的容易に何人もの例をあげることができる。そういう若手のテレビでの露出は明らかに増えているし、新聞や雑誌等の紙面に名前を見つけることも本当に多くなって来た。メディアでは、一種の『若手論客ブーム』(プチ・ブームくらいなのかもしれないが・・)と言ってよい現象が起きているように見える。



ある種の共通点


このような最近勢いを増して来た『若手論客』は、肩書きや実際の活動の仕方はそれぞれに異なるし、主張の内容も一様とは言えないけれども、ある種の共通点がある。若手と言っても、最年長は40歳前後、すなわち団塊ジュニア世代くらいまで含まれるが、実年齢がそれより上であっても、彼らと価値観を共にするクラスターに属していると考えられる。


(1)学生の頃にインターネットが普及してきていて、
   ソーシャルメディアを含めてそのテクノロジーやサービスを
   自在に使いこなすことができる。


(2)バブルが終った後の就職氷河期以降の世代であり、
    生活/消費は堅実で、成長する日本の姿をほとんど実感できない。


(3)アニメ、漫画、コンピューターゲーム等のオタク文化が
     完全に普及していて、当然の前提になっている。


(4)ネットテクノロジー等には精通していても、科学技術
    全面礼賛ではなく、アンビバレンス(両面感情)を抱えている。


(5)社会学、哲学、カルチャー等に一家言のある『文化系』である。


この全部の特徴をそろえているわけではないにせよ、該当する点は多いと思う。


従来、このタイプの人たちは概してクールで寡黙な傾向があった。お互いの価値観がバラバラで『島宇宙化』し、大きな物語が終わっていて、もはや社会全体に語るべき事はない、とでも言わんばかりで、語る事の価値をさほど感じていないように見える。だからこそ、語り始めた彼ら(彼女ら)の言説も、この現象自体も大変興味深い。



文化系トークラジオLife


そんな若手論客のデビューの場、力試しのアリーナ、あるいはマスメディアでは語りきれないことを思いっきり語りきる場として、知る人ぞ知る、渋い光を放つラジオ番組がある。毎月の最終日曜日の深夜(午後1時から4時)に、多彩なゲストが生で徹底的に語り合う(番組終了後にも明け方まで番外編と称して議論は続き、それは本編と同様Podcastで聞く事ができる)、『文化系トークラジオLife*1(以下、Lifeと略称)というTBSのラジオ番組だ。この長時間番組は、マスコミが体現する現代の『ファスト文化』の対局にある言っていい。いかに深夜枠とはいえよくぞこんな番組ができたものだ。


2006年の10月、最初はナイターの休止枠の半年間限定で、週1回、20時から1時間の番組として、当時はまだ国際大学GLOCOM研究員だった鈴木謙介氏(現在は関西学院大学の准教授)をメインパーソナリティーに迎えて始まった。だが、聴取率を調査してみると数字は芳しくなかったため、深夜の時間帯に移ったところメールが急増し、TBSの編成も、『まともな時間では失格だが、月1回の深夜枠ならアリ』と評価してくれたのだという。(この辺りの事情は、番組のことをまとめた本である、『文化系トークラジオLifeのやり方』*2に詳しく語られている。)



マスメディア向きとは言えない


『クリスマス資本論』 『信じる論理、信じさせる倫理』 『動員と革命〜10万人で何をしようか』等々・・・


番組で扱うテーマは、典型的な文化系の学者や学生が取り扱うタイプの内容で、集められたメンバーは皆それぞれに一家言ある論客であり、毎回斬新で興味深い意見に出会うことができる。だが、同じ深夜番組でも『朝まで生テレビ』のような参加者どうしが喧嘩をしてしまうような対立を煽る構図はなく、学生の文化系サークルの部室内のような和気あいあいとした雰囲気の中で、徹底的に語りあう。しばし大いに脱線し、放送禁止ワードのほうも百出という感じで、議論の末にはっきりした結論が出るわけでもない。確かにマスメディア向きとは言えない。ラジオの深夜枠でかろうじて残ったというのも無理はない。



インターネット的


だが、一方で、これは実にインターネット的だ。Podcastに全てアーカイブされているから、視聴に時間制約はない。Ustreamで同時に配信されていたこともあった。明示的、あるいは具体的な施策案のようなものはほとんど出てこないが、半熟だが栄養たっぷりな感じのネタは満載だ。これをネットのコミュニティが様々に引き取って議論が拡散し分厚くなっていく、ということは起きているようだ。これは、まさに2ちゃんねるTwittermixiニコニコ動画のようなインターネット・コミュニティ・サービスで日々起きている現象と似ている。


Lifeにゲストとして何度か登場している、評論家の宇野常寛氏や濱野智史氏は、日本のインターネットが創出した独特の世界を『夜の世界』とよんだが、まさにこの番組は、昼の世界を代表するラジオというマスメディアの場を借りながら、夜の世界(インターネット)という異界への入り口になっていて、昼の世界の合理性でははかり難いものが夜の世界のほうから沢山舞い込んできて、この番組を非常に特異だが、一方で大変豊穣なものにしている。鈴木謙介氏は、震災後には『非合理』をテーマに据えたと明言しているが、Lifeの熱心な視聴者である私に言わせれば、初期のころから『非合理』はLifeの底流にある隠し味だった。



非合理に相対することは重要


文化系トークラジオLifeのやり方』で、阪神・淡路大震災から16年が経過して、それだけの時間が経ってわかることがある、として、鈴木氏は次のように語る。

たとえば神戸市の新長田という場所は、駅に近い公園に鉄人28号の等身大の像が立ち、かつての商店街に大きなマンションが建ち並び、アーケードも整備されました。しかし、この地区の再開発事業は大失敗だと言われてしまっている。実際、少し離れたところの商店街は寂れていて、整備したほうの商店街でも、テナントとして戻ってきた商店街が経営的に立ちゆかなくなって撤退している。単なる地方の不景気の問題だけではなくて、「復興」「事業再建」を急ぐがゆえに、さまざまな条件の変化を加味せずに場所だけ用意してしまったことの失敗という面もあるんです。(中略)



箱モノがいけなかったという話になって、その反省を生かして、3・11の復興では、絆やコミュニティ、社会的役割を重視するような取り組みになりつつあります。しかしこれらって、数字やお金では測れないものばかりなんですね。ある計画を立てて、ある金額を投入すれば、必ず計画通りになるという筋のものではない。だから、科学の外側のものだし、非合理なものなんですよ。(中略)



自分の身に非合理なことが起きたときに、まわりもその非合理に巻き込まれて、非合理に傷ついた人たちと一緒に非合理に傷つくしかない場面というものがある。でも、そうやって非合理に巻き込まれていった人たちのなかからしか、計算できる範囲でも復興計画を立ててお金を投入するのとは異なる「復興」は生まれないだろうと。
そこで必要なのは、専門的な知識に基づいた合理的な計画を策定することだけじゃなくて、時間はかかっても、ひとりひとりが非合理なものと一緒に生きていけるような環境を、ほんとに少しずつ戻りつし、手に入れていくしかないということですよね。


文化系トークラジオLifeのやり方』 P199〜P200

震災に限らず、『人は非合理と向き合わずに生きていくことはできない』というのが鈴木氏の信念らしい。大変『まだるっこい』が、私も鈴木氏に賛同する。




まだるっこしいから続いてきた


確かに、Lifeを聴いても問題の解決策がストレートにわかることは少ないとはいえ、聴き終わるとそのテーマの深淵さがより浮き彫りになる。表面的な理解の裏のもっと深刻な問題がはっきりとわかる。これは、安直な結論がでるより、私のような『文化系』にとっては遥かに価値がある。そして、震災後の、というより、バブル崩壊以降の日本にとって、この価値を重要と感じる人は増えていると思われる。


この、『まだるっこい議論は避けて通れなくなっている』『安直な結論よい大事な価値がある』『数字やお金で測れないものの価値をもっと大事にするべき』という感覚は、冷静に振り返れば、震災よりずっと前から芽生えていた時代感覚で、それを掬いとろうとして来たことこそがLifeがまがりなりにも、5年半の間存続してきた理由なのではないか。そして、『若手論客』はそれを言語化し始めている、ということではないか。



背景事情


80年代の、いわゆる『ニューアカデミズム』*3のブームが急速に萎んで見ると、哲学、思想、人文科学の分野は、みるみる影が薄くなり、研究者も象牙の塔内でミクロな論点を突き合うばかりで、実世界に影響力を及ぼすことのない、特殊な存在になってしまった。一方で、合理性、科学性を標榜する『ビジネス文化』(実際には、合理的でも科学的でもないのだが)はバブルと共に絶頂期を迎えていた。言論は、数値に置き換えて説明できるものが至上で、それ以外のものは無駄、というのが時代の空気だった。文化系の戯言など、仕事ができない、落ちこぼれ、まさに『メインストリーム』に対する日陰の『サブカルチャー』でしかなかった。


だが、旧来のビジネス文化を支えた世代とその『思想』は今や風前の灯だ。その『思想』を体現する権威、すなわち、官僚、大企業の経営者、法曹関係者、警察/検察、マスコミ、学者等も、もはや権威たりえない惨状というしかない。震災以前からそれは進行していたのだが、震災によって決定的に可視化されてしまった。それゆえ、時代は団塊ジュニア以降の論客を本格的に希求し始めている。それが『若手論客ブーム』の背景事情なのだと思う



東浩紀氏の種まきの成果?


1993年に評論家としてデビューした、評論家の東浩紀氏は、ゼロ年代に入るころには、押しも押されぬ、若手思想界の第一人者と認められるようになるが、ずっと孤高の存在で、同年代にはこれといったライバルはおらず、後継者もいない状態が続いていた。東氏自身、その惨状と、マーケットとして非常に矮小になってしまった思想本の現状を大変嘆いていたものだ。その東氏は、2004年に国際大学GLOCOMにて「ised」(「情報社会の倫理と設計についての学際的研究(Interdisciplinary Studies on Ethics and Design of Information Society)」)を立ち上げ、情報社会に関する研究に取り組んでいたが、isedはすでに伝説的存在となっていて、その成果は今でも非常に高く評価されている。この活動は、インターネットと社会のかかわりについて人文・社会科学的な側面からアプローチする倫理研と、技術的な側面からアプローチする設計研が1ヶ月おきに開催されていて、多彩な論客を集めてレベルの高い成果を出していた。鈴木謙介氏もそのメンバーの一人だったわけだが、鈴木氏自身の考えるisedの発展形がLife、ということになるのだろう。東氏の先駆的な種まきは、ここに来て花開き始めていると言えるのかもしれない。



岐路にあるLife

ちなみに、Lifeだが、2013年の4月以降の編成で、TBSは番組終了を検討していたのだという。スタッフの懸命な調整の結果、2ヶ月に1回に頻度を落として存続することになったようだ。当初は、『草分け』であったLifeも、ラジオ番組という制約を離れて見てみると、今では同種の『論壇』の場はかなり増えて来た。当初のコンセプトのLifeは一旦たたんで、新しいコンセプトで、次の時代の先頭に立つ、という選択肢を迫られているのかもしれない。

*1:TBS RADIO 文化系トークラジオ Life

*2:

文化系トークラジオ Life のやり方

文化系トークラジオ Life のやり方

*3:ニュー・アカデミズム - Wikipedia