大人の成功体験にも反応しない若者/価値を問い思想を語ろう

徳大寺有恒氏の秘策


昨年の12月27日の日付にて、「間違いだらけのクルマ選び」等の著作でも知られる自動車評論家の徳大寺有恒氏(70歳)へのインタビュー記事が出ていた。それは「若者のクルマ離れ」が進む最近の日本市場においてクルマ離れを止める秘策は、若者を振り向かせるような、女の子にモテそうなクルマを開発すること、という趣旨の内容なのだが、それを読んで何とも鼻白む気持ちになった。徳大寺氏の発言の意図は、私自身自動車産業の全盛期に内側に身を置いた一人として十分に理解できる。実際、今の日本の自動車市場には、クルマから離れていない私の世代でさえこれと言って買いたくなるような魅力的なクルマがない。だが、IT産業に転身して、若者の市場やカルチャーをそれなりに分析してきた立場から言えば、このメッセージは今の若者には到底届かないだろうと感じざるをえなかった。


痛いニュース(ノ∀`) : 自動車評論家・徳大寺有恒氏「女にモテる車を作れば若者の車離れは止まる」 - ライブドアブログ



反発する若者


案の定、若者の反発は凄まじかった。中にはすっかり窮乏化して、ローンとて組めない若者からの怨嗟の声もあったが、よく読み込んでいくと、徳大寺氏と今の若者とでは欲望や重視する価値が根本的にすれちがっているとしか言いようがないことがわかる。徳大寺氏の「若者なら誰でもいい車に乗っていい女を助手席にのせて皆をうらやましがらせたいはずだろう」という見立ては、私達の学生時代であれば大方外れてはいない。ここまで露骨に本音を語るかどうかは別として、多かれ少なかれ共感できる価値意識だったと思う。だが、今の時代の若者は、これに共感する人が本当に少なくなっていると言わざるを得ない。


そもそも、「いい女」もクルマに反応しないし、クルマのような閉ざされた空間で二人で長く過ごすことを苦痛に感じる人も多そうだ。車を持っていても仲間がうらやましがらせることもできないだろう。そんなお金があればもっと楽しいことが他に沢山あると感じる人もまた多いと思う。個人の低劣な欲望の為に貴重な資源を浪費して環境を汚すことなど許せないという人も少なからずいそうだ。そこまで強い主張を表に出さないまでも、このようなライフスタイルがクール(かっこいい)と思う人はもうあまり多くはない。若者なら恥ずかしがらずに本音に正直になれよ、という徳大寺氏の大人のメッセージにも、若者(だけではないが)の多くは本当に違和感や不快感を感じてしまうようなのだ。かなり深いレベルで価値意識がすれ違ってしまっている。



建築家の安藤忠雄氏の若者批判


では大人の価値意識を代表する徳大寺氏のような世代には若者はどう見えるのか。今度は12月29日の日付になるが、建築家の安藤忠雄氏(69歳)が若者に対して非常に手厳しい評価を下している。

建築家・安藤忠雄氏「80年以降に生まれた若者はダメ」「70、80の老人が引退したら日本は困る」


だいたい最近の日本人には迫力がない。「自分がこの国を背負っていくんだ」という気概のある人がどこにいます? 迫力のあるのは70、80の老人ばかりで、彼らがこの世を引退したら日本は相当に困ると思う。


痛いニュース(ノ∀`) : 建築家・安藤忠雄氏「80年以降に生まれた若者はダメ」「70、80の老人が引退したら日本は困る」 - ライブドアブログ


大人から見ると、今の若者はいかにも頼りなく見えることだろう。特に昨今日本でも、非常にハングリーで消費意欲丸出しの中国の若者に接触する機会も多くなってきて、日本の若者とのあまりの違いに唖然としてしまうことは多いはずだ。どちらかと言えば、こういう中国等のハングリーな若者に自分たちの若い頃の姿を重ねて見てしまうのではないだろうか。



大前研一氏の嘆き


同世代で歯に衣を着せずに大胆な本音発言をする人と言えば、コンサルタントで評論家の大前研一氏(68歳)がいる。一昨日、近著の『お金の流れが変わった!』*1を買ってきて拝読したが、相変わらず、欲望をなくし海外に雄飛することを嫌い日本国内に自閉してしまう若者(というより日本人全般)に対して非常に手厳しい。具体的にはこんな感じだ。

ひとむかし前は、いったん海外に派遣されたら何十年も帰国できないのは当たり前だった。それでも日本のビジネスマンはみな意気に感じ、現地に骨を埋める覚悟で異国の地に片道切符で乗込んでいったものである。そういう時代を知っている私には、今の若者の腰の引け具合が歯がゆくてたまらない。


 ギラギラ、ガツガツしていない現代の若者を「草食系男子」と呼ぶようだが、私の目には若者だけでなく、日本人全体が「草食系」になったように映る。私は数年前に、若い世代の欲望が急速に希薄化しているのに気づき、彼らを「ミニマム世代」と命名した。家も、車もパソコンもいらない、結婚もしたくないという彼らは、将来にまったく期待していないし、希望がもてなくなってしまっている ー 当時そう分析した彼らの症状が、いまは日本人全体に広がってしまっているといっていいだろう。 同書P240

ドカ貧となる恐れも十分にある


ここに挙げた三氏とも、戦後の日本の資本主義社会における成功者であり、その自信と強い自負を持ってすれば、戦後の日本の発展を支えた日本人の「意気」や「ハングリーさ」、いわゆる「エートス」が希釈化しつつある現状を歯がゆく感じるのも当然だ。


一方でリーマンショック後のいわゆる『行き過ぎた資本主義批判』という文脈の中では、大前氏のようなグローバルな資本主義における成功者タイプには風当たりが強くなっている。もちろん、実際の発言の中味や具体的な提言を吟味もせずに荒っぽいレッテルが貼られているきらいもあり、多分に気の毒な部分もあるし、この『行き過ぎた資本主義』に対するアンチテーゼとして、社会主義的な施策(郵政の再国有化等)が復活してきて来ているのを見ると、こちらのほうがはるかに問題だと私には思える。


好むと好まざるに関わらず、経済はすでにグローバル化し、各国政府のマクロ政策も思うに任せない。経済それ自体を外在的な生き物のように客観的に、時には冷徹に分析する姿勢は重要だ。社会主義的な政策を補填する予算の裏付けとしてさらなる赤字国債の発行が行われているが、このような「無策の策」を盲目的に続けていると、大前氏が指摘するように、遠からず金融市場から制裁を受けることになりかねない。巨額に膨れ上がった国債の大暴落→デフォルト・預金封鎖ハイパーインフレーションというシナリオがいつ現実にならないとも限らない。そうなれば、日本も、ギリシアやアイスランドのように『ドカ貧』の悲惨な世の中になってしまう。



経済で対処すべきこととできないこと


興味深いのは、「行き過ぎた資本主義」でも「社会主義」でも若者は置いていかれていることだ。(大前氏が言うように、この若者は「日本人」といいかえてもいい。)社会主義的施策の行き着く先の「ドカ貧」は論外としても、大前氏がいくら「日本人よハングリーさを取り戻し海外に雄飛せよ」と激を飛ばしても、今の日本人、特に若者の多くはそれに反応するようには思えない。どうしてなのか。その答えは、今の日本の「不幸」は経済中心の旧来の日本人の価値観では解くことのできない「不幸」だからだ。誤解のないように断っておくが、私は経済合理性を否定しているのではない。世界が常識として受け入れているレベルの経済合理性にまで独り背を向けることは、地球に引力があることを否定するに等しい。だが幸福は経済の上位概念であることを忘れるべきではない。



価値を問い思想をすることをなおざりにした日本人


価値を問うには、各自が自分で考え、考えた人同士が議論を重ねることが不可欠だ。それはすなわち『思想』の問題でもある。必ずしも明確な形にならないかもしれないが、ダイヤモンドの原石のような『概念』が思索や議論の中から生まれてくる。そして、それを現実を変える力とするために昇華し、わかりやすく定義し直して、多くの人の共通認識とする。そういう不断で地道な作業が不可欠だ。だが、特にバブル期以降、日本の思想は衰退の一途をたどった。「価値」や「思想」を問うことを過度になおざりにした。結果、思想をしない多くの大人達には経済以外に語るべき価値もなければ言葉もない。若者も、大人から押し付けられる価値に対峙して自らの価値を語るすべを知らない。さらに言えば、今起きている問題の本質を把握することもできない。かわりに、「経済成長」や「社会主義」等で大雑把に理解し、解決しようとして、『滑って』いる。



経済の競争に勝つためにこそ


大前氏の『お金の流れが変わった!』にも例があるように、世界シフトを打ち出しているパナソニックでも、海外勤務をしてもよいと答える人は少ないという。だから、パナソニックは、2011年度の正規採用1390人のうち、日本人枠は290人で残りの1100人は海外で採用するという。大前氏は、日本の若者は『なにクソ!」と奮起して欲しいと述べる。私の上の世代には、まさにこの気概にあふれた人も多くて、単身赴任で海外に何十年も住んで現地での企業の地位向上に貢献した人も沢山いた。だが、その結果、家族が崩壊したり、地域コミュニティーからもはじき出され、はては企業が海外活動を縮小すると共に、居場所をなくしてしまったり、という事例も実は非常に沢山ある。両極端のどちらかを選べということではない。こういうことを全体として熟考し、その熟考の結果何らかの対処をするという作業を日本の企業人は明らかに怠ってきた。ある意味では、国際経済競争に勝ち抜くためにも、「成熟した社会のあり方」という経済一元では解けない課題にもっと正面から向き合う必要があったということだと思う。



価値を問い自分の言葉で語ること


私の周りでも、海外に行きたいという人はどんどん少なくなっている。たぶん、若い人ほどそうだ。だが、一方で、マイケル・サンデル教授の『白熱教室』の非常な人気に見られるように、『価値』を問い、考えることに対する関心が高まる兆候は見られる。大人の側も、自らの価値観を棚卸しして、成熟社会を迎える日本の『幸福のあり方』をもう一度自分の言葉で語る努力をして欲しいものだ。『国際競争に勝って自分たちだけでも生き残るために海外勤務をしろ』とけしかけても若者は反応しないかもしれないが、海外勤務を通じて異文化と深く交流することで成し遂げられる成長実感や、現地コミュニティーに入ることで得られる感動等をそれを体験した大人が自分の言葉で語れば、若者の中にも共感する人はきっといるはずだ。本当に必要な教育の核も明確になって行くだろう。日本が本当に立ち直るためには、このような意味での産みの苦しみが今どうしても必要なのだと思う。

*1:

お金の流れが変わった! (PHP新書)

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