『崩壊』はポジティブなキーワード?『2011年新聞・テレビ消滅』


佐々木俊尚氏の確信


佐々木俊尚氏の新刊、『2011年 新聞・テレビ消滅』をやっと読み終わった。今回はスピードを上げて読み切るということはせずに、使われているキーワードや事実もできるだけ丁寧にネット情報等を参照して確認しながら、じっくり読んでみた。部分的には、佐々木氏の有料メールマガジンや、ネットや雑誌の記事で取り上げられた既読の内容も少なくないが、その素材を使いつつ新書として再構成された本書は、全体として非常にスリリングなストーリーに仕上がっており、一度読んだはずの個々の記事にも新たな意味が発見できる気がする。


新聞とテレビ、旧メディアの王者が、2011年という特定の時期に消滅するというタイトルは、インパクトの強い『釣り』にも見えるが、内容を読むと、従来の著書以上に非常に自信を持った語り口だ。少なくとも、現在の形での新聞、テレビは『消滅』する(そして違ったものになる)ということに今の佐々木氏は強い確信を持っている事がわかる。



この1年間の愕くべき変化


今回同様、『既存メディアの凋落』をテーマの一部として取り上げた佐々木氏の著書、『ブログ論壇の誕生』の書評を書いた際、私は、最後に次のように書いた。


一年前には開いていなかった、可能性のウインドウは、この一年の間に次々と開いてきた。おそらく、次の一年が経過するころには、堅く閉じられていたもっと多くの窓が開いているのではないか。このシリーズの佐々木氏の次の著作をそういう期待を持って楽しみに待ちたいと思う。佐々木俊尚氏の『ブログ論壇の誕生』を読んで - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る


あれから、約10ヶ月がたったが、その間、リーマンショックが象徴する金融資本主義の大崩壊、オバマ政権の誕生、100年に一度と言われる世界的な不況の到来等、愕くべき大変革の時期となった。米国の20世紀を象徴するGMクライスラーの経営が破綻し、日本でも、世界一の生産台数を達成して製造業のトップに君臨していたトヨタ自動車の赤字転落が象徴するように、日本の戦後の経済発展を支えた製造業が総じて大苦境に転じた。また、長く戦後を支えた自民党は政権党の座を降りようとしている。もうどんなことが起きても驚かない、という感じだ。こんな時にメディアだけが無風ですむはずがない。今や、誰もがそう感じているのではないか。



読者層が広がっている?


私の周囲の反応を見ると、大変興味深いことに、佐々木氏の読者として中核にいる先端的でネットリタラシーの高い従来の読者より、その次のクラス、すなわち、社会の変化への感度は高いが、必ずしもITやインターネット関連の事情に特別明るいわけではない層の人達の反響が大きい印象がある。最も感度の高い、先頭を行く読者層は、すでに『ポスト崩壊』を視野に入れて、ビジネスチャンスを伺い始めていているのかもしれない。



抵抗勢力


新聞、テレビとも、今の日本のメディアは、米国の状況を先行指標として見る事に非常なリアリティーが感じられるようになって来ている。ただ、今や日本で改革の先頭に経つ誰もが感じているのは、メディアに限らずどの領域でも、変化を嫌う既得権益者、既存のビジネスの体系内での成功者が抵抗勢力となって、変化すること自体を阻むということが、そこら中で起きていることだ。(しかも困った事に日本ではそういう人達が政治を握っている。) 厚生労働省が09年の6月から始めた、薬のネット販売規制など典型例だろう。見栄も外聞も合理性もない抵抗が日本のあらゆる分野の活力を吸い取っている。とすれば、いよいよ崩壊の際に来ると、断末魔の大抵抗があるのではないか。



一回つぶれたほうが・・


佐々木氏も、抵抗勢力一掃を後押しするためにこそ、今は崩壊もやむなし、という姿勢を明確に表に出している。修復ではなく、『崩壊』が必要ということだ。

だから、マスメディアが崩壊したそのとき、日本のメディア業界は一度刷新されるべきなのかもしれないー最近は、まじめにそう思い始めている。もっと単刀直入に言えば、こういうことだ。『一回つぶれた方が良いんじゃないの?』

2011年 新聞・テレビ消滅 P230


業界は違うが、今自分がいる業界と会社の惨状を見るにつけ、ときどきまったく同じことを考えている自分に気づく。大きな混乱があったとしても、一回つぶれたほうが、停滞→衰退しかない現状に比べれば、将来へ向け思い切った再出発ができるように思える。



ポスト『崩壊』


佐々木氏も『つぶれた後』の再生の方にすでに希望を見出している。

業界人はいったん野に放たれて、国民みんなで『マスメディアって必要なの?』ってことを考え直すのだ。そこでやっぱりメディアは必要だ、そうしなければ情報がうまく回らないんだという合意でもできれば、きっと先見の明があるだれかが新しいマスメディアを立ち上げて、そこにまた優秀な人材が集まって行くだろう。でもその新しいマスメディアはきっと、いまの劣化したバカげた日本のテレビ、新聞とはまったく違ったものになっているに違いない。

2011年 新聞・テレビ消滅 P230-231


佐々木氏の強い変革への思いが、一人でも多くの人に伝わることを願わずにはいられない。そして、その思いが、それを受け止めた一人一人にとって、抵抗勢力に屈することなく変革を進めるためのエネルギーとなって行くなら、『消滅』も『大規模崩落現象』も恐れることはないはずだ。


新聞の崩壊が日本に先んじて起きていると言われる米国では、世に放たれた優秀なジャーナリストが続々と個人ブログを立上げ、非常に多くの人の耳目を集めている。メディア・パブ: 新聞ブランドよりもブログブランドが通用する


そして、ブログ、SNSからTwitterに至るまで、新しいシステムを言論の場とする試みが次々と花開いている。たとえば、『ロングテール』で有名なクリス・アンダーセン氏のインタビュー記事を読んでいると、私も正直ワクワクしてくる。POLAR BEAR BLOG: クリス・アンダーソン曰く「メディアは仕事というより趣味になるだろう」 日本も新しいステージに突入する可能性が出てきているのなら、もはや過去を振り返らず新しい世界に立ち向かい、そこになんらかの自分の痕跡を残してみたいものだ。