デジタル・ネイティブの創る未来像を見据えて

前回のエントリー風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観るで、デジタル・ネイティブのことをあらためて取り上げることを予告したが、早速本日このことついて書いておきたい。




NHKスペシャルで取り上げられたデジタル・ネイティブ


デジタル・ネイティブという概念を米国のガートナー社*1が2006年ごろ提唱していたのは、私も多少記憶がある。1980年以降の生まれで、物心がついた時にはインターネットが存在していた世代が対象で、この世代が本格的に社会に進出し始めると、市場や企業の構造が大きく変化する可能性がある、という主旨の指摘だったと記憶している。(一番始めにこの言葉を使ったのは、アメリカの作家、マーク・ブレンスキーなのだそうだ。)最近、日本でこの概念が注目を集めたのは、08年11月10日に、NHKが番組(NHKスペシャル)で取り上げたからだろう。*2 去る1月10日には、この内容に若干の加筆を得て、新書が出版された。*3



感動的な未来像


私自身はテレビ番組は観ていないが、この本、および数多く書かれたブログ等の関連記事で、ほぼ主張のアウトラインは掴む事ができた。番組の視聴者は、おそらくさほどインターネットの事情に明るくない、40〜50歳代が対象と考えられ、NHKらしい構成の番組に仕上がっているようだ。13歳にしてすでに自分で開発したカードゲームを販売しているカリフォルニア在住のインド系の少年、インターネットカフェで始めてインターネットに出会い、インターネット講座でアメリカの大学を卒業したアフリカの青年など、劇的かつ感動的な事例が取り上げられている。日本人としては、『株式会社はてな*4 の社長である近藤氏が出てくるが、その他取り上げられる日本人も、Facebookに実名で登録して世界に人脈を広げる大学生など、インターネットに当初から期待された理想的な利用のされかた、国境を超えたコミュニケーションとコミュニティ構築が実現しつつあり、そこには国籍や民族は関係がない。このことが番組のプロデューサーが自身最も感動し、伝えたかったポイントのように感じる。



英語が必須?


確かに、特に9.11以降は、国境、宗教、人種、文化等により世界が分断されていることを、いやでも意識させられてきたこともあって、インターネットをあたりまえに使いこなす新しい世代が、これらすべてを超えて、コスモポリタンの理想を実現しつつあるように見える様子は大変感動的だ。だが、これは、共通言語である英語でコミュニケーションできることが前提ではないか! だとすると、日本のデジタル・ネイティブは来るべき世界に取り残されてしまいかねないことは、日本人なら誰でも懸念するところだろう。私が大学生のころも、TOIECのスコアーは、日本や韓国は英語と文法の構成が違うことも災いして、アジアの中でもダントツに低いと言われたものだが、内田樹氏によると、今は平均的な大学生新入生のTOEICスコアーは350点くらいであろうというから、*5 どうやら一段とレベルは低くなっているようだ。これでは、巨大な英語世界が大同団結する中で、日本は一人孤立する、というシナリオになりかねない



『世界観』や『価値観』は同じ


では、日本は蚊帳の外か、というとそうでもない。少なくとも、インターネットを水や空気のように感じて来た世代の共通の『世界観』や『価値観』という意味では、日本の若者にも充分に当てはまる。それどころか、ケータイを子供のころから駆使する日本では、『人と人とのつながり』や『コミュニケーションのありよう』の変化、という点では、世界のどこよりも先鋭的な進化を遂げていると言ってもいいかもしれない。インタビュー等からも異口同音に語られるデジタル・ネイティブの特徴をピックアップすると、おおよそ以下のようになりそうだ。


・インターネットの世界と現実の世界を区別しない


・相手の年齢や所属、地位や肩書、評判等に左右されない


・情報は無料と考えている


・大企業に入れば一生安泰とは肌感覚としてまったく常識ととらえていない


・コミュニケーションや繋がり方に関してより多くのバリエーションを持つ


・徹底的にオープンな情報共有


・総じて物質的な欲求が少なく自分の好きな道を追求する傾向が強い


・時間や場所の制約を嫌う


企業も社会も激変する



日本企業を含む、近代の資本主義国家における企業組織は、企業内と企業外を厳格に分け、その閉鎖空間の中で、上位下達の官僚組織を創り上げてきた。特に日本では大企業ほど従業員の転職も少なく、家族を含めた企業一家をつくり、その仕組みが80年代までの製造業の垂直統合の仕組みと非常に相性が良く、発展を遂げてきた。 しかしながら、IT全盛の時代になると、終身雇用や、年功序列といった日本の制度や閉鎖性は、特にITとの相性が悪く、日本の企業や省庁へのITの浸透を阻んできた。(経済学者の野口悠紀夫氏による考察は参考になる。*6 )  


だが、上記のような特徴を持つデジタル・ネイティブの存在を勘案すると、日本でもいよいよ変革が起きてくると言わざるをえない。しかも、その変革の方向は世界的な潮流と同じだ。 旧世代は、時を追うごとに企業だけでなく、社会の仕組み自体を変革すべく挑戦を受けていくことになる。逆に、一刻も早く組織や仕組みの変革を行った会社は、優秀な人材を社内に留め、競合力を上げることができるということでもある。旧世代が一番挑戦を受けているのは間違いない。


さらには、消費者としてのデジタル・ネイティブがマジョリティーになれば、(まだ因果関係につき必ずしも確信を持てない部分もあるが)、 自動車離れ、 テレビ離れ等もいよいよ進む可能性もある。少なくとも旧来の姿に戻ることはあまり期待しないほうがよさそうだ。



日本のソフト・パワーは世界に浸透


また、 日本は世界との交流ができず、相互に影響を与え合うことはできないで、孤立するのか、という点についても、そうでもないと考える。


前回も取り上げた、*7 日本大使候補のジョセフ S. ナイ氏の言う、『ソフト・パワー』の源泉は、第一が文化で、他国がその国の文化に魅力を感じることが条件だ。このソフト・パワーが強ければ、その国への好感度が増して、 影響力、外交力が厚みを増す、というわけだが、確かに、ヨーロッパの歴史、特に大英帝国(イギリス)の歴史を読むと、その実例を沢山見つけることができるように思う。例えば、インドなど、イギリスの植民地として虐げられていたのに、英語やイギリス文化は大いに受け入れていて、しかもそれをエリートのたしなみとして誇りにしている様子もある。思えば日本人も、戦後アメリカのポップカルチャーに親しんできた結果、世界のどこよりアメリカへの親近感を強く感じるようになってきたのではなかったか。


その点、アニメ、漫画、ゲーム等の日本のポップ・カルチャー(サブ・カルチャー)は、アジア、米国、欧州に加えて中東にまで拡大している。(中東のイスラム圏のサッカー少年たちが、『キャプテン鷹』 *8 に熱狂する姿を想像すると、日本人の私達も、彼らに親近感を感じてしまう。) 05年時点で、世界で視聴されているアニメの約6割が日本製というデータもあるという。アニメだけではなく、ポップカルチャー全般に、普通の日本人が驚いてしまうほど世界各国の若年層に浸透している。景気が後退しても、この構造は基本的には変わらないはずだ。世界のデジタル・ネイティブの心に、日本のポップカルチャーはしっかりと届いているわけだ。




課題は言語によるコミュニケーション能力


こうしてみると、日本の最大の問題は、世界に伍して、言語の力を駆使してコミュニケーションをしていく人材が不足しているし、これからも不足気味と考えられることだと言える。(その中に英語の問題も含まれるがそれだけではない。)  逆にそれがあれば、日本のデジタル・ネイティブのポテンシャルはけしてすてたものではないし、世界の中での日本の未来についても悲観的になることはない。はてな近藤社長のような新世代のリーダーのさらなる出現を期待しつつも、旧世代こそやれることがたくさんあるように思う。私達も、もうひとふんばりしないといけないようだ。