平成30年版情報通信白書読書会/敗北の兆しと希望の消失

 

 

 

先日(8/6)、国際大学GLOCOMに於いて『平成30年版情報通信白書読書会』が開催されたので出席してきた。

 

 

イベントの概要

www.glocom.ac.jp

 

 

概観(感想)

 

◼︎ 明らかになってきた大変な現状

 

 

本年のこのイベントは、ここ数年と比較して異例といっていいタイミングおよび環境下で行われた。というのも、白書が例年より早い段階でリリースされ、しかも、アマゾンで無料公開されたこともあり、一足早くそのデータの分析に着手してコメントを述べたブログが非常に大きな話題となり、そのこともあって、情報通信白書自体が『話題の書』となって、大量にアマゾンからダウンロードされることになった。

 

 

そのブログ(永江一石のITマーケティング日記)の記事とその後に飛び交った議論、および今回の説明をあらためて聞いた上で、見えてくる日本のICTに関わる『現況』を一言でまとめれば、次のように言い表せるように思う。

 

『迫り来る本格的な敗北の兆しと希望の消失』

 

話題になったブログの筆者の永江氏にも、私を含む多くのウオッチャーにとっても、昨今では、ICTに関わるあらゆる局面で、ほとんどの日本企業が抜き差しならないほど米国や中国等の先進企業に遅れを取っていることは共通認識となりつつあるわけだが、白書のように比較的、冷静で抑制のきいた文書からでさえ、どうにも言い訳のしようがないほど、そのことが見えてきてしまう。

 

 

◼︎ ICTの導入自体進んでいない

 

 

日本生産性本部が2017年12月にリリースしたレポートによれば、日本の時間あたりの労働生産性は、OECDに加盟する35か国中20位で、先進7か国の中では最下位だったという。しかも、データの取れる1970年以降、37年連続で20位前後に留まり、先進7か国中最下位の記録も更新し続けているという。*1

 

 

少子高齢化のトレンドが不可避となった日本では、生産性の向上は、他のあらゆる経営課題の中でも最優先で取り組むべきものの一つであることは言うまでもなく、その対策としての有効性が最も高いと考えられるICTの活用もまた不可避とされているはずだ。今回の白書では、その具体的な取り組み事例の一つとして昨今話題にあがることの多い、『テレワーク』の導入に関して多くのページを割いている。特に『テレワーク』について言えば、子育てや家事に忙殺されがちな女性の労働力の活用を促進するという意味でも有効で、社会的な期待度も高い。

 

 

だが、活用どころか、ビジネスICTツールの導入自体が、海外と比較して日本は非常に低く、遅れていることが調査結果でも明らかになっている。『テレワーク』についても、積極的に導入した企業はその成果を実感しているにもかかわらず、そもそも導入自体に消極的な大多数の日本企業の姿が透けて見えてくる。

 

 

 

比較的ICTの導入が進んでいる企業でも、日本企業の場合、既存の業務慣行や組織構造をそのままにしたままで、業務効率向上のみを意図する導入が多数との印象がある。だが、ICTを最大限活用するためには、今日のデジタル化/ICTが持つ爆発的な威力(指数関数的に進化する関連技術利用のためのベースづくり、ビッグデータ利用の極大化、外部経済やオープンモジュールの最大活用等。人工知能ブロックチェーンも当然その中に含まれる)を理解して、組織もビジネスモデルもそれに合わせて持続的に変革していくことが必要だ。そのことを理解して、短期間に爆発的に成長したのがGAFAGoogleAppleFacebookAmazonの頭文字を集めた呼称)であり、ユニコーン企業(評価額が10億ドル以上の未上場のスタートアップ企業)ということになる。現在中国企業からは続々とユニコーン企業が誕生しているが、日本企業の姿はほとんど見られない。世界の競争は『デジタル化/ICTの爆発的な威力』の活用を巡って繰り広げられているが、恐るべきことに、日本企業のほとんどはその土俵に乗るどころか、最も基本的な導入や利用自体、他国と比較して大幅に遅れていることがわかる。世界の先進企業と比較すると、周回遅れどころか、何周も遅れていると言うしかない。

 

 

◼︎ 経営者の高齢化との相関

 

 

では、どうしてそんなことになってしまったのかと言えば、これも永江氏がブログ記事で述べている通り、日本の経営者がますます高齢化してきていることと無縁とは思えない。永江氏の分析の中にも出てくるが、東京商工リサーチの調査によれば、2017年の全国の社長の平均年齢は前年より0.26歳のびて、61.45歳となり、調査を開始した2009年以降で最高年齢を更新したという。また、減収や赤字などの業績悪化と社長年齢を比較すると、業績悪化と年齢上昇に一定の相関があることもわかったして、高齢化がビジネスモデル革新や生産性向上への投資意欲を抑制し、業績悪化に拍車をかけているようだ、とも述べている。*2

 

白書の調査でも、60歳以上では、はっきりとICTリタラシーが落ちることが示されている。

 

 

もちろん、経営者の長年の蓄積と経験がまったく役に立たないとまで言い切るつもりはないし、様々な局面で彼らの判断力が生きるケースはあることも否定はしない。テレワークやメールあるいはSNSより、対面コミュニケーションが重要、というようなよく出てくる意見についても、そういう局面もあることを認めるのはやぶさかではない。だが、今世界で起きていることを勘案すると彼らにとって不幸なことに、タイミングが悪すぎる。世界ではICT分野を含む幅広い分野で革命的と言っていいほど日進月歩で技術が進歩しており、その理解と活用の度合いが企業の業績および将来の生き残りの成否と直結してしまっている。そういう意味では、日本の場合、最悪のタイミングで経営の高齢化/硬直化が起きていると言わざるをえない。

 

しかも困ったことに、いまだに転職すると、よほど本人の才覚や運がなければ通常は生涯年収が下がる構造が残り、終身雇用的なセンチメントが濃厚に残る日本では、上位者の横暴に下位者が逆らいにくくなっているだから、内部では、抑圧された不満が高まっている組織が今では本当に多くなっている。その不満が暴発するような形で表に出てきているのが、昨今の日大アメフト部の事件や、ボクシング協会の会長への不満、あるいは頻発する各種スポーツ界のセクハラやパワハラ告発なのだと思う。体育会カルチャーは旧来の日本企業にも深く浸透しており、日大アメフト部で見られた構図は多かれ少なかれ日本企業ならどこにでもあることは、日本企業の中にいる人ならだれでもわかっているはずだ。

 

 

だが、そうであれば、そんな古臭い経営者に見切りをつけて、起業して自分の会社を起こせばいいだろうということになるが、これは古くて新しい問題で、日本では、米国や欧州と比較して、企業のリスクが高すぎる。破産した場合は非常に過酷で、やり直すことは事実上不可能と言っていいほど難しいし、世間の冷たい視線も痛い。資本市場は弱く、起業家に対する世間の評価が低いこともあって良い人材を集めることも難しい。日本の若者にとって、相変わらず大企業に入って一生安泰に過ごすことが一番リスクが小さく、総合的な経済価値は大きく、世間体も良いとの認識は少しも揺らいでいない。

 

 

◼︎ SNSを利用せず人を信用しない日本人

 

 

ただ、そのような不自由な日本社会においても、インターネット、特にSNSのようなツールの利用で、様々な人との『つながり』を広げるチャンスが生まれ、特に、地域コミュニティも、企業コミュニティも衰退の一途にある現在では、これを補完する役割としてのインターネットに対する期待も非常に大きく、ここ何年か白書もそれを理解した上で、様々な分析軸を探求してきたと言える。

 

ところが、その点でも実情は悲惨で、日本では、インターネットがそのような『つながり』を広げるためのツールとしては、ほとんどと言っていいほど利用されていないことが白日の元にさらされてしまった。それこそが、永江氏が一連の記事の先頭に、今回の情報通信白書を元に分析してまとめて、世に多大なインパクトを与えた記事だ。

平成30年版情報通信白書による、日本人はソーシャル全然利用してないの図とその理由 | More Access! More Fun!

 

 

 

永江氏の記事、およびその根拠となっている情報通信白書の該当部分をあらためて見ると、日本でも使われている代表的なSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス。不特定多数とのコミュニケーションが可能)である、FacebookTwitterは、実際に使っている人は、3人に1人、そのうち、自分から発信している人は、わずかに、Twitterで23%、Facebookは17%しかいない。実際にトラブルに見舞われた人は海外との比較でも非常に少ないのに(4人に1人以下。米国では4人に3人!)リスクを過剰に恐れ、オフライン、オンラインを問わず、人に関する信頼度が他国と比較して著しく低い。これでは、SNS利用による社会的な意味での成果はほとんど期待できないとしか言いようがない。活用しているのは、一部の『エリート』『勝ち組』のみ、というのが実態のようだ。しかも、『勝ち組』にとっても、日本のSNSの使用に関わる環境は良好とは言えない(炎上や誹謗中傷の多発等)。今になって、経営コンサルタントのクロサカタツヤ氏の『SNS決別宣言』が思い起こされてくる。*3

 

 

 

◼︎ しぼむ<夜の世界>と希望の消失

 

 

思えば、インターネット本格導入後、日本の若者にも日本なりの活力とパワーが漲っていた時期もあった。欧米のケースとは全く違うが、インターネットの利用に関しても、日本独自の活用が爆発的に広がっていた。日本では、政治や経済/ビジネスでの利用より、サブカルチャーやアングラ的な利用がそれこそ過剰なほどに広く深く浸透し、実際、他国ではあまり見られない日本独自のインターネット関連のサービスを続々と生み出していた。(2ちゃんねるニコニコ動画、pixiv、モバゲー等)そして、ある種の『日本的な生態系』とでも言える世界が怒涛の勢いで広がっていた。この状況について、かつて評論家の宇野常寛氏は、『〈夜の世界〉(=サブカルチャーやインターネット文化)の想像力が、〈昼の世界〉(=政治や経済)を呑み込み、21世紀の〈原理〉となる』とまで述べていた。*4 私自身、この<夜の世界>の想像力/パワーこそ、<昼の世界>で衰退が進む日本の起死回生の反撃を可能とする母体となりうると考えていた。

 

 

しかしながら、そのパワーもいつの間にか風船から空気が抜けるように萎んでしまった。<昼の世界>の秩序を危うくしかねないような、<夜の世界>の『無法で怪しいが新しいものを創り出す旺盛な活力』もすっかり失われ、<昼の世界>の秩序の中に組み込まれてしまった。<夜の世界>の主役だった『荒ぶるオタク』も、すっかり大人しい、いい子になり、それでも不満をためて棘が抜けない一部は、『ネトウヨ』等に身をやつすことになってしまった。そのことと、今回の調査結果とはリンクしていると考えられる。そして、私には日本に残されていた希望が『消失』してしまったように見えてしまう。

 

  

◼︎ 対応策

 

 

ではどうすればいいのか。

 

この問いに答えることが、今非常に難しいことを覚悟の上で言えば、何よりまず、現状の正確な日本の姿を可能な限り多くの人と共有して、問題の本当の所在を明らかにすることが第一歩だろう。現状の最大の問題点の一つに、真に解決すべき点について意見がまとまらず、それどころか、社会が分断されつつあるため、基本的な議論さえかみ合わなくなっていることがある。

 

会社の異動(転職)が不利にならないような制度設計にあらためて根本的に取り組むことも不可欠だ。黙ってそこに留まるのが一番得、というような現状が日本中で日大アメフト部の学生のような『気の毒な人達』を大量生産していることはやはり現代の日本の構造的な欠陥というしかない。劣化した経営者にNOを突きつけるために、日本の場合、株式市場も社外取締役もほとんど機能しないことはもはや明らかになった中、優秀な人材が大挙して企業を離れることほどインパクトのある行為はない。

 

東京医大で発覚したような構造的な男女差別の徹底的な払拭も、この際、本気で推し進めた方がいい。男女差別は、実のところ企業を含む日本社会の隅々にまで浸透しているが、これは結果的に女性の能力を生かせないという意味で、企業業績の足を引っ張り、ひいては日本の国力の衰退につながる。だから、建前では女性の活用を目標に掲げる企業も増えているが、『そうはいっても本音のところ難しい』、というのが大抵の経営者の言い分だろう。現状の組織や経営手法をそのままにしていれば、難しいのが当たり前だが、海外企業のように徹底して取り組めば女性の力が大幅に引き出せることは数多の実例が示している通りだ。

 

 

例えば、テレワークもそうだが、男性の出産休暇等を本気で導入しようとすれば、姑息なパッチワーク的な施策ではすまず、徹底的な改革が不可欠になる。だから、経営者の言い訳を封じ、本気で取り組ませる必要がある。そのためには、『ポリティカル・コレクトネス』を連想して少々気がひける部分もあるが、セクハラやパワハラは社会的に決して許さないという強い姿勢を示していくこともあらためて必要かもしれない。いずれにしても、もはや日本には後がないことを認識する必要がある。

  

まあ、ここでそのような意見を断片的に述べたところで、真意も伝わらないだろうし、ありきたりで、蟻地獄のような出口のない議論を延々と繰り返すだけになる、とのご批判もあろうかと思う。この点、あたらめてもう少し自分の思考を整理した上で、提言としてまとめて見たいと思う。また、ご参考に過去に私が各年の情報通信白書についてまとめた記事を貼り付けておくので、よろしければ参考にしていただきたい。

 

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