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情報通信白書を読んで考えてみたこと

 情報通信白書 読書会


先日、国際大学GLOCOMで行われた、『平成28年版情報通信白書』読書会に参加してきたので、それをきっかけして考えたことをここにまとめておこうと思う。


イベントの概要は下記の通り。


<日時>
2016年8月10日(水)15:00〜17:00

<講師>
柴崎 哲也(総務省情報通信国際戦略局情報通信経済室長)

<コメンテータ>
砂田 薫(国際大学GLOCOM主幹研究員/『情報通信白書』編集委員

<会場>
国際大学グローバル・コミュニケーション・センター

『平成28年版情報通信白書』読書会【公開コロキウム】 | 国際大学グローバル・コミュニケーション・センター



 気づきを得ることができる白書の読書会


情報通信白書のような資料は、毎年同時期に発表される最新の総括的なデータ集として、多数のデータの束で切り取られた現在を一覧し、同時に、昨年との差分に注目することで、その背景にある動向を知るきっかけとして大変重宝することもあり、ここ数年発表されると同時にチェックすることにしている。


このような分厚い白書を読み込むにあたっては、自らの先入観や思い込み、勘違い等が妨げとなってしまい、それを是正するどころか強化してしまうことも少なくないため、読書会のような場を設定していただけることは非常にありがたい。白書の編集責任者の作成の意図や方針、あるいは裏話等が補助線として大変参考になることは言うまでもないが、時にはそれ以上に会場の参加者の質問にハッとさせられることも少なくない。幸い今回もそのような貴重な気づきを得ることができた。この場を借りて感謝申し上げたい。



『常識』が妨げになる?


今回は、従来の白書と比較しても、その取扱い範囲はかなり拡大されており、AI(人工知能)、IoT(モノのインターネット)、ビッグデータ等の将来予測にまで言及している。確かにこれらの技術はどれも情報通信技術と渾然一体となりつつある現状を勘案すれば情報通信白書が取り扱うことも必然とも思えて来る。だが、AIにしても、IoTにしても、それぞれに技術的にも、社会の側での需要/受容についても、かなりのレベルの専門性がなければ、そもそも予測を行うこと自体が難しいし、専門家といっても、すべての領域をカバーできるわけではない。加えて、白書の場合、読者の層を狭く限定することはできないだろうから、あまりに斬新な発想を入れることは難しく、どうしても広範囲の読者を相手にして、皆が理解できる程度にまでレベルを調整する必要もあるはずだ。このような前提条件のもとでは、誰が担当しようと大変な労苦を伴う作業となったであろうことは容易に想像がつく。


この結果、やや気になるのは『常識バイアス』だ。常識の範囲内でまとめあげようとの意図が(意識的であれ無意識的であれ)これらの技術の内包する底の計り知れない深淵を覗かせず、議論を穏便な、常識的なレベルに押し留めている印象がある。現代のような破壊的な技術進化の時代には、それ以前の『常識』や『パラダイム』が未来を予測するにあたっては参考にならないばかりか、妨げになってしまうことが多く、それまでの『常識』から如何に自由になれるかどうかで、未来予測の精度は決まるといってもいいくらいだから、これは読む側にとっては見えない壁になりかねない。


『常識バイアス』の実例は、インターネット普及前と普及後を比較すれば、いくらでも見つけることができる。例えば、それ以前の常識が完全に覆った象徴的な事例に、Wikipediaの成功がある。かつては百科事典の類は、専門家によって執筆/監修され、出版社によって発行される一方向からのものであり、それ以外の可能性など想像すらできなかった。だから、当初Wikipediaが出てきて、誰でも執筆や編集に参加できると聞いた時、百科事典と同列に比較すること自体、馬鹿馬鹿しいと誰もが思ったはずだ(恥ずかしながら私もそう思った)。だが、今でも信頼性に問題ありとする意見は根強いとは言え、Wikipediaは規模としては世界最大の百科事典となり、信頼性や正確性でさえ従来の百科事典と比較しても遜色ないと評価されるまでになった。


ソフトウェアについても、従来はマイクロソフトWindowsのようないわゆる、プロプライエタリ・ソフトウェア(ソフトウェアの配布者が、利用者の持つ権利を制限的にすることで自身や利用者の利益およびセキュリティを保持しようとするソフトウェア)が主流であり、その頃は、オープンソース・ソフトウェアは、『市場の片隅で行われている物好きのお遊び』と酷評する向きもさえあったものだが、現在では、軍事や社会インフラなどの高度なセキュリティを要求される特定の分野を除いて、オープンソースの方が主流になりつつある。


このような価値転換を事前に予測することは極めて困難であったが、最大の障害は、その当時の『常識』だったことは、今となっては明らかだ。


今後はインターネットによる変革をはるかに上回るドラスティックな価値転換が起きてくることは確実だ。この価値転換、あるいは、新しい常識の出現につき、何らかの(そしておそらくはかなり斬新な)仮説を提示しない限り、未来予測自体が成立しないと言わざるをえない。そのあたりを白書のような刊行物に求めるのは、過大な期待ではあろうが、一方で大変意欲的な切り口が提示されていて、読む側を非常に刺激する内容であるだけに、期待も過剰気味になってしまう。



 解明しておくべき『シェア』の概念


もちろん、白書にも今後の価値転換の中核とも言える『シェア』等の概念も扱われている。今後はもっと『シェア』が一般的になり、資産保有から資産利用へのシフトが進むと予測している。タクシー配車サービスのUberや宿泊施設・民宿を貸し出す宿泊予約サイトAirbnbの成功もあって、シェアはすでに常識になりつつあるといってもいいのかもしれない。ただ、この『シェア』だが、旧来の『シェア』とは概念自体も、それが浸透するプロセスも、かなり様相が違ってくると考えられる。それを明らかにしておかなければ近未来の価値転換の本質を理解することは難しいように思う。


ある年代以上の人多くは、いまだに『シェア』が新しい常識になるとは本音のところでは信じていない。それどころか、そのような概念は泡沫のようなもので、決して社会に根付くような種類のものではない、という『常識』というか、『信念』を持っている人が多い。従前のインフラを前提とすれば、資産の分配や利用について、市場を介さない(貨幣経済の助けを借りない)『シェア』が機能するとすれば、何らかのコミュニティによる調整機能が必要ということになる。そして、コミュニティの信頼関係、贈与、相互扶助等が『シェア』実現の前提条件となると考えられる。だが、現実にはどんなコミュニティであれ、内部での人間関係の軋轢を避けることは難しく、支配/被支配関係に悩まされ、利害関係の調整に骨が折れ、結局うまくいかないことが多い。だから、結局のところ『シェア』はマイナーな存在であり続ける、それが旧世代の『常識』だ。


だが、今後主流になってくるであろう『シェア』は、既存の市場を補完するプラットフォームが構築され、プラットフォームが介在することで後押しされることになる。『シェア』をめぐる諸相は一変すると考えられる。


 生態系化するプラットフォーム


『WIRED』誌の創刊編集長をつとめ、技術分野の未来予測に関して重要な著作を持つ、ケヴィン・ケリーの新著『<インターネット>の次に来るものー未来を決める12の法則』*1には『必ず起こる未来』が取り扱われていて、『シェア』の本質を考えるにあたっても、非常に示唆に富んでいる。(ケリーは『テクノロジーには、ある方向に向かっていく趨勢していくというバイアスがある』としたうえで、このバイアスを見極めれば、『必ず来る未来』が予測できると言う。)


ケリーが第三世代と定義する最新のプラットフォームは、市場でも組織でもない、何か新しいものになりつつある。その基盤上で他の組織にプロダクトやサービスを作らせ、相互に高いレベルで相互依存する、いわゆる『エコシステム=生態系』が形成される。各プラットフォーマーは、そこにできるだけ豊な『エコシステム』ができて、参加者が増えることで自らの価値が高まることを理解しているから、APIをどんどん公開し、フリーやシェアで使えるものを増やし、サードパーティーがそこで動くプロダクトやプラグインが可能な限り増えるよう、敷居を下げる。そのプラットフォームの持つ性質が『シェア』促進の起爆剤となる。

プラットフォームはそのほとんどすべてのレベルにおいて、シェアすることがデフォルトとなる。ーたとえ競合が基本にあったとしてもだ。あなたの成功は他者の成功にかかっている。プラットフォームの中で所有の概念に固執するのは、「個人の財産」という考え方を前提とするため問題を引き起こす。エコシステムでは「個人」も「財産」もあまり意味をなさないからだ。より多くのものが共有されるにつれ、財産としての意味はなくなっていく。プラットフォームの中で、プライバシーが失われ(個人の生活がいつもシェアされる)、海賊行為(知的財産権の無視)がさらに増えることが同時に起こるのは偶然ではない。(中略)脱物質化や脱中心化や大規模なコミュニケーションはすべて、さらなるプラットフォームを生み出していくことになる。プラットフォームはサービスの工場であり、サービスは所有よりアクセスを好むのだ。

『<インターネット>の次に来るもの』より


さらには、今後は、情報やコンテンツだけではなく、自動車のようなプロダクトでさえ、デジタル情報に還元され、クラウドに蓄積され、利用のためのコストは下がり、個人の所有物という孤立した領域から離れ、AIやその他のクラウドの利点を全面的に活かせるような共有されたクラウドの世界へと移っていくクラウドとAIは一体化し、そのメリットが大きくなればなるほど、デジタル情報化/クラウド化は進むことになる。その結果、資産保有より資産利用のメリットがスパイラル的に向上していくことになる。



 所有からアクセスにシフトする『自己』


これまでは、あるモノ(例えば自動車)を他人に妨げられることなく自由に使うためには『所有』する必要があった。自分が所有するモノには、愛着も出てくるだろうし、場合によっては一種のフェティシズム(物品や生き物、人体の一部などに引き寄せられ、魅惑を感じること)のような感情も湧くことになる。このようなモノをいきなり『シェア』してくれと言われても、いかに経済的な合理性があったとしても、いかに、綺麗に、壊れないように使われたとしても、持ち主は(しばし説明のしにくい)自らの身体を侵食されるような不快な感情を払拭できないはずだ。モノはいわば拡張された自己だったといえる。


ところが、今後は(すでに?)仕事もあらゆる楽しみもすべてクラウド上にあって自分とつながることになる。そうなるとクラウドが拡張された自己になり、そこにアイデンティティーが形成されることになる。ケリーは、拡張された自己は所有するものではなく、アクセスするものになると述べる。そして、十代の娘に約束を破ったお仕置きとして、彼女の携帯電話を没収した友人夫婦の例を紹介している。その娘は気分が悪くなって吐いたという。彼女はまるで自分の体が切断されたように感じたのだ。すでに十代の若者にとっては、クラウドによって得られた快適さや新しいアイデンティティーから引き離されることは恐ろしく耐えがたいことになっていると考えられる。


ここでは、『シェア』は『常識』だが、その『常識』は旧来の延長上にはなく、誰しも想像もできなかったものとして生起しつつある。ここまで踏み込んで初めて、『シェア』の概念を通じて見えてくる未来の本当の意味がわかってくる。


 非貨幣的価値と公共政策の方向


少々脱線が過ぎた気がするが、再び白書に戻ると、今回の白書で、私が最も興味を魅かれ、かつ、評価したいたのは、消費者のICTの非貨幣的価値に言及している部分だ。AIのような先端技術の進化の負の側面として、AIが既存の人間の仕事を次々と置き換えていく結果、その変化についていけずに大量に失業者が出たり、貧富の差が広がり、貧困の問題が深刻になる等の指摘がある。企業主導で技術進化が進む限り、弱者が置いていかれる可能性は常にあるわけだが、これが極端に進む懸念がある。


ところが、一方で、ICTの進化は、副産物として消費者にとっての非貨幣的価値を数多く生むと白書は指摘している。これはここまで述べてきたような、プラットフォームの生態系化が必然的に生み出す副産物ともいえる。白書では、これを経営学者のエリック・ブリニュルフソンの『ザ・セカンド・マシン・エイジ』*2より事例を取り上げて整理し、次のような一覧表を作成して掲載している。


社会で競争が続く限り、技術進化のスピードを押しとどめることは原則難しい。であれば、むしろそれを受け入れた上で、このような副産物を最大限に利用することを検討するほうが賢明だ。近未来の社会政策の中核として取り組むべき課題ともいえる。B to B(ビジネス to ビジネス、企業間取引)あるいは、B to C(ビジネス to 消費者)の仕組みとしてスタートしたはずのプラットフォームは、生態系化が進むうちに、C to C(消費者 to 消費者)のインフラとしての利便性も格段に向上していくであろうことも、この表からも読み取れるはずだ。それはまた、消費者と消費者の交換、すなわち『シェア』が促進されていくことが暗示されているともいえる。


また、現在では、『初期のインターネットの理想や夢』(ヒッピー的な理想主義:相互扶助や贈与で運営されるコミュニティの形成、完全な民主主義の実現等々)から皆が覚めて、あつものに懲りて鱠をふくような空気があるが、ライターのスティーブン・ジョンソンが著書『ピア: ネットワークの縁から未来をデザインする方法』*3で、『コミュニティ内の情報の流れと意思決定をコントロールする力を人にたくさん与えれば与えるほど、社会の健全性が向上する。その向上は漸進的で間欠的だが、確実に起こる』と述べているように、まだ夢のすべてを諦めてしまうのは早計だし、生態系化するプラットフォームはそのような夢の実現を再び後押しする予感もある。企業であれ、公共機関であれ、もっと小さなコミュニティであれ、少数のリーダーに権力が集中しすぎると、ハイエク社会主義体制の中央集権的計画立案者に見出したのとまったく同じ問題にぶつかることになる。意思決定に関与する人のネットワークを拡張して多様化したほうがうまくいくケースはいくらでもあるはずだ。そういう意味ではまだ未踏の領域はたくさん残っている。


このように考えていくと、低所得者や社会的弱者にこのような恩恵が及ぶような政策は不可欠ということになる。会場からの質問にもあったが、白書によれば、年収400万円以下の層のインターネット利用率は低いだけではなく、低減傾向にあるが、これは実に困った兆候ということになろう。次年度の取り組み課題として、この辺りはもっとクローズアップしていくべきだろう。


白書を通じて、私の思考(妄想?)も膨らむだけ膨らんだ感じだが、そのような思考や想像の翼を広げるきっかけとなることは大いに期待してよいと思う。そういう意味でも、この白書を熟読してみることを、あらためておすすめしておきたいと思う。

*1:

〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則

*2:

ザ・セカンド・マシン・エイジ

ザ・セカンド・マシン・エイジ

*3:

ピア: ネットワークの縁から未来をデザインする方法

ピア: ネットワークの縁から未来をデザインする方法