天才編集者のお話は本当に素晴らしかった

  

■ 柿内芳文氏という傑物

 

先日(7/7)、アメリカ出版研究会の勉強会への参加を誘われて出席してきた。それまでの自分の経歴の中ではあまり縁のない世界でもあり、興味津々ではあったが、事前の予想を遥かに上回る、驚くほど素晴らしいお話を聞くことができた。少し時間が経ってしまったが、是非とも何か書き残しておきたいと思っていた。

 

登壇者は、編集者の柿内芳文という人であることは事前に知らされていたが、業界に疎い私は失礼ながらそのお名前はまったく存じあげなかった。だが、当日わかったのだが、柿内氏が編集に関わった本は8割方購入して読んでいたし、そのうち何冊かは、ブログに感想を書かせていただいていた。いずれも非常に面白かったし、他の本とは違う『何か』を感じてもいた。そして、どの本も出版不況の渦中にありながら、非常に多くの部数が売れて注目された本ばかりだ。これらがすべて柿内氏が編集者として関わった本であることを知るにいたって、目の前に座っているうら若い穏やかな雰囲気の人物が、実はとんでもない傑物であることを悟って、襟を正した。

 

業界には疎いと言ったが、実のところ、私も編集者とまったく無縁というわけではない。自分の書いたものをいくつかメディアで発信した際に、何度か編集者と関わりを持ったし、偶然の出会いも含めて、数えてみれば何人かは編集者の知り合いもいることに気がつく。ただ、その多くは出版業界に非常に悲観的であったり、長く硬い文章を読まなくなっている一般読者の目線ばかり気にしていたり、妙にマニアックであったり、面白い人たちではあっても、『書籍を売る目的を追求する職業人』という枠を超える人にはお目にかかったことがない。だが、柿内氏はその誰とも違っている。年の頃は40代初めくらいだろうか、見た目はそれ以上に若く見える。それなのに、老成した哲学者然とした、底が知れない雰囲気がある。この人の前に出ると、より年長でしかも大学も先輩に当たるはずの私がドギマギしてしまう。それが多数の販売部数を誇る天才編集者だからなのか(天才編集者なら誰でもそうなのか)、それとも柿内氏が特別なのか、業界に疎い私には、どちらとも言い難いのだが、いずれにしても、非常に異彩を放つ人物であることは間違いない。

 

 

この本を全部担当?

 

取りあえず、この人の関わった(そしてこの日お話の対象となった/特に私の印象に残っている)書籍を下記に並べてみる。私ならずとも、この人が只者ではないことを知ることができるラインアップのはずだ。

『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』*1

ウェブはバカと暇人のもの*2

『99.9%は仮説』*3

『若者はなぜ3年で辞めるのか?』*4

『嫌われる勇気』*5

『漫画 君たちはどう生きるか*6

 

私もブログで書評もたくさん書いて来てたから、本を読んだ時に、その本のコンセプトは何か、それはクリアーに伝わって来たか、従来にない何か(価値)を提供してくれるか、というようなことは意識する癖がついている。本も普通の人に比べるとかなり多くを読んでいる方だと思う。だが、何がしかの書評を書いておこうと思う本はほんの一握りだし、まして、熟読して読書ノートをつけて、繰り返し読むような本は稀だ。だからこそ、今回驚いてしまったのだが、柿内氏が編集した本はいずれも、私が『繰り返し読むに値する本』のカテゴリーに入れた本ばかりなのだ。どれも、それまでにはない、練りこんだコンセプトが、実にクリアーに伝わってくる。

 

優れた著者として認めた人の本は出来る限り全部読むというタイプの読書は、私も昔から繰り返して来た。そして著者に関しては、そのような『私的殿堂入り』は何人もいる。だが、著者ではなく、編集者とという観点で全部読むという読み方があることを、不覚ながら今まで私は考えたこともなかった。そして、それは、優れた編集者とは何か、優れた編集者の仕事とは何かを知らなかったということでもあり、不勉強な私の目から鱗が剥がされた思いだ。

 

 

当日のお話の断片

 

では、当日の柿内氏のお話から、私がメモすることができた内容を以下に列記してみる。あくまで私がメモすることが出来た内容であり、ここに書ききれていないお話も沢山あったことはお断りしておく。

 

『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』に関して/新書とは何か

 

『さおだけ屋はなぜ潰れないか?』を読んでもそれだけでは(この本のテーマである)会計はわからない(わかるはずがない)。ただ、読者に、会計に興味を持たせることはできる。 一般人に『接点』を知らせることが新書の役割。 本当にわかるためのものではなく、エント ランスの役割。 新書に対するスタンスを明確に出来て以降は、新書の編集がうまくいくようになった。

 

一時期新書ブームがあった。皆、安易な気持ちで新書に入ってきたため場が荒れた。新書の根本的な存在理由が理解されていなかった。新書は軽く見られている。 本来新書はライフが長い。そこをちゃんと見ていない人が多い。新書は知への架け橋。川に架ける橋の役割。岩波新書は権威化しすぎ。できた当初はそうではなかったはず。 ずっと違和感を持っていた。教養は武器と捉えている。若年層に対して、武器としての教養を提供したい。

 

『嫌われる勇気』について

 

『嫌われる勇気』はアドラー心理学を扱っているがこの本が『心理学』のコーナーに置かれてしまっては売れないと思っていた。この本は、古典をつくろうという企画であり、そういう意気込みで取り組んだ。 20年後も売れ続けていること、世界中で売れることを目指した。(そうなりつつある。)

 

堀江氏はまさにアドラー的な生き方をしている。 サービス精神が旺盛。 新しいものばかりが良いのではなくて、世の中に伝わっていないが良いものをどう伝えるかが 重要。 そういう意味での知の入り口を若い人に提示したい。

 

出版社/編集者の役割

 

出版社とは、たった一人の頭にやどる知識、思想を公共財にする存在。 文化的遺伝子の爆発をお手伝いする役割。 爆発した後は、出版社の手には負えない。 『書き手の狂気』『狂っている人』を扱いたい。知名度はあまり関係ない。基本的 に無名の人を相手にしたい。 狂気を持っている人の強い言葉をそのまま出せれば売れる。 平均的な、バランスを取っている表現は、狂気が足りず面白くない。

 

ライターについて

 

ライターは翻訳家。 著者の頭の中を翻訳して文章を書く仕事。 日本では、ライティングは過小評価されている。

 

編集者の心得

 

やることについては、常に必ず言葉にする。そうするとぶれないし、訓練にな る。 編集者は、平均的になりがち。 プロの編集者を定義することが必要だが、難しい。 いかに突き抜けたものを持っているかがプロの条件。 社会性はゼロでも、何かが突き抜けているとプロとしてやっていける可能性がある。

 

普段から何でも定義することを心掛けていて、その点では自分 はプロだと思う。 際立った好奇心、ゼロベース思考も強み。日々鍛えている。 例えば、W杯の試合を見て『勇気をもらった 』とかいう人がいるが、これはそもそもどういう意味なのか。それでなにが起きるのか。 とことん疑い、考えている。

 

その他

 

針の穴を通すくらいに絞り込むことによって、全体像が見えてくる。漠然とした 読者を想定してはだめ。

知識は江戸時代には特権階級のものだった。(独占しないことで寺子屋が広まっ た。 )知識は独占しないのが自分の方針。日本の隅々まで知を届けたい。 明治時代の人から見れば、スマホを見ると知識を解放して共有したいという自分たちの夢が実現したと思うかも しれない。知へのアクセスはスマホで完全に実現した。紙もWebも根本的には変わらない。知を末端まで伝えるという役割は同じ。

 

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一言一言に含蓄があり、聞くものを特殊なオーラで包み込むかのようだ。そのニュアンスや雰囲気までお伝えできないことがもどかしい。ちなみに、柿内氏は次のテーマとして、『教育』を考えているのだという。教育分野で次の素晴らしい本が出来上がることが今から楽しみだ。



個人的に特に共感した点

 

お話の中でも、特に私が共感したのは、編集者は。『世の中に伝わっていないが良いものをどう伝えるかが重要』というところだ。有名人ではなくても、『狂気』と言っていいくらいの強いメッセージ性を持つ人間の頭に宿る、知識、思想を公共財にする、すなわち文化的遺伝子の爆発をお手伝いする役割という定義は本当に素晴らしい。

 

私も、自分のブログについて、時々、何故、何のために書いているのか、自分がなぜ書き続けることができるのか、考え込んでしまうことがあるのだが、柿内氏のお話を聞いていると、自分の内側にも、『知識、思想を公共財にすること』に対する憧れのような気持ちがあって、それが柿内氏のお話に対する共感と響き合ってマインドの表面に浮かび上がってくるような気がする。自分にもそういう気持ちがあったことを教えてもらったような気がしてくる。

 

昨今、インターネット上は偽物やフェイクニュースで溢れかえり、議論しようとしても不毛な攻撃や炎上ばかりで、私がブログを書き始めた2008年当時と比べると、何かを書いて意見表明をすることのハードルは格段に上がってしまった。ページビューを増やして広告費を稼ぐことを目的として、耳目を集めることができれば偽物でも何でもいいという感じの文章は増殖しているが、何がしかの意味や価値を文章に込めて、少しでも深い部分での議論が活性化するようにと願う書き手にとっては、かなり過酷な場になってしまった。ネット上のバーチャルな炎上どころか、場合によっては、物理的な被害(刺殺される等)さえ覚悟しておく必要がある。だが、場が荒れてしまっているからといって、少しでもこの空間を質の高い知識や思想で豊かにすることに貢献するべく努力を続けることの意味は失われていない。そう元気づけてもらったような気もしてくる。

 

出版業界は、20年以上続く不況のどん底にあり、ここに安易な儲け話が転がっているようには決して思えない。だが、出版業界の心ある業界人なら、柿内氏のお話を聞けば、奮い立つに違いないし、是非そうであって欲しい。そのような優れた出版業界人が増えることこそ、日本の出版業界が再活性化する一番の要件のように思える。何より柿内氏の仕事がそれを証明している。

 

 

世の中に伝わっていないけど良いものの発掘

 

しかも柿内氏が述べるように、ことさらに新しいものを創造するのではなくても、世の中に伝わっていないけれども、良いものはまだたくさんある。例えば、柿内氏は心理学者アドラーを発掘したが、アドラーとも交流があり、『人間性心理学』を創始した、エイブラハム・マズローなど、その業績と比較して十分評価されているとは言えないし、研究内容自体も、光のあて方次第で『何十年も世界中で読み継がれる古典』をつくることができるように思えてならない。また、最終的にはマズローの言う『至高体験』を『超越意識』としてさらに先に進めようとした、著書『アウトサイダー*7 で有名なイギリスのコリン・ウイルソンなども、扱いかたを間違えると、それこそ『狂気』に飲み込まれる恐れがあるが、今認識されているより、もっと大きな魅力を引き出せるポテンシャルのある人物だと思う。

 

まあ、人に頼るのだけではなく、自分自身、自分が今できる発信手段(ブログ等)で、可能な限りそのような発掘作業にも挑戦してみようと思う。実のところ、その一端が、前回書いた、オウム真理教関連のエントリーだったりする(全く十分とは言えないが・・)リスクはあるだろうが、挑戦しがいがありそうだ。そのような意欲をかき立ててくれた、柿内氏にあらためて感謝しておきたいと思う。



*1:

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

 

 

*2:

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

 

*3:

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

 

*4:

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

 

*5:

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

*6:

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 

*7:

アウトサイダー(上) (中公文庫)

アウトサイダー(上) (中公文庫)