オウム問題を総括すると見えてくる現代日本の『カルト』に対する脆弱性

 

 

◾️ 薄れゆくリアルタイムの感情

 

スマホのポップアップに突然、『オウム麻原処刑』のニュース記事が出て以来、久々にオウム真理教関連の情報がメディアに溢れて来て、かつて本件について考えていたことを次々に思い出すことになった。処刑については、一つの区切りであることは確かだが、これは第一幕の終わりではあっても、続く第二幕が始まってしまうのではとの懸念が咄嗟によぎった。同様の懸念を表明する人は多い。よく気をつけていないと、当事者(旧信者や後継団体)とは関係のないところからでさえ『歴史が繰り返す』恐れは多分にあるように思える。

 

1995年にあの事件が起きてから、本年で23年目ということになる。リアルタイムにあの事件を見ていた私たちには、何らかの報道があるたびに、当時感じた何とも形容しようのない戦慄、怒り、嫌悪、悲しみ等の入り混じった、濁った絵の具のような『感情』が蘇って来る。もちろん、直接の被害者や関係者の強い悲しみや怒りとは比べようもないが、自分にとっても、それまでおよそ経験したことのないような種類の強い感情であることは確かで、それがあのような事件を二度と起こしてはならないとの思いを強く突き動かす。

 

だが、23年も経つと、あの『感情』を誰かに伝え、共有することは至難の技だ。『強い感情』だけでは、抑止力としては片手落ちであることは言うまでもないが、逆にそれがないとするといつまで抑止効果が持続するのか、何とも心もとない。おそらく、これは戦争と同じで、戦争体験者が、戦争を知らない子供達に不安げな視線を投げかける気持ちが今はすごくよくわかる。

 

 

◾️ 消滅に向かうかに見える宗教

 

ただ、多少冷静にこの23年間を振り返ると、かつてオウムがその一つとして数えられた新興宗教団体の信者は激減している。*1 一時期は破竹の勢いで信者を増やした新興宗教は軒並み退潮で、公開されたデータからはわかりにくいが、創価学会や、かつてオウムのライバルとして比較された幸福の科学もその例外ではないようだ。日本人の新興宗教団体への拒否感は強く、昨今では、そのような団体と関わっていることで、社会的な評価を落としてしまうのではないかとの懸念を持つ人が非常に多い。中には真面目な団体や信者もいることは間違いないにせよ、『新興宗教嫌い』は今の日本人の大勢を占めると言っても過言ではない。

 

では、キリスト教、仏教等の伝統宗教はどうかと言えば、こちらは『嫌悪感』とか『宗教嫌い』の対象とは言えないものの、信者の減少という点では同様だ。『寺院消滅』*2 という書籍には『全国約77,000ヶ寺の内、既に住職が居ない無住寺院が20,000ヶ寺以上、さらに宗教活動を停止した不活動寺院は2,000ヶ寺以上にも上る。25年後には、3割から4割の寺が消える』とあるが、これは地方出身の自分も実感するところでもある。

 

宗教学者島田裕巳氏によれば、宗教が退潮にあるのは、経済成長が安定期に入って以降の先進国全般に言える傾向で、その主な理由は資本主義の発達がもたらす『世俗化』なのだという。つまり、豊かになって生活が満ち足りると宗教団体に入る意味を感じなくなってしまうということだ。

 

かつての日本の高度成長期や現在の新興国のように経済が急成長している局面では、地方から仕事のある都市部に大量の労働者が出てきて孤独をかこつことになる。自分が深く関わっていた地域共同体から切り離されて不安を感じている人たち(共同体難民)が大量に発生する環境は、宗教団体の信者獲得という点では絶好の機会となる。教義や信仰で誘うのではなく、宗教共同体に取り込む形で、宗教団体が急拡大するということが起きる。

 

ところが、現代では、特に都市部では、宗教の重要な行事である葬式でさえ不要と考える人は増え、実際に僧侶や親戚を呼ばずに葬儀を安く済ませる人が急増している。宗教団体の盛衰は、家族や共同体の盛衰と並行しており、家族や共同体が解体しつつある現代では、葬儀のような行事に時間やお金を使う意味が感じられなくなっていると言える。

 

実際、どの調査の結果をみても『無宗教』と回答する日本人の数は圧倒的に多い。*3 しかも、仏教や神道と回答している人も(日本人全体の2~3割)その多くは、他国の信者と違って、仏教徒なのにクリスマスを祝う、というようなある種のいい加減さを併せ持っている。少なくとも教義や信仰について突き詰めて取り組んでいる姿は浮かんでこない。

 

このデータだけ見ていると、全体の趨勢としては、日本で再びオウム事件のような出来事が起きる可能性は低そうに思えるかもしれない。だが、本当にそうだろうか。

 

 

◾️どうしてオウム事件は起きたのか

 

オウム事件は完全に解明されたわけではなく、特に、当時の日本のトップエリートが大量にオウムに入信して、しかも最終的には教祖による殺人の指示まで受け入れて実行してしまった理由がわからないと言われ続けてきた。原因が解明できなければ、事件の本質は理解できないし、再発防止も覚束ないとの危惧はもっともだ。

 

しかしながら、そうは言っても、かなりの程度納得できる分析や説明は出てきていて、それを参照点としてオウムのことを語ることも、今後の見通しや再発防止について語ることもある程度はできると考える。少なくともこれまでに出てきているオウム事件の分析を通じてでさえ、十分に現代日本の危うさを浮き彫りにすることはできると考える。

 

では、どのような条件/環境が揃った結果、あのような悲惨な事件が起きたのか。下記にできるだけコンパクトにまとめてみた。その上で、どのような道筋でオウムが興隆し、あのグロテスクな事件をひき起こすことになったのか、今後同様の事件が発生する可能性があるのか、あるとすればそれはどうしてなのか等につき、私の意見を述べてみようと思う。

 

教団の特徴(教団が多数の信者を取り込み、暴走した背景)

 

・科学では説明しきれていないこの世界の全体性を説明できる(と思わせる)

 教義(思想/物語)を持っていた。

 

・世俗の生活世界では自分の価値や生きがいを感じることができず、

 教団がそれを与えてくれるように思えた。それは、特に社会体験のない

 ナイーブな学歴エリートに魅力的だった。

 

・共同体の絆が弱まっているところに(そう感じている者に)ある種の

 共同体の絆を感じさせることができた。

 

・洗脳手法等、人間の心理の仕組みについて精通していた。また信者を

 世間から切り離す特殊な環境等が結果的に、『同調』*4『集団浅慮』*5服従*6 といった社会心理学の概念で説明されるような状況を作り出した。

 

 

社会環境

 

・近代科学や近代思想への不信感が高まり、社会全体にオールタナティブ 

 (代替物)を求める機運が高まっていた。

 

・科学では説明できな不思議な現象を受け入れる人も多くなってきていた。

 

・共同体から疎外されていると感じる人が増えていた。

 

・バブル膨張から崩壊の過程で、欲にまみれて暴走する日本人の姿に嫌悪感を

 感じる人が増えていた。

 

・日本社会が、権力や権威をもつ人物から命令されると満足感を得て不合理な

 要請にも服従するような、心理学用語でいう『服従』が機能しやすい

 構造を持ってた。

 

 

◾️ 科学にはないがオウムにはあったもの

 

科学的発見によって、この世界の解明は進み、まだわからないことは多いが、今後の科学の発展でそれも解明されていく、そのような言説を信じている人はまだ現代の日本にも多い。だが、これは根本的な勘違いだ。科学は仮説/検証というプロセスを経て、物体と物体の関係を明らかにしていくだけで、決してこの世界の全体像を総括的に語ってくれるわけではない。ニュートン万有引力の法則を、アインシュタイン相対性理論を導いた。静止していると考えられていた宇宙は膨張していることがわかった。だが、どうしてそんな法則があるのか、その中で生きる私たちとは何者なのか。どう生きるべきなのか、科学者は何一つ答えてくれないし、答える必要があるとも考えていない。そもそも答えることができない。

 

だが、オウムはその説明/物語を持っていた。巷間言われている通り、それはチベット仏教等を援用したり、それ以外の雑多なオカルト的な知識(神智学等)のごった煮であったりで、首尾一貫しておらず矛盾だらけとの批判は少なくない。ただ、それでも、犯罪が明らかになる前、メディアへの露出が多かった時期には、当時の文化人や宗教研究者からの評価はかなり高かった。少なくとも評価できる要素があったと考えるのが正当だろう。当時多少なりともオウムを持ち上げた人はその後大変な目に会うわけだが、彼らを批判する人達も、実際オウムが何を語っていたか自分で確かめて判断しているわけではなく、こんな悪辣な犯罪集団の思想に一片たりとも評価できるものがあるはずがない、との先入観で頭ごなしに批判している人が大半だろう。

 

 

◾️ 思想の空白状態

 

もちろんだからといって、オウムの教義は正しいなどと述べるつもりはまったくないが、自身が生活する現実世界の全体像を見渡すことができない人々に、この世の意味と、首尾一貫して見える説明を与えることができたことは確かだろう。逆に言えば、オウム程度の教義で埋められてしまうほど、当時も(今でも)レベルの高い思想や世界観が大半の日本人が生きる生活世界にはなかったということになる。いわゆる『空白状態』に近かったわけで、そのことは本来もっと問題にすべきなのだと思う。そして、この『空白状態』は当時より今の方がずっと深刻で、そういう意味では次のオウム的なものが出現する環境はどんどん整いつつあるとも言える。

 

 

脱事実の時代

 

政治学者のハンナ・アーレントは著書『全体主義の起源』*7 等で、大衆は『事実』では動かず、彼らを包み込んでくれると約束する、勝手にこしらえ上げた統一的体系の首尾一貫性だけが、大衆を動かし得ると述べているが、オウムがそのような『統一的体系』を持っていたことは疑いえない。事実ではないにせよもっともらしかった。そして、オウムは事実に見えるように様々の工夫を凝らしていた。ところが、現在では、米国のトランプ政権幹部が使った『代替的事実(alternative facts)』という表現に象徴されるように、米国だけではなく、世界各国が(日本を含めて)事実を重視しない『脱真実』の時代に入ったと言える。もっともらしく事実を取り繕う必要さえなくなりつつある。環境の危うさという点でも、23年前を遥かに上回っているというべきではないか。

 

 

◾️エリートがオウムに入信する理由

 

ただ、一般大衆はそうでも、オウムに大量に入信していた、高学歴エリートは違うのではないか、と考える人も多かろう。だが、これは、明治期以降の日本の学歴エリートの過大評価の産物というべきだろう。しかも、今では忘れ去られているが、当時、もう一つ特殊な環境があった。

 

オウムに当時親和性が高かったのは『ニューアカデミズム』*8ポストモダン*9ニューエイジ*10『ニューサイエンス』*11あたりだった(以降、これらを総称してニュームーブメントと呼ぶ)。オタクとの親和性が高いという人もいるが、私には、少々的を外しているように思える。これらは、いずれも今となっては評価はガタ落ちで、『ニューサイエンス』なども『ニセ科学』と味噌糞に断じられてしまっている有様だが、少なくとも特に70年代以降、オイルショック/資源危機、環境破壊、冷戦/核戦争勃発の可能性等が盛んに取り沙汰されていた時代背景もあり、近代思想や近代科学の限界が非常に声高に唱えられていて、『ニュームーブメント』は今では想像できないくらい大きなものだった。そして、近代を乗り越えるためのオールタナティブ(代替物)として、それなりにしっかりとした思想に裏付けられた言説も少なくなかった。そのエッセンスの比較的良質ものは、現代にも引き継がれている。ニューサイエンスの『要素還元主義を基盤とする西欧近代科学の方法論を批判し、全体論や東洋思想に立脚した新たな科学観や人間観を追求する』といった姿勢や思想もその一つで、最近何かと話題の多い、若手の科学者、落合陽一氏の言説の背後にある思想も、まさにこれだったりする。このようなトレンドの中から生まれたのものの一つがオウムだった。

 

一方、当時の日本社会(特に企業)は、知的権威やエリート主義に懐疑的な立場をとる、いわゆる反知性主義的な空気が支配する場所だったから、当時のナイーブな高学歴エリート、中でも『ニュームーブメント』の薫陶を受けて来た者の多くは、企業の空気が肌に合わず、こんなはずではなかったと嘆き、すぐに挫折し、その結果、オウムのようなオールタナティブを提供してくれて、ナイーブな学歴エリートの心理をくすぐってくれる存在に強い救いを感じ、与えられた仕事にやりがいを覚えたと考えられる。

 

 

◾️ バブルの洗礼とオウムの過激化

 

ただし、日本では、『ニュームーブメント』の全盛期は80年代終わりくらいまでで、その後はバブルの熱狂がすべてを押し流し、難しいことを考えるより、株や不動産に投資して儲けるのが先、というような雰囲気になってしまった。しかも、そのバブルも破裂して、すべての価値や大きな物語が崩壊して見えるようになり、オウムが事件を起こした90年代の中頃というのは、それまでの価値が大きく転換する起点だった一方で、一種のニヒリズムや終末論が忍び寄ってきていた時期とも言える。オウムは確かに、まさに『ニュー・ムーブメント』の時代の濃厚な空気の中から生まれ、これらの影響を受けて形成されてきたが、一方で、バブルの膨張~破裂の時期を経て、すべてが行き詰まりつつあることを強く意識するようになる。同時に世間の自分たちへの評価が冷めていくことを実感していたと考えられる(特に総選挙惨敗以降はそれを意識していたと言われている)。その状況を打開するために、勧誘は強引になり、退会を許さず、組織の締め付けを強め、思想は過激で偏狭になっていった。

 

そんな中で麻原は、転生輪廻思想や、終末思想を都合よく曲解し、来るべき終末を自分たちが媒介となって早く招き寄せ、バブルで堕落した日本人のカルマがこれ以上増えないように、自分たちが早めにあの世に送りこみ、この世を浄化することが高貴な使命と信じ込むようになったと言われる。

 

 

◾️40%の日本人が信じる転生輪廻

 

『ニューサイエンス』が『ニセ科学』と断じられているように、宗教嫌いの日本人には、今では、転生輪廻思想や終末思想などもはや聞く耳を持つものはいないだろうの声も聞こえてきそうだが、そうではない。宗教嫌いと言っても、主としてカルト的な新興宗教を忌避しているだけで、根本的な宗教嫌いというわけではない。『宗教は悪いものか』という問いに対する国際比較では、日本人が一番宗教を悪いものとは思っていない、という結果も出ている。*12

 

以前から言われているように、日本人の思考は本人がそれと気づかないだけで多分に宗教的だ。しかも、問題の転生輪廻についても、調査によれば現代の日本人の40%は何らかの形でこの存在を信じているという。*13 実に驚くべき比率と言える。ただ、『この世で良いことをすれば来世で救われ、悪いことをするとばちがあたる』というような穏健で勧善懲悪的な道徳として受け入れられている間はいいが、転生輪廻を信じると述べる人達は、高度な仏教思想とその用語を使って語りかけられたりすると、麻原のようなとんでもない解釈であっても真実味を感じて、納得してしまう恐れがある。

 

多くの日本人が転生輪廻思想を信じている理由の分析には今回は立ち入らないが、いずれにしてもこれが現実だとすると、『そんな迷信を信じるな』などと上から目線で言うだけでは問題は解決しない。レベルの高い宗教家や宗教思想家に、麻原解釈の迷妄を打破してもらうしかない、ということになる。だが、これも今の日本では難しそうだ。伝統宗教の側も世間の誤解を恐れてこのような場に出ることは躊躇してしまうだろうからだ。

 

 

◾️どうして高学歴の信者が人を殺したのか

 

また、麻原の思想には他人を殺すことまで含まれていたのに、高学歴の信者がどうしてやすやすと従ったのかという疑問は、それこそ社会学の知を援用すればかなりの程度説明がつく。しばらく前の私のブログ記事でも取り上げたが、この問題はヒットラーに従ったナチスの将校(アイヒマン)の心理分析と言う形で、哲学者のハンナ・アーレントが展開した論考が有名だ。手前味噌で恐縮だが、私のブログ記事より、関連する部分を参考のために引用させていただく。

 

哲学者のハンナ・アーレント女史は、ナチス親衛隊の一員として数百万人のユダヤ人を収容所に送ったアイヒマンの裁判を傍聴した。アイヒマンは被告席で『上からの命令に従っただけ』と繰り返す。アーレント女史は、その言動のあまりの矮小ぶりに驚愕し、アイヒマンを巨悪に加担した残虐な怪物とは程遠い、単なる凡庸な小役人だったと断じた。そして、人は『思考しなければ、どんな犯罪を犯すことも可能になる』と結論づけている。

 

このアイヒマン裁判に着想を得て、スタンリー・ミルグラムという心理学者が行った有名な実験(ミルグラム実験アイヒマン実験とも呼ばれる)があるが、そこから導かれた結論は、閉鎖的な環境では、誰でも権威者の指示に服従して、悪魔のように振る舞ってしまうことがある、ということであり、まさにアイヒマンのように、権威の庇護にある安全圏で、個人の思考を放棄すると、善悪やモラルの判断まで放棄してしまうことがありありと示されていた。

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オウムのケースでも、信者は閉鎖的な環境に置かれ、麻原という体系的な思想を持つ権威者が命令を下し、信者は麻原の権威の下で個人の思考を放棄し(放棄することを強制され)、善悪のモラルの判断まで放棄してしまったようだ。まさにアイヒマンのように、あるいは、ミルグラム実験の結果そのままに、信者が振舞ってしまったと考えられる。人は、このような状況では、命令されたことによって自らの責任を回避したかのような錯覚に陥り、倫理に反した行動でさえ許容してしまうということは今では広く知られているが、オウムでもこれが典型的な形で起きてしまったと考えられる。このことは、ナチスやオウムのような特殊ケースだけではなく、最近、日大アメフト部で起きたこと*14も同類系だし、旧帝国陸海軍から現代の企業や大学の体育会のような組織に至るまで、日本では同様の事例をいくらでも見つけることができる。残念なことに、この構造は未だに治癒しない日本社会の病弊の一つだと思う。

 

 

◾️ 神秘体験を悪用したオウム

 

加えて、オウムの場合は、特定の、『神秘体験をするためのプログラム』を持っていて、これを経ると、それまで神秘体験など無経験だったナイーブな人など(ほとんど誰でもそうだろう)、強い感銘を受けて、自分で考えることをやめて麻原をカリスマとして認め、その物言いを信じ込み、がんじがらめに取り込むまれてしまう。本当に神秘な体験があるかどうかに関係なく、そのような体験を人間にさせるノウハウは古くから宗教団体等の秘伝のような形で存在している。

 

ただ、そんな神秘体験で人を取り込むような宗教団体は、あまり筋が良いとは言えず、古来からの『人類の師』ともいえる孔子は『怪力乱神』を語らず、仏陀は霊魂や輪廻等に関連する一般の人の質問には『無記』(答えない)という姿勢で臨んだとされる。神秘体験のような形で人を絡め取るようなことを戒めておられた、ということだ。あるいは、自らの教えの本質は、そんなところにはないという信念のあらわれとも言える。もちろん、キリストのように必要に応じて奇跡を行うような『師』もいて、臨機応変であって良いとは思うが、少なくとも『神秘体験』を悪用するような輩は信用してはならない、ということを教訓とすべきだと思う。だが、残念ながら、普通の人はこのようなことを真面目に議論する機会はまったくと言っていい程無いため、今も非常にナイーブなままだ。ということは、悪用する側にとって、都合の良い状態は今もまったく変わっていない、ということになる。

 

 

◾️共同体難民はどうなるのか

 

共同体の件については、古くからのオウム信者が口々に語る通り、初期のオウムは非常に和気藹々として居心地が良かったと言われており、ある種の『共同体難民』の受け入れ先になっていたと考えられるものの、最後の頃は組織が硬直化して、しかも恐怖支配が徹底していたようなので、必ずしも共同体として魅力があったとは言えないかもしれない。

 

よって、少々オウムに絡めて語りにくい部分もあるのだが、かつては日本でも高度成長期に都市部に出て来た大量の人たちが『共同体難民』となり、それが新興宗教団体の膨張の原因となったことには、今再び注目しておく必要があると考える。というのも今現在も、地域共同体も企業共同体も崩壊過程にあり、今後は人工知能等の導入が進むことによって、中間層/下層の失業が急増し、どの共同体にも属すことができない『共同体難民』はさらに激増する恐れがあるからだ。生涯未婚率もこの20年で20%近く上昇し、15年後~20年後の生涯未婚率は男性で3人に1人(33%)、女性で5人に1人(20%)にまで達するとの予想もある。共同体難民どころか、家族難民も急増している*15

 

日本人はどこまでこの状態に耐えられるのだろうか。インターネットのSNSの登場で、これが共同体難民問題の解決の一助になるのではないかとの期待感が、2000年代中頃以降、高まったこともあったが、今では、SNSは蛸壺的な関係を強化することはあっても、従来のような共同体の代替物にはならないという見解がほぼ定説となってきた。それでも、何らかのSNS共同体づくりについては依然様々な取り組みが続いているが、最近総務省から公開された、2018年度版の情報通信白書は、これに冷や水を浴びせかける衝撃的な事実を浮き彫りにしている。

 

白書によれば、日本のSNS利用者の大半は自分からはほとんど情報発信や発言をせず、他人の書き込みや発言を閲覧するだけで、SNSを情報収集や暇つぶしの手段として利用しており、他人とのつながりを得るために利用しているわけではない、という。

 

しかも、他国と比べ、オンライン・オフライン共に他人に対する信頼度が低く、SNSで知り合う人を信頼していないことがわかる。インターネット時代になって現れ出て来たツールも日本では共同体難民の避難先にはなりきれていない実態が露わになったとも言える。*16

 

暖かで健全な共同体作りに寄与しないどころか、逆に、偏狭で熱狂的な少数意見を炎上等によって非常に大きな動向のように見せることには大いに寄与している。直近でも、インターネットの中での怨恨で殺人事件が起きたばかりだが、ただでさえ炎上で辟易しているところに、こんな事件が起きたりすると、ますます多くの日本人がSNSのコミュニティから距離を置くことになりかねない。

 

ところが、イスラム国(IS)が非常に効果的にインターネットツールを使いこなして見せたように、あるいは、2016年の米国大統領選挙でSNSを利用した世論操作が非常に機能したとされたように、カルト的な団体にとっては、現在のインターネット環境は非常に便利で、有効利用の工夫が進んでいるとも言える。

 

 

◾️危惧されるポスト・オリンピックの時代

 

このように、現在では、再びオウム事件と同様の事件が起きてもおかしくない環境が出揃って来ているように見える。しかも、東京のオリンピック以降の日本では、所得格差の拡大、失業率の増大、インフレ、少子高齢化の進行に伴う税負担の増大等、様々な難題が予想されていて、共同体/家族難民状態の中間層/下層を直撃すると考えられる。この予想に背筋が薄ら寒くなるのを感じるのは私だけではないはずだ。

 

そういう意味で、オウム事件を平成等時代に閉じ込めて封印してしまうのではなく、今ここで、すぐに起きてもおかしくないこととして再認識して、少しでも有効な対策を検討してみる必要がある。テロという最悪の形で表面化しないとしても、潜在する問題はこのまま放っておくと様々な形で、日本社会を歪め、壊してしまいかねない。心のケアーの方も間違いなく必要だが、避難先を設けずに放っておくと、それこそ難民だらけになって、日本社会は疲弊して立ち上がれなくなる恐れもある。そうならないために、具体的に何をすべきなのか。その議論をすぐに始めるために、まず一人一人がオウム事件を検証し改めて総括してみて欲しいと思う。

 

*1:宗教年鑑』の1996年版と、その20年後のものである2016年版を見比べて、その間に主要宗教団体の公称信者数にどれほどの変化があったのかを検証してみよう。まず立正伎成会は626.8万人が270.5万に。霊友会は250万人が129.5万人に。PL教団は118万人が89.5万人に。生長の家は87.6万人が49.6万人に。天理教は190.9万人が119.1万人に。そういった数字である。

『日本の新宗教50 完全パワーランキング』 - 一条真也の新ハートフル・ブログ

*2:

寺院消滅

寺院消滅

 

 

*3:『ピュー・リサーチ・センター』の調査

2012年にアメリカの『ピュー・リサーチ・センター』という調査機関が発表した調査結果によると、日本人の57%無宗教36.2%が仏教となっています。

『世界60カ国価値観データブック』のデータ

『世界60カ国価値観データブック』には日本人の約52%が無宗教で、35%が仏教を信仰していると書かれております。

残りは神道が占める割合が多いです。

国内機関が日本国民に行なったアンケート

一方国内の調査部隊が日本国民に行なったアンケート調査等では、何かの宗教を信仰している人は日本人全体の2割から3割という結果が出ました。

残りの7割から8割の人は無宗教であるということを自覚しているということが明らかになりました。 

日本の宗教の割合を解説!実は神道が多い?|終活ねっと

*4:同調:心理学用語集 サイコタム

*5:

集団浅慮(集団思考 / groupthink)について理解しておきたいこと | KAIGO LAB(カイゴラボ)

*6:服従:心理学用語集 サイコタム

*7:

全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】
 

*8:

ニュー・アカデミズム - Wikipedia

*9:ポストモダン - Wikipedia

*10:ニューエイジ - Wikipedia

*11:ニューサイエンスとは - コトバンク

*12:宗教は悪であると考える人が最も少ないのは日本?!(海外の反応)| かいこれ! 海外の反応 コレクション

*13:「輪廻転生」と「前世の記憶」~日本人の4割が信じる「生まれ変わり」の神秘(竹倉 史人) | 現代新書 | 講談社(1/3)

*14:日本大学フェニックス反則タックル問題 - Wikipedia

*15:「生涯未婚率」急上昇!婚活専門家が提唱する更に深刻な3つのこと

*16:オンライン上の相手について、「SNSで知り合う人達のほとんどは信頼できる」と答えた日本のユーザーは12.9%だが、アメリカは64.4%、ドイツは46.9%で、イギリスに至っては68.3%にも上る。

「インターネット上で知り合う人達について、信頼できる人とできない人を見分ける自信がある」という人も、日本では20.6%なのに対し、アメリカは66.7%、ドイツは57.1%、イギリスは71%だった。

オフラインでの対人関係でも、「ほとんどの人は信用できる」と考える日本人は33.7%。他3か国が軒並み60%以上を超えているのと比べると、大幅に低い数値だ。「信頼できる人とそうでない人を見分けられる」人も、日本が36.6%なのに対し、他3か国は70%以上だった。

日本人はSNS上で知り合った人を信頼しない傾向 総務省の白書で明らかに | キャリコネニュース