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英国のEU離脱問題から学ぶべき真の教訓とは

 大抵の日本人には理解しがたい問題


2016年はまだやっと半分が終わったところだが、何だか世界中から次から次へと驚くべきようなニュースが飛び込んでくる。いつの間にか、それに慣れっこになって、これ以上何が起きても、ちょっとやそっとでは驚かないだろうと思っていたら、そんな自分をあざ笑うかのように、また超弩級のニュースが飛び込んできた。英国がEUから離脱するという。


しばらくは蜂の巣をつついたような騒ぎになって情報も混乱していたが、やっと少し落ち着いてきて、わかりやすい分析記事も多数出てきたため、ようやく何が起こっていたのか、そのメカニズムがわかってきた。


離脱賛成派にとっても、EU離脱による経済的なデメリットがまったく理解されていなかったということはなかったようだが、それよりも身近で深刻な思いに突き動かされた人の数が勝ったようだ。金融業界に勤務するエリートならともかく、工場労働者等の中〜下級に属する大衆にとって見れば、東欧等の非常に平均所得の低い国(英国の1/4〜1/5)から移民が押し寄せ、自分たちの労働を奪い(労働条件を切り下げ)、地元の学校では英語もろくに話せない生徒が大半を占め、不動産価格等の生活コストは高騰する一方で、自分たちに及んでくるのはデメリットばかり、というわけだ。


だが、EUから離脱すれば、英国の自動車会社等、工場の経営者からみれば、移民の安い労働力も使えず、大陸に輸出しようとすると関税がかかることになるから、遠からず工場を他国に移そうとするだろう。製造業だけではない。サッチャー革命以降の英国の経済の復活と躍進を象徴する金融業等のサービス産業も深刻な影響を被ることは避けられない。結局長い目で見るとEU離脱は誰の得にもならないように見える。特に、日本から遠巻きに見ていると、目の前の問題にしか目がいかない、愚かな大衆の妄動に思えてしまう。離脱派は一時の感情に支配され、冷静ではなくなっているように見えてしまう。そして、このような感情にまかせて投票する大衆ばかりになってしまうと、その感情を巧みに掬い取るアドルフ・ヒットラーのような政治家が出てきて、最後には国家ぐるみファシズムの闇に引きずり込まれてしまうのではないかとさえ思えてくる。


私の頭にも、このような定番とも言えるストーリーや言説がごく自然に浮かんでくるし、今回のEU離脱に関する意見の大半はそのような論調で彩られている。そして、今後EUから連鎖的に離脱国が出る可能性があることや、来る米国の大統領選挙で共和党の大統領候補に成り上がった、ドナルド・トランプが同様の勢いに乗って本当に大統領になってしまうことを懸念する。



 合理性の逆説


だが、合理的に考えれば、トランプの躍進もEU離脱もありえないことのはずなのに、どうして自分の(大抵の)予測は外れるのか。そもそも、自分たちは合理的で正しく、EU離脱支持者は間違っていると皆考えているが、本当にそうなのか。それだけで済む問題なのか。いつから私たちは政治は合理的であることだけが正しいと思い込んでしまったのか。あらためて考えてみると、自分がよって立つ根拠(およびその思想)に自分自身確信が持てなくなってくる。


こんな折に、たまたま縁あって、政治学者である吉田徹氏の『感情の政治学』*1を読み始めてみると、私にとって冒頭から大変ショッキングな言説のオンパレードで、自分の不勉強が身にしみる思いだ。いつの間にか気づかぬうちに硬い先入観のからで自らを覆ってしまっていた気がする。


のっけから吉田氏はこのように語る。

有権者が個人として合理的に行動すれば 、より良い解が出るはずだ 、という政治観には何の根拠もないのである 。ここにはむしろ 、人びとが合理的であろうとすればするほど 、政治が自分の望むものとは異なったものになっていってしまうという 、大きな逆説が存在しているといっていいだろう。

『感情の政治学』より


合理的であろうとすること自体が逆説! どういうことなのか。

二一世紀に入ったころから 、人間の非合理性を指摘する研究や主張がくりかえしクロ ーズアップされてきた 。もちろん 、一九六〇年代がそうであったように 、そうした指摘は今になって突如として現れたものではない 。しかしその背景には 、おそらく戦後 、あるいはもっといって二〇世紀を支えてきた 「合理性 」に基づく 「進歩 」という観念そのものが成り立たなくなった今世紀にあって 、人間存在を今一度根底から再定義してみなければ 、どんな社会構想も 、もはやあり得ないという認識によるものなのかもしれない 。

『同掲書』より


思えば、自分が専攻した経済学に関しては、合理的であることの限界や矛盾に気づき、ブログでも世に問うて来たはずではないか。どうして政治や政治行動では、合理的であることばかりを考えていたのか。どうやら政治について不勉強であった報いは自分が考えていたよりもずっと大きかったようだ。



 主知主義を呼び込む原因は

社会学マンハイムは 、政治とは因果関係のはっきりしない 、人間の作為によってつねに動きつづけるものとして把握していた 。政治とは 、客観的な認識や行動などが成立しない 、実践を絶えずともなうものなのである (マンハイム 1 9 2 9 = 2 0 0 6 ) 。だからといって政治を単に剝きだしの権力が横行する世界とみなすのも正しくない 。こうした権力のありようを批判する主体も政治的な存在だからだ 。問題は 、政治を客観的に認識しようとしたり 、そこに法則を見出そうとする態度 (マンハイムのいった 「市民的自由主義 」 )が 、実践的な政治の側面を覆い隠してしまうことにある 。この残余としての非合理的な領域が政治にあることを認めなかった時代が 、反主知主義を肯定的に捉えるファシズムに逆襲されることになったことを思い出すべきだろう。

『同掲書』より


政治のすべてを客観的に認識したり、合理的な法則ばかりにこだわることは、政治に設計主義やイデオロギーを持ち込むことを意味し、社会主義経済の壮大な実験およびその挫折と相通じる。イデオロギーや理想ばかりに固執することは、その反動勢力の勢いを弱めることはできないばかりか、むしろ強化することにつながることはすでに歴史が証明した教訓といってもよく、肝に銘じておく必要がある。



 それは違う


さらにこれをわかりやすく説明するために、吉田氏は『PLAYBOY』誌のインタビューの中で、新自由主義の支柱でありノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンのコメントを紹介している。

物欲の上に立たない社会なんかがありますか。「信じていて絶対間違いのないことは、相手があなたの利益より自分の利益を優先させようとすることだ」とは私の友人の言葉ですが、私も確かにそうだと思います。

『同掲書』より


ここまで言われてしまうと、さすがに私も、それは違うだろうと言いたくなってくる。フリードマンの拠って立つ新自由主義は、いわゆる『グローバリズム』として世界を席巻してきたわけだが、フリードマンのような『合理的な人間』ばかりを前提として、非合理や感情をすべて排除してしまうことを世界標準として世界に押し付けることにはやはり無理があるように思えてくる。  



 もっと尊重されるべき非合理


これに関連して、思想家の内田樹氏は、次のように述べる。

今、『グローバル化』と呼ばれている趨勢は現実にはアメリカが主導しているものですよね。英語が公用語で、キリスト教が『国教』で、金を持っている人間が一番偉いという価値観が共有されているけれど、これは規模は大きくても、所詮はアメリカ・ローカルの民族誌的偏見を量的に拡大したものに過ぎません。(中略)
喜捨の文化』『歓待の文化』というのは遊牧民にとって生き延びるために必須のモラルなわけです。砂漠では利己的にふるまうと生き延びることができない。もっとも重要な生活資源は、それなしでは生きられないがゆえに、見知らぬ他者とでも共有しなければあんらない。そういう発想はグローバリストには絶対理解できないと思います。

『世界「最終」戦争論』*2より


これは何も、米国人が皆金の亡者だとかいうことではなく、もう少し穏当な言い方をすれば、米国人には世俗の成功が神に選ばれた証とするプロテスタンントの信仰が背景にあり、それは砂漠を生きる民の信仰やモラルとは異なるということだろう。そういう意味では、砂漠の民にイスラムの信仰があるように、米国にも(主として)プロテスタントの信仰があり、相応に合理性の背景には非合理(信仰)があるとも言える。


吉田氏は、「社会における正しい決定というのは、ひとりひとりが自らのうちに『社会の眼』をもつことによってのみなしうること、つまり『利益を主張するつっぱり合いではなく、この社会を『わたしたち』がどうするかという観点で自らの意見を表明する人間である、と認知心理学者の佐伯胖氏を引用しつつ語る。だから政治における感情や非合理はそういう意味で、もっと尊重されて良いはずだという。これは私にも非常に素直に納得できる。



 危険な米国とフランス


米国が自国のアイデンティティーを意識して、自国の価値観を同胞の間で共有することは否定されるべきものではないし、他国にもそれを提案していくこともそれ自体が悪いわけではない。だが、それを超越的な理念やイデオロギーに仕立て上げて固執し、他国(他文化圏)にまで押し付けていくとなると話しは別だ。他国との摩擦どころか、ドナルト・トランプを支持する勢力の急拡大にみるように(そして、まさにマンハイムが指摘したごとく)、自国内でさえエリート支配に反発し、反知性主義を肯定的に捉える勢力の拡大を抑制することができなくなってきている。少なくともそのように理解した上でどう対処していくべきか解決策を探るという方向に向かわないと解決の糸口さえみつからないまま、世界をさらなる混乱に巻き込んでいくことになるのではないか。


同様に考えれば、フランスでテロが頻発し、一方で極右勢力が政権をうかがう勢いとなっている現状も理解できる。フランスはイスラム系の移民を人口の1割近く抱えていながら、『自由・平等・友愛』の建前を掲げるばかりで、実際には移民をフランス社会に適切に統合する策をとっているとはとても言えない。それどころか、移民に対する日常的な差別が行われてるというから、自国内でテロリストを育てているようなものだ。このままでは本当に次にEUから離脱するのはフランス、ということになりかねない。



 日本にも同根の問題がある!


日本は移民をほとんど受け入れていないから、一見、このような問題には無縁のように見えるが、そうではない。嫌韓、嫌中を煽る書籍が本屋にあふれ、在特会のように大衆の面前で口汚く在日韓国人を罵るような行為を見ていれば、すでに欧米で起きていることと同根の問題が日本でも現出しているというべきだろう。日本でも政治離れは進み、今回の英国や欧州で起きていること、あるいは米国で起きていることを正しく理解できないでいる(私自身他人事ではない)。今回の英国のEU離脱問題を契機に自らを振り返り、日本の政治についてもあらためてよく考え直してみるきっかけとしたいものだと思う。

*1:

感情の政治学 (講談社選書メチエ)

感情の政治学 (講談社選書メチエ)

*2: