日本人の誇りと自尊心を取り戻すためにこそタブーにも向き合うべき


王様は裸?


Twitterで話題になっていたので、何気なく読んだのだが、事前の予想をはるかに超えて面白かった本がある。原田伊織氏という作家の『明治維新という過ち 〜日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』*1だ。


タイトルからして、非常に挑発的でもあり、『トンデモ本』の類と切り捨ててしまいかねない。実際読み進んでも、少々表現が過激な部分もあり、私自身も『こんな本をブログで取り上げるなんて』とお叱りをいただいてしまいそうな気さえする。あるいは、特に今年の大河ドラマ吉田松陰と長州人の物語でもあり、このドラマをくさすつもりなのかと、怒られてしまうかもしれない(もちろんそんなつもりはまったくない)。


だが、それでも尚、日本の近代史に多少なりとも興味がある人には一読をおすすめしたい。何より、大抵の人に当たり前のように出来上がっていると思われる、明治維新およびそれに関わった志士達を絶対善とするイメージを相対化してみるいいきっかけになると思うからだ。なぜそれが必要かと言えば、歴史上のどんな出来事であれ人物であれ、絶対善、あるいは絶対悪はありえず、必ず表と裏はあるし、歴史から本当に重要な教訓を汲み取りたいのであれば、善悪/表裏の両方を理解しておく必要があるからだ。また、どんな成功した事例であれ、問題を含んでいるのであれば、ちゃんと抉り出しておかなければ、毒が体に回ってしまいかねない。


では、明治維新およびそれに関わった志士達の何が問題なのか。端的に言えば、志士の一部メンバーが行った『略奪/暗殺/放火のようなテロ行為』と『テロを正当化する思想』だ。これは以前から私自身、なんとなく感じていながら、口にすると総スカンを食らってしまいそうで、自分のうちにしまい込んでいた。だが、著者の原田氏が正面切って、悪いものは悪いと断言している歯切れ良さもあって、まるで、『王様は裸だ!』との声を聞いたような気がして、正直はっとした。


もちろん、だからと言って著者の言うことも、これから私が書くこともを鵜呑みにする必要もない。そもそも私は一般化した歴史観に修正を迫るような大それたことを企てているわけではない。歴史を単なるエンターテインメントや、自分を元気づけるためのフィクションとしてしまうのではなく、どうすれば、自分自身が重要な教訓を歴史から学んで今後のために生かしていけるかをいつも考えていたいだけだ。そのために他人が押し付ける史観ではなく、できるだけリアルな歴史そのものを自分自身で評価したい。目的はそれ以上でもそれ以下でもない。だから、これから書くことはあくまで私の思考過程をご参考に供するために晒している、というくらいに読んでいただければ十分だ。



見過ごせない『テロ』と『テロを正当化する思想』


幕末の京都は実に物騒な場所だが、どうして物騒なのかと言えば、本書にもある通り、長州等のいわゆる『志士』が、『天誅』(天の裁きを下す)というような自分勝手なイデオロギーに基づいて、略奪/暗殺/放火等を繰り広げたことに主な原因がある。しかも首を市中に晒したり、遺体を切り刻んで邸に投げ込むなど、現代で言えば、イスラム国やアルカイーダの行状と重なって見える。


新撰組がその名を世に轟かすことになった、『池田屋事件』など、池田屋で『志士』が何を話し合っていたかと言えば『御所の攻撃』やら『京都を火の海にすること』やら、果ては『天皇の拉致』等、まさにテロの計画そのものだ。将軍の拉致ではない。尊王攘夷を唱えているはずなのに、天皇を拉致しようというのだ。大義も何もあったものではない。


大老井伊直弼を暗殺した桜田門外の変は、いわゆる『志士』にイデオロギー(水戸学)を提供した側の、水戸藩からの脱藩浪士が主力だが、これも井伊直弼の非道ばかりが強調されているが、為政者の暗殺であることに変わりはなく、昭和の二二六事件による政府首脳の暗殺と基本的には同類と言えなくもない。


百歩譲って、井伊直弼が暗殺されたのは、自業自得だというなら、幕府を戦争に引きずり込むために、薩摩藩等が組織した赤報隊*2はどうなのか。幕府を挑発するために、江戸の市中を焼き払ったり、伊勢長島藩主・増山正修から軍資金という名目で3000両を強奪するなど、現代の基準に照らしてもまさにテロそのものだ。無辜の江戸の町民を犠牲にしても良い、という理屈は正当化できるのか。


それでも維新/革命のためには犠牲もやむなし、というなら、会津戦争終結後の、略奪、強姦、強殺、遺体への陵辱等はどうなのか。2013年に放映されたNHK大河ドラマ『八重の桜』*3でも取り上げられていたが、負けた側の会津武士の高い倫理感とプライドに裏付けらた武士道精神など称賛に値するものだ。一体どちらの方に『義』はあるのか。『勝てば官軍』ですべては正当化されるのか。


もちろん、だからといって、維新政府側/志士がすべて『悪』と言いたいわけではない。まがりなりにも、革命であり戦争だ。きれいごとだけでは済まないのもわからないではない。しかし、すべてを丸ごと肯定することは私には到底できない。



真に成熟するために


その意味で、原田氏も指摘しているところだが、私も、国民的大作家、司馬遼太郎氏の明治維新礼賛には(いわゆる司馬史観)今ひとつ割り切れないものを以前から感じていたものだ。司馬氏は原則、テロや暗殺は否定しながらも、桜田門外の変は正当化する、というような矛盾があるという原田氏の指摘も(私も司馬遼太郎氏の小説のファンでもあるので心苦しいが)もっともだと思う。そして、司馬史観では、明治維新を持ち上げる一方、昭和初期は日本の歴史の中では特殊な例外で明治維新との連続性はないと断じている。だが、私のような歴史の素人から見ても、二・二六事件五・一五事件などに関わった昭和の軍人や、関東軍、あるいは参謀本部の軍人のメンタリティと明治維新の一部の志士の間に何らかの引き継がれた連続性があるのは、否定しようのないことのように思える。


もっとも、戦後の日本は、戦前の日本をすべて否定的に断罪し、いわゆる『自虐史観』にはまったまま長い間抜け出すことができなかった。そんな自信をなくした日本人に、元気を与えたい、自らのアイデンティティを崩壊させず、日本の歴史に誇りを持ちたい、という司馬氏の心情は痛いほど伝わってくるし、戦争体験もない自分が安易に口を挟むのすらはばかられる気さえする。だが、昨今増えてきたにわか右翼論客のように、過剰な『自虐史観』の反動で今度はなんでも礼賛しているようでは、『日本人の精神年齢はまだ12歳のまま』と冥府のマッカーサー元帥に笑われてしまうだろう。戦争体験を本当に乗り越えるためには、悪いところも良いところも自ら正当に評価できる、そういう意味での成熟は不可欠だろう。そうなって初めて、国際社会は日本人を心から信頼し、大人として受け入れてくれるはずだ。



光と影


日本の武士道精神は(批判があることを承知の上で言うが)、世界に誇れる精神文化であり、日本の文化遺産と言ってもいいと私は確信している。実際、それを体現した武士はその倫理性、規律、物腰等、当時の西欧各国でさえ高く評価している。だが、武士道を語るにあたって、一部の、いわゆる『志士』の行状を含めて武士とまとめてしまうことにはどうしても抵抗感を拭えない。せっかくの輝くエッセンスが、夾雑物に紛れて糞味噌になってしまいかねない。


日本の政治家から『ノブレス・オブリージュ*4が消え、尊崇の対象となりうる人物を探すことも難しくなってしまった現在、武士道の精神のエッセンスは日本人にとって見直してみるべき価値があると考えるが、その場合には、同時に、明治維新のころから昭和初期まで引き継がれ、現代に至ってもなお、時々無意識の底から顔を出す恐るべき反面についても向き合い、浄化していく作業もまた不可欠と考える。


この夏戦後70年を総括する安倍首相談話が出るであろうことが話題になっているが、この機会に私が述べてきたような観点に関しても、各人が自分でも総括してみることをおすすめしたい。そして、安倍首相の談話が、日本人の成熟の証となることを切に願いたい。