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ウェブメディアの希望の星/カルチャーメディア『ナタリー』


強烈なアンチテーゼ:ナタリー


先週は『キュレーションメディア』について取り上げたのだが、その内容の半分くらいは旧来のメディアである新聞や雑誌、特に新聞の現在について語ることになった。組織として新聞社が昨今非常に『残念』な状況でもあり、当分キュレーションメディアの優勢が続く可能性が高いと受けとれる書き方をした。ところが、ちょうどこのエントリーを書き進めていた時期に読んでいた本の一節が、非常に鮮烈に目に飛び込んで来た。

今はキュレーションメディア流行りでしょ。あれって要するに見かけのいいバケツじゃん。皆さん、バケツばかり作って、どこで水を汲むんですか?って思う。一方、我々はその水が湧いてくる井戸をやってる。本来はそれがメディアというものでしょう。中身を作り出すということについて、本当は我々が少数派になってはいけないんだよ。

『ナタリーってこうなっていたのか』より


今、メディアやコンテンツ関係者の間で非常に評判になっている本、『ナタリーってこうなっていたのか』*1の著者で、音楽ニュースサイト、ナタリー等を運営する株式会社ナターシャ代表取締役でもある、大山卓也氏の非常に『キツい』一言だ。ナターシャは、去る8月に、KDDIが出資して、連結子会社化したことで話題になったばかりだ。ナタリーは、現在では、音楽の他にコミック、お笑いの合計3つのジャンルでニュースを毎日発信し、月間約3,100万PV、ユニークユーザー約660万人を持つ巨大なポップカルチャーニュースサイトで、特に若年層を中心に熱く支持されている。(ジャーナリストの津田大介氏が早くから係わったメディアとしても知られている。)



『残念』なウェブメディアの中で


私自身は、情報爆発時代における『キュレーション』および『キュレーションメディア』の役割は小さくないと思っているが、大山氏が主張するように、『中身』をつくりだすメディア(一次メディア)が少数派になってしまっては、『キュレーションメディア』も萎んでしまうこともわかる。(そのことは、先週のエントリーにも書いた。)井戸から『水』が出なくなれば、バケツも用なしになるのは道理だ。


だが、一方で、ウェブメディアやブログ等の多くは、昨今それこそ非常に『残念』な状態にあると言わざるをえない。個人課金は少数の例外を除けば、経済的に成り立っている例を見つけるのが難しい。故に、大抵は収入の途を広告宣伝に頼っているから、どうしてもPV(ページビュー)至上主義になりがちだ。堅実で読み応えのある記事でも、地味だとPVを稼げないから、大衆受けするカテゴリー(芸能、スポーツ、お色気等)が多くなっていったり、釣りタイトルで溢れたり、炎上ネタでPVを稼ごうとする。また、ニュースの自体で読ませることが難しいから、個人のキャラや個性を全面に出して、感情に訴えて読者を増やそうとする。ニュースの内容より、ニュースをネタにした『コミュニケーション』が頼りというわけだ。既存の新聞社も曲がり角だが、新しいメディアのはずの、ウェブメディアの多くも決してほめられたものではない。



みっともないことはやらない


ところが、驚いたことに、『ナタリーってこうなっていたのか』を読むと、ナタリーが頑に堅持してきたポリシーは、安きに流れがちな昨今のウェブメディアへの強烈なアンチテーゼになっている。


大山氏は次のように述べる。

とにかくPVや視聴率を稼ぐためにインパクト重視の下品な記事を載せるメディアの姿勢がイヤで仕方なかった。ナタリーは”そこに乗っからない”メディアでなければならないと思っていた。

同掲書より


実際、AKB48峯岸みなみが、『恋愛禁止』の決まりを破った償いとして頭を丸坊主にしてYouTubeの公式チャンネルで謝罪をした時にも、すぐに『ナタリーは丸坊主の画像は載せないしYouTubeへのリンクも貼らない』と決めて、坊主にしたことには一切触れず、『グループ内で研究生に降格処分になった』という事実だけ伝え、記事中の写真は手持ちの中で一番かわいいと思うものを選んだのだという。当時、各メディア共、PVを稼ぐ一大チャンスとばかりに、競ってこの『丸坊主』姿をスキャンダラスに報道していたことは記憶に新しい。なのに、音楽メディアがあの騒動の渦中で、他のメディアとは一線を画して『丸坊主』姿を取り上げなかったという姿勢は見上げたものだ


この『姿勢』について、大山氏は引き続き語る。

世の中の人々はいつでも下世話なネタを求めているし、大衆のニーズや欲望にガッツリ寄り添うことのほうが、割り切ったビジネスの形としては正しいのだろう。だが、自分たちにはそれはできなかった。自分が読んでいてキツくなるようなものはやっぱり載せられないのだ。そもそも下品な商売で荒稼ぎしようと思えるなら、こんな効率の悪い仕事は選んでいない。

同掲書より

ビジネスとしての一貫性


ただのプライドとしての『姿勢』というだけではなく、音楽メディアとしての『基本姿勢』として、音楽やアーティストに対する敬意を持つべき、という思いも背景にあるようだ。だから、大山氏は、『自分たちはファンの代表であり、アーティストを貶めるような事は絶対にしたくない』、という。


そして、それは、『記事をつくるにあたって、書き手の思いはどうでもいい』という思いきったポリシーのベースにもなっているようだ。

尊重されるべきはアーティストの思いや意図であって、書き手の思いはどうでもいい。褒めもしないし、貶しもしない。批判的なテキストから距離を置くことが、終始一貫したナタリーの大きな軸になっている。

同掲書より


『一次コンテンツメディア』としてのナタリーは、アーティストへの取材は非常に重要だが、このような潔い姿勢が貫かれていれば、アーティストとの信頼関係も厚くなっていくことは想像に難くない。信頼関係があれば、時に厳しく突っ込んだ質問をしても、アーティストも本音を語ってくれるのだろう。そして、『ファンとしての目線』に立つことを徹底しているから、ファンが本当に知りたいことを聞き出すこともできる。こうして見ると、単に『高潔な姿勢』というだけではなく、ビジネスモデルとしての一貫性という点でも筋が通っていることがわかる。



卓越した洞察力


ただ、やはり最近のウェブメディアのスタンダードから見るとかなり異質だ。そんなことで生き残れたのは何故か、と疑問を抱く向きもあろう。


確かに、ナタリーが成功したもっと本質的な理由は、現代の音楽市場についての大山氏の卓越した洞察力にある、というべきだろう。現代のリスナーのライフスタイルを熟知していて、その上で音楽ニュースコンテンツがどうあるべきなのかを見通す洞察力なしには(そしてそれが必ず成功するとう信念なしには)、上記のような姿勢を貫くこと自体難しかったに違いない。


iTunesのような配信型が主流になった現代の音楽市場では、アーティストが苦心して編集したパッケージとしてのCDも曲単位に解体され、古い曲も新しい曲も、ジャンルもバラバラでフラットに並び、それをリスナーの側で自由自在にチョイスして、ミックスしたパッケージとして聴かれる。


次のような発言から、大山氏がこの市場の本質をはっきりと見通していたことがうかがえる。

文章の内容も、取り上げる題材も、偏りや主張を極力排除して記事にするのが、”ナタリー的な”やり方で、これは旧来の雑誌媒体が作り上げてきた方法論とは明らかに異なるものだ。雑誌の時代は偏りこそが重要だった。


極力平坦で、偏りのないフラットなメディア。これは雑誌媒体における「編集」の概念からは生まれ得ないものだし、多くの雑誌由来のウェブサイトは今もこの感覚を理解していないと思う。ウェブにおいては発信する側に主導権はない。


フラットにならんだ膨大なアイテムの中から、好きなものを自分の意志で選び取ることの楽しさ。そうした感覚を、自分はそのときはっきりと意識したように思う。そしてウェブの登場を境に、この傾向はさらに顕著になっていく。iTunesのプレイリストにメタリカと安全地帯とtofubeatsが共存し、すべてがシャッフルで聴ける時代だ。YouTubeでは時代も国もジャンルも関係なく、さまざまな音楽が無限に再生され続けている。そんな中で誰かのレコメンドやお墨付きをあてにする必要はもうほとんどない。自分の感性を信じて片っ端から体験し、好きなものを自分で選んでいけばいいのだ。その手がかりとしてナタリーを活用してもらうことが我々の希望だ。
同掲書より

ウェブならでは


だから、ウェブメディアの特性を考えれば(少なくとも音楽分野では)、メディア側で何かを選んだり、論評してり、推薦したりすることは時代遅れ、ということになる。その代わりに、圧倒的なスピード(インタービューしたら数時間後には記事になる等)、全方位をカバーするボリューム(一日100件を超える配信)、365日一日も欠かさない発信、そして、『こんな話題まで扱っているなんてバカじゃないの?』といわれるくらいの過剰さ等、エッジを効かすべきところは、徹底して取組む。


さらには、SNS全盛で、どのメディアもSNSによる流入に頼り切っている昨今であるにもかかわらず、SNSも、アクティビティログも、メールマガジンもやめて、同時にナタリーに登録してくれていた数万人の会員のアカウントもすべて削除したのだという。これによって、記事のクオリティそのものが、よりソリッドに見えやすくなったというが、返す返すこの信念には舌を巻く思いだ。



貴重な先行指標


これほど完成度が高くても、ナタリーの手法でどんなものでも扱えるというわけではない。音楽、マンガ、お笑いにつづく4つめのナタリーとして、『おやつナタリー』というメディアを2011年5月に立ち上げたものの、開始からわずか3ヶ月でクローズしている。お菓子では音楽のような流れを同様の手法でつくることは難しかったようだ。(だが、今後のチャレンジとして、色々な分野に広げてみたいとの構想はあるようだ)。


それぞれの分野には当然違った事情もあるはずだし、その特性に応じた新しいメディアを作ることに挑戦していけばいい。そのチャレンジ精神があれば、日本のコンテンツ市場も必ずや活性化するに違いない。


ナタリーの成功は、ウェブメディアの場における、一次コンテンツ制作の今後を考えるにあたって、非常に貴重な先行指標になっていると思う。炎上マーケティングばかりが幅を利かせている今のウェブメディアは、このままでは死滅してしまいかねないという危惧さえあった。大山氏を見習って、個性的な『水が湧いてくる井戸を掘る人=一次コンテンツ制作者』が一人でも多く出て来て欲しいと願わずにはいられない。