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日本の閉塞感を払拭するにはどうすればいいのか

時代の大転換点


2013年はとても大きな転換点として記憶されるメモリアル・イヤーになるのではないかという胸騒ぎにも似た直感が昨年末以来ずっと去らずにいる。これは単なる私の妄想なのか、それとも多少なりとも共感を得られるものなのか、ずっと確かめずにはいられないでいた。それもあって、年初から例年にないほど丹念に識者が語る『今年の見通し』を読んでみた。そして確信した。私の直感もまんざらではない。私が日頃注目している識者は、ほぼ同じことを感じ、異口同音ながら、それぞれの立場で『そのこと』について語ろうとしている。


その代表例の一つが、ジャーナリストの佐々木俊尚氏の2013年第一回目のメールマガジンの一節だ。しょっぱなからこうある。

あけましておめでとうございます。2013年が始まりました。今年は大きな時代精神の変更の年になるのではないかとわたしは考えています。(中略)
この問題意識は重要で、ひょっとしたらわれわれはいま「ひとつの民族がひとつの国」という国民国家と、それに基づく民主主義というシステムの終焉を前にしているのかもしれません。


参加できる喜び


私自身、ほとんど同種の確信を内心感じながら、時代が動く『音』のあまりの大きさに固まってしまっていたように思う。だが、ここにきてやっと魔法がとけてきた気がする。同時に、ブログを書き続けていたことに感謝の念が湧いてきた。私がブログを書き始めてから次の4月で6年目を迎えることになるが、この5年間は、まさにTwitterFacebook等のSNSの急拡大期にあたり、多くのブロガーがSNSに活動の軸足を移しただけではなく、残っているブロガーも総じて文章は簡潔になり、写真やデータを多様して、読みやすさを追求するようになった。だから、私のように言葉にこだわり、長文になりがちなブロガーは時代の遺物のような扱われ方をすることも少なくなかった。


だが、佐々木氏の言うような、『時代精神』が変わるほどの価値の転換期には、いやでも言葉や概念の力が重要になる。これほどの『時代のターニングポイント』に、議論に参加できる機会を得ることは望外の喜びである。今年は覚悟を決めて、思いの丈を存分に書いてみたいものだとあらためて思った。



三位一体の崩壊


佐々木氏は、産業革命による工業化と、それによる国力の増大、そして国民が豊かになるという連携的なシステムが「最大多数の最大幸福」を成立させ、民主主義の基盤となっていて、「国が強くなること」「企業が生産を増やすこと」「生産を担う人たちが豊かになること」という三位一体がなりたっていたのが、先進国では90年代以降ほぼ終了してしまったという。そして、さらにいま、この構造は崩壊しつつあると指摘する。


日本では、高度成長期からバブル期にかけて、海外から資源を調達/国内で製造/海外市場で販売、という構図が他国との競争を制して完成した時期に、この三位一体が成立していることを誰もが実感した。だが、これは雇用創出効果の高い『製造業』の奪い合い、という側面があり、戦後日本が、繊維、家電、自動車と次々に得意分野を広げて行くごとに、米国との間に『貿易摩擦』を引き起こしてきた。米国は、金融テクニックで、バーチャルなフロンティアを拡大して、この『製造業』の奪い合いから離脱して見えたが、リーマンショックを経て、結局今またオバマ政権は産業資本を重視し、ドル安を容認し、自国の輸出競争力を強化しようとしている。



国家権力の不可避の弱体化


これまで、米国のような先進国は自国での生産はコストメリットがないため、サービスや、製造業でもより付加価値の高い分野にシフトしていくとされてきたし、現実にアップル、グーグル、フェイスブックのような、時代の最先端企業を生んできた。ところが、グローバル化に順応して多国籍化したこれらの企業は、米国(先進国)ではさしたる数の雇用は生まず、税金も最小限しか払わない。オバマ大統領の立場にしてみれば、これでは得票を稼ぐ事はできず、税収が落ちれば政策の自由度が制約されてしまう。如何に時代の針を逆戻しにするように見えても、産業資本を大事にして、雇用と税収を維持することで、国力を増強することを目指さざるをえないと考えたことはそれなりに理解できる。


しかしながら、競争相手として新興国が台頭し、価格競争力が激化し、一方で、国内の需要はほぼ飽和し、日本では三種の神器と言われた、自動車、クーラー、カラーテレビのような巨大な需要を換気するアイテムは当分出てくる見込みはない。となると、米国の政策も成果はさほど期待できないと見るべきだろう。経済活動と国民国家が整合しなくなってしまっている以上、国家の政治権力の弱体化は不可避で、それは米国とて例外ではない。



どうすればいいのか


もはや旧来のシステムが全世界的に制度疲労を起こしてしまっていて、それは、システムの微修正ではどうにもならず、システムが出来た歴史的な背景や前提、および思想のレイヤーまで降りていって、抜本的な見直しをはかるくらいでなければ如何ともし難い、という認識を共有する人は多くなっている。だが、その根本的な見直しとは何で、どうすればいいのか、という点については、まだ諸についたとさえ言えないくらいの段階だろう。


こんな中、日本の一企業(あえて今回は『個人』とは言わない)はどう振る舞えばいいのか。一企業に出来る事があるとすれば、何より先ず、企業行動(ミクロ)と政治(マクロ)はもはやうまく整合することは期待薄であることを肝に据えて、独立独歩、自分たちの身は自分たちで守ること覚悟を決めることだ。間違っても、政府主導の円安誘導やエコポイントのような危機の先延ばしや需要の先食いの恩恵に甘えて、決定的に判断を誤った家電業界と同じ轍を踏むことがあってはならない。



需要のフロンティアを広げること


そして、個別企業が考えるべきは、何といっても需要のフロンティアを広げることだ。だが、どこにそんなフロンティアがあるのか、という声がすぐに聞こえてきそうだ。特に日本にあっては、需要のシュリンク(縮小)こそが最大の危機と言っていい。しかも、その需要も、アップル、グーグル、アマゾン等の多国籍企業に根こそぎさらわれているように見える(これからもっとさらわれそうな気配さえある)。ただ、そんな中で、従来にはなかった需要のフロンティアを広げてみせた日本企業がないわけではない。そういう意味で、今あらためて私が注目したいのは、ドワンゴ、NHN Japan(実質的に日本の会社といってよいと思う)、GreeDeNA等のIT企業だ。そして、彼らによってフロンティが広げられた領域は、端的に言えば、日本人の『無意識』だ。


ニコニコ動画ボーカロイドソーシャルゲーム、LINE、AKB48(IT企業が直接の担い手ではないがITがその成功を支えたモデルと言える)・・・


いずれも、10年前なら、こんなものが流行ることは想像も出来なかったようなサービスが、よく見るとずいぶん沢山出てきている。これらは皆、アンケート調査をやっても、グループインタビューをやっても、前もって見つけ出すことは不可能だ。従来の『合理性』の枠からはみ出しているからだ。このようなフロンティアの拡大は、インターネットインフラが行き渡って、ソーシャルメディアが普及し、誰でも発信できるようになった今の情報環境と切っても切れない関係にある。インターネットによって、日本人の無意識が可視化され、その具体的な存在を知ることができるようになったのと同時に、一定の操作が可能になった。そのことに気づき、ビジネスとして成立させる力量を持った会社だけが広げることができるフロンティアだ。



先頭を走る日本企業


それまでは、インターネットテクノロジーは人間の理性や意識を拡張し、世界中の人と意識的な議論ができるようになり、情報の交換を効率化し、需要は顕在化していたが物理的に手が届かなかった場所を市場に編入し、主として顕在化しているビジネスを拡張していくツールとして利用されることが想定されていた。ところが、日本では人々の無意識に光をあて、思わぬ需要を掘り起こし、ビジネスとして成立させる人たちが現れてきた。思想家の東浩紀氏は、自著『一般意志2.0』*1で、この無意識の可視化を利用することで、民主主義の新しい地平が開ける可能性を示したが、これは政治に限らずビジネス分野でも非常に大きなフロンティアになりうる可能性を秘めている。しかも、私の知る限り、ドワンゴ等に匹敵する欧米の企業はまだあまり聞いたことがない。この分野では日本企業が先頭を走っていると言えそうだ。



リスク


しかしながら、この分野の開拓はまさに始まったばかりで、わからないことのほうが圧倒的に多いし、多分にリスクもある。また、誤解も受けやすく、場合によってはバッシングの対象になったりしかねない。そもそも、『無意識』の中にあるのは、『善』や『楽』ばかりではない。底知れない『悪』や『恐怖』も潜んでいる。そうい意味では、性急に結果(収益等)を求めずに、多少腰を落ち着けて探求していく忍耐も必要なようだ。



興味深い本


『無意識というフロンティアの拡大』という観点でも、年末以降、かなりの書籍を買いあさり、ネット内の情報にもあたってみた。その中でも、一番面白かったのものの一つが、気鋭の若手評論家である宇野常寛氏が編集長をつとめる『PLANETS Vol.8』*2だ。この本(雑誌?)を読んで先ず感じたのは、着眼点の素晴らしさだ。今の日本で、どの領域で一番『無意識のビジネス利用というフロンティア』が広がりかかっているのか、宇野氏の言い方を借りれば、『夜の世界が広がりつつあるのか』、一覧することができる。そして、何が課題で、どんなことが議論や問題の所在なのか、次に何を探求すればいいのか、手っ取り早くキャッチアップできる。座談会に参加したり記事を投稿しているメンバーも、若手を中心に粒ぞろいだ。今回はさすがに長くなったので、個別記事や座談会の感想には踏み込まないが、また場をあらためて参照して、もう少し具体的なコメントを書いてみたい。



危惧もないわけではない


ただ、あえて言えば、輝かしい可能性と同時に、まだ説明されても理解が難しく、世間の誤解を受けてしまいかねない部分も少なからずあるように見える(もちろんこれは私の勉強不足が主な原因だったりもする)。例えば、座談会に何度も名前の出てくる、社会学者の濱野智史氏など、誌上の発言は相変わらず舌鋒するどく大変面白いが、昨年末『前田敦子はキリストを超えた*3という非常に挑戦的なタイトルの本を発刊して、大変なバッシングをくらったことは記憶に新しい。事前に背景知識のある私から見れば、本書も随所に興味深い内容があり、『ゲーミフィケーション』という点では読みどころが多いとも言えるが、『宗教』のアナロジーを語るにはやや準備不足に見えてしまう。ネット上にはAKB48にも、宗教にも突っ込みを入れたい人が溢れていることもあり、斟酌して読まれることなくバッシングにさらされてしまうことになりがちだ。こういうことがPLANETSが切り開く他のフロンティアでも起きてしまうことを多少危惧する。バッシングも大きくなりすぎると、せっかくのフロンティが閉じてしまう恐れもあり、それは大変残念なことだ。



フロンティアの拡大こそ


ただ、もちろん、可能性は淡い燭光であっても、バッシングがひどくても、めげずに探求してこそのフロンティアだ。それはPLANETSに限らずどの企業においても同じことだ。『お行儀よく振る舞ってトラブルなくトータルコストを下げましょう』ばかりでは、どうにもならない。というより、今の日本ではそれが一番始末が悪い(リスクのあるソーシャルメディアは止めて、リスク発現で想定されるコストを予め抑止しよう、というような企業行動がこれにあたる)。 多少お行儀が悪くてリスクがあっても、新しい価値を見つけて拡大していくバイタリティーこそ必要だ(リスクはあっても、ソーシャルメディアを社員が利用することで生まれるかもしれないチャンスに賭けようというような企業行動はこちらにあたる)。


日本の閉塞感は、政府の経済政策では根本治癒はできない。なんであれ新しい可能性を信じてフロンティアを拡大する企業や個人を少しでも多く輩出することでしか払拭できないと私は思う。

*1:

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

*2:

PLANETS vol.8

PLANETS vol.8

*3:

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)