大企業だからこそ負ける理由

負け続ける日本企業


先日、ソニーからiPadの対抗商品として、『Sony Tablet*1が発売されるというニュースがあったので、自分なりに事前評価記事等をあたってみた。ソニーの、この商品を全体のラインアップの軸としてアピールして行きたい、という意気込みはわかる。だが残念ながら市場の評価が高いとは言いがたい。私も一通りスペックや価格をチェックしてみたが、買いたいという気にはならなかった。そして、発売当日(9/17)を迎えたが、どうやら会場は閑古鳥が鳴いて、かなり悲惨な状況だったようだ。(イベント会場はヨドバシカメラ マルチメディアAkiba)ここには、商品が出るたびに市場を熱狂の渦に巻き込んだかつてのソニーの面影はまったくない。

Expired
「Sony Tablet」の販売初日イベントが酷いと話題に…どうしてこうなった - NAVER まとめ


また、先日はシャープの電子書籍リーダー、『ガラパゴス』が、発売1年を待たずして撤退との報道が話題になった。同じく、『ザウルス』でアップルの『Newton』を圧倒した当時の輝きはすっかり失われている。かたや米アマゾンから近々発売が予定されている、タブレットは2011年第4四半期だけで300-500万台の大台を達成する可能性があるとさえ言われている。確かに私自身、発売が待ち遠しくてワクワクしてしまう。iPad2を使っていて満足しているにも関わらず、買って使ってみたいという衝動がおさえきれない。

http://mainichi.jp/select/biz/news/20110915k0000e020060000c.html


さらには、市場のスマートフォン急拡大のトレンドに乗るべく、アンドロイド携帯の普及を進めて来た日本の携帯電話メーカーも、アップルや韓国のサムソンに押されてまったく生彩がない。最近、auiPhoneを取り扱うとの報道が市場を震撼させたのは記憶に新しいところだが、この調子だと回線品質に勝るauソフトバンクからシェアを奪うだけではなく、ソフトバンクがキャリアであるが故に本来iPhoneが欲しいのに買わなかった消費者の大量流入の可能性もあり、日本の携帯電話メーカーはさらに窮地に追いやられる可能性大だ。



影と格闘する日本企業


右を向いても、左を向いても、日系IT企業の低迷ぶりには目を覆うばかりだ。この根本原因は、先日私自身もブログで言及した通り、プラットフォーム競争で負け続けていることだと思うのだが、どうもそれだけではなく、もっと基本的な商品やサービスの企画力というか、消費者に対する価値提案能力自体が衰えてきているのではないかと思えてならない。どうも相手にしている消費者が、今目の前にいる現実の消費者ではなく、『かつてはいた』『メーカーにとっていて欲しい』架空の消費者、いわば影のようなものを相手にしているように見える。

プラットフォーム戦略に勝利する『決め手』 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る


今何かを欲しがっている(買おうとしている)消費者は、一瞬後にはどこかに去ってしまう。見失いたくなければ、補足する手段を持たなければならない。そうでなければ、残された影とむなしい格闘を繰り返すしかない。仮に何かの偶然で消費者を見つけても、社内で長々と稟議や会議をやっている間にまた別の場所に行ってしまう。それでも何とかキャッチアップして、いざ商品やサービスをつくろうとしても、コストの足の高い大企業がそれをやることが正当化されるほどの数の消費者が集まらない。



日本の大企業だからこそ勝てない


日本の大企業でさえ勝てないのではなく、日本の大企業の構造だからこそ勝てないのだ。この点については、ここ最近のエントリーはじめ、過去何度か書いて来たが、これほど負け続ける日本企業の姿を見せられていると、あらためて同じことを繰り返してでも一言っておきたくなる。もちろん、どんな産業、どんな商品でも該当するというわけではない。巨額な研究開発投資が不可欠な医薬品のようなケースでは(すべてとはいわないが)あてはまらないかもしれない。だが、原則複合技術で構成されるIT電気業界やインターネットサービスに範囲を狭めれば、大方該当すると考える。


では、日本の大企業の構造的な問題とは何で、どうして勝てないのか。


(1)世界観のレベルでの取組みに不慣れ


日本に限らず、先進国の市場では、消費者は基本性能にあたる部分にはほぼ満足している。それでも消費者にお金を払ってもらおうと思えば、従来にない新しい経験ができる商品やサービス、単なる性能のレベルを超えた、生活シーンや世界観を変えてくれるくらいのダイナミックな価値提案が必要になる。だが、日本企業の商品企画担当は改善は得意だが、無から有を生むタイプの仕事にはまるっきり慣れていない。しかも長期的な存続に最も高い価値を置く大企業(そしてそういう企業の経営者)は、『伸るか反るか(100か0か)』というような博打はできないようにできている。理想は70点から80点をコンスタントに取ることだ。これでは消費者とすれ違うのも当然だ。



(2)ニッチマーケット(隙間市場)には取組まない


垂直統合型でできていて、従業員は原則終身雇用、ということになると、特定の目的に特化して組成されて、目的を達成すると解散してしまうようなベンチャー企業より何をやってもコストが高いことにならざるをえない。よって消費者が見えていても、一定規模以下の小規模マーケット(ニッチマーケット=隙間市場)には構造的に取組めないようになっている。日本の大企業の組織というのは、大量生産/大量消費を前提とした組織である。ところが、消費者の好みが非常に細かく枝分かれしつつある現在、いわばすべてのマーケットはニッチマーケットと言っても過言ではない状況が現出しつつある大企業は勢い汎用的な商品で多様化したニーズをカバーしようとする。ところが、それは大抵、高機能を求める消費者には不満足で、機能が不要な消費者には無駄に価格(コスト)が高い商品になる。



(3)多様なユーザー情報収集分析ルートを持たない


日経ビジネスの次の記事によると、最近SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)疲れを起こす企業が増えているのだという。気持ちはわからないではないが、これだけ消費者の本音がSNSを中心とするインターネット上にあることが明らかで、しかも、双方向性もあるから、継続して深く消費者の言い分や願望、潜在的な傾向を把握できる情報源が目の前にあるのに、何ともったいないことだろう。是が非でも情報を引き出し消費者と親しくなるという決意と覚悟はここからは感じられない。どうしても、インターネットを通じた消費者とのコミュニケーションを自ら体験したことのない高齢者に上級役職者が多い日本の大企業は、SNSに貴重な宝が埋まっているということを結局のところ理解していないケースが多い。一方、覚悟を決めて取り組むベンチャー企業や中小企業の中には、消費者との太い絆ができて、広範囲で深い消費者の情報を日々蓄積しているところも多い。

企業に広がる「SNS疲れ」:日経ビジネスオンライン



(4)神経症形式主義に堕ちた管理やコンプライアンス


日本全体の大問題だと思うのだが、特に機能分散して管理、コンプライアンスを専門に取り組むような部署(社員)を持つ大企業には、本来の目的を逸脱して、過剰な取り締まりや、箸の上げ下ろしまで口を出すような組織が、新たな商品やサービスを認めず、毀損してしまうケースをあまりに沢山目にする。最近脳学者の茂木健一郎氏が舌鋒鋭く語るところでもある。『その決まりはどういう理由や経緯で出来ているのか』と聞いて『前から決まっているから』とか『法律だから』とか、さらには『上がそういうから』というような反応が返って来たら、あなたの会社は完全にこの罠にはまっていると思っていい。もちろん、管理やコンプライアンスが不要だと言っているのではない。その意味を理解した上で、バランスをよく使いこなすことが大事だ。ところがいつの間にか絶対の金言になってしまってその意味を問わないのは、大企業にありがちなことだ。ベンチャー企業では管理やコンプライアンス機能を事業とは別に切り分けて行う余裕がないことが多く、いやでも常に全体のバランスを考慮せざるをえない(まったく無視してしまうケースも少なくなく、それはまた別の問題ではある)。結果として、ことイノベーションに関しては大きな差がつくことになりやすい。



(5)自前主義にこだわり情報インフラを利用しない


最近何度か書いたことなので、また繰り返すのも少々気恥ずかしいが敢えて繰り返す。最近のインターネット情報インフラの整備は本当に著しいものがある。アマゾン、グーグル、フェイスブックTwitter、アップル、PayPalUstreamYoutube等々、いくらでも挙げて行くことができる。大規模投資をせず、時間をかけずとも、新しいサービスやビジネスを始めることができる。こういう資産を存分に生かして、最近は素晴らしいサービスが沢山出てくるようになった。これを担うのも、主として個人であったり多くても数人程度の小組織だ。他方、日本の大企業は垂直統合的、系列グループ的(まだ完全にはなくなっていない!)で、大抵お仲間の日本企業偏重ということもあり、こうした外資中心のインフラを利用することには大変強い抵抗がある。そのため、自社(および系列/お友達企業)対応にこだわり、使い勝手が悪く使い物にならない情報インフラを社員に押しつけ、逆に日々進化する汎用インフラの利用を禁止するような愚挙を平気で行う。使う場合でも、『完全』なチェックが終わってからというケースが多く、導入のスピードは遅く、インターネット情報インフラの特質を生かした使い方にはならない。



空恐ろしいリスク


この状態を放置しておくことが企業にとってどれほどリスクがあるか空恐ろしいと私など感じてしまうのだが、日本企業の大勢はまだそうではない。私の直観が正しければ、大企業を個人や小規模ベンチャー企業がこれからどんどん出し抜いて行く光景が見られることになる。そして、いつしか市場全体がそのような個人やベンチャー企業のネットワークで覆われ、旧来の企業は、iPadの部品を供給するようなタイプの企業(部品供給会社)としてしか生き残れなくなって行くのではないか。おそらくそこでは、製品でさえネットワークインフラを駆使して消費者に最も満足度の高い付加価値サービスを提供する企業群に供与する『部品』となっていく可能性がある。(そしてそういう企業のほとんどは円高/高コストの日本では生残れない。)



エッツィーの事例


そのような将来像は、『The Mesh メッシュ すべてのビジネスは<シェア>になる』

メッシュ すべてのビジネスは〈シェア〉になる

メッシュ すべてのビジネスは〈シェア〉になる

という本に詳しく述べてあるが、今回は本書の全体の紹介はせず、ベンチャーが大組織を出し抜く一例を紹介しておく。ここに出てくるのは、イーベイ(巨大オークション・サービス。日本にも一度入って来たが、早期に撤退。現在日本ではYahoo!オークションがその地位にある)とその弱点を突いて自らのサービスをつくりあげたエッツィー(ハンドメイドの手工芸品に限定したオークション)である。(決済にはPayPalが利用されている。)

http://www.etsy.com/

エッツィーの創業者たちはイーベイのような大手が少人数のマーケットに対応できなくなっていることをチャンスと見た。イーベイには宝飾品、衣服、家具、ギフト製品や帽子などを手作りする手工芸職人が大勢いることに目をつけた。手作りの工芸品が好きな人たちは自分たちの作品を互いに売買しあい、その話題で盛り上がり、手工芸愛好者ならではの体験ができる場を求めていた。


そんな手工芸愛好者のなかには成長が期待できるニッチ市場があるとエッツィーは考え、手工芸品に限定したオークションのプラットフォームを立ち上げた。エッツィーはオークションに出品する手工芸職人に、イーベイよりも低い出品料を設定したが、それでも相当の利益をあげている。エッツィーは「大手よりも、あなたの特殊なニーズによりよく応えることができますよ」という基本的なメッセージを伝えているよい例だろう。

同掲書P182

オークションで自分の作品を売った人は、ほかの人がつくったものを買うことでコミュニティにお金を還元し、ほかの手工芸職人たちに創作する力を与えている。登録者はお金、知識と作品そのものをシェアしているのだ。手工芸職人たちは互いに作品を提案し合ってもいる。「私が帽子をつくるから、あなたはセーターを編んで」とか、「あなたがつくった服に合わせて私がジュエリーをつくる」といった具体だ。

エッツィーは今では単なるオークションサイトではなく、より強固なソーシャルネットワーキングの機能を果たすようになっている。

同掲書P183