NHK大河ドラマ『天地人』を一年観て感じたこと

NHK大河ドラマ天地人


すっかりタイミングを逸してしまったので、何だか気恥ずかしいのだが、今年のNHK大河ドラマ天地人』について、いつの頃からかずっと気になっていたこともあり、多少の感想を交えて思うところを書残しておきたい。



史実と違いすぎる


平均視聴率(ビデオリサーチ調べ 関東地区平均)で見ると、ここ10年の大河ドラマでは、2008 年の『篤姫』(24.5%)、2002年の『利家とまつ・加賀百万石物語』(22.1%)に次ぐ22.7%という高視聴率を記録した。少なくとも『娯楽作品』としてある程度受け入れられたことは確かだ。主演の妻夫木聡常磐貴子はじめ、俳優陣は熱演が目立った。音楽も非常に良かった。このあたりは、他のレビューを拝見してもほぼ共通しているところのようだ。だが、内容的には、すでに多くの人が非常に厳しい評価を下しているように、私も少々疑問を感じざるを得なかった。やはり史実とは違うところが目立ち、フィクションが多すぎた。普通のドラマと違って、歴史的事実の扱いがあまりにぞんざいになると、歴史ドラマとして成立しないばかりか、なまじ歴史を扱うが故に、歴史や歴史的人物に愛着を感じて大事にしている人達の心情をいたく損なうことにもなりかねない。中でも、NHK大河ドラマクラスの歴史ドラマは、威勢が衰えたとは言えそれなりのステータスもあり、日本がどのような歴史を持ったのか、どのような歴史的偉人がいたのか、『日本人の共通遺産としての歴史』の入り口であって欲しいと願う人は今でも少なくない。



違和感のある徳川家康の描き方


中でも、私が途中強い違和感を感じたのは、『徳川家康』の描き方だった。直江兼続と言えば、石田三成の盟友で、関ヶ原の合戦の西軍の大立て者ということになる。当然、その直江兼続から見れば、徳川家康こそ不倶戴天の仇敵であることは確かだ。だが、直江兼続グループの善性を誇張するためとはいえ、徳川家康をあそこまで人格下劣な小悪党として描くのはいかがなものだろう。作中で意図された徳川家康象は、松方弘樹の熱演もあって十分わかりやすく表現されていた。だが、その家康象があまりに薄っぺらいことが、その対比として誇張したかったであろう、直江兼続グループの大義も非常に薄っぺらい印象にしてしまっていた。これでは、徳川家康だけでなく、直江兼続(グループ)も浮かばれまい。



史上稀な存在


私個人としては、一般に知られる徳川家康という人の人格を必ずしも好きではない。歴史的評価はともかく、政治家としても、治世家としてもあまり好きになれるタイプではない。職業人としてもあのタイプの人と一緒に仕事をするのはできればご遠慮願いたいものだと思う。だが、一個の歴史的人格として見れば、あれだけの人物は稀だと思う。やはり『英雄』というべき資質と威光があることを認めざるをえない。


私が何より感嘆するのは、ものすごい忍耐強さ、というか、如何に生き残りのためとはいえ、他人の目に現れる人格(ペルソナ)をあれだけコントロールできる、およそ人間業とは思えないほどの能力だ。確かに、秀吉死後の家康は、策謀と佞知に長けた極悪人という印象を露にするが、それまでの家康は愚直なほどに律儀な人物として定評があった。しかも、その律儀さのために命をかけるようなところもあり、それが演技だとは誰も思わなかった。しかも、演技だとしても50年もの間この難行苦行とも言える技に取組むことが本当に可能なものだろうか。


初めから感情のどこかが壊れた酷薄な異常人というのも、彼の他の数々のエピソードから見るとあたらないようだ。中でも、武田信玄が人生最後の大西上の途にあったとき、圧倒的な戦力の違い(武田軍:2万7千、徳川軍1万1千。内、織田信長からの援軍3千は全く戦意がなかった)もあり、戦術上も浜松城にこもっていても誰にも咎められない(信長はそれを要請していた)状況で、突如狂ったように撃って出て、大惨敗して脱糞しながら逃げ帰る有名な『三方ヶ原の戦い』では、『一矢も酬いずに城にかくれているなどは男子ではない』と言い放ったというが、これがこの人の本性なら、強い(狂気と言ってもいい程の)感情が内に溢れる人であったとしか考えられない明智光秀による本能寺の変の後、少数の部下と三河に逃げ帰る時(いわゆる伊賀越え)も、しばし感情が溢れて『信長の敵を討ちに帰る』と、部下を手こずらせたというが、同様のエピソードは少なくない。


長男である信康を、織田信長の命で処刑したようなエピソードも、戦国時代にはけして珍しくない出来事と言えなくもないが、後年に至るまで時々涙を流して懐古していたというから、余程の痛恨の出来事だったはずだ。だが、強大な勢力に成長していた信長はともかく、その時、信康処刑を支持した酒井忠次らの部下も、その一族や子孫も何ら咎めることをしない。三河一向一揆では命からがら逃げ出すような状況だったのに、一向一揆側に参加していた本多正信など、その後の家康の最も信頼する参謀である。とても普通の神経では耐えられないだろう。普通でないからこそ偉人ではあるのだが。巨大な感情を内に秘めながら、自分の人格を生残るために只管抑制する。だが、暴発することもある。一方、目的のためなら、恨みつらみの感情は完全に抑制してしまう。これほど巨大な矛盾に満ちた人格は、とても私の想像の及ぶところではない



歴史ドラマは高みを目指して欲しい


こんな『巨魁』を簡単に下劣な小悪党として扱ってしまうのは、いかにも底が浅いと言われてもしかたがないのではないか。しかも、ここまでして強調しようとした、直江兼続側の『義』と『愛』も、正直私には言わんとすることがよく理解できなかった。秀吉は確かに天下(日本)を平定したが、後に朝鮮出兵のように誰も望んでいない戦を初めて諸候を苦しめる。秀吉の遺児である秀頼を家康は最終的には滅ぼしてしまうが、秀吉自身、信長の遺児を策略にはめるようなことをしている。もちろん、天下を譲るようなことはしていない。秀吉側に『義』はあったのだろうか。むろんこれも簡単に判断はできない。この正義とも悪とも簡単によりわけてしまうことができない不可解な存在こそ人間であり、それゆえにこそ歴史は奥深い。足元の視聴率だけではなく、NHK大河ドラマには、こういう深層まで踏み込むチャレンジを期待してしまう。


さらに言えば、これほどの複雑で異彩を放つ多くの人物を歴史に持つ日本であればこそ、その意味をきちんと解明して、後世に伝えていくことこそ我々の『義』ではないのか。歴史の短いアメリカ等とは違う、大人の知恵を育む貴重な財産/教訓の山が歴史に眠っていることを、歴史ドラマをつくる人達がプライドを持って伝えていただくことを切に願う。