社畜を減らすために本当に有効な対策とは?

社畜問題に触発された


今日は、当初考えていたタイトルを急遽変更して、『社畜』について書いてようと思う。というのも、次の2つのブログエントリーを読んでいて、大変触発されたからだ。


心配しなくても社畜はしばらくしたら絶滅するだろうけど - Tech Mom from Silicon Valley
http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-303.html


発言小町での『妻が病気の時、夫は会社を休むべきか?』という問いかけ*1 に関して出た、『当然仕事を優先するべき』という多数の意見に対して、その『社畜』マインドを批判的に取り上げたエントリーである。基本的なコンセプトは私も大賛成なのだが、どうすればいいか、という点については多少自分なりに思うところもある。



かつての日本企業では


このブログの内容や多数のコメントを読んで、とうとう日本にもこういう時代が来た、と思うと大変感慨深い。私が社会人になりたてのころを思い出すと、こんなことを書いたり発言したりする場など全くなかったし、上司、同僚、先輩、後輩に至るまで、ほぼここでいう『社畜マインド』で塗りつぶされていた。もちろん、(私自身を含め)中にはこんなのはおかしいと考えている人はいないことはなかったが、さながら隠れキリシタンのような悲惨な境遇だった。仕事より家族、個人生活優先、というような考え方は、たとえ持っていたとしても、周囲に気づかれないようさりげなく振る舞うのが社会人としての賢さ、なんていうことを何度先輩から教わった事か。当時は、家族の病気等を仕事を早く切り上げるための理由に堂々とあげる人は、出世を諦めたちょっと変わった人に見られたものだった。それどころか、仕事の後の上司との飲みや、ゴルフ等のような社内行事でさえ私的な理由を持ち出すのは気が引けたものだ。もちろん、本当に生死に関わるような時はさすがにそれをとがめられることはなかったが、但しそういう伝家の宝刀は、ごく稀に抜くから許されるのであって、何度も繰り返すと周囲の冷たい視線を浴びることになる。空気が読めない奴、という烙印を押され、出世コースからは外されるわけだ。



選択の余地はなかった


自分たちは、幕藩体制下の下級武士と何ら変わりないといつも感じていた。お家のためなら、家族(一族)がどうこうというのはまったく関係ない。そんなことを言えば、上司だけではなく、同僚からもつまはじきにされてしまう。万一上司の機嫌を損ねれば、一族郎党を迷わすことになってしまうから、家族(一族)の側も自分たちのことよりまずお務め大事となるわけだ。当時は転職市場とてほとんどなく、あっても大幅に給与、退職金、年金ともにダウンしてしまって、しかもその転職先企業でも同じような、ことによってはもっと悲惨な『社畜』状態に落ちることがある程度想像できる。逆に、黙って勤め上げれば、そこそこの待遇が終身保証される。退職後も再就職先を斡旋してもらえる。大抵の人にとって、選択の余地などないと言っていい。



多少の強度の違いはあっても


私の場合、その後2度の転職をして、違う会社の雰囲気も知ることになったが、すべて日本の会社ということもあり、どこでも同様の『社畜』は沢山いた。もっとも、この『社畜』マインドの強さは会社によってかなり違っていて、それが強いほど会社としての底力も強いという感じだった。また、部署や職種によってもかなりの強度の違いがあった。国内営業や人事のような管理部署はやはり『社畜』マインドは非常に強かった。逆に、海外関連部署は、外国のカルチャーと日頃触れていることもあって比較的開明的な雰囲気もあり、家族や個人生活を大事にすることに寛容な上司も少なからずいた。だが、元大手商社幹部だったかつての上司の言葉が、とても印象的だった。彼は言う。『昔から海外関連の仕事が長くなると出世はできないと申しますが・・・』 海外畑の人でも、出世をする人は、日本企業の阿吽の呼吸をちゃんと心得た人だった。


私も(心の中は別として)間違いなく、『社畜』としてさんざん働いた。サービス残業など当たり前だったし、過労死こそしなかったが仕事で体を壊したこともある。もちろん労災申請などしない。企業一家で長く過ごすにあたって、それ(申請)が見合うとはとても思えなかったからだ。有給休暇は体調を壊したときくらいしか原則使わなかかった。それこそ仕事し過ぎて体調が悪くなった時のために取っておいた。それを堂々と部下に強要する上司までいた。


そもそも昔からこういう雰囲気が大嫌いだった私だから、もちろん心の中ではこう叫んでいた。


『日本の労働行政はどうなってるんだ!!』


『こんなことやって集中豪雨のような輸出をして、世界に誇ることができるのか!!』



ただ、バブル崩壊までは、『日本的経営』は大変な人気だった。文化的な背景まで含めて世界に広めることができると本当に信じていた人も沢山知っている。今ではとても信じられないことなのだが・・。



日本にはなかった『公』意識


発言小町の『妻が病気の時、夫は会社を休むべき?』に対する沢山の発言を拝見すると、ブログ『仕事なんてクソだろ』のH.N.さんが言っているように、『自発的社畜とでも言いたくなるような意見で溢れている。だが、昔の日本を知る人に取ってみれば、これこそ大人の見識ということになる。家族を含む私的領域を会社という公的な領域に持ち込んではいけない、公私混同はみっともない、というわけだ。


だが、今、日本の惨状を見ながら冷静に振り返ってみると、ここで言う、『公的』というのは実は『公』でも何でもない。『会社』という『私的領域』を『個人』と比較して『公的』と勘違いしていただけだ。その証拠に、まず、『家族』『地域共同体』は日本の企業化に伴い、壊れて行った。社会の満足度は低く、自殺が多く、経済的に失敗した時の社会のケアーはない。子育ては非常に負担の多い一大事で、保育施設等のインフラも全く整備されていない。日本よりGDPの低い国はいくらもあるが、日本ほどGDPが高くて社会の満足度や幸福度が低く、自殺が多い国というのは類を見ない。日本の本来の公的領域は、会社という『私的領域』偏重で、すっかり衰退してしまった。企業が『擬似共同体』の振る舞いをやめてしまうとこの有様だ。もちろん、企業だけが原因ではないが、日本的経営の思想に染め上げられた日本人は今に至るもその洗脳の後遺症を引きずっていることから見ても、かなり罪深いことは確かだ。今から急に家族重視といっても、どうやったらよいかわからないという人は今でも多いはずだ。個人の生活を大事にしようと言われても、途方に暮れる人もそれに劣らず多い。



解決は簡単ではない


右肩上がりの経済を前提とした会社制度は、もう維持できないことはもはや誰の目にも明らかなはずだ。海部美知さんが言うように、もはや社畜でいることのメリットよりデメリットのほうが大きいはずなのだ。だが、この社畜問題は、そんなに簡単に日本から去ってくれないのではないか? 非正規雇用比率が40%を超えている20代のような若年層は、社畜で成り立つ日本企業など、すぐにでも大改革して変わって欲しいと大多数が思っているだろう。


だが、いかに終身雇用はもう終わったと言っても、日本のいわゆる『解雇事由』は非常に厳しく運用されているから、余程のことがない限り中高年の正社員が解雇されることはない。この階層は、社畜マインドで会社の出世の階段をのぼり、また、社畜マインドくらいしか売りがない人たちによって成り立っている。彼らにとっては簡単に変わってもらっては困るのだ。熟年労働市場などほとんど成立していない日本では、こういう中高年が会社を辞めることのメリットは皆無と言っていい。


海部さんが言うように、確かに優秀な何パーセントかは、『クビ上等』と宣言できるだろう。だが、大多数の社畜は、そういう優秀な人には早く会社から出て行って欲しいと願っているはずだ。それが、会社の競争力を弱めることがわかっていても、自分の地位を少しでも長らえるためには、社畜比率が高い方がいいとさえ考えているはずだ。少なくとも私の周囲は、そんな社畜で溢れかえっている。優秀な人が率先して会社を辞めても、日本社会全体の社畜は簡単にはいなくならないと思われる。



今優秀な上司(経営者)にやって欲しいこと


こういう流れを変えるためにどうしても必要なのは、『中高齢労働市場の流動化』だと思うが、どう見ても、近い将来そんなことが実現するとは思えない。そんな中で個別企業で今からできることがあるとすると、若手の教育とインセンティブ提供の部分だろう。社畜マインドの強い人は、(建前はともかく)部下にも社畜マインドを植え付けようとする。だが、若年層にはもはやそれが受け入れられる土壌はない。しかも、優秀な人材程それを嫌って、そんな会社は見限ってしまう。だから、そういう新しい世代の若い優秀な人材をきちんと育てることができるかどうか、それを上司である中高年の評価の最重要項目にするべきだ。


優秀な経営者なら、それがどれほど大きな意味があるかわかるはずだ。若手の力を伸ばし、優秀な人材を会社に留め、有害な社畜マインドを会社から払拭する、一石三鳥である。そして、それは一会社を超えて、間違いなく社会貢献になるだろう。今度こそ、日本で衰退した『公的』領域が甦る可能性が出てくるからだ。そして、そういう価値を訴求できる企業こそ社会的に尊敬できる企業として受け入れる優秀な若手人材は、これから増えることはあっても減ることはない。


部下を社畜にせずに、共同パートナーとして、給料の一単位あたりのやる気を最大限にするにはどうすればいいのか。子供を育てながら働く優秀な女性を会社に留めるには、どんな制度や働き方を構築していけばいいのか。夜の付き合いや、社内ゴルフでないことは明確だろう。社畜だらけの環境で、こんな部下の指導は優秀な上司にしかできないことだ。だからこそ、優秀な上司(経営者)には有望な若手が会社を辞める前に、自分の部下を社畜にせずに力を引出して、実績をあげてアピールすることこそ、チャレンジして欲しいのだ。そして、その動きようのない成果を社畜の面前に示して欲しい。もしその企業に判断能力のある経営者が残っていれば、必ずや取り上げてくれるだろう。ダメなら、そのときこそ本当に会社を見限ればいい。結果的に、今の日本ではこういう積み重ねが一番社畜を減らすことに繋がると私は考える。