今こそ歴史的チャンスの到来だ!

溌剌としているマーケティング界のカリスマ


12月16日付け日経ビジネスオンラインの記事に、マーケティング界のカリスマ、フィリップ・コトラー教授のインタビュー記事が出ている。マーケター諸君、今がチャンスだ:日経ビジネスオンラインタイトルがいい。『マーケター諸君、今がチャンスだ』とある。冒頭の紹介文にもあるとおり、未曾有の世界経済危機だというのに、この人は本当に溌剌として元気がいい。もちろん、ただの空元気ではない。危機はチャンスでもあるというゆるぎない確信がある。


少し前なら考えられなかったビッグチャンスがあちらにもこちらにもゴロゴロと転がっている──。そんな情景が見えていれば、マーケティングの達人と言っていいでしょう。マーケター諸君、今がチャンスだ:日経ビジネスオンライン


自信喪失している日本のマーケター


ただ、周辺にもそういう話をしてみるのだが、意外な程に自信喪失気味で元気がない人が多い。そもそもただでさえ日本の市場は、『若者の自動車離れ』に典型的に見られるように、大きく変質し、インターネットの影響も複雑に及んできて、商品企画担当やマーケターが自信喪失してしまっていたところに、この100年に一度と言われる危機到来である。日本は確かに金融危機の規模自体はアメリカに比べれば小さいのだろうが、アメリカの危機の原因が金融危機であることが明確なことと比較すると、ずっと複雑だ。ある意味では、ずっと根深いとも言える。


商品企画と言えば、今年の秋に開催されたCEATEC*1を見た時に内心はっとしたのは、電機各社がこぞってアピールしているのが、薄型テレビだったことだ。確かに、驚くべき薄さと画面の美しさは日本の誇るテクノロジーの結晶とも言えるが、逆に言えば、数少ない需要が見込める領域に殺到せざるを得ないことの危機感を感じてしまった。(そう感じたのは、どうやら私だけではなかったようだ。)本来、もっと新しいアイデア、はっとさせる新商品等が出てくるべき展示会ではないのか。もちろん丹念に会場を見て回ると、期待感十分の提案を見つけることはできたが、日本の市場で今何がおきているのかを本当に考えさせられてしまったものだ。そして、そんなにしてアピールした薄型テレビも、今や販売の勢いは急速に落ちているようだ。



ビッグチャンス到来のはずなのだが


フィリップ・コトラー教授は、景気後退期に企業が実行すべきマーケティングの基本動作が4つあるとして、その第一に、変わりつつある顧客を注視することを挙げている。

第1に、顧客がどう変わりつつあるのかを注視すること。市場の変化とは、本質的には顧客の行動の変化です。今までは何気なくお金を使っていたけれども、これからはそうはいかない。新しい価値をどこに見いだしていくのか、何が大切だと考えるようになるのか。顧客の動きを察知し、景気後退期における価値の再定義を急がなければなりません。マーケター諸君、今がチャンスだ:日経ビジネスオンライン


リーマンショックが実物経済におよぶことを直感して以来、私のブログでも顧客の変化の兆し、可能性について言及してきた。私自身、顧客のマインド、それも深層心理の部分に起きている変化を把握することが当面の急務と感じたからだ。これほど世界的な規模で、市場のトレンドが激変するときこそ、コトラー教授の言う通り、既存の秩序変化や心理変化に伴って消費性向も激変する可能性があるのだから、それに一早く気づけばビッグチャンスを手中にできるはずだ。腕に覚えのある商品企画マンやマーケターなら、安定的な市場ではなかなか見出せない大変化こそチャンス到来と考えるはずだろう。しかも変化のマグニチュードが大きい程、停滞した社会では望みにくい変化を起こせる可能性もまた高まる。



工業社会的なマーケティング志向


ところが、日本の自信喪失気味の商品企画マン、マーケター、経営者を見ていると、下記で9割方語れてしまうような気がする。

  • 『気合いで売って来い!』というような無策な精神主義
  • 経費節減と投資抑制だけに注力
  • 『ものづくりの基本に帰れ』というような懐古志向への逃げ込み


やはりこれは、彼らが、『工業社会的なマーケティング志向』を抜け出せなかったということだなとあらためて思う。消費者の価値の源泉が、『機能性』『利便性』という範囲でしか理解されていない


インターネットの浸透が進み、ユーザー情報が豊富になって来ても、彼らが注力しようとしたのは、所詮、『機能性』『利便性』に係わる消費者の明示的(意識的)な意見集約を『科学的』に分析して、その『機能性』『利便性』を『科学的』に提供することだけだ。確かにそれは、従来の『統計的』『科学的』な手法で『定量的』に結果をはじき出すことに相性も良い。その結果出て来た答えは、だれの目にもわかりやすい。市場のことを普段はほとんど知らない、老害経営者もこのような手法で説明されれば理解可能だ。


一端そうやって目標ができれば、後は組織を軍隊のように編成して、全社一丸となって品質向上させ、売りまくるだけだ。価値が単純だから、技術シーズでも何とかなる、というような意見も出がちになる。技術者がいれば、マーケティングなど不要、というような意見など典型的にこの罠にはまっている兆候だ。


ところが、そもそもこれではコモディティ化を止めることはできなくなって来ていたわけだ。そして、世界的な景気後退期がやってくると、すでに消費者は今持っているもので機能的に充分と感じているのだから、ものなど買わなくなるに違いない、ということになる。何をしても無駄では、と感じれば経費節減/投資抑制オンリーになるだろうし、それでも何とかしろと言われれば、縮小するパイを他社から奪うために体力勝負をするか、『超機能性』『超利便性』の追求とばかりに『ものづくり信仰』に自閉する。



現代のマーケティング


時代に取り残されたくないと真剣に考える若いマーケターは、フィリップ・コトラー教授の以下の発言を是非、肝に銘じて欲しい。

現代のマーケティングは、どれだけ顧客の深層心理に迫れるかの勝負です。マーケティング部門は数字をいじり回しているだけでは存在価値がありません。顧客や市場の変化に社内の誰よりも敏感で、必要ならば躊躇することなく変化を起こす集団でなければなりません。マーケター諸君、今がチャンスだ (4ページ目):日経ビジネスオンライン


現代の市場のニーズのコアは、『精神的』、『情緒的』、『感性的』であり、しかも社会、文化のコードの中に『暗示的』、『構造的』に埋め込まれている。だから、現代の顧客や市場の変化に敏感であろうとするものは、消費者の深層心理を読み解き、社会や文化のコードを解読する能力が不可欠だ。そして、変化を起こす集団になるためには、このレベルの理解がなければ話にならない。


インターネットを明示的、意識的な情報の量としてしか捉えられないようではだめだ。むしろインターネットで注目すべきは、そこに大量に露出する消費者やユーザー、一般市民の『無意識』の部分だ。個人の無意識だけではなく、まさに集合的な無意識が様々な形で露出している。そういうことに敏感であろうとする者には、インターネットは革命的なツールである。



来るべき時代の中心として期待されるマーケター


確かに、日本だけでなく、世界全体で、当面は『バブリー』な意味での『情緒的』な消費(高級車、宝石、高級な不動産、豪華な旅行、その他資源浪費的消費一般)は、抑止されることになるだろう。だが、シフトする先を見つける鍵は、その新しい状況での、『精神的』『感性的』な消費構造の把握であるはずだ。消費全体が急速に縮小する局面では、自社の優位性確立に不可欠だし、そういう目先の競争を制するということ以上に、社会や文化のコードの部分や深層意識の部分を揺り動かすしかけ、物語の構築によって次の時代の消費というより消費文化を構築していかなければ、再び日本全体が長期停滞の泥沼に沈んで行くだけだろう。


世界は、多極的構造変化の時代を迎えている。そういう意味ではただの金融危機ではない。あらゆるものが、構造の部分で大変化を起こし、また、よき構造変化を主導することが求められている。政府主導による消費刺激策も既存の構造維持ではなく、未来のあるべき社会への投資を先取りする領域に注ぎ込まれるべき、というまっとうな意見が出ているがごとく、一企業においても、来るべき深層、構造の変化を先取りして、あるいは変化を主導して行く事が結果的には競争戦略としても、最もクレバーということになる。そう考えれば、優秀なマーケターにこそ企業経営の中核にあって、未来を差配すべきビッグチャンスが来ていると思う。だから、私もコトラー教授にならって、呼びかけたい。『マーケター諸君、今こそ歴史的なチャンス到来だ!』