佐々木俊尚氏の『ブログ論壇の誕生』を読んで

佐々木俊尚氏のライフワークの一つ?


佐々木俊尚氏の最新刊である、『ブログ論壇の誕生』*1がやっとアマゾンから送られて来たので、早速拝読した。佐々木氏については、私のブログでも何度も書いていることもあり、あえて説明はいらないと思う。言わずと知れた、ITネット系ライターの大御所である。


今回のテーマは、元新聞記者というキャリアを持つ佐々木氏にとって、ライフワークの一つと言ってもいいのではないだろうか。佐々木氏がおっしゃる通り、ブログ論壇の中核はいわゆるロストジェネレーションといわれる、比較的若い世代であり、一方、従来メディアの代表である新聞は、団塊世代を中核とした中高齢層が核となって、お互い全く理解がすれ違っているばかりか、最近では一発触発の世代間闘争となりかねないような断層がある。その従来メディアの代表格である新聞社でキャリアをスタートさせ、今はインターネット情報の表裏を隈無く知る佐々木氏のような人でなければ、今起きている事の全体像を俯瞰して論考を進める事は難しいと思われる。そのことをご自身自覚されているのだろう。他のテーマにはない、一種の『気負い』を感じる。もしかすると、旧メディアの墓碑銘は自分が書くというくらいの決意を胸に秘めておられるのではないか。(それは穿ち過ぎだろうか。)



進化したブログ論壇


今回の著作は、2007年8月に発表された、『フラット革命』*2が布石となっているようだ。比較して読むと、わずか一年の間に如何に多くのことが起こり、論壇としてのブログが進化を遂げたのか、より実感できると思う。この間の象徴的な出来事として、私自身感慨深いのは、2007年11月に、マイネット・ジャパンの上原社長の、『最近ブログつまらなくないですか?』*3との、非常に挑戦的なタイトルのエントリーに端を発した、『ブログ限界論』である。当初から、上原社長が、ブログに係わる議論を活性化するためにあえて放ったアンチテーゼであることは、彼のことを知る人なら誰もが感じたことではないかとも思うのだが、確かにスパムブログの蔓延、政治課題等リアルへの影響力のなさなどが、ブログの停滞感として口頭に上った時期ではあった。


だが、多くの内容に乏しい雑記のようなブログにまざって、非常にシャープな論点を持ったエントリーが増えて来ていることは私自身何となく感じていた。仕事がら、弁護士や法曹界、企業法務担当とお会いすることも多いのだが、そういう人たちの間でも、当時、法律や法務をテーマにした非常に質の高いブログがどんどん出て来ていることが話題になっていた。社会学系の知見を持って書かれたブログも沢山来るようになったと感じられたものだ。佐々木氏の『サークルの外側に広がる沃野』というのが、まさにこういう領域なのだと思う。(余談だが、こういう法律系、社会学系のブロガーの活性化が、最近のGoogleストリートビューに対する質の高い多くの議論に繋がって来ているのではないかと思う。) エンジニア系ブログは書き手が増えることによって、確かに全体としてレベルダウンしたのかもしれないが、その代わり、従来は参入していなかった層を取り込みつつ、議論の多様さという点では、ブログの議論は進化していたのだと思う。


すぐれたブログが出る背景


ブログ論壇と言っても、しょせんは素人芸で、一次情報もほとんどないため、ほとぼりが冷めたころには霧散していくだろうという見方は当初からあったし、『フラット革命』のころは、まだそうなる可能性は十分あると自分自身考えていたものだが、今はまったくそうは思わなくなった。ブログ論壇に参入するアマチュアがプロを凌駕するのは、普通に考えれば、どう考えても難しいと考えるべきだろう。一次情報に組織的にふれる事の出来る環境、文章を書くスキルの習得環境、人脈等、どれを取っても勝ち目があるようには思えない。そもそも、如何にアフィリエイトで多少の小銭を稼ぐことができるようになったと言っても、それで生活できる人はほんの一握りであり、本業の合間に書き続けること自体難しいはずだ、というのが典型的なブログ論壇への評価だったと思う。


だが、本当にそうだろうか。例えば、自分が専門として取組む仕事は、自分が一番一次情報に接しており、意識して勉強していれば、それなりに背景知識も厚くなっていく。それは、取材やインタビュー程度で凌駕されるほど薄っぺらいものでもない。それなりのプロフェッショナリズムと独自性はあると言っていい。そして、その独自の観点で書くブログは、表現力を斟酌すればそれなりの内容になると思う。もちろん、書く量は限られるだろうが、目立つエントリーの幾つかは書けると思う。ブログに参入する人数が増えて行けば、そういうエントリーが集合知となっていく。そして、その論壇内では、日々論戦があり切磋琢磨し、個々のブロガーも成長している。



日本の言論空間が変わろうとしている


また、これは自分でブログを書くようになって、感じるところなのだが、この空間は確かにフェアでフラットだ。もともと匿名で書いているのだから、立場や出自のバイアスでフィルターがかかるわけでもない。それに、特に論壇系と言われる領域では、書かれている内容が論理的で説得力が無ければ読まれない。逆に、説得力があれば、誰がどこで書いたものであろうと、読んでもらえる。


これはまさに、佐々木氏の言う、日本の『戦後社会』と呼ばれる枠組みとは大きく価値観を異にするところだ。日本の共同体(会社を含む)は、安心はもたらすが、同時に息苦しい隷従の関係や同調圧力を伴う。そこでは、年功、出自等が意見の軽重を決め、正論であっても簡単に退けられる。むしろ、正論だからこそ退けられると言うべきかもしれない。正論や議論は共同体の和を乱す、理屈を言うな、というのが長く続いた『戦後社会』だ。そこには、意見表明できる手段とて無かった。だから、自分の所属する企業で、ひとかどの影響力を振るえるようになり、発言が認められるようになるまで、『泥のように10年働け』ということになる。


日本のブログは身辺雑記ばかりで、米国等のようなレベルの高い議論が少ない、という意見は多いが、それはそうだろう。如何に長い間、日本人が議論に慣れていなかったか、ということが今まさにあらわになっているのだと思う。佐々木氏が、ネット論壇が公共圏に昇華するための日本の課題としてあげておられるポイントの一つに、『問題についてつねに討議し、解決策を考えていくという討論(ディベート)文化が欠落していること』があげられているが、それも『戦後社会』の負の遺産の一つだと思う。


ただ、一方で、従来は議論自体をさけてきた、マスメディア、政治家、大企業が、『非対称戦争』をブログ論壇から仕掛けられて、議論をオープンにして、『きちんと議論をオープンにし、すべてを可視化させ、真摯に対応していくしかない ブログ論壇の誕生 P232』状況になっていることは今後はもっと広く認知されていく可能性が高い。日本の『討論(ディベート)文化』は今まさに始まろうとしているのだと思う。そういう意味では、毎日新聞低俗記事事件』は歴史的なターニングポイントとして長く歴史に刻まれる大事件だったのかもしれない。


ブログを書くモチベーションとエネルギー


論壇系ブロガーが、エントリーを書き続けるのは大変であることは事実だが、それなりの『報酬』も大きい。といっても、金銭報酬ではなく、情報報酬とでも言うのだろうか、書くことによって広がる交流(リアル、バーチャル両方)は実のところ何にもかえがたいものがある。自分の関心のあるトピックに関して、議論と情報の双方向の流れの中に自分が食い込んでいくことができると、自分のステージが格段に上がることを実感できる。リアルで初めて会った人が自分のブログの読者で、距離が一気に縮まることもある。リアルの仕事にも、よい影響が及んでいくことは言うまでもない。 


それに、今回はさらなるビッグ・サプライズもあることを身を持って知ることになった。著書の巻末に、『佐々木俊尚が選んだ著名ブロガーリスト』文藝春秋|『ブログ論壇の誕生』 特別付録 佐々木俊尚が選んだ著名ブロガーリストという、特別付録ページがあって、約170のブログがリストアップしてあるのだが、何と驚いたことに私のブログがこの中に入っている! 私のブログは、開始は07年7月だが、実質的に継続更新を始めたのは、08年3月末からであり、実質半年弱の新参者なので、よくぞ見つけていただいたものだと思うが、こういうことが起こる可能性に満ちているのが、ブロゴスフィアーの魅力なのだと思う。当然、舞い上がった私は当面ブログをやめないだろうし、より良いエントリーを書こうと考えている。これこそブログを書く強い原動力だし、金銭報酬以上の価値なのだと思う


進化し続けるブロゴスフィア


一年前には開いていなかった、可能性のウインドウは、この一年の間に次々と開いてきた。おそらく、次の一年が経過するころには、堅く閉じられていたもっと多くの窓が開いているのではないか。このシリーズの佐々木氏の次の著作をそういう期待を持って楽しみに待ちたいと思う。

*1:

ブログ論壇の誕生 (文春新書)

ブログ論壇の誕生 (文春新書)

*2:

フラット革命

フラット革命

*3:http://realtimecontext.com/modules/eguide/event.php?eid=31