『価値発見&協創ブロガー』になれないか

私のブログにいただく皆さんの反応


6月21日と22日の私のブログ記事は、最初一気に書き上げたのだが、長くなりすぎたので二つにわけて、一話ずつ完結させた形で、エントリーした。二つに分けたことがある意味問題喚起になったのか、何人かの人に興味深いご意見をいただいた。それは私が予想していなかった方向からのご意見でもあり、大変ありがたいことだと思う。このような文章を書いて自分だけでストックしていては、けして起きることのない、ブログの持つダイナミズムを感じることになった。


あらためて自分が書いた文章を読んでみると、なるほどご指摘の通りと感じるところもあるし、誤解されているのでは、と思うところもあるように思った。だが、冷静に考えてみると、私のブログは、みなさんに、『見えない次元』『感性』『カオス』など抽象的な概念をこれでもかとぶつけている。読む側がわかりにくいのも無理はない。


そもそも、私が語ろうとしていることの多くが、いわば暗黙知の次元にあることなので、きちんとロジックで説明しようとしても、伝えきれないことも多い。それでもその暗黙知をできる限り明晰知の側に持って来る努力は続けたいと思っているので、ここまで興味を持って読んで下さったかたは、よろしければこれからもおつきあいいただきたいものだ。そして、おかしい、わからないと感じたら、是非どんどんご意見を賜りたい。



価値が創造されていく


皆さんのご意見という意味では、私が投げかけたキーワードや文章が、自分自身の意図とは違った読みをされて行くことは、私にとって貴重な発見であることは少なくない。さらには、そういう新しいコンテキストの発見や新しい観点や意味の付与が新しい創造になっているのではないかと最近は感じることができるようになってきた。これは本当にワクワクする出来事だ。


そういうきらめくような新しい意味のかけらを、私ができる限り再構成して、また投げ返す。そして、それがまた乱反射して行く。そのためには、投げかけるのは多義的で意味の豊富なキーワードとか概念が良いようだ。そういう意味では、はからずも私のブログは(この目的においては)案外いいポジションにいるのかもしれない。


群衆の叡智という時に、群衆から情報のピースが出て来て、ジグゾーパズルが完成していく、あるいは、母集団が多くなることに伴って統計的精度を上げることが可能となっていく、というタイプの成果に注目が集まりがちだが、意味が読み替えられ、付与され、次元が上がって行くというタイプの集合知こそ、創造に一番近い群衆の叡智の生かし方であるように思える


もっとも、断片的に集まって来ただけでは、有用な形で利用することが難しいから、その新しい意味たちを集めて再構築する役割が不可欠だ。自分がそういう者(ブロガー)になることを、最近頓に夢想する。 

 

人間も成長するインターネット世界のありかた


成長し続ける超巨大データベースとしてのインターネットというイメージが先行するせいか、そこから叡智をくみだすために、いかに精度の高い検索エンジンを生み出すか、というデータベースの成長や進化が語られることが多く、それに対する人間の側は、ほとんどの場合『普通の常識人』が対置され、そこでは、人間の成長や進化のイメージがあまり語られていないように思う。その巨大存在に、人間の側も最大限叡智を絞って向き合い、人間の側も成長し従来とは違った存在として、インターネット関わっていく、そういうことから生まれる可能性がもっと追求されていいのではないか。


そして、そこから生まれる叡智は、必ずしも万人に理解され、役立つものである必要はない。むしろ、価値は千差万別であっていい。しかし、そういう個人がモブとなって、一定の層ができるあがる未来は楽しみだ。


ブロガーには、系統があるようで、最近は色々な分類名が出て来て、興味深い。『報告系ブロガー』『広報系ブロガー』『書評系ブロガー』等々。 では、そこに、『価値発見&協創ブロガー』という新セグメントを切り開けないものだろうか、とまさに夢想している。