日本の異界(名古屋)の持つポテンシャルを生かす未来

 

◾️ 日本の異界

 

 「日本の異界 名古屋」*1という本のタイトルの奇抜さに思わず目をとめてしまった。私も、昔、仕事の関係で7年くらい愛知県に住んでいて、その文化の特殊性に、辟易し、反発しながら、時に包摂され、それまで真面目に振り返ることのなかった「文化」という非常に高い壁に直面して悶々としていた体験がある。そのためもあってか、当時のことが走馬灯のように浮かんできて、つい購入してしまった。

 

よく見ると著者は、かつて「蕎麦ときしめん*2という名古屋の特性を非常に巧みに表現することで喝采を受けた本の著者でもある、清水義範氏ではないか!だとするとこれは単なる上滑りのマーケティング本でも、単なるルサンチマンのはけ口でもなく、洒脱でリズミカルな文章の妙味を期待できると直感した。そして、実際その通りだった。

 

 

◾️ 誰も名古屋には行きたくない?

 

名古屋ネタですでに何冊かの著作のある清水氏が、今回また名古屋本を書くに至った理由は、2016年の6月に行われたインターネットによる「都市ブランド・イメージ調査」*3の調査結果だという。このような調査は昔からあって、今回も「文化不毛の地:名古屋」を名古屋人が自虐的に調査データで実証してみせる、というような調査の焼き直しなのではないかとも思っていたが、調査結果を見て驚愕してしまった。名古屋市への訪問意向指数(訪問したい指数-訪問したくない指数)があまりにぶっちぎりの最下位なのだ。下から3位は福岡市25.7ポイント、大阪市16.8ポイント、何と名古屋市は一桁以上低い1.4ポイントだというそのような傾向があることは十分認識していた私も、この数値を見て、そのまま捨て置けなくなってしまった。

 

もっとも、この調査結果は、すでに旧聞もいいところだ。この「衝撃」を受けて週刊誌の特集記事が出たり、ブログ記事も多数出たようだ。そういう意味では今まで気づかなかった自分の情報感度の低さに恥じ入る思いなのだが、それでもあらためて議題として取り上げておきたい気にさせられるほど、この調査結果にはインパクトがある。   

 

この結果を見て、私が一番初めに知りたいと思ったことは、「どうしてこれほどまでに数値が低くなってしまったのか」という点だ。昔からこのような傾向があったとはいえ、さすがに私の知る名古屋の評価はここまでは低くはなかったはずだ。アンケートのバイアスや何等かの不備がなければだが、何か私が知らないことが起きているのか。だとすれば、一体何が起きているのだろう。残念ながら、本書から(他の情報をあたっても)直接回答を見つけることはできなかったが、ある程度の仮説を思い浮かべる役にはたったように思う。

 

◾️ どこよりも住みやすい名古屋

 

 本書でまず私が注目したのは、清水氏の主張する次の重要な指摘だ。すなわち、他所から訪問したくない/する興味のない名古屋だが、今住んでいる人/名古屋の地元民(あるいはこの文化や習俗を受け入れしまっている人)にとっては、名古屋はどこよりも住みやすい場所であると感じていることだ。だから、地元民は、他所から人を招くことにほとんど興味を持っていない。

 

今、自分自身が観光地である鎌倉に住んでいるから余計感じるのだが、住民としては他所から来る人が多すぎることは決してうれしいことではない。混雑、騒音、犯罪等の増加が不可避だからだ。だが、それでも地元の経済の活性化に寄与すると思えばこそ、アンビバレントな思いや、地元民どうしの意見対立を乗り越えて、他所からの訪問者や移住者の増加を受け入れる。たいていは観光客を迎える必要がなく自足している名古屋のようになろうと思ってもなれないのが実情だ。ただ、何らかの策で本当に名古屋のようになれるのであれば、今の日本の危機的と言われている状況に対する一つの解決策を名古屋が提示しているようにさえ思えてくる。

 

清水氏によれば、名古屋で生まれた人たちは、名古屋を出ないで地元の大学に行き、地元で就職する人の比率が高く、その結果として、小学校や中学校くらいのころにできた人間関係が一生続くという。そして、緊密に助け合い、その関係の絆の中で生きていくことができる。さらには、結婚しても夫婦ともに地元という人が多いから、両親と住む人が多く、同居に伴う葛藤もどうやら他地域に比べるとずっと少ないようだ。しかも、名古屋では早く「大人っぽくなること」が若者の一般的な価値観というから、親の世代に反発してやんちゃな若者文化を作り上げるというような気運に乏しい変わりに、周囲の大人たちに溶け込みやすいと言える。

 

かつて、私もこの地域に住んでいたとはいえ、ここまで一般化して語ることができるほどの経験/情報はないが、それでも、地元出身の友人たちが、とにかく地元の人達と普段から非常に緊密なつながりを持っていることはひしひしと感じたものだ。最初のうちは個別の友人の個性かとも思ったが、少なくとも私の周囲の友人たちには、誰にもそのような傾向があったことを思い出す。名古屋の友人宅に行くと、ご両親が気軽に登場して話しこみ、場合によっては、そのご両親と直接連絡を取り合う友人のようになることも少なくない。考えてみるとこれは他地域ではあまりないことだ。しかも、その頃にはまだSNSなど普及していなかったから、今のように「Facebookで友達になった」というような気軽な関係とはわけが違う。

 

◾️ 日本で一番「安心」が確保されている?

 

 今の名古屋が相変わらずこんな様子だとすると、今日および今後の日本の問題として盛んに喧伝されている、コミュニティの崩壊」「少子化」「孤独な老人」というような問題に対して、一番耐性があるのは名古屋ということになるのではないか。清水氏自身が述べているように、過剰なほどの「べたべたした人間関係」が苦にならなければ(苦になる人も私を含めて多いと思うが)名古屋では、今日本から急速に失われつつある「安心」がどこよりも確保されているようにさえ見える。もっとも、どの地域でも地元のコミュニティを維持したいが、仕事がなくて、若者が他地域に流出してしまうことが問題になるわけだが、名古屋には地元に仕事がある(逆に言えば、地元にしっかりと雇用機会があることがこの独特な文化を支える重要な要因と考えられる)。

  

だから、名古屋の地元民は、この環境を変えてしまうようなよそ者に来て欲しくないと思っているというのも、よく理解できる。積極的に排除するかどうかはともかく、積極的に受け入れるインセンティブはないのだ。となれば、同質性の高い者どうし、ハイコンテキストなコミュニケーションが交わされ、文化は保守的かつ閉鎖的、よそ者が益々入り込みにくい構造になるのは当然とも言える。よって、この傾向がスパイラル状に強まることになった結果、私の昔の認識より、今はもっとよそ者が入り込みにくい、あるいは訪れるインセンティブのない場所になっているということではないのか。検証はできないが、ありそうな仮説だと思えるのだが、どうだろうか。

 

◾️ 持続可能とは言えない

 

では、今後の日本が目指すべきなのは、名古屋のような場所/あり方なのだろうか。昨今の巷の議論に耳を澄ましていると、ダイレクトに「名古屋」とは言わないまでも、このような未来像を持っているようにしか考えられない「識者」は少なくない。世界はすでにグローバルで競争できるエリート層と、そこにはついていけず、自分の生まれた場所を離れたくても離れることができない層(下層)に二極化しつつある。この「下層」のロールモデルとして、名古屋は適当に見えるのだろう。

 

繰り返すが、この議論が成立するためには、そこに仕事があることが条件となるのだが、名古屋の場合、日本でも有数の製造業出荷実績を誇り、製造業を中心としたしっかりとした企業とその仕事がある。しかも、工場だけではなく、開発拠点や営業本部を含む本社機能があるから、いわゆる「エリート層」の担う仕事も多い。そうしてみると、名古屋には、戦後の日本の発展を支えた社会モデルが崩壊を免れて最後まで残っているとも言えそうだ。なんといってもこの地域には、戦後の日本の輸出産業の中核を担ったトヨタグループがある。清水氏は、名古屋出身ということもあるのだろうが、大いなる田舎:名古屋はそのままでいいではないか、というご意見のようだ。まあそれは私も理解できないわけではない。少なくとも、ここに無用の混乱の要素を持ち込んでも、今より良くなるとは考えられない。但し、これが持続可能なモデルなら、という条件付きだ。だが、この条件が問題だ。

  

今後の持続可能性、という一点において、正直私は悲観的だ。トヨタを代表とする日本の製造業がそのまま生き残れる可能性は低いと考えているからだ。それは会社としてのトヨタに生き残れる可能性がないと言っているのではなく、もがきながらも生き残るであろうトヨタは、戦後の日本を支えた代表的ロールモデルではなくなっており、大きな変化を余儀なくされているだろうと考えているのだ。過去のブログ記事でも何度も語ってきたように、今後、世界市場で起きているデジタル技術革命を逃れられる企業はなく、その勝者は、そこでの勝利条件を理解して最大限生かすことによって世界に覇を唱えているGoogleやアマゾンのような会社だ。となると、いかにトヨタであれ、生き残っているのであれば、地元の雇用を頑なに守り、地域のコミュニテイの守護神のような今の顔を維持することは難しいと考えざるをえない。

 

そのため、今後(地方都市を含めた)都市のあり方を検討するにあたっては、デジタル技術革命を乗り切れる企業(Google、アマゾン、UberAirbnb等)およびそこに集う従業員にとって、拠点を置きたい/住みたいと思うのはどんな場所(都市)なのか、という観点に焦点をあてざるをえなくなると思えてならないのだ。

  

◾️ 豊田市の特殊なモデル

 

ただ、このような議論を展開すると、どうしても、鉄筋コンクリートを利用し、平面と技術と伝統から切り離された合理性を追求し、規格統一によって均質な製品を効率的に大量生産する、モダニズム建築のことを想起する人が今でも少なくない。実際、戦後の日本もそのようなコンセプトで開発された都市ばかりだった。名古屋圏で言えば、トヨタ自動車の本社のある愛知県豊田市など、まさにそのようなコンセプトの代表格のような街と言える。少なくとも私が在籍(在住)していた時は、そのような都市づくりと共にある「豊かな社会」の理想が何の衒いもなく語られていた。ただ、トヨタの場合が特殊なのは、モダンな住宅&街づくりと、会社コミュニティの同心円状に展開する密接な地域コミュニティが合体することによる「豊かな社会」だったことだ。そこで語られていたのは、自由主義経済学者のフリードリヒ・ハイエクが批判したような「社会設計主義」の一種だったと言っていい。自由主義経済をリードする先端企業の表の顔と違って、この場所は、社会主義的な「設計」と「統制」がはばをきかせていた。私を始め、その思想に強い違和感と居心地の悪さを感じていた人は少なくなかったが、一方で心酔している人も決して少なくなかった。ここの思想を受け入れた社員=住民にとっては安価で清潔かつ会社に最寄の住宅と自家用車を取得でき、さらには、強力に価値統一されたコミュニティがあり、会社に在籍している限りは「安全」で「安心」、ということになる。箱物としての街と住宅だけあっても、コミュニティがなければ人は安心できない。清水氏が指摘するような名古屋コミュニティとは違うが、同じ名古屋圏の中にありながら、ここは別種の「安全・安心モデル」が支配していた。

 

だが、その経営思想や文化は、先に述べたような(Google等の)企業のそれとは対極にあると言わざるをえない。それは私自身、この自動車会社勤務の後、IT系の雰囲気が濃厚に漂う時代の今所属する会社に移って、同業者との交流が増えることで身を持って知ることになった。あらゆる点で違う。違い過ぎる。早晩維持が難しくなる(と私が考える)豊田市を含めた名古屋圏の文化とは、これとは水と油以上の違いがある。

 

◾️ 収奪から育成へ

 

起業家/実業家の古川健介氏は、メルマガ記事にて、米国のプログラマーで、シードファンディングのY Combinatorの創立者としても知られる、ポールグレアムのエッセイ「都市と野心」*4を引用して、都市は不特定多数の複雑かつ巧妙な方法で人々にメッセージを送り、そのメッセージは都市によってぜんぜん違うこと、ニューヨークは「もっとお金をかせげ」「もっとカッコよくなれ」であり、シリコンバレーは「もっと影響力を持て」「世界を変えろ」というメッセージを発していると彼が述べていることを紹介している。その文脈で言えば、古川氏によれば、東京が発するメッセージは『真面目に遊べ』なのだと言う。しかも、その東京は世界で有数のクリエイティブな都市と評価されているとを紹介している。

 

共産主義社会主義のイデオローグが理想とした「社会設計主義」が有効ではないことは、ほぼ世界の常識として定着したと思うが、都市設計についても同様に、合理性ばかりを追求して、社会や土地の発生するメッセージを何の脈絡もなく強引に変えてしまうようなモダニズム建築は、少なくとも「人が住みたくなるかどうか」という点においては、もはや有効とは言えない。そう考えれば、ポール・グレアムの言う、都市や地域のメッセージは設計してつくるものではなく、『探し、栄養を与え、育てる』ことを主眼に考えて行く必要があることになる。

 

それは、「効率」「清潔」等の単一価値を土地に強引に押し付けるような手法とは正反対で、先ず長い歴史を経て、その土地の地層に溜まって熟成した習慣、習俗、感情等が発するメッセージに注意深く耳を傾け、探すところから始める必要がある。もちろん、そのように苦労して探しても、結果的に経済価値につながる成果をえることができるのか、との不満も出てきかねないが、幸い、東京もそうだが、日本の持つポテンシャルは、その点では非常に大きい。この点の説明をし始めると、今回の記事をいつまでたっても閉じることができなくなるので、今回は控えておくが、すでに世界で高く評価された「クールジャパン」についても、その成果物の上澄を掬って海外に持ち込むだけではなく、それが出てくる場所/土地が育つような取組として継続的に成果物を生むしくみを作っていく必要がある。それはまた世界市場でさらなる大きな価値を生むポテンシャルを持っている。しかも、そこに人間がどのようなコミュニティを作り生活していくのか、生活文化を豊かにしていけるのか、という点と不即不離であり、人間不在の「モダン」とは正反対のモデルということになる。

 

◾️ 今の名古屋に繋がる歴史

 

そのように述べると、名古屋圏はもはや変わることもできず、日本の工業の衰退とともに衰退が運命づけられているように読めてしまうかもしれない。だが、そうあきらめたものでもない。名古屋圏が今のように、「ケチ、お金に意地汚い、効率一辺倒」というようなイメージになったのは、清水氏によればそれほど古い話ではない。

 

江戸中期、八代将軍吉宗は、質素倹約を旨として強引に緊縮財政を推し進めたわけだが、その当時尾張藩は七代藩主徳川宗春の時代だった。宗春は、反吉宗思想の持ち主で、治世者たるもの豊かな生活文化を活性化して人々を楽しませるべきで、倹約だけでは人を思いやる心が薄くなり、人々は痛み苦しみ、不都合もあると考えた。そして、実際に、派手な政治をして、人々にもパッと遊べと号令をかけた結果、全国から人が集まり、人口は治世中に40%も増えたという。そして、日本中が注目するほどの繁栄を見せた。だが、この政策の成果が出る前に、尾張の経済は借金まみれになってしまった。将軍吉宗はこれを責めて、最終的に宗春は幕府から謹慎処分を受けてしまう。残された名古屋人は、宗春を反面教師として、吉宗のように倹約引き締めの非常に慎重で保守的な、無借金を理想とするような経営に揃って鞍替えしてしまったというのが清水氏の見解だ。確かに今の名古屋の経営者は、吉宗のような人ばかりで宗春のような人を見ることは希だ。

 

◾️ 吉宗から宗春へ

 

だが、宗春の影響はしっかりと残っていて、名古屋人の生活文化は非常に豊かなのだとも言う。名古屋人は生活を豊かにして楽しむことに積極的であり、観劇のような賑やかのことが好きで、茶の湯のような習い事も好まれ、外食文化が根づき、お菓子文化も色濃くある。宗春の時代の大いに楽しめ、という賑かな残り香があるのだというのが、清水氏の見立てだ。宗春に遡るのかどうかは別としても、豊かな生活文化が残っていることは確かだ。思えば名古屋のこの二面性は非常に興味深い。そして、何かのきっかけがあれば、この豊かな生活文化に『栄養を与えて、育てて』さらに大きく開花させることができる可能性があるということになる。うまくいけば、人を呼び込むこともできるはずだ。宗春がそれに成功したように。

 

このように考えて来ると、旧来の製造業ベースとしたモデルに捉われる必要はないし、むしろ、脱工業化の時代に適した、というより、来るべきデジタル革命本番の時代に備えて、土地に残る文化を積極的に育てていくことを意識していくことで、今のところ人を呼び込むという点で圧倒的に最下位の名古屋が、反転、次代の日本を切り開いていく可能性もあるように思える。願わくば、私自身にとっても懐かしい土地、名古屋がこのような意味で、21世紀をリードして行って欲しいものだ。