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2014年 年頭所感/2013年総括および2014年の抱負


2013年の総括


この年末年始は、故あってまったくブログ記事を書くことができない状態にあったため、2013年の総括も、2014年の年頭ご挨拶も書けないまま、ここまで来てしまった。さすがに、今から『2013年10大ニュース』の類いの記事は書けないが、大変遅くはなったとはいえ、自分なりの年頭所感だけはやはり書いておこうと思う。


まず、昨年の総括だが、ゼロ年代後半くらいから、IT、インターネット、SNS等をずっとウオッチしてきた立場から言えば、いわばゼロ年代に見ていた夢から醒めることを余儀なくされ、変わることを拒否する日本社会/日本人の無意識の力の強さを再認識した年、それが私の2013年の見立てだ。



政治分野


それがはっきりと現れたのは、何より政治分野だろう。55年体制と言われた自民党一極支配体制を変革するべき、という有権者の願いは、一旦は民主党への政権交代という形で実現したが、まだ立ち上がったばかりで本来多少時間をかけて育てて行くべき新政権は、ヨチヨチ歩きを始めた途端に『東日本大震災』という未曽有の大事件に巻き込まれた不幸もあり、また、外交的にもあまりの未熟さを露呈し、あっという間に潰えてしまった。その結果、55年体制ではまだ最低限維持されていたとされる、野党の最後の拒否権(憲法改正に対する拒否権等)も霧散してしまったし、さらに言えば、自民党の中味も、かつてのような強力な派閥がなくなったことの負の側面が表面化して、外交等舵取りが拙い印象の強い現首相のバランサーがいなくなっているという意味で、旧体制以上に危うい存在になってしまっている。


昨年末に大きな騒ぎになった特定秘密保護法など、過去の自民党なら、まず自民党内部でもっと反論が出て喧々諤々の議論になったと思えてならない原発の再稼働問題にしてもそうだ。皮肉なことに、政界を引退したはずの小泉元首相が原発再稼働反対を主張して注目されているが、これなど、かつてなら自民党内部で議論され、党内で解決されていたのではないのか。もちろん、かつてのような派閥政治の復活を望むわけでは決してないが、バランサーを欠いた今の自民党の危うさは返す返す気になる。



期待はずれのインターネット選挙解禁


そもそも昨年は、『インターネット選挙解禁』が話題になり、その解禁ぶりの不徹底の問題はありながら、インターネットが政治改革の起爆剤として機能していくのではないか、との淡い期待が盛り上がっていた。米国等と比較すると、政治活動におけるインターネットに対する制限が大きな日本は、『インターネット政治活動の解禁=政治改革の進展』といような、今にして思えば、やや楽観的に過ぎる期待感が少なからず膨らんでいた。それがいわば、ゼロ年代の『政治改革の夢』の一つだったとも言える。ところが、今やその夢を語ること自体、『痛い』感じになってしまっている。関係者の地道な努力には敬服するが、残念ながらそれが実情だろう。今、猪瀬直樹東京都知事の辞職に伴って、東京都知事選が行われようとしているが、『インターネット選挙』による改革などもう話題にものぼらない。



頓挫したネット・ジャーナリズムの夢


その伏線としての意味もあった、インターネット浸透に伴う、既存メディアの没落とインターネット・メディアによる変革という『夢』も頓挫してしまったように見える。既存メディアという点では、新聞・雑誌のような紙媒体が危機的な状況にあるのは変わりないが、少なくともテレビについては、一見凋落に歯止めがかかったように見える。実際、2013年には、『半沢直樹』『あまちゃん』のようなテレビドラマが社会に大きなインパクトをもたらし、トレンドセッターとして機能した。


一方、インターネット系のメディアは、Yahoo!ジャパンの存在感はかなり大きいとは言え、その他は今ひとつステージを上げれずに沈滞しているように見える(新しいメディアは数多く立ち上がったが、まだ未知数な面が多い)。新しいメディアを代表するような存在であるTwitterも、『2ちゃんねる的』と揶揄されるようなノイズが確かにすごく増えた。どんな小さな不正や主義の違いにも容赦せず、『正義』の裁断/バッシングを浴びせかけるような、匿名の自称『正義漢』がものすごく増えた自分たちが『悪』と決めた相手への誹謗中傷は、どんなに口汚くても正義、とでも考えているような振る舞いだ。これでは、余程、逞しい個人でなければ、言いたいことがあっても口をつぐんでしまうだろう。



構造改革が進まない経済分野


政治的には拙く見える安倍政権も、経済運営においては順調というべきではないか、という声もあろう。実際、2013年の大納会時の平均株価はアベノミクス3本の矢の一本目と二本目、すなわち、金融緩和と公共投資による景気の刺激の効果もあって、年内の最高記録を達成して終了した。上昇率で見ても、41年ぶりという50%超を実現した。だが、三本目の規制緩和などによる経済成長の実現および、全体として最も必要な構造改革について言えば、なまじ金融緩和や公共投資による効果が出ているように見える分、変革どころか旧来の構造を温存してしまっているように思えてならない。


例えば、公共投資によって土木建築セクターの景気は上向いてはいるが、公共部門が伸びても民需の部分は悪いままであったり、円安誘導で自動車産業関連等、輸出の割合がいまだ多い産業は確かに潤ったが、だからといって円高が続いた時代に海外移転した生産拠点を国内に戻すような動きは見られない。実際、円高に苦しみ、通貨リスクヘッジの重要性を思い知らされた企業が、短期的な円安に安易に反応するとは考えにくい。


そもそも、少子化/人口の減少/高齢化/増え続ける巨額の財政赤字グローバル化する国際経済への対応等、深刻化する一方の問題群を見据えた根本的な対応という点で言えば、何一つ進んでいないばかりか、現状維持どころか復古を求める潜在願望が顕在化して、痛みの伴う変革にはむしろ消極的になってしまっているようにさえ見える。震災直後の『改革が必須』という熱気も醒めてしまったと言うしかない。


だから、非常に残念ながら、2013年は『復古の年』であり、ゼロ年代の夢の挫折の年』だったと認めざるえないと考える次第だ。



脆弱な虚構


だが、何と儚い、幻のような『復古』だろう。何と淡く脆弱な虚構だろう。この虚構に留まろうとすればするほど、どうにもならなくなった時の痛みは一層激しくなることは目に見えている。淡い短い虚構のすぐその先には激烈なハードランディングが待ち構えている。そんな現実から逃れることはできない。そうならないように、何とかソフトランディングで自主的に改革を、という試みは結局機能しなかったのだから、急激な変化による強制的な(しばし不本意な)変革を余儀なくされることは最早決定的だ。



日本の自動車産業の終わりの始まり


例えば、アベノミクスによって一息ついたはずの製造業だが、すでに非常な苦境に喘ぐ家電メーカーは、グーグル、アップル、アマゾンのような巨大米国企業に、日本を含めた市場全般のルールを書き換えられてしまったため、如何に円安になろうが、資金を投入してもらおうが、往年のような復活を遂げることは望むべくもない。そして、2014年は、いよいよ日本の製造業の最大の砦である自動車産業のルールの書き換えが表面化してくる、いわば『終わりの始まり』の年になる可能性が高い(この点については、次回以降もう少し具体的に書いてみたい)。それは、ガラパゴスと揶揄されながら世界に誇る携帯電話の巨大市場を日本企業間で分け合っていたのが、気がついてみると、アップルとグーグルに主導権を握られ、日本の携帯電話メーカーは続々と事業縮小や撤退に見舞われることになったのと軌を一にすることになると考えられる。


もちろん、日本の自動車会社のような『芯』の強い会社の中には、グローバル企業として何らかの生き残り策を見つけていく会社も少なくないとは思うが、もう日本の雇用の大きな部分を引き受け、広いすそ野を潤す、これまでのような存在であり続けられるとは考えにくい。すそ野を含めて日本の雇用の1/ 10を占めると言われて来た自動車産業の変化の影響はいかにも大きく、いやでも日本社会に多大な変革を迫ることになるだろう。



人として輝けるように


何だか年初から、全面的に暗い話になってしまって大変恐縮なのだが、淡い夢に浸って体を蝕まれて自力では立てなくなるより、如何に厳しい現実にさらされながらも、自分の足腰を鍛えて自分で立っているほうが余程いい。少なくとも私はそう信じる。そのためには、現実が絶望的に見えるなら、一旦はちゃんと絶望したほうがいい。そして、来るべき未来は人に頼らず自分で切り開く覚悟を決めることだ。強制的な、他者に余儀なくされる変革であれ、戦後的な夢をいまだに捨てられない、日本の古い大企業や官僚、政治家等の理不尽な縛りから開放されて、競争は厳しいが自由度はあがり、新規参入者にとってはチャンスが広がる可能性はむしろ大きくなるとも考えられる。


ネット選挙も、ネット・ジャーナリズムもこれで完全に未来が閉ざされてしまったなどとはまったく思わない。ネット・ビジネスなど、ある意味ここからが本当の勝負なのだろうと思う。要は、甘い夢を見るのではなく、現実を見て再チャレンジすることが必要だと思うのだ。


社会改革のほうも、練り込んだ思想や歴史観のない偽物は、もはや生き残れない環境になるだろう。真贋がはっきりしてくると考えられる。社会が荒れれば、デマゴーグが多くなるのではとの観測もあり、その恐れも多分にあるとは言え、その分、本物の光が闇夜により鮮明に輝くことにもなるだろう。その輝きを見つけることのできるのは、特定の少数かもしれないが、その少数が繋がりあい、連携を深めていくためのツールや環境は従来とは比べ物にならないほど充実している。


社会学者の宮台真司氏は恩師である小室直樹氏の次の言をしばしば引用する。

「いや、宮台君、社会が悪くなると人が輝くんだ、心配はいらない」


いよいよ、そういう世が来ようとしていると私には思える。だから、2014年の自分の抱負はこれに決めた。


『大勢に流されず、人として輝けるように研鑽を積むこと』