膠着した日本の組織を改革するヒントをアノニマスに学ぶ

乖離する民意


先頃、原発に関する調査・アンケートの結果を見ていて、おやっと思う事があった。


今、国民の一人一人に、匿名で将来の原発政策について正直ベースで聞けば、「順次縮小・撤廃」が過半数といって大方間違いないのではないか。いくつかのアンケート結果を見ても(データにバイアスがかかっているという意見も根強いが)、ほぼ裏付けられると思う。『即時撤廃』かどうかという点については、意見が分かれるところだろうが、将来的には順次縮小して自然エネルギーに置き換えて、撤廃を模索していくべき、という意見には今なら過半数の賛意が得られると思われる。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120822/trd12082211470008-n1.htm
http://www.greenpeace.org/japan/Global/japan/images/press_release/120608_Briefing.pdf



ところが、産經新聞が7月から8月にかけて、主要企業123社に実施したアンケートの結果を見ると、95%の企業が再稼働に賛成なのだという。「再稼働すべきでなく、再稼働した大飯原発も止めるべきだ」と答えたのは、非製造業の1社。「その他」を選んだ企業のうち「代替エネルギー確保後、止めるべきだ」(流通)、「長期的にはエネルギー政策の見直しが必要」(建設・住宅)など、将来的に脱原発を目指すべきだとした回答したのも4社だけ、という結果だ。
http://news.livedoor.com/article/detail/6867212/



空気を読む企業


原発反対派にしてみれば、これには何らかのバイアスがかかっていたり、アンケートに不正があるのではないか等勘ぐりたくなるような結果だろう。だが、考えて見れば、日本の『主要企業』で構成されている経団連も、一貫して原発には賛成していることを勘案すれば、今企業の立場で表立って回答を求められれば、結果はこんなものなのかもしれない。
ソフトバンク孫正義氏が、経団連原発推進を批判したとき、300社以上の出席者からは、孫氏の意見に対する反論も同調する意見もなかったという。まさにアンケート結果に符合する。ほとんどの企業が空気を読んで、賛成票を投じたと見るのが、『日本的常識』というものだろう。


今回は原発の賛否について語ることが目的ではない。私が非常に興味深いと感じたのは、この正反対とも言える意見の相違だ。おそらく、個人的な意見を匿名で求められれば原発は縮小・撤廃すべきと答えるような国民も、大半はどこかの会社勤務だろうから、会社を代表する場合には原発賛成の立場を取っている可能性が高い。すなわち、会社員としては、賛成の『仮面』を被りながら、『仮面』を取った本音の自分は実は反対、という人が多いという事を示唆しているように見える。



労使の意見の相違


原発問題に限らず、同様のケースは今すごく多くなっているのではないか。というのも、昨今の経団連の日本の諸問題についての意見(増税:賛成、TPP批准:賛成、外国人労働者導入:賛成等)は、普通の生活者にとって、諸手をあげて賛成とは言えない内容が少なくない。これは、個別の一団体としての経団連の問題というより、日本の労使間の意見の相違の拡大と一般化できると言えば言い過ぎだろうか。


日本の労使関係というのは、かつては世界に類を見ないほど協調的で、それがかつてのジャパン・アズ・ナンバーワンの時代を支えていた。もちろん、それなりの問題も沢山あって(過労死、過労自殺サービス残業、フロシキ残業、単身赴任、肩たたき等)、労使協調の美名の下、労働者に負担を強いていた部分はある。だが、少なくとも経団連所属企業というくくりで見れば、終身雇用にそれなりのリアリティはあったし、経営者の中にも家父長的な人格者も少なからずいて、その労使一体感が日本の製造業の強さを支えていたことは否定できないと思う。



変革への展望の貧弱さ


だが、すでに私自身さんざん書いてきたとおり、企業業績が右肩上がりの時代は終わり、欧米という見習うべき手本がなくなり、かつての発展途上国である韓国や中国に追い上げられると、この『日本的経営』『日本的労使関係』は維持できなくなった。当然、日本企業の経営者も変革を余儀なくされたわけだが、問題は、時代の変化に併せて変えていくべき到達点を正しく想定することが出来ているようには思えないことだ。その結果とばかり短絡するつもりはないが、日本の強さを代表していたエレクトロニクス産業など、今まさに崩壊の危機にある。どのように舵を切っていくのか、今ほど経営者の力量が問われる時はない。しかしながら、大変残念なことにどの企業も驚くほど変革への展望が貧弱だ。さすがにこれでは、本当の崩壊も遠くないと慨嘆せざるをえない。もちろんこれは企業に限ったことではない。国家を支える仕組みのどの断面を見ても同じだ。立法、行政、司法、どこでも、機能不全をおこしているだけではなく、おしなべて変革への展望が見えてこない。



内側からは変革できない日本の組織


これほどの惨状にありながら、おそらく、どこでも組織内部からの変革は難しいだろう。先に述べたような、ソフトバンクの孫氏に対する、他の経団連企業の『空気を読んだ無関心』は、『一度は成功した日本の組織』にこそ蔓延しているからだ。かつて日本は国力に圧倒的な差がある米国との戦争になだれ込んだ。ところが、政府部内の要人一人一人は米国には勝てないと考えていたという。まさに今同じ状況になっている。危機に直面した日本の組織の崩壊過程の典型的なパターンを今まさに眼前に見せつけられている。


ここに至っても、組織内部にいる一人一人は空気を読んで仮面を被り続けている。いや、仮面を被り続けざるを得ない。なぜなら、危機が深まれば深まるほど、『日本の魔物』は力を増し、空気にさからうものを徹底的に圧殺しようとするからだ。企業変革を崩壊前に行うことは本当に難しい。それは、日本の経営者としては圧倒的な変革のパワーの持ち主として誰もが認める孫正義氏であっても、経団連を内部から改革することが成功するようにはとても思えないことが象徴している。同じく腕力ある経営者である楽天の三木谷氏は、いち早く経団連を離脱した。孫氏にしても三木谷氏にしても、外から経団連を潰すことはできるかもしれない。だが、内部から変えることは難しいだろう。それと同じことが典型的な日本の組織で今一斉に起きている。



突破口


では、そんな組織は早く見限って飛び出してしまえばいいではないか、ということだが、これもそうはいかないだろう。雇用環境がこれほど厳しい中で、日本企業の体質にどっぷり浸かった人が現状より条件が良さそうなところをうまく見つけることは並大抵のことではない。しかも、飛び出して新しいところに行ったところで、旧来の日本の組織の空気の蔓延は今はどこも似たり寄ったりだ。やはり『面従腹背』こそ、今の大半の日本人にとってもっとも合理的な行動ということになる。


だが、これではまさに『座して死を待つばかり』ではないか。一人一人の悲嘆と怒りは必ずしも小さくはない。解決の妙案を持つ人もいるかもしれない。だが、組織人としての日本人は抗議の声一つあげることができない。


ここに一つ突破口になるかもしれないヒントがある。意外に感じるかもしれないが、仮面の集団、アノニマスだ。



アノニマス


アノニマスと聞けば、普通の人が持つイメージは、『得体の知れない、悪質なコンピューター攻撃を仕掛ける反社会的な犯罪集団』というところだろう。確かに、ごく最近でも、日本の『違法コンテンツダウンロードの厳罰化』法案の可決に反発して、日本政府やJASRACのような団体のホームページが攻撃を受けたのは記憶に新しい。よくわからないけど、なるべく係わり合いになりたくないとたいてい誰でも感じているはずだ。



起源は日本


だが、このアノニマスを定義するのは、実はそれほど簡単ではない。そもそも、アノニマスは組織と言えるほどのまとまりがなく、同じ目的を持った集団、というくらいのまとまりしかない。しかも、その活動も古典的なデモを平和的に行うグループもいるほど広がりがある。(日本でも先頃、アノニマスの一派が渋谷の掃除を行って話題になった。)既存の政治団体や、ウィキリークスのような団体と比較すると、あきらかにそのまとまり方は異質なものである。私が最初にアノニマスを知った時の感想で言えば、アノニマスの活動はなんだか『2ちゃんねる』にそっくりで、その抗議行動も『2ちゃんねる』の『祭り』に似ていると感じたものだ。だが、その直感は必ずしも間違っていなかったようだ。アノニマスの起源は、日本の画像掲示板「ふたば☆ちゃんねる」を模して誕生した、米国の4chanという画像掲示板であり、ここで一部ユーザーが特定の抗議行動を始めたことがアノニマスの活動につながっていったという。

アノニマスという名前それ自体は、匿名掲示板に画像やコメントを投稿する時の匿名性と言うところから来ている。この共有人格的な意味での使われ方のアノニマスは匿名画像掲示板・4chanが発祥である。この掲示板では、名を名乗らずコンテンツを投稿する人に対して(名無しさん、匿名の臆病者等のように)「アノニマス」というタグがつけられる。4chanのユーザは時に冗談でそのアノニマスというのを本物の人間の如く扱うことがあった。4chanが流行るにしたがって、名も無き個人の集団としてのアノニマスという考え方は一種のインターネットミームとなった[1]
アノニマスは広く、名付けられていない集団を示している。その定義では、簡単に一括りに出来ないと言うことが強調され、その量の大きさを示す警句で示される。
[アノニマスは] 最初のインターネットを基礎にした集合的無意識である。アノニマスは、烏合の衆が集団であるという意味で集団である。その集団をどう認識するかって? 彼らが同じ方向を向いて動いてるからだ。いつでも参加し、離れ、どっかへ行ってしまう
―クリス・ランダース, バルチモア・シティ・ペーパー, April 2, 2008.[2]

アノニマス (集団) - Wikipedia

アノニマスの拡大の秘密


米国が発祥のアノニマスも、起源をたどれば日本の匿名掲示板というのだから、どうりでなじみがあるわけだ。だが、2ちゃんねるの『祭り』のような現象と起源を同じくすると言っても、今や規模も影響力もまるで違う。アノニマスは現実の政治勢力として大きな影響力を持つ存在になってきている。アノニマスにはエネルギーが集中し、活動も活性化され、レバレッッジが効く仕組みがある。それは一体何なのか。この辺りの事情について知るには、一橋大学の博士課程に在籍する塚越健司氏の新著、『ハクティビズムとは何か』*1が非常に参考になる。

お探しのページが見つかりません - マカフィー

1.アノニマスは国境・階級の壁を超えて世界中にメンバーが拡散しているが故に、活動に対するメンバーの意識も多様であり、それらをまとめるために解釈多様で抽象的な目的を設定するしかないという事情がある。(中略)だからこそアノニマスは『情報の自由を守る』という、抽象的ではあるが誰もが賛同しやすい大義を掲げることで、戦略会議の場に人々を参加させることを可能にする。(中略)


2.抽象的な大義を掲げた上で、さらに彼らを繋とめるもの、それこそが仮面の存在である。どのように政治理念が異なれども、彼らは仮面を被ることで、自らがアノニマスであることを自覚する。仮面とは匿名の誰でもない者を意味するが、仮面を被ることで自らもまた、その誰でもない者の一人となることが可能になる。そうした誰でもない者の集合が、アノニマスというアイデンティティを持った主体として世間に認知される。ハクティビズム活動を続ける上で、アノニマスの大義と仮面の存在が人々を魅了するのは、そのような誰でもない者たちの集合体でしかないアノニマスが、仮面を通すことでまるで意思を持っているかに見えるからなのである。
 さらには、仮面というユニークなキャラクターの存在や、抗議を続けることで世界の変革に自らが貢献しているという実感を得られることから、新たにアノニマスとして活動に参加する者も現れる。

同掲書 P147〜148


『大義』と『仮面』が形のない集合的無意識に形を与え、統合し、人を集めて活動させる力になっている、というわけだ。現実の政治活動でありながら、あの仮面が大時代的で、どこかバーチャルで非現実な存在に感じるアノニマスだが、実際には仮面の果たす役割は非常に大きいようだ。



クラウド化する社会運動


これも繰り返し述べてきた論点だが、かつて梅田望夫氏が『日本のウェブは残念』と述べたように、日本のインターネットは米国のように政治やジャーナリズムや学問といった公的領域にインパクトが及ばないし、誹謗中傷が渦巻き、趣味に耽溺する若者がなれ合い、公共性のかけらもないとされてきたのが、米国の4chanを経由して、洗練された世界的な規模の政治活動の一種として形を取り始めているということではないのか。塚越氏が本著で政治学者の五野井郁夫氏を参照して述べるように、アノニマスも参加した、米国で発生して世界中に拡散した『オキュパイ』運動に典型的に見られるように、近年生じている社会運動は『クラウド化』している。しかもそれはFacebookというよりは2ちゃんねる的だ。

ウォール街を占拠せよ - Wikipedia

運動参加者はネットを介して情報を共有し、デモの活動方針や手法を予め決定し、特定の本部や拠点を必要とせずに運動が実行可能となる。運動拠点をネットに移行させることで、リアルの場で定期的に集まる際にも無用な混乱を回避しながら、一時的占拠によって大動員を行う。五野井氏はこうしたクラウド化する社会運動が、社会階級ベースの旧来型『社会運動』とも異なり、またクラスター(特定の趣味志向を共有する者たち)毎にまとまりがちな『新しい社会運動』のように、場や組織が固定化されることもないという。
同掲書 P162

日本の潜在パワー


昨今の日本では、残念なのはウェブだけではなく、政治はもちろん、かつて一流と高く評価された経済やそれを支える企業も大変残念な存在になりつつある。だが、その日本の残念なウェブは、いつのまにか世界の新しい社会運動の発祥の地になっていた。だとすれば、今も日本のウェブに集中している無形の巨大なエネルギーは、やりようによっては政治にも経済にも企業にもパワーを注ぎ込み、それぞれ新しいトレンドを巻き起こす潜在力があるということにはならないだろうか。そのための何らかのヒントがあれば、巨大な日本の集合的無意識を糾合して再びリアルの世界にも大きな影響力を及ぼすことができる素地があるのではないか。(前回取り上げたスマートフォンのサービスのLINEなど、まさにそういう可能性を感じさせてくれる。)



組織改革のヒント


その中でも、やはり何より先ず改革運動としてのアノニマスの存在には、日本の膠着した組織内部にいる個人が、匿名の仮面を被ったまま変革を進める運動を行うためのヒントがいくつも見つかる気がする。犯罪集団と決めつけず、その意義や成長の理由等を研究してみることは、特に今の日本にとって有益だと思える。塚越氏の新著もそのような観点から読んでみると(本人の意図するところとは違うかもしれないが)あらたな発見があるように思う。組織にブレークスルーを起こすための参考点として、本書から私が特に印象に残った点を以下、列記しておく。


1. 『大義』が必要であること
今の日本人がもっとも苦手とするところだが、仮面以上に重要な出発点だ。


2. 『良心』『モラル』を体現するリーダーが必要であること。
アノニマスにしても、『2ちゃんねる』の祭りにしても、一線を踏み外して、過激な違法行為や暴動にエスカレートする危険性がある。かつてインドで無抵抗主義の政治運動を起こし、独立を先導したガンジーは、国民が過激な行動に走ると抗議行動として断食を行い反省を促した。そのようなリーダー(あるいは指導理念)が必要になる。


3. クラウド/インターネットの特性を十分に理解していること
アノニマスが行うような攻撃(DDoS攻撃 )に精通するという意味ではない(だけではない)。集合的無意識を形にするツールとしてのインターネットの特性を理解することが重要という意味だ。
DoS攻撃 - Wikipedia


4. 仮面のような匿名性を確保し、かつ統合の象徴になるようなアイテムが必要であること
仮面のような象徴的な記号が有効であることをアノニマスが証明したとも言える。


変革のヒントとは言え、かなり強引であることは自覚している。だが、このヒントを何らかの形にできるようでなければ、組織は崩壊し、米国に宣戦布告したような事態が起こりかねないくらいの覚悟で、一度徹底的に考えてみてはどうだろう。アノニマスの教訓は、日本のどの組織であれ、次世代のリーダーには必須の素養になっていくと私は確信している

*1:

ハクティビズムとは何か ハッカーと社会運動 (ソフトバンク新書)

ハクティビズムとは何か ハッカーと社会運動 (ソフトバンク新書)