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『家政婦のミタ』と『南極大陸』の違いは実に興味深い

今年のNO.1?


私は比較的テレビドラマをみる方だと思う。良い作品はもちろん、駄作と評価されるような作品でも、そこから様々なことを読み取れる気がして(いわば自分が認識を深めるためのテクストとして)それなりに楽しめる。秋クールでもいくつもみているが、どういうわけか、全体に非常に面白い作品が多い印象がある。実際、そのような感想を漏らす人が私の周囲にも少なくない。


その中でも一番面白いのは、文句無く『家政婦のミタ』(日本テレビ系)だ。視聴率も高いし評判もいい。(第5話(11月9日放送)から6週連続で平均視聴率20%超え。第8話(11月30日放送)では、今年放送されたドラマで中で最高視聴率となる29.6%を記録。)今クールNO.1であることは言うに及ばず、このままなら今年NO.1もこれで決まりだろう。



今本当に必要なのは


主演の松嶋菜々子にと言えば、11年前の『月9』(『やまとなでしこ』)の主演の役柄の印象が強い。これも非常に高視聴率で話題となった作品だった(全11回で平均視聴率26.4%、最高視聴率は34.2%)。11年前は満面に笑顔の絶えない、バブリー雰囲気に包まれた客室乗務員だったのと好対照で、今回は悲惨な過去を背負って、決して笑わず、どんな仕事でも引き受けてサイボーグのように正確無比にこなす家政婦という、特異な役柄だ。だが、この笑わないサイボーグのような家政婦のここぞという一言と型破りな行動力で、崩壊した派遣先の家族(阿須田家)が立ち直って行く。


高度成長期に皆が無理をして手に入れた『マイホーム』は、経済的にはまだギリギリ成り立っていても、中にいる家族の内実はボロボロというのは、この家族に限らず今やどこでもみられる風景だろう。そういう意味では、少なからざる視聴者がこの家族に身近な存在を感じたに相違ない。だが、この家族の抱える問題は、もう従来のステレオタイプで抹香臭い説教や小細工では解決することは難しい。そのことを、異色のキャラクターを配することで非常にはっきりと浮かび上がらせている。そして、今何が本当に必要なのか、あらためて考えさせられる。



家政婦のミタ』と比較される『南極大陸


ちなみに、この『家政婦のミタ』と、鳴り物入りで巨費(制作費20億円)を投じて制作された『南極大陸』(TBS系)との対比評価記事がいくつも出て来て、これがまた大変興味深い。というのも、『南極大陸』のほうは、まだ戦後の敗戦ムードを漂わせながらも、日本を再び世界の一流国にしようという国民あげての熱気に包まれた時代の物語で、まさに高度成長直前の日本:『南極大陸』vs 高度成長は終わってその出口で先が見えない日本:『家政婦のミタという明快な対比構図があるからだ。



高度成長期マインドに溢れる『南極大陸


この『南極大陸』のほうは、初回こそ比較的高い視聴率(22.2%)だったようだが、回を負うごとに急降下(19.0、16.9、15.8、13.2%)し、最近では主演のキムタクとともに酷評ばかりが目立つ。こちらの主人公のほうは、高度成長期を多少知っている私達には、典型的な高度成長期マインドを持つ日本人で、周囲に出てくる人もむずがゆくなるようなこの時期の『典型的』な日本人ばかりだ。官僚の言うことは一番で逆らわない(逆らえない)。誰もが空気を読み空気の支配からは逃れられない(逃れようとしない)。体力と熱意は人一倍で小細工は嫌い。負けたら潔く玉砕する。男と生まれたからには何事か成し遂げるべきでそのために家族も犠牲にするのは当たり前。妻は専業主婦で内助の功に徹する意外の生き方はほとんどできない。だが、その涙ぐましい努力のおかげで、南極観測への参加のような当時の日本の身の程から言えば驚くような結果を(犠牲を払いながらだが)達成していく。だが、成果が出たら燃え尽き症候群で、当人は何もやらなくなるかできなくなることが少なくない。


南極大陸』は、物語として当時非常に話題になった北村泰一の『南極越冬隊タロジロの真実』を題材にしていたし、これと同じ史実を題材にして1983年公開の映画『南極物語』の評価も高かったと聞く。人気子役の芦田愛菜綾瀬はるか香川照之などキャストも豪華で、事前の話題性では他を圧していた。だが、この古いヒーロー像が今の時代に受入れられるのか、最初に見たときから私も少々違和感を感じていた。まさか『家政婦のミタ』と比較して論じられるとは思わなかったが、案の定という思いは強い。



酷評される『南極大陸


ネット記事をちょっと振り返っただけで、下記のような主旨の批判で溢れている。(主演のキムタクの自身への批判は除く)

勧善懲悪物語は今の時代にはリアリティがない。


情熱だけで突破しようというのは無理だしその姿勢は古い。


誰もが共通の同じ物語を共有できる時代ではない。


同情の押し売りばかり。

気の毒なくらい、この物語/ヒーロー像は評判が悪い。



しっくりこない『家政婦のミタ』の評価記事


南極大陸』が今の時代に評判があまりよろしくないのは何となくわかる。だが、笑わないサイボーグ家政婦はキムタクが演じる『南極大陸』の主人公(倉持)とはどの点を取ってもまったく違うキャラクターだからと言っても、どうしてこのミタに崩壊した家族を再生する力があるのか、どうしてドラマの評判がいいのか、という点になると、必ずしも納得のいく説明がなされているとは思えなかった。それぞれの意見に、部分的にはあたっているところも多分にあるとは思うが、どうしても自分自身が心底納得の行く説明になっていない気がしたので、大変僭越ながら、私も参戦して思うところを書いておこうと考えるに至った。もちろん、的外れと評価されるのであれば、それも一興というところだし、少しでも賛同して下さる方がいらっしゃれば書いた甲斐もあろうというものだ。



空気に影響されない『家政婦のミタ


私が考える『家政婦のミタ』が成功した一番の理由を端的に言えば、ミタが空気も世間の常識にもまったくとらわれず、本当に自分自身が良いと考えたことだけをストレートに発言し、行動することだ。そういう姿には大変な爽快感がある。ミタにはご主人と息子を殺されて、自分ではどうしても死ねないが、いつ死んでもかまわない、という強烈な開き直りがある。世間が自分を非難しようが、極端な話自分を殺してくれてもかまわない、というくらいの開き直りだ。空気も世間もミタには関係ない。


一方で、『南極大陸』の倉持のほうはどうだろう。本人は実力も性格も申し分ないが、重い空気の支配に屈して身動きができない、という感じが強く伝わってくる。どんなに実力があっても、批判精神に富んでいても大きな機械の歯車としてしか生きられない時代には、誰もが多かれ少なかれ倉持のように苦しんでいたのを私は知っている。仮にこの倉持のような人がミタが派遣された家族に空気を読みながら大人の智慧を説いたら家族は立ち直るだろうかと言えば、まったくそんな気はしない。むしろ逆効果だろう。ここでは生死さえも超越したかのようなミタの真実の言葉しか通用しないと私も思う。



『今、ここ』に100%いる『家政婦のミタ


また、これも意外に語られていないものの、重要なポイントとして、ミタは100%『今、ここ』にいるのに対して、倉持はそうではないことがある。いつも南極と将来の日本にとらわれて、『今、ここ』にはいない。これも典型的な高度成長期のメンタリティーだと言えると思うが、目の前の家族より、目の前の現実より、将来のマイホームや将来の夢や役職ばかり目がいく。ミタには、家族の真実、本当の問題が直に見えているはずだ。何故なら彼女にはその他のことにはいっさい邪念がないからだ。倉持タイプの人がこの家族に、高度成長期のメンタリティーそのままに、将来の夢、利益、出世、学歴等の効用を説いたところで、決してこれも上手くはいかないことは確信もって言える。何故なら、この家族は、今ここで起きている問題に100%コミットしなければ解けない、他には類を見ない問題を抱えているからだ。明日なき日本の家族にに、明日の夢を説いてもリアリティはない。



父性的な激しさこそ


もう一つ、これはネット記事で述べていた人もいたが、高度成長期の日本人(おそらく太平洋戦争のころの日本人も)は、熱意と感情で走って失敗したら玉砕(死)へ逃げ込む。周囲もそういう潔さを重視して、技術的、戦略/戦術的な問題に対する具体的な評価や賞罰はあまりやらない。熱意が純粋で本物であれば何でも許されてしまう。そううい意味で男性も皆『母性的』で『父性的』な厳しさがない。反省しないから、何度でも熱意や感情で走って同じ失敗を繰り返す


これと対照的にミタは(本当は感情も愛情も押し殺しているのかもしれないが)その発言には、父親的厳しさがあって、何でも許容する母親/母性的ではない。日本の男性は、ちょうどこの『家政婦のミタ』にも出てくる自殺した母親の父親(姑)に見るごとく、すぐうるさく細かいことを感情にまかせてどなるが、父性的な冷静さや厳格さとはほど遠い。そういう意味でも、ミタの『父性的』な発言は非常に強烈だ。今の日本の家族に一番必要なものの一つでもある。それは薄々皆感じているはずだ。



似て非なる『坂の上の雲


ちょうと今、NHK司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』が放映されていて、アジアの弱小国としての日本が必死に大国ロシアに挑む姿は若干『南極大陸』の頃の日本と状況の設定が被るところもあるようにも見えるが、実のところかなり様相が違う。『坂の上の雲』のころは如何に個性的で才能あふれる人物が思いっきり力をふるうことが期待されていたかがひしひしと伝わってくる。あらゆる組織が生成期にあったこともあろうが、組織の空気が個人の力を抑止する余裕さえない、とでもいう感じだ。だから発想も行動も日本人離れした個性的な人物が沢山登場する。


翻って『南極大陸』では、登場する人物が皆非常に型にはまっていて面白くない。本当は個性はあるかもしれないが、誰もそれを表に出すことを良しとしていないせいか、モノトーンもいいところだ。これを見ていると、太平洋戦争に敗北したり、現在日本が突破口を見いだせずに悶々としている原因も根は一緒ではないのかと思えてならない。日露戦争における最大の激戦、203高地での無謀な肉弾戦は、その後の日本軍の常套作戦と化して、太平洋戦争集結まで反省無く繰り返されることになる。ここではまさに『父性的』な冷徹な判断力は軽視され、感情的で『母性的』な根性論やパッションがすべてを飲み込んで行くことになる。



発見があって驚くはず

皆が面白いと感じる背後には何があるのか。そういう観点であらためてこの両作品を見逃した人も是非見比べてみていただきたい。予想以上に発見があってきっと驚くことになるだろう。


<ご参考>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111214-00000025-zdn_mkt-ind
http://ameblo.jp/easthill-fx-cfd/entry-11108606662.html
『家政婦のミタ』が視聴率で『南極大陸』に圧勝の理由を分析する│NEWSポストセブン
カナダde日本語 『家政婦のミタ』と『南極大陸』の視聴率に見る原発事故の影響