不可避的な『システム』と『生活世界』の衝突と打開の可能性

更に進化するFacebook


凄まじい勢いで会員を増やして来た、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)の雄Facebookは、全世界の登録ユーザー数が8億人を超え、1日の利用者数は5億人を上回ったのだという。まさに破竹の勢いとはこのことだろう。だが、ここに至っても更なる進化を目指す姿勢に全く衰えはないようだ。9月に入ってまた次々に新しい機能がリリースされた。例えば、さる9月22日には、『タイムライン』と『リアルタイムフィード』が発表された。『タイムライン』はFacebookのユーザーがそれまでに投稿した文章や写真などをスクラップブック/履歴書のような体裁でまとめて表示し、その人となりがひと目でわかるようになるサービスであり、リアルタイムフィードのほうは、「友達が今、何をしているか」を時々刻々と表示する機能だ。個人的な好みは別としても、利便性が大きく向上するであろうことは容易に想像がつく。

第4回 開発者を巻き込み進化するザッカーバーグと巨大インフラ:日経ビジネスオンライン



日本でも受入れられる実名SNS


一方、SNSでは何度も苦杯をなめて来たGoogleも、新サービスのGoogle+は順調にユーザーを増やしており、3カ月弱で5000万人を突破してFacebookを追い上げているという。実名性を基本とするこれらのサービスは、当初、日本で浸透するかどうかを疑問視する見方も少なくなかったが、2011年8月度のニールセン・インターネット視聴率によれば、日本のFacebook利用者もとうとう1.000万人の大台に乗ったというから、日本でも一つのカテゴリーとして確固たる地歩を築きつつあるように見える。

mixi, Twitter, Facebook, Google+ 2011年8月最新ニールセン調査。Facebook訪問者、ついに1000万人超へ:In the looop:オルタナティブ・ブログ



もはや流れは止まらない


実際、今後益々、企業が提供する商品やサービスの情報はSNSを通じて流通し、評価されていくことになるだろう。その流れがもう止まらないことはもはや誰の目にも明らかだ。そして、それを理解できない企業は敗退して行く流れが加速するであろうことも、この日本においてさえもはや確定的だ。



実名性SNSは過去のノウハウを生かせる?


その中で、この実名性SNSの進展を企業の側から見ると、誹謗中傷に関するユーザー側の自制がかかりやすく、問題が発生した場合も対処がしやすいという意味で、どちらかと言えば歓迎ムードだろう。まして、今回のFacebookの機能追加のように、実名で属性もある程度特定できるユーザーの日々の行動が一層可視化されていくことは、企業のマーケターにとってはありがたいことと言うべきだろう。同じSNSでも匿名性で企業マーケターにとって得体のしれない『2ちゃんねる』や属性が把握しにくい『mixi』と比べて、マス広告やマス宣伝で蓄積したノウハウをより発揮しやすいように感じられるかもしれない。取組み次第では、よりユーザーを詳細に知り、最適なタイミングで最適な商品やサービスをクリエイティブな手法で提案し、しかも効果測定が明確にできる。現実にそういう方向でインターネットのビジネスを拡大しようとする広告宣伝系のコンサルタント、企業の広告宣伝担当等も増えて来ている。



本当にそうだろうか?


だが、この実名性SNS拡大の動向が、企業とユーザーの垣根を下げ、コミュニケーションの質を高めることに寄与する、あるいはそのようにできるチャンスが企業側に拡大しているという議論は、正直なところ素直には飲み込めない。特に、最近の若者の自動車離れに見られるような、『嫌消費』とも言われるような傾向が強くなって来ているユーザー相手に企業が自社の商品やサービスをこのSNSの場でいかにアピールしたところで、消費を喚起し、サービスへの加入を拡大できると考えるのは、さすがに楽観的すぎるのではないか。嫌消費とまでは言わないまでも、商品やサービスが飽和し、商品の機能向上をしても、もはやあまり反応しないユーザーが増えている今の日本では特にマス広告の手法をそのまま持ち込むようなことでは、さほど効果があがるようには思えない。かつて3C(カー、クーラー、カラーテレビ)と言われた頃のように、商品が輝いている時代ではないのだ。 



転換のきっかけ


誤解のないように言っておくと、インターネット/SNSにこの硬直した状況を打破する可能性がないと言いたいのではない。むしろ逆で、インターネット/SNSこそこの状況を大きく転換するきっかけになる可能性があると私は考える。ただ、そのためには、上記のようなレベルの考え方や取組みでは到底太刀打ちできないとも思う。もう一段深い理解で臨む事が不可欠だと考える。



カウンターカルチャーを継承するSNS


よく言われるように、インターネットは60年代のカウンターカルチャーの思想を引き継ぎ、個人を圧殺する全体主義や抑圧的なシステムに対する抵抗する気分が色濃い。SNSは、その思想を直系として引き継ぐ存在であり、その結果『オープン』『フラット』『フリー』というような自由闊達で理想主義的な雰囲気に支配されている。そのSNSがこれほど世界中に浸透していくのは、抑圧からの解放を希求するユーザーの琴線にふれ、そのはけ口となり、さらには現実の方を変革するエネルギーを熟成し、実際にそのエネルギーを解放する出口にもなり、そのような存在としてSNSが受入れられていることが大きいと私は考える。それはすでにオープンソースWikipediaのような集合知ウィキリークスや中東アフリカ革命という形で、現実の形をとり始めているが、まだ序の口というべきで、今後さらに『個を抑圧するものからの解放』は進んで行く可能性が高い。



資本の論理


Facebookにしても、Googleにしても、創始者達は、そのカウンターカルチャー的マインドを共有する人達であり、であればこそ彼らのサービスはここまで支持者を広げ拡大してきたとも言える。だが、そういう彼らの会社とて、私企業として存在するからには、ステークホルダーにコミットせざるをえないため、ビジネス側(スーツ側)の立場を反面に持たざるをえない。ビジネスとしてシステムを管理運営する側にある彼らは、サービスが成功してトラフィック(人の出入り)が増えれば増えるほどそのサービスのシステムをビジネスとしてマネタイズすることを求められ、資本の側の要求を無視できなくなって行く。『ビジネスはそこそこに、ユーザーの喜ぶサービス提供をできればよい』、というような牧歌的な考え方をもつ経営者であっても、規模が巨大になるにつれて維持コストは膨大なものになり、『投資単位当たりの収益最大化』という資本側の欲求に抗し難くなっていくいつしか資本の論理はSNSを巨大で効率的なマネタイズのためのシステムであることを要求するようになる。



システムに浸食される生活世界


だから、FacebookGoogleもどの時点からかは別として、経営者達は常に両方から引き裂かれるような苦痛に苛まされることになる。そして、社会学者のユルゲン・ハーバーマス氏流に言えば、『目的合理性や経済効率性などの原理によって作動する「システム」は絶えず、道徳的なコミュニケーション的合理性の原理によって運営される「生活世界」を侵食しようとしているが、他者(個人)を抑圧・支配するシステムがコミュニケーションを重視する生活世界を脅かすユルゲン・ハーバーマスのコミュニケーション論と公共圏』というようなことが自らのSNS上でいつ起きても不思議ではなくなるような状態を招く。



警戒を緩められない


SNSユーザーを抑圧する存在の中核は、国家権力や企業コングロマリットのような前世紀的な存在から、『巨大システム/無機質で経済効率性を合目的に追求しながら生活世界を浸食する存在』へとすでに移行しつつある。非常に皮肉なことに、FacebookGoogleを便利なシステムとして自身利用しながらも、無機質で邪悪な『巨大システム』へとその振り子が振れる可能性のある企業としてのFacebookGoogleや、それらを広告宣伝のツールとして利用しようとする企業に対して、ユーザー側は絶えず警戒を緩める事ができない。例えば、Facebookの9月の機能追加発表に対して、米国の米連邦取引委員会(FTC)や米電子プライバシ情報センター(EPIC)から早々にクレームがついた。EPICは、Facebookがこれまで以上にパートナー企業へ個人情報を提供できるようになると批判し、ユーザーがFacebookサイトからログアウトしたあともFacebookは密かにユーザーを追跡していると主張しているという。まさに『巨大システム』への不信を象徴する動向と言える。自らの情報が『巨大システム』によって自分の知らない使われ方をすることに我慢ならないわけだ。

ニュース - プライバシ保護団体がFacebook新機能に異議、FTCへ調査要請:ITpro



現代特有の不安感


今のFacebookGoogleが完全にユーザーの信頼を失っているというわけではない。Googleの「Don't be evil.(邪悪になるな)」という有名な社是にも好感を抱いている人は今でも少なくない。だが、両義的でパラドキシカル(逆説的)な存在である彼らはいつEvilになっても不思議はないとの潜在恐怖はユーザーのマインドから払拭されてはいない。善良なジギル博士はいつ悪辣なハイド氏に変わっても不思議はないと知っているわけだ。この味方が突如敵になる恐怖、特定しにくく正体がわかりにくいこの不気味な存在への不安感は今の時代特有のものといっていいと思う。



企業の打開策ありとせば


では、これを企業の側から打開する方法はあるのだろうか。大変困難な問題設定だが、ヒントはある。アップルのエバンジェリスト(伝道者)、スティーブ・ジョブズ氏だ。すでにあまりに有名なメッセージなので、くどいと思われる向きもあろうが、ここまで私が述べて来た内容を念頭に置いて、あらためて読んでみていただきたい。前者が、Macintoshのデビュー直前に流された伝説の予告CM『1984』のテロップで、後者が1997年9月に発表された『Think different.』広告キャンペーンの広告文である。

1月24日、アップルコンピュータ社は、Macintoshを発表します。そのとき、1984年が小説『1984年』のようにはならないということが、きっとお分かりになるでしょう。
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/mac_commercial.html

クレージーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。四角い穴に、丸い杭を打ち込むように物事をまるで違う目で見る人たち。彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。彼らの言葉に心をうたれる人がいる。反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。しかし、彼らを無視することは、誰にも出来ない。なぜなら彼らは物事を変えたからだ。彼らは人間を前進させた。彼らはクレージーと言われるが、私たちは彼らを天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから。
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/mac_commercial.html

取替えの聞かない価値


インターネット/SNSを支配する全体主義や抑圧的なシステムに対する抵抗する気分と、アップルが企業として追求する価値が見事に融合している。そして、見せかけではない、企業の本気度、全身全霊をかけた姿勢のみが、きらめきのなくなった『モノ』に再び物語りの興奮を与え、他の企業ではなく、その企業でしかできない、取替えの効かない価値を与えることをあらためて痛感させられる。



日本企業の逆転のヒント


企業がユーザーと『価値の次元』でコミュニケーションを交わすことができれば、一端他社に支配されてしまったプラットフォーム競争にも反転のチャンスはありうる。だから、プラットフォーム競争においては敗北が決定してしまったかに見える日本企業にもここに逆転のヒントがあるはずだ。巨大なシステムに生活世界を浸食されたユーザーに再度生活世界を取り戻すことのできることのできるSNS、特に日本のユーザー相手なら日本人でしか理解できな生活世界があるはずだろう。不可能とあきらめずに、逆転のチャンスを虎視眈々と狙うしぶとい日本企業が少しでも多く現れ出ることを期待したい。