『ITの進化を先導する文科系』の時代をたぐり寄せたい


私のブログ


私のこのブログは、本格的かつ継続的に書き始めたのが2008年の4月だから、もうじき丸3年が経過することになる。この間、自分なりには試行錯誤を続けてきたつもりだが、実際のところずっと迷路をうろうろしていたというのが実態に近い。


そんな私を尻目に、世の中のほうは本当に恐ろしいほどのスピードで変化した。ブログを囲む環境も激変した。当時すでにTwitterFacebookも存在はしたが、現在のような圧倒的なプレゼンスを示す存在になることはまだ想像すらできなかった。mixiはすでにかなり普及してはいたが、まだ招待制(2010年3月より招待なしでも参加できる登録制になった)ということもあり、ブログとは明確に棲み分けができていた印象がある。『ソーシャル・メディア/ネットワークの役割』、『リアルタイムな情報発信』、『新聞や雑誌のようなメディアの役割』等、その後、TwitterFacebook等が主として担うようになる要素を包含した『可能性の玉手箱』がブログだったと言える。そのため、ブロガーの個性に応じて、本当に様々の種類のブログがあり、また続々と新しいコンセプトが付け加えられていった。日本におけるブログの全盛期こそ、私がブログを始めた時期であった。



動機/期待 ー 文科系ならではの視点


他の業界からIT業界に入った私は必死にこの業界の情報を集め、講演会に出たり人に会って話を聞くなど自分なりの勉強を続けていたつもりだったが、会社の状況や自分のおかれたポジションから、その成果を事業に存分につぎ込む機会に必ずしも恵まれていなかった。だから、せめて自分の研鑽の成果をブログを通じて世に開示して、あわよくば自分よりも業界に精通した人のフィードバックをもらうことによって、情報を『知恵』に昇華し、次に事業を行う時の準備になればよい、というくらいのつもりでブログを始めた。恥をかくことも勉強の内、というような比較的開き直った気軽さもあった。


それでも、せっかくブログに自分の言いたいことを書くのであれば、少しでも読者から『参考になった』と言っていただけるようになってみたいとは思っていた。だが、当時参考になりそうな著名なブログを沢山読んでみると、マニアックな技術の話や、オタクの話で溢れていて、私のようにIT業界にはまったくずぶの素人で、しかもエンジニアでもない文科系(一応受験では数学は使ったが・・)がちょっと何かをかじった程度では到底、意味のある発信ができるようには思えなかった。


ただ、自分自身が以前いた業界に始めて入った時に考えたり試みたことを振り返っているうちにあることに気づいた。IT業界は技術進化が早く、新しいビジネスも次々と現れては消えていくこともあって、目の前で起きていることを少し長いレンジで、あるいは社会の他の現象との関わりにおいて分析したり評価している人が意外に少ない。スピードが早すぎて目の前のことにしか集中できず、過ぎ去ったことなど振り返っている暇もない、ということなのだろうが、どんな業界におけるビジネスでも、社会の中で行われ、それを人間が担っている限り、そこで起きていることを正しく理解して対処方法を考えるという意味で、歴史、思想、文化、人間心理など、文科系の思考やノウハウが生かせないはずはないという確信はあった。実際以前にいた業界でも、そのような気持ちでそれなりのプレゼンスと成果をあげてきたという自負もあった。



重い評論が敬遠される時代


そうして実際に書き始めてみると、案の定、『マニアックな技術/オタク情報を軽やかに大量に流していく』というタイプのブログが主流を占める中では、客観的に見てもあきらかに落ちこぼれていて、長く重い文章は敬遠されがちで、PVもなかなか伸びない。出版でも重めの評論はどんどん売れなくなっていて、戦後を支えたオピニオン雑誌も次々にその歴史にピリオドを打っている最中でもあった。(『月刊現代』『論座』等) 逆風もいいところである。反応をあまり気にせずに、とにかく自分の勉強と思って3年くらいは続けてみようと自分に言い聞かせていたからいいようなものの、特に最初のうちは本当に何をやっているのやら、と何度も自問自答したものだった。文科系の思考やツールなど、日本ではまったく不要になってしまうような状況がどんどん進行しているのではないか、という疑念に苛まされることも少なくなかった。


そうしているうちに、特にTwitterが大変な勢いで普及していくと、『軽やか系』ブログは事実上Twitterにその主戦場を移していく。Twitterをやるようになると、ブログを書く時間が減ったというのは、ブロガーのほぼ共通した感想だと思うし、実のところ私自身もそうだ。ブログ時代の到来を予感させたRSSリーダー*1も思ったほど普及せず、専門性が高く専業で取り組む人が運営するようなブログはともかく、一般人が気軽に参入して活動を広げていく場としては、かなりハードルが上がってしまった印象がある。一般的に言えば、ブログ衰退期、ないしブログ受難期とでもいう風潮になってきている。少なくとも米国のようにブロガーとして経済的に自立するような夢はほとんど誰も語らなくなった。



だが続けてきてよかった


そんな状況下ではあるが、今私はブログを続けてきて本当によかったと感じている。そして、これからも(多少スタイルを変えることはあるかもしれないが)原則今のコンセプトで書き続けていこうと考えている。というのも、継続している間に数は少なくとも非常に熱心に読んでくれる読者もできてきたし、時々非常に大きな反響をいただけるケース(記事)も出てきたり、またブログのおかげで自分自身の勉強が思った以上に進んだということもあるが、それ以上に、必ずしも一般受けしない場合(PVが少ないような場合)でも、そのテーマの専門の方々から非常にしっかりとした手応えのある反応が返ってくることが増えてきた実感があるからだ。必ずしも一筋縄ではいかないが、明らかに以前よりも『文科系の言説』がそれなりの効力を発揮していることを感じることができるようになってきているからだ。そういう意味で、私の仮説はやはりあたっていたのではないかとの確信が最近特に深まってきている。



我が意を得たり


中でも、非常に我が意を得た思いをしたのは、早稲田大学教授、評論家、思想家、小説家等非常に幅広く活躍する東浩紀氏の最近の言動である。東氏と言えば、低空飛行の極みにあった2000年代の思想界において、一頭地を抜く巨大な存在でありながら、独特の気難しい性格もあってか周囲の理解を得られず、悶々とする姿が印象的だった。そして、衰退する一方の日本の思想界を嘆き続けていた。だが、自ら出版社を起こして刊行した、最新刊の『思想地図β』*2が世に出ることと相前後して、非常に吹っ切れたような明るさが見られるようになった。この『思想地図β』の執筆/編集の意図/コンセプトこそ、まさに私がずっと感じていたことに非常に近い。すなわり、『IT技術やインターネット等によって急激に変化する社会や市場を、文科系のスキル、中でも論理的な思想によって理系にもわかりやすく説明することができれば、そこには非常に大きなニーズと市場がある』というものだ。



理科系の感じ方


これがけして文科系の独りよがりではないことは、思想地図β出版の記念イベント(『思想地図β』創刊記念シンポジウム〜情報時代の人文知と言論〜 *3 )に『理系』を代表して登壇した、ドワンゴ会長の川上氏や、ユビキタスエンターテインメント代表取締役の清水氏の発言からもうかがうことができる。川上氏によれば、日本のネットサービス(ニコニコ動画のような)も成熟期を迎えて、これ以上発展させるためには、もはや技術だけではだめで、文科系の知恵、中でも論理的な思考に裏付けられた社会や人間の分析が必須だという。清水氏も、今は『ソーシャル全盛の時代』だが、それがどうして流行っているのか納得のいく説明をしてくれる人は誰もいない。もしそういう内容の本が出版されれば誰もが買うことは間違いない、という主旨の発言をしている。ゲストとして東氏の顔をたてたこともあるだろうが、相当実感がこもっていることは感じ取れる。



参加資格


ただ、問題なのは、現状ではこの『巨大な潜在市場』に参入できる『文科系』人材が質量ともに不足していることだ。東氏や川上氏が嘆くように、日本の文科系知識人の多くには、『参加のための資格要件』が決定的に欠けていると言わざるをえない。この最低限の資格要件とは、一つは技術理解、もう一つはネットサービスの体験/理解である。例えば、ソーシャルメディア/ネットワークの社会にもたらした影響や意味を取り扱うにしても、これがどのような技術体系によって支えられているのか、具体的にはどのようなサービスがどのように進化しているのか、経験も理解もなければ分析も提言もできるはずがない。ところが、巷に多いのは、FacebookTwitter等の浸透によって変質する社会を旧来の社会と比較して、その違いを批判的に揶揄するような言説だ。しかも技術やサービスのことをほとんど理解していないから、ITがもたらす未来は一様に暗い不安感で膨れ上がったようなステレオタイプなイメージばかりだ。これでは文科系の学問の英知の蓄積を未来に生かしていくことなどできるはずがない。もちろん、インターネット等のもたらす社会への影響をすべて良しとすることもまたナイーブに過ぎることは言うまでもないにせよ、はじめからこれを遠ざけてしまうようでは、文科系の英知の伝統を継ぐ資格さえもないと言うべきではないだろうか。



進むべき道に迷いはない


もちろん、残念ながら、自分自身を振り返れば、他人をさばくことができるほど技術を理解しているわけでも、インターネットサービスを熟知しているわけでもない。一方で文科系の学問の英知に精通しているわけでもない。自分のことを差し置いて偉そうに、と言われてしまいかねないことを誰よりも自分自身が一番よくわかっているつもりだ。だが、自分が進むべき道が非常に楽しみな、チャレンジに満ちた道であるという確信はもはやゆるがない。そのために、今まで自分が取り組んできたブログを橋頭堡にできることについてもその手応えがある。私のブログに多少なりとも関心を持ち、コメントを下さる皆さんと共に新境地を切り開いていきたいという意欲を強く感じている。



脱落しないように


前回のエントリーでも書いたが、日本のIT/インターネットに精通して発展に貢献のあった人たちの内の多くが、新しい事態について来れずに脱落するということが起きてきている。これは進化の方向がリニアではなく、構造自体が変化していることを感じさせる現象だ。従来の分析ツールやアプローチ手法、情報網、理解の仕方等が非常に短期間に陳腐化してしまう、というようなドラスティックな変化が起きている。つくづく大変な世の中だが、裏を返せば大きな逆転、大きな躍進が期待できる可能性があるということでもある。この大変化の時代を全体として受け入れて、旧弊にとらわれずになんとか頑張ってみたいものだ。