佐々木俊尚氏の記念碑的作品『キュレーションの時代』
■ついに入手! そして読了!
佐々木俊尚氏の新著、『キュレーションの時代』をやっと入手して、早々に読み終わった。
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
- 作者: 佐々木俊尚
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/02/09
- メディア: 新書
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かなり早い段階よりメールマガジンにおいて佐々木氏本人から『いままで自分が書いた本の中で最高傑作』とか、『「今まで誰も読んだことのないようなITの本を書いてみよう」というのが今回の新著の隠れた執筆動機』というような非常に力のこもった告知があったこともあり、いやが上にも期待は盛り上がっていたため一刻も早く読んでみたいと思っていた。
■『記念碑』になる予感
実際に読み終えてみて、これは確かに傑作であることは間違いないが、それ以上に『記念碑』と呼ぶべき作品であると感じた。それは佐々木氏個人の、という意味でもそうだが、おそらく時代の『記念碑』としても長く参照され続けるのではないか。商業的な成功(この本が売れること)がどうあれ、時代の転換点にあって一早く現れた『さきがけ』として、長く多くの人に影響を与えていくことは間違いない。
■だがどれだけの人が理解できるのか
もっとも、2010年代の初頭の現段階で、現役のビジネスマンがビジネス書として有効利用できるかどうか、という点になると微妙なところだ。もちろん非常に鋭敏な直観力を持って佐々木氏のメッセージを受取ることができる人たちが、この日本でも増えてきていることは確かだが、そもそもそういう人たちは数で言えばやはりまだほんの一握りと言わざるを得ない。しかも、彼らでさえ自分たちが直観したことを言語化して、周囲の人たちとコミュニケーションできる人、ということになると、さらにまた数は少なくなるだろう。
実際には、佐々木氏が繰り返し(この著作の中でも)語ってきたように、既存のマスメディアに象徴される、古い戦後の日本の価値観から未だに抜け出ることができないで、既存の組織を守ることに執着している人が大半というのが今の日本の現実だろう。マスメディアに限らず、現実の経済問題を解読できなくなっている経済学、人間の真実に一向に迫ることができない科学、企業本来の使命を忘れて企業ムラに自閉する経営等、佐々木氏の表現を借りれば、どこもかしこも「内部論理だけによる自閉的で独善的な行き方」だらけだ。
■もう一つの時代の変化の波
加えて、今はもう一つ比較的大きな時代の変化の波が押し寄せてきている。 それを佐々木氏は、『コンテンツ』から『コンテキスト』へ、というキーワードで語っている。 おそらくそれは、『GoogleからFacebookへ』、あるいは『検索エンジンからソーシャル・ネットワークへ』と置き換えても大意は違わないと思う。昨今、『ソーシャル』はまさに時代を代表するキーワードになった感があり、ITインターネット業界にいる人たちは二言めには『ソーシャル』を口にする。だが、本当に皆今起きていることの本質を理解しているのだろうか。
Windows95が発売されて日本にも本格的にインターネットが普及し始めた年から数えて今年は早16年目ということになるが、このインターネット/情報技術にそれなりに懸命にキャッチアップして、新しい時代の技術知識を必死で詰め込み、インターネット時代に振り落とされまいとして頑張ってきた人でさえ、その少なからざる人たちが、今回は脱落してしまうのではないかと最近私は感じている。すでに彼らの言論は時代とうまく噛み合なくなってきている。
■Googleの限界
爆発的な勢いで膨張を続ける情報空間に直面して茫然自失とする人々に、優れたアルゴリズムを持つ素晴らしい検索エンジンを提供したGoogleは、そのエンジンを元に組み立てた広告宣伝の仕組みとともに、世界を制覇する勢いを見せた。しかしながら、頂点にたどり着いたかに見えたすぐその直後から、その限界点や問題点も指摘されるようになる。何よりノイズの増加が半端ではなく、膨大なノイズの海からひとかけらの有益な情報を吸い上げるのはますます困難になり、極めて高い技術を求められるようになった。今やGoogleとて手こずっているであろうことは外側にいても手に取るようにわかるが、これではとても新規参入などできたものではない。
■ライフログの行き詰まり
検索エンジンを補う候補として一時注目された『ライフログ』についても著書では言及されているが、これは、個人の行動をすべてデジタル情報として記録して最適なレコメンドを行い広告宣伝のモデルも構築するというもので、記憶媒体が劇的に安価になっていることとあいまっておおいに期待されたいた(いる)。だが膨大な情報を蓄積して、高度な検索エンジンを構築するには膨大な資金が必要であろうし、『プライバシー』の問題が意外に解決が難しいとの認識に至り、暗礁に乗り上げているようだ。
しかも、いずれも検索エンジンに頼る限りにおいては、如何に前記のような高いハードルを乗り越えたとしても、キーワードに関係のない情報は出てこないという構造的な弱点もあり、佐々木氏も指摘するように、結局情報のタコツボ化が起きてしまう。以前の佐々木氏の著作でも、いわば『展望の見えない限界』として深刻に取り扱われていた問題でもある。
■Googleのもう一つの弱点
私の個人的な意見をこれに加えると、このGoogle(検索エンジンと総称してもよい)によって、生命的な意味内容を伴う人間本来の情報が、信号のような機械情報に飲み込まれて希釈化してしまう、という問題もある。(最新の『現代思想』のGoogle特集(『特集Googleの思想』現代思想2011年1月号)に掲載された西垣通氏の記事でも、文脈は違うが同種の問題が指摘されている。) *1
検索エンジンに頼れば頼るほど、生命の持つ『ゆらぎ』や『身体性』、あるいは『制限された時空間に密着した土着性』など、いわば情報の有機的な部分が無化される傾向がある。そういう意味でも、人が本当に欲しい情報が見つかりにくいという弱点こそ、Googleの非常に大きな弱点の一つと私もずっと考えていた。
だが、昨年、検索エンジンのGoogleの訪問者をソーシャルメディアであるFacebookの訪問者が追い抜いたことに象徴されるように、巨大な生き物のようなインターネット世界は、自らの弱点を悟り、検索エンジンの機械としての欠点を人間に補わせつつあるように見える。ソーシャルメディアの中で人が活動するうちに、自然に佐々木氏のいう『キュレーター』という人種が多数生まれて来ている。キュレーターの概念は(私の理解に間違いがなければ)、『情報カテゴリーごとの情報通で他の人に適切にそれを伝えてくれる人』とでも言うのだろうか。自分の得意な分野で時に非常に高度かつ精緻、そして新鮮な情報を発信し、そこにコミュニケーションが生まれて相互作用が働き、ますます洗練されていく。こういうことがすでに日常的に、Facebookでもそうだし、mixi、Twitterといったようなソーシャルメディアの中では非常に活発に行われているというわけだ。そしてこれが単に情報の境界線を押し広げるだけではなく、情報と人間、社会の関係を根本的に変えてしまう(変えてしまった)。そして、Google(検索エンジン)の弱点を補うのではなく、根本的にコンセプトを変えてしまいつつある。
■機械ではなく人
情報の真偽や有用性について、もはや無機質のアルゴリズムにそれを問うことは不可能に近い難事だが、それに比べると信頼できるキュレーターの「人物」を評価するほうがずっと簡単だ。キュレーターはネットで活動するが故に、逃れ用の無い履歴を大量に残し、その人となりを判断する材料にことかかない。一回一回の発言の厳密な正確性まで保証するものではないにせよ、大局的な信頼度は把握しやすい、というわけだ。そして、キュレーターは人であるが故に、視座は千差万別でタコツボの弊害は回避しやすい。まったく予想もしていなかったような情報や視点を沢山持ち込んできてくれる。しかも、キュレターは各分野ごとに質量共に大変な勢いで拡充している。
■『コンテンツ』より『コンテキスト』
そして、この新しい情報空間では、『コンテンツ・・事実、技術、一時情報等』より『コンテキスト・・文脈、解釈、思想、視座、物語、ストーリー等』がより重要ということになる。(佐々木氏の解釈をやや勝手に超えているきらいがあることはご容赦いただきたい)そして、社会をソーシャルメディアが覆い尽くそうとしている今、社会のあらゆる構成要素の組み替えが起きている。この点は私自身、ブログで沢山書いてきたことと重なることもあり、ほぼ全面的に同意できる。
■脱落する人たち
だが、繰り返すが、日本のITインターネットシーンでも、技術、事実情報、機械情報等に通じている人たちでも、今起きていることのコンテキスト(文脈、思想、物語、解釈等)にはついて行けなくなっている人は多いと思う。どうやら、佐々木氏の認識も同様のようだ。
広告やメディアの業界では、ソーシャルメディアの台頭に対してあれやこれやとさまざまな戦略が日々語られています。(中略)でもそんなふうにあちこち走り回って、短期的な戦術を採用しても、そんなものはすぐに古びていってしまいます。大切なのは、将来出現してくるソーシャルメディアを軸とした情報の流路がどのような全体像になっていうのかというビジョン。(中略)単発的に「これをやるとうまくいく」「これなら受ける」とさまざまなマーケティング手法を競い合って、局所的にはそれは当たっているかもしれないけれど、情報の流路の全体像がいったいどうなっているのかを理解している人は実はほんの一握りなのではないでしょうか。 同掲書 P311
■悲観せずに創造するべき
『一次情報を発信することよりも、その情報が持つ意味、その情報が持つ可能性、その情報が持つ「あなただけにとっても価値」そういうコンテキストを付与できる存在 同掲書 P242』が重要になるということは、旧来の組織や権力を包み込むパッケージが溶解していくことを意味する。とすれば、旧勢力の必死の抵抗は当分続くだろう。レベルの高いキュレーターが日本で沢山育つかどうか、まだ本当のところよくわからない。ソーシャルメディア内に昔のムラ社会さながらコミュニティーをつくり、また浸る若者も多い。悲観的な可能性を取り上げればきりがない。
だが、私の貧困な想像力でも、公正で晴れやかで、かつ沸き立つような楽しさに溢れた世界を佐々木氏の新著からかいま見ることができる。ただ、無理解の海の中、漫然と実現するとは考えにくい。早い機会に実現するためには人の『意志』が大変重要になっていくと考える。だから、私も後ろを振り返らず、一刻も早く来るべき世界の『全体像』を把握し、自らイノベーションを起こして行きたいものだと思う。そして迷いが生じたらまた読みかえす。そしてできることなら、自分でも考えたことを公表して意見を頂戴する。人任せにせず、自ら創造する、そういう覚悟を持って今の混乱した日本社会に臨みたいものだと覚悟を新たにさせられた。だから、この本を読んだ人の中から一人でも多く、自分が古いイデオロギーで染まった眼鏡をかけていることに気づき、それを敢然とはずす勇気を得る人が出てきて欲しいものだと心から思う。
*1: