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破滅の淵で止まるのか、落ちてしまうのか?

検察無謬神話の崩壊?


郵便不正事件で、特捜検察の立件した案件が無罪になるという非常に異例な判決に引き続き、本件に係わった大阪地検特捜部検事が証拠隠滅を測って逮捕されるという驚くべ き事態に、普段は腫れ物に触るかのような無難な記事に終始する既存のマスコミも堰を切ったように報道合戦に参戦してきている。長く続いた、検察の無謬性神話がとうとう崩れる日が来ているのかもしれない。


日本では長く公務員/官僚は優秀でモラルも高く、任せておけば間違いないという思い込みが国民の側に根強くあった。さすがに近年では、相次ぐ公務員の不祥事や、情報公開される度に公務員/官僚の腐敗の実態があいついで暴露されたこともあって、アンチ公務員の気運はかつてない程に高まっているが、今回の事件を契機に長く噂されてきた特捜検察の問題の全体像が明るみに出ることになれば、神話の本格的な解体も進むかもしれない。そうなれば、その神話に関わって検察の問題含みだった捜査を容認してきた裁判所、それを伝えることをしてこなかった既存のマスコミ等、関係者一同が俎上に上がることになるかもしれない。しかも、Twitterやブログ等の存在が、マスコミ世論の一極集中を分散させるという意味で、一定の役割を果たし始めている。流れが変わる予感は確かにある



単なる『気づき』の端緒


だが、これで問題がすべて解決していくと楽観できるほど、事態は甘くない。連綿と続いた日本人の行動や思考の様式は基本的には残存していて、今この瞬間も様々な局面で複雑な難問を生み出し続けていると思われるからだ。今回の事件も、問題の『気づき』の端緒になっただけで、背後の構造問題まで解決されたわけではない、という自覚は大変重要だ。



小室直樹氏の著作


最近、社会科学者(鬼才、奇才、天才? 私は、正真正銘の天才だと思うが・・)小室直樹氏逝去の報に触れ、その昔読んで感動した、氏の代表作、『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』*1を再び読み始めていた。この本の初版刊行が1976年というから、すでに24年の歳月が流れたことになる。当時の時代背景を思い起こさせられるエピソードの数々が、今の若い人には想像もできないものばかりになってしまっていることを、驚きを持ってまず再認識させられる。『連合赤軍リンチ事件』『三菱重工爆破事件』『ロッキード事件』『オイルショック』『エコノミックアニマル』等々。ことに、日本赤軍の起こした凄惨な事件の数々 ー『ハイジャック』『企業爆破』『銃撃戦』『エアポートでの機関銃乱射』『内ゲバリンチ殺人』ー など、優秀な学生が、今で言う『アルカイーダ』のような組織に入って無差別テロを全世界中で実行するのに等しいのだから、この危機の逼迫感は例え用もないほど大きかった。日本社会は非常に深い構造問題を抱えていることは誰の目にも明らかだった。



戦前から高度成長期に連なる構造問題


著作での氏の主張は、『日本を壊滅に追い込んだ軍事官僚の時代から何ら変わらずに引き継がれ続けている思想と行動が、相も変わらず集団の機能的要請にもとづく、盲目的予定調和説と構造的アノミーの所産として生延びている』というものだ。戦前の軍事官僚は、この時代の官僚や企業エリートと非常に良く似ているという。

高度経済成長という「最も空想的な人間の夢想をも絶する」社会変動を体験したにもかかわらず、われわれ日本人の行動様式は、構造的にも戦前のそれと同型(isomorphic)である。現在にあっても過去にあっても、日本人は依然として社会状況を科学的に分析し、これを有効に制御するという能力にかけている。これはまことに戦慄すべき事実である。 同掲書P30


エリート官僚、エリート・ビジネスマン、軍事エリート等、各人は誠心誠意職務に忠実に取組むにもかかわらず、というより、そうすることによってますます、日本全体を破局に駆り立てる原動力になる。それぞれの集団が要請する価値を盲目的に奉じ、その集団が求める特定の『技術』のみを信仰し、集団間の機能的対立は看過され、その結果、セクショナリズム、不整合は調整されない。

機能的紛争を未解決のまま放置すれば、社会過程の進行は阻害され、初期の結果は達成されない。戦争中、軍事官僚はこのような社会の仕組みを理解しえなかった。彼らは、経済提携と軍事体系との間の機能的対立を理解せず、これを科学的に解決しようとしなかった。同掲書P61


その結果、陸海軍の対立、セクショナリズム等が発生し、最終的には所期の目的のはずだった戦争遂行をも妨げることになったと言う。

科学的な総合分析を欠く技術信仰は、当事者の意図や努力とは全く無関係に、というよりは真剣に努力すればするほど、意図とは正反対の結果を生じ、まっしぐらに破局に向かって邁進することもあるのである。同掲書P62

IT革命後の今でも同じ!?


今回の一連の特捜検察を巡る事件を片側において、この小室直樹氏の一連の分析を読んでいると、高度経済成長をさらに上回る、世界的なIT革命という驚天動地の大変動を体験してなお、大多数の日本人、特に中高齢層の行動様式や思考方式は基本的にはほとんど変わっていないことに愕然とする。しかも、公務員、官僚、大手マスコミ等の特殊な人種に限定した問題ではなく、企業人の多くも行動や思考の様式という点では、ほとんど違いはない。


小手先の算術が手早く、周回遅れの狭量な技術の扱いに手慣れた、しかし様々に繋がった複雑な現代の諸相を総合的に俯瞰して科学的解決を導くようなこにはまったく知恵がまわらない『企業内エリート』があなたの会社にもいないだろうか。私は公務員や官公庁の内部は実のところ伝聞でしか知らないが、民間企業の内部であれば、職種を超えてこのタイプの『企業人』で溢れ帰っていることは良く知っている。


外部に対する関心は喪失し、主要な関心を企業共同体の内部にのみ集中する彼らがそれぞれの企業で『まじめ』に努力する結果、共同体独自のカルチャーが形成され、深化し、絶対的なものになる。


共同体における規範、慣行、前例などは、もはや意識的改正の対象とはみなされず、あたかも神聖なるもののごとく無批判の遵守が要求されるようになる。特に共同体の機能的必要は絶対視され、その達成のために全成員の無条件の献身が要求されるようになる。 同掲書P166

この神聖なる所与に向けられた批判に対しては、本能的な全身をつらぬく「聖なる怒り」が向けられることになる。このようにしていわば本質的であった批判拒否症は、規範性を獲得しついに宗教的正当性を具有するまでに高められるのである。ところで、この「規範性」は、共同体の機能的要請に依拠することからも明らかなように、客観的な判定基準を有せず、きわめて状況的、流動的である。ゆえにそれは、合理的制御の可能性を有せず、情緒をつうじての無限の恣意性の流入を阻止しえない。 同掲書P168


どうだろう。今回の事件の本質が極めて正確に説明されていると同時に、自分の所属する(企業等の)集団のことを想起する人が多いのではないか。少なくとも私は、あまりの妥当性に目眩を覚えるほどだ。小室直樹氏の天才性にあらためて感嘆の思いを禁じ得ない。過去、成功をおさめた日本企業は、この日本人の行動/思考様式の持つ怪物性を上手く飼いならし、企業の活力として生かす工夫が上手かった。その証拠に、どんなに成功した日本企業でも、その反面としての負の要素、すなわち『無責任体質』『公共的価値への無関心』『不公正な談合』『家族を含めた全人格的な献身の強要』等を多かれ少なかれ持っていた。



このままでは破滅は免れない


高度成長期、バブル期、失われた20年を経過して世界は激変し、競争条件もまったく変わってしまって、あらゆる組織は変革が不可欠という建前が掲げられていても、日本人、特に日本企業の成功体験を知る世代の最大の関心はいまだに各企業に温存され神聖化された『カルチャー』を護持することにある。従って、内部の合理的な改革は最後の最後まで進まないことになる。(最近ではその典型例を、日本航空に見ることができる。)これが、今の日本の閉塞感、停滞感の最大の原因の一つになっているのは間違いない。そして今のままではかつて軍事官僚が自分の責務に忠実だったが故に国家を破滅に追い込んだような事態がそこかしこに起きることになりかねない。(一度、そのような破滅の淵に追い込まれた方が、真の改革が進む、という意見も少なくないが・・)



何かできることはあるだろうか


では、日本の組織内に潜伏する、有為の人達、自覚ある人達はどうすればいいのか。何より、従来の基準で言う、『仕事ができる』『頭がいい』『優秀』とされる企業エリートの評価を全面的に見直した方がいい。恐らく、ほとんどの日本人は、自分自身にもその『怪物性』を見つけて愕然とするだろうが、『気がついた人達』は、気がつかずに『集団の機能的要請に盲目的に邁進する人達』と比べて非常に恵まれた地点にいることを喜んでいい。なぜなら、本当の破滅の淵で何とか踏みとどまることができる可能性があるのだから。そして、閉鎖的にならず広く世界を見渡して自分自身で思想し、自分の意見をしっかりと持つことだ。


戦前の軍事エリートの頂点に立つ人物の一人である東條英機は、『カミソリ東條』と言われる程頭の切れる、優秀な人であったと言う。しかも強姦、略奪禁止などの軍規・風紀遵守に厳しく、違反した兵士は容赦なく軍法会議にかけたというから、職務が求める規範にも忠実な有能な官僚であったのだろう。だが、今となっては、東條に代表される思想も意見もない官僚こそ戦争を起こし、日本を解体した諸悪の根源、という評価が主流と言うしかない。


東條と犬猿の仲で後に予備役に編入させられた石原莞爾中将は、関東軍在勤当時上官であった彼を「東條一等兵」 と呼んで憚らず、極東軍事裁判で「検事に、東條とは意見の対立があったというではないか」と聞かれた際には、「そんなことはない。(中略)東條には思想も意見もない。私は若干の意見を持っていた。意見のない者と、意見の対立はない。」と答えたという。(文芸春秋 2010年8月号 P306 保坂正康氏の寄稿文より一部参照) 石原莞爾という人は、評価の難しい人ではあるが、好き嫌いは別として、その思想は時代を超えた普遍性を持つ天才とされる。少なくとも、『思想も意見も』あった人ではある。『優秀』ということの意味を再考する貴重な材料の一つだと考える。この機会にしっかりと研究してみれば、大変大きな成果をつかむことができると思う。そして、気づきの連鎖を起こすことができれば、企業単位であれ、ひいては日本全体であれ、『チェンジ』を起こせる可能性に繋がって行くはずだ。