「日本のソフトウェアが世界で通用しない原因」を突き詰めることの重要性

 法則として括るのが難しい「失敗」


前回のエントリーで、私は自分の周辺に見る企業の失敗の法則を「ビジョナリー・カンパニー3」をかりて注釈をつけるような読み方をしつつ語ってみた。本書でも書かれてあったが、数多くの事例の中から法則性を括り出す作業は、成功法則より失敗法則のほうが困難になりがちだ。成功の方は、比較的その理由が集約される傾向があるが、失敗のほうは、失敗の数ほどその原因があるように見える。実際、世に数多ある「企業の失敗の分析」については、本当に法則としての普遍性や、真の原因に辿り着いたことが納得できるものにはなかなかお目にかかれない。




 まだ痒い所に手が届かない


その典型例は、いわゆる「ソニーの失敗の研究」だろう。元社員や関係者の方々が失敗の原因につき厳しい語り口で分析した書籍は随分沢山出ている。それぞれ非常に興味深い観点を提供していただいていて、それなりに興味深く読めるものも多いのだが、今に至るも、ソニーの失敗の真の原因」について、本当に府に落ちた感じがしない。正直に言えば、「ビジョナリー・カンパニー3」を読んでも、最近のハイテク企業の失敗の原因/法則、という点で言えば、まだ痒い所に手が届いていないという印象がある。本来今のアップルが到達した領域に先にたどり着くべき企業として注目を浴びていたソニーは、現状を見る限り全くの期待はずれと言わざるを得ない。何があのエネルギーが満ち満ちてワクワクするような期待感溢れるソニーをここまで見る影もなく変えてしまったのか。逆に、今のアップルのような存在に返り咲く為に出来ることがあるとするとそれは何なのか。また、IT/ソフト企業の頂点にいてあれほど世界を支配する勢いだったマイクロソフトが全く平凡な企業になってしまった真の原因は何なのか。




 非常に興味深い「Yahoo!に起きてしまったこと」



そんな最中に、先日翻訳されたブログ記事として、はてなブックマークでも非常に高い注目を浴びていてたYahoo!に起きてしまったこと(原題:What Happened to Yahoo!)」*1を読んで大変感動した。ここにハイテク企業の失敗の法則について、非常に重要なコンセプトが率直な語り口で語られているではないか! この記事は、米国のYahoo!Google躍進以前に、巨人マイクロソフトの牙城を崩す一番手とされていながら、結局平凡な企業に落ちぶれてしまったとされる存在。以下、Yahoo!=米国Yahoo!)に、その全盛期とも言える、1998年に自分たちのベンチャー起業が買収された結果としてYahoo!の中の人になった、ポール・グレアム氏が、Yahoo!の失敗の原因を内側から語ったものである。


ポール・グレアム氏は、GoogleにはないYahoo!の2つの問題として、次の二つを上げている。

・簡単に儲かりすぎてしまったこと


・ハイテク企業になろうという強い意志がなかったこと



 イノベーションのジレンマの典型例の一つ



この時代のYahoo!は、単純なバナー広告(今となってはすっかりバリューが萎んでしまった)に信じられないような大金が支払われていたという。その後「Googleという新興企業」が、検索のトラフィックの重要性に気づき、検索技術を磨き、既存の広告のビジネスモデル自体を覆し、Web広告ビジネスを支配下においてしまっことを私達は既に知っている。その後知恵から言えば、Yahoo!にもイノベーション/技術志向があれば、投資できる資金も潤沢だったわけだから、広告ビジネスモデルをGoogleに先んじて進化させることはできたはずだ、と言うことになる。だが、これはまさに、「イノベーションのジレンマ*2の教科書的なサンプルとも言える事例で、「バナー広告」というビジネスモデルでの巨大な成功者であるYahoo!がその後破壊的な技術となる、検索技術を先んじて自ら進化させて、バナー広告からあがる収益を犠牲にしながら、検索連動広告にビジネスモデルの主体を転換をすることは、事実上不可能と言っていい難事だ。ポール・グレアム氏のレポートを通じてYahoo!にもそれが起こっていたことを確認するのは大変興味深い。だが、これはすでにうんざりするほと指摘されて来た失敗事例にまた新しい一例を積み重ねたに過ぎない。私がより強く興味をひかれたのも、二番目の部分である。



 ハッカー文化の有無


ハイテク企業になろうという強い意志の現れとして、「ハッカー文化」という概念が持ち出されている。実は、この「ハッカー文化」自体、深い意味があるのだが、そのエッセンスは、日本企業、乃至、日本企業の従業員には一足飛びに理解することは難しかろう。ここでは、単に「優秀なソフトウェア・エンジニアの文化」と置き換えても、ほぼ意味は通じるように思う。それが、Yahoo!には1998年当時からすでになくて、(かつての)マイクロソフトGoogleFacebook(以下『ハッカー企業』と呼ぶ)にはあったと言う。その結果、何が違ったかと言えば、ここで指摘されているのはおおよそ下記のようなことだ。


ハッカー企業は、


・最高のプログラマを雇おうと必死だった。Yahoo!はそうではなかった。
 成功する企業がするような、最高に賢い人だけを雇おうとする、
 あきれるほどの少数精鋭主義にYahoo!が専心することはなかった。


ハッカー企業のFacebookは早い時点から、人事やマーケティングのような、
 プログラミングが主な仕事ではない職種についても、
 プログラマーを採用すると決めました、と言っていた。


・プログラミングに専念できる環境をつくる。Yahoo!ではプログラマの仕事は、
 プロダクトマネージャーとデザイナーの仕事を、
 コード化して仕上げることにすぎなかった。


 ソフトウェア企業として没落するYahoo!



その結果、Yahoo!はソフトウェア企業としては没落することになる。その理由についても、実に小気味よくまとめられている。

良いプログラマは他の良いプログラマと働きたがる。いったんダメなプログラマを雇ってしまったらおしまい。また、良いプグラマを非ハッカー文化(ここでは、技術より金儲けばかりに関心を持つ「スーツ族」中心の文化が対比として上げられている。)で働かせることはできない。


→ 会社が技術的に平凡になってしまう。一旦そうなると二度と回復しない。


→ よいプログラマがいなければ、いくら人員を増やそうが、「品質」保証の手順を
  いくら増やそうが、良いソフトは手に入らない。



ここまで書くと、以下のような疑問や反論の声が聞こえてくる気がする。


Yahoo!がソフトウェア企業として没落したことはわかるが、
 もっと違った企業としての成功のありかた(メディア企業等)もあったはず。


・日本のソフトウェア企業は、製造業のように運営されている会社がほとんどで、
 参考にならない。ちゃんとそれなりにうまくやっている。



本当にそうだろうか。


ポール・グレアム氏の見解を正とすれば、そうではない。



 良いソフトウェアが必要な企業の範囲とは


それでは、どんな企業にハッカー中心の文化が必要となるのだろう? この場合「ソフトウェア業界」とはどんな企業だろう? Yahoo!が発見したように、このルールが適用される領域は、ほとんどの人々が思っているより広い。答えは「良いソフトウェアを必要とするすべての企業」というものだ。


日本のベンチャー起業のみならず、今では自動車のような製造業まで含めて、「良いソフトウェアが必要な会社」の裾野は非常に広がっている日本の家電メーカー(ソニーを含む)が総じて競争に勝てなくなっているのも、突き詰めると、「良いソフトウェア」がつくれないことが非常に大きな原因になっているのは明らかだ。


このエントリーを書いている最中に飛び込んで来た、元マイクロソフトの中島聡氏のブログ記事もどうやら同じ主題を扱っているようだ。


そんな私が常々感じているのは、日本でのソフトウェアの作り方が米国のそれと大きく違っていること、そして、日本のソフトウェア・エンジニアの境遇が悪すぎるということ。そして、それが「日本のソフトウェアが世界で通用しない」一番の原因になっていることである。

Life is beautiful: WEB+DBコラム「なぜ日本のソフトウェアが世界で通用しないのか」

日本では確かにエンジニアの置かれた環境が米国とは違う(優秀なエンジニアを生かす環境になっていない)のだが、そのおかげで、日本のソフトウェアは世界に通用しないと中島氏は断言する。そして、その影響は、通信業界、電話業界、さらには家電メーカーに及ぶと言う。


この問題はいまやソフトウェア業界だけにとどまる話ではないから始末が悪い。世界で一番進んでいるはずだった日本の携帯電話メーカーが、今や袋小路に追い込まれているのもこれが原因。通信業界にはもちろん、携帯電話メーカーにもソフトウェアを自分で書ける人がいない今の日本の状況を考えれば、世界のトップクラスのソフトウェア・エンジニアを自社で抱えるアップルやグーグルにおいしいところを持って行かれても当然。いままでさんざん「ITゼネコンや下請け」にソフトウェアの開発を丸投げにして来たツケが今になって回って来ただけのこと。これから携帯電話に限らず、家電メーカーにとってもますますソフトウェアが差別化の重要な武器になって行く。
Life is beautiful: WEB+DBコラム「なぜ日本のソフトウェアが世界で通用しないのか」


 命脈が尽きかけている日本のIT/ソフトウェア企業


多くのソフトウェア・エンジニアを抱え、配下に多くの下請けシステム・インテグレーターを抱える日本のIT企業の幹部に聞いても、現状の日本の「製造業」のように垂直統合で運営される手法の命脈が尽きるのは時間の問題と、本音を吐露する。日本語の壁で辛うじて守られているのが、今の日本のソフトウェア産業だが、その壁はもう今にも崩れそうだ。



 エンジニアだけの問題ではない


さらに言えば、今回語られているのは「ハッカー≒独立心の旺盛な優秀なエンジニア」の特性だが、今の日本企業の雇用環境全般で見ると、もっと普遍的な問題を象徴している。ここで言う「ハッカー」の行動特性は、今日「創造性に溢れ自己規律ある優秀な人材全般」にほぼ該当する。たとえば、創造力のあるコンテンツ・クリエーター、市場を知り尽くすマーケター、顧客第一がモットーの有能な営業マンやバンカー等、皆そうだ。専門性に誇りを持ち、自己を金銭の多寡だけで評価されることを嫌い、優秀なメンバーと共に働くことを何より尊び、仕事を知らない立場だけの経営者や管理職に管理を押し付けられることを嫌悪する。プロフェッショナリズムとはそうしたものだ。終身雇用でがっちり固められていたころの日本企業でさえ、プロフェッショナルと言える人材は、こうしたマインドの持ち主が多かった。まして、今はもう日本的経営の時代ではない。




 すべての企業は小役人のような管理職によって亡びる


ポール・グレアム氏は「ほとんどのハイテク企業は最終的に、スーツ族と平凡な管理職によってダメになる。」と言う。だが、もっと正確に言うならこうだ。「すべての企業は、プロフェッショナリズムをなくしたスーツ族と小役人のような管理しか能のない管理職によってダメになる。」 


私の経験した範囲では、ベンチャー・マインドに溢れるエンジニアがCEOを務める会社でも、マネジメントのプロフェッショナルと小役人の区別がついていない人達が残念ながら非常に多いと言わざるをえない。事業が拡張して社員を増やして、管理が必要になった時に、大量に小役人を入れる。プロフェッショナルを厳選して入れるようなことに気を配らない。結果、優秀なエンジニアが嫌気がさして辞めるのと同じ構造で、プロフェッショナルを会社から追い出してしまう。これでは会社がダメにならないほうがおかしい。



 自らの問題として自覚すべき


日本の戦後の経済成長は、自動車や家電のような製造業の輸出が頼りだった。実際、こうした企業は苦労して国際競争力をつけて、90年代初めには日本を世界一の競争力ある国に押し上げた。だが、その頃でさえ、内需企業と言われるような日本国内市場だけを相手にする企業は、総じて競争力は乏しく生産性は低かった。海外勢に伍して行けるような実力など望むべくもない。その構造は基本的には今に至るも変わらない。ところが、かつて日本の競争力をリードした製造業が、総じて、ソフトウェアの競争力のなさゆえに没落しつつあるのだ。その本質的な恐ろしさにもっと危機感を持つべきだ。ところが、日本のシニアの経営者や管理者には驚く程そういう危機感が乏しいことに唖然とすることが多い。それが今、日本がかつての輝きを失っている根本原因の一つだと思う。一日も早く自分自身の問題であることに気づき、方向転換していただきたいものだ。