日本の向かうべき先を照らす燈/『心の一燈』を読んで 

意外に読み易い『心の一燈 回想の大平正芳 その人と外交』


先日、とある勉強会で知り合いになった第一法規のYさんより、非常にシックな外装の本を頂いた。タイトルは、『心の一燈 回想の大平正芳 その人と外交』とある。自民党全盛期を支えた大物政治家の一人である大平正芳元首相の秘書を務めた、森田一氏(元自由民主党衆議院議員大平正芳元首相の娘婿。)へのインタビューにより、大平元首相の実像が甦る。

心の一燈 回想の大平正芳

心の一燈 回想の大平正芳


政治音痴の私が、この大作を読み終わるのはいつのことになるやらと心配になったが、いざ読み始めると驚くほどスムーズに読み進めることができた。語り部の森田氏の平易で率直な語り口のおかげで(それを引出すインタビュアーの質問の設計もよくできている)、大平元首相の人柄や当時の政治の舞台裏が大変鮮やかに立ち現れて来て、興味が途切れる事なく読み終えることができた。私自身、昭和の空気を吸い込んで育った世代であることをあらためて思い出させていただいた気もする。



若年層にもすすめたい


あの時代のことを全く知らない若年の人達にとっても、何らかの関心の拠り所を持って取組めば、海図のない海を漂うような指針のない今の時代を相対的に理解し、自らの位置を確認する助けになる良書だと思う。折しも、米国の沖縄への核兵器持込み等に関する自民党政権時代の密約の存在が暴露され、その展開に耳目が集まっているが、まさにその件が本書でも取り上げられている。自民党の政治家として、密約の存在を国民に開示して説明することを政治家としての責任と受止めて、その機会を伺っていた、おそらく唯一の首相経験者が大平元首相だったことがわかる。残念ながら選挙戦期間中に急死して、この思いが果たされることはなかったが、当時も、そして今でも、間違いなく『一陣の涼風』と言える存在だった。政治に関心がありながら、ここ数代の首相の姿にすっかり失望してしまった若年層にこそ、是非一読をおすすめしたい本だ。



田中角栄元首相との関係


元秘書が語る元首相の実像、という点では、田中角栄元首相の秘書を務めた、早坂茂三氏の一連の著作が有名だ。田中元首相のほうは、「今太閤」「闇将軍」等、派手なキャッチフレーズが似合う、ドラマ性に富む人物ということもあり、また田中金権政治の実態を解明したジャーナリストの立花隆氏の著作も数多くあることから、私も昔から興味を引かれて何冊か関連図書も読んでおり、田中元首相の人物像や履歴、および周辺に登場する人物についてはある程度知っているつもりでいた。ところが、思えば、その田中元首相の盟友であったはずの大平元首相に言及する内容にはほとんどおめにかかったことがない。だから、『心の一燈」で明らかにされる内容は、そんな私にとっても大変新鮮だ。中でも、田中元首相の主要な実績とされる日中国交回復も、田中元首相にそれを決断させたのが大平元首相であることは今回初めて知った。実際の交渉も大平元首相が仕切っていたようだ。この件について長く勉強を重ね、しかも歴史の研究に裏打ちされた卓越した外交センスを持つブレーンなくしては、いかに決断力があり度胸の座った田中元首相とて、中国共産党創世以来の歴戦の強者である、毛沢東周恩来を相手に外交交渉を乗り切ることは荷が重かったということだろう。



優れた外交感覚


外交感覚という意味では、オイルショックが起きて日本中がパニックとなり、どの政治家も揃って資源外交に走り、中東産油国礼賛一色となる中、資源に偏重しすぎず対米協調とのバランスを保つことを大平元首相は主張していたというから(しかも、早期に解決することを予見していたというから)、やはりただものではない。今でこそ、冷静に判断すれば当然のことのように思えてしまうかもしれないが、あの切迫した時代の空気の中でこの信念を貫くことはなかなかできることではない。


また、「環太平洋構想」(提案者はブレインの佐藤誠三郎氏のようだ *1 )なども、ダイナミックでありながら、バランスも取れていて、今あらためて振り返っても非常にすぐれた外交感覚の存在を感じることができる。当時は、東西がまだ冷戦状態にあって、どうしても『陣営』の枠組みが人々を近視眼的にしていた時代である。(しかも同じ共産圏でも、ソ連と中国が対立して、綱引きをしていた。) 翻って、現代の民主党首脳から漏れてくる「東アジア経済圏構想」など、今の東アジアの現実に理解があるとはとても思えない。外交感覚に雲泥の差があると言わざるをえない。



自民党の不幸


こうして見ると、当時の自民党の人材の豊富さと多様性には驚くしかない。よく言われたように、全盛期の自民党は、派閥ごとに相当異なった意見と政治手法を持ち、それぞれ活発にぶつかり合い、それでいながら、全体としては政権政党の責任を果たしていた。他の野党とは比較にならない、安定性と実力を国民に誇示していた。そして、少なくとも次の3つの要素が噛合い、しっかりとした構造になっていたように思う。(少々強引な分析であることは、ご容赦いただきたい。)


 『日本人の本音重視』: 田中角栄元首相:
 『テクノクラート重視』: 福田元首相 
 『理念と外交(国際関係)重視』: 大平元首相 


そして、その後の自民党の不幸は、外交に通じ、歴史を語り、理念を重視する大平元首相の後継が、派閥の首脳級の人物として育ち継承されるこがなかったことにあるように思えてくる。大平元首相急死後、すでに田中角栄元首相はロッキード事件で失脚していたとは言え、隠然たる実力を誇り、後にその遺伝子は竹下元首相の経世会に引き継がれながら、自民党の大勢を握り続ける。数と金の強力なパワーを背景にした政治手法は、戦後復興期から高度成長期のように目標が明確で、遮二無二突進する力が何より必要だった時代には、それなりに喝采を持って受け入れられていたが、成長に限界が見え、まして最近のように資源節約/環境重視へ目標のシフトが求められるようになると、巨額の集金マシーンを持って公共事業を拡大し土建国家づくりをめざすような(そしてそれ以外に成り立ちようがないような)政治集団には行き場が無くなってしまう。『自民党をぶっ壊す』と宣言した小泉元首相の意識した自民党とは、経世会、すなわち田中元首相の遺伝子を引き継ぐ勢力の解体だったとされるが、結果的に本当に自民党をぶっ壊すことになった。確かにこの時期の自民党は、その歴史的役割はどう見ても終了したとしか言いようがない状態だった。再生が可能だとすれば、少なくとも古い価値を一度清算して、新しい時代に必要とされる政治思想の下に再結集する必要がある。それはもはや誰の目にも明らかだが、自民党には今に至るも再生の向かう先が見えてこない。



自民党再生のヒント/保守本流


では、大平元首相を再評価する中で、それは見つかるのだろうか。いくつかの要素があると思うが、その一つに保守本流』という概念がある。大平元首相は一貫して吉田茂元首相以来の『保守本流』との意識があったということだ。私の世代でさえ、ずっと『自民党≒田中式金権政治』との印象が強かったこともあり、ここで言う『自民党保守本流』の意味がすでによくわからない。今の政治の現状を振り返ると、現状の保守勢力、というよりは保守思想自体、衰退の一途と言わざるを得ず、保守=ステレオタイプの右翼とのイメージが若年層には半ば定着してしまっているのではないかとさえ思える。(そういう意味での保守=右翼なら増えている。)だが、空理空論になりがちな安易な『設計主義的合理主義』(フリードリッヒ・ハイエク氏命名の用語。*2 )に基づく改革には、歴史と常識に基づく一定の歯止めをかけることのできる存在が政治勢力の一角として必要であることは論を待たない。特に、一方であらゆる制度や体制が賞味期限切れで、改革が避けられない時代であればなおさら、深い歴史理解に基づくバランサーが必須であろう。ところが実際には、保守勢力=既得権益と堕してしまっているとしか思えない事例に何度となく出くわし、唖然とすることがあまりに多い。しかも、政治が数と金の力だけで決まるということになれば、日本の政治は『空理空論の改革』と『既得権益者の横暴』の両極端に振れることが繰り返され、それがこの国に決定的な衰退を足早にもたらす事は、政治音痴の私でも理解できる構図である。このように考えれば、保守思想にまだ血が通っていた、あの時代に戻り、その価値を再評価してみることには極めて現代的な意義があると思う


もっとも、本書から読み取れる、大平元首相の『保守本流』は中々に難解だ。そもそも保守ではあるがリベラル、日本では政治的なパワーを保持しにくいと言われる外交を得手とする政治家でありながら、政治勢力の主要な一旦を担い、しかも田中元首相と互いに認め合う盟友同士、というのだから、彼の政治哲学を解明する事は簡単とは言えないし、理想と現実の折り合いの付け方も、これを解明することは一筋縄ではいかなさそうだ。だが、だからこそ、矮小な反対勢力ではなく、一時的なあだ花でもなく、力強い政治思想を探求するよすがになる可能性もあろうというものだ。



実のある議論を


発足時には非常に高い支持率を保持したいた民主党も、内閣支持率は急降下しつつある。その一方で自民党も迷走を続け、なんとある調査では、支持率で見る第二党は『みんなの党』なのだそうだ。私自身は特定の支持政党はなく、どの政党にも特別な思い入れはないが、このままでよいとは到底考えられない。過渡期に様々な勢力が乱立するのは、活力という点では必ずしも悪いことではないが、無軌道な数合わせによる集合離散ではなく、少しでも実のある議論の末の再編でなければ意味がない。少なくとも本書を読んで私はそういう思いを強くした。是非、今度は皆さんのご意見も聞いてみたいものだ。