製造業とソフトウエア/トヨタ・リコール問題を考えるにあたって

誤解だらけのトヨタ・リコール問題


トヨタのリコール問題は米国の公聴会の日程を終えて、取り敢えず急場をしのいだものの、今後かなり大規模に起きてくるであろう訴訟(クラス・アクション)や非常な困難が予想される技術的な対応策の立案の問題を抱え、関係者は、第一幕を終えて、第二幕を待つ出演者のような緊張に満ちた時を過ごしていることだろう。本件は、過去に例がない程の規模で様々なメディアに取り上げられているが、その多くはうんざりするほど表層的で的外れと言わざるをえない。だが、それでもほんの少しだが、核心に迫るような見解も見つけることができるようになって来た。



電子制御の増加の影響


自動車開発におけるエレクトロニクス関連部品の割合は、1980年代には1%未満であったものが、2005年には小型車で15%、高級車で30%、ハイブリッドカーに至っては50%に達しているという。電子制御の関与する割合が急増していることになる。(周辺のソフトウエアもともに激増している。)今回のリコール問題は、特に日本のプリウスのリコール問題など、ソフトウエアによる電子制御が増加していることとの関連性は見逃せない。


ここに興味深いデータがある。


トヨタリコール問題 アメリカの国策的日本いじめ:アメリカ経済ニュースBlog


実は米国では、トヨタに限らずどの自動車会社でも、車のスピード・アクセル不具合が1990年以降、急速に増えて来ている。このデータだけで決めつけることは短絡の誹りを免れないが、これはソフトウエアの関与する割合の増加がその主要な原因であると断言する関係者は少なくない。自動車各社の中でも特にトヨタが問題視されたわけだが、エレクトロニクス関連部品の割合が図抜けて多いプリウスのタイプのハイブリッド車を販売しているのがトヨタだけ、というのも如何にも示唆的だ。(トヨタが政治的にターゲットにされた、という議論もあるわけだが、ここではその問題には立ち入らない。)



徹底したソフトの品質管理


ただ、『ソフトだがらバグがあるに違いない』とか『トヨタはソフトの管理が苦手』というように先回りしてしまうと、日本の製造業全体の構造問題が垣間見える典型的事例をかなり矮小化してしまうことになる。少なくともトヨタは、電子制御/ソフトウエア品質管理へ巨額の資金投入を続けて来ており、『何重ものフェールセーフの仕組み』や『数値解析ソフトへの巨額投資』等を行って来ていることは間違いないからだ。バグだらけのパッケージソフトなどをイメージしてはいけない。およそレベルが違う品質管理が行われていることは確かだ。



思想の違うハードとソフトの品質管理


だが、それでも、ソフトウエアに制動系のシステムを依存することに何らかの問題点があるのでは、との疑問が払拭されたわけではないし、電子制御による制動に対するユーザーの違和感に関わるクレームが数多く寄せられるとすれば、それ自体問題と考えるべき、という意見には基本的に私も賛成だ。実際、社内的には様々な葛藤があったと思われるが、結局日本でもプリウスのリコールが実施されることになったわけで、本音はどうあれ、公式にトヨタも『ユーザーの違和感=安全性に関わる問題点』と認めた形だ。機械部品系の品質管理には絶対の自身を持つトヨタとて、そのノウハウを直接ソフトウエアの品質管理に移植することができるわけではない。ハードとソフトでは品質管理に関わる思想が全く異なるからだ。『トヨタとて万能ではない』という章男社長の苦渋に満ちた発言も、そう考えると実に意味深長だ。



大企業病


単に組織が肥大化して、大企業病になって品質に配慮が足りなくなってしまったという意見も、まったく的外れとまでは行かないまでも、今回の問題の本質とは言えない。仮に大企業病が問題のすべてということであれば、章男社長もその他の幹部も、もっと確信に満ちた表情で、必ず解決すると断言するはずだ。というのも、トヨタほど『現場主義』の遺伝子が隅々まで浸透した会社はそうあるわけではなく、役員クラスのメンバーでさえ、特に生産系は『偉大なる係長』タイプが多く、また社内的にも最も尊敬される人物像だからだ。世間で言うような大企業病の入る余地は少ない。近年の急拡大が多少なりともその伝統の浸透という点で問題になっていたとしても、そういうところを引き締めて行くことにかけては、何十年もかけて培って来たノウハウもある。


ガソリン自動車の内燃機関は作動原理からして複雑で特殊な機器が必要なだけでなく、可動部品が多いため、実に複雑で高度なコントロールを必要とする。もちろん、部品点数は非常に多い。コストは簡単に上がってしまう。こういう過酷な条件に勝ち抜くために、トヨタをはじめ日本の自動車会社は巨大な組織を一糸乱れず連携し、あまつさえ末端の労働者が自主的にカイゼンに取組むような特殊な組織体を築き上げて来た。


よく『金太郎飴』と揶揄されるが、末端の社員から社長に至るまでどこを切っても同じ顔が出てくると言われるくらい、トヨタでは良くも悪くも社員の意思統一(言論統制?)が徹底している。それは、ここまで会社が肥大化した今でも驚く程維持されているように見える。これは、単なる社内教育や人事管理の徹底と言った、システマティックな管理手法の問題ではなく、『トヨタ生産方式』と言われるシステムを支える一種の『勤勉哲学』が深く根付いていることに依拠するところが大きい。『ビジョナリー・カンパニー』*1にも指摘されていることだが、長期に渡って好業績を残す会社は、外部から見ると多少なりとも奇異に見えるような風土、哲学が根付いていることが多いという。全盛期のGMIBMなどまさにそうだし、今世界で最も元気なGoogleAppleも同様だろう。だから、トヨタにとって得意な事にゆるみが生じているのなら、それに対処することは今でも自信があるはずだ。



『広報』についての誤解


本当の問題は、その哲学やノウハウが必ずしも機能しない領域が、製品の多くの割合に浸透してきたこと、その結果、自社の伝統や蓄積で対処できない問題が増えて来ていることにあるのだと私は思う。今回のリコール騒ぎで指摘されたもう一つの問題、社長の行動を含む、『広報』ないし『渉外』対応のまずさだが、そもそもトヨタは伝統的に対外活動は得意ではないことを自覚し、一方でそのことが自社の大きな問題であることを認識して来た会社だ。だから、『生産台数世界一』というような一見晴れがましい称号も、幹部は世間の反発の方を恐れていた。特に、米国のビッグ3の急速な業績悪化の最中ということもあり、そんなトヨタへの反発についても、過剰反応と感じるくらいに敏感だった。それゆえ、『渉外広報』組織を充実させ、徹底的に情報を収集/分析し、露骨に目立つようなことは避けながら、『ソフト・ロビーイング』とでも言えるような活動にも余念はなかった。だから、『広報』『渉外』に関してノウハウの蓄積が足りないというのは必ずしも当たっていない。その点で言えば、少なくとも他の自動車会社とは比較にならないくらいのノウハウを蓄積していたはずだ。だから、今回は、発信すべきメッセージの伝え方を誤った、というよりは、『何を発信すべきかわからなかった』というほうが実態に近いのではないか。



ソフトの弱さが製造業の競争力低下の原因


トヨタに限らず、日本の製造業の多くはソフトウエアを本業として取組んで来たわけではないし、ソフトウエアの国際競争力比較という観点でも、日本が劣位にあることは残念ながら今や事実として認めないわけにはいかない。(電機業界とて事情は同じだ。)特に高いレベルの業務に対処できるソフトウエアエンジニアは質量ともに不足している。製造業の国際競争力の低下の見逃せない原因の一つに『ソフトの弱さ』があることは明白だ。しかも、さらに問題なのは、そういう製造業はソフトウエアエンジニアが喜んで入社し、活き活きと生きがいを持って働き、満足できる処遇を与え、定着させることができる環境とは考えにくいことだ。試しに、日本のトップレベルのソフトエンジニアに、どの会社に入りたいか聞いてみればいい。大抵は、Googleであり、Appleと答えるのではないのか。苦手な部分は外注なり、協業で切り抜ければいいではないか、というのはこの場合に適当な議論ではない。会社のコアの部分を外注でまかなえるほど市場の競争は甘くない。たとえば、Google対抗の企業を起こそうと考えた時に、エンジニアは全部外注でまかなうとか言い出せば、頭がおかしいと思われるのが落ちだろう。



電気自動車時代の到来


今、自動車産業は本格的な電気自動車時代を迎えようとしている。そうなれば、自動車の構造は圧倒的に簡単になり、部品点数は少なくなって、製造は簡単になる一方で、エレクトロニクス関連部品の割合はさらに上がり、制動部分のほとんどはソフトウエアが支配するようになると言われている。終いには、自動車は『走る家電』になるとまで言われ、商品としても家電的な付加価値付与が競争の重要な条件となると言われている。すでに、電気自動車ベンチャー企業として頭角を現し始めた、カリフォルニアの『テスラモーターズ*2のように、自動車はIT/ソフトウエア企業が中核的な支配権を握ることが予想されている。(彼らは自動車製造は経験のない、いわば素人だ。)ビッグ3を追い落とされた米国がリベンジを果たすというようなドラマティックな物語も、十分現実味がある。しかも、その場合の敗者は日本だ。



ソフトエンジニアが働きたい会社へ


今後の日本は、『クリエイティブ』『創造的』になって競合に勝ち残るべし、というような言説は、実際の企業幹部を揺り動かす力になりにくいのが実態だ。言われた幹部も何をすればいいかわからない人が多い。今、非常に話題になっている、中島聡氏のブログ記事のように、『創造力を発揮して業績を回復せよ』と言い放って部下に丸投げする上司を量産するだけだ*3だが、企業としてソフトウエアを経営の中核とするにはどうするか、もっと具体的に言えば、優秀なソフトウエアエンジニアが働きたい会社となるには、どうすればいいのか真剣に考えること。これなら多少は具体的に検討を始めることができるのではないだろうか。残された時間はあまりなさそうだが。