インターネットにうといオールドタイマーにも出番はある


日経新聞を誰もが購読していた時代


インターネットに日常的にふれていて周囲にもそういう人たちに囲まれている環境から、ふとそうではない人達の集団に入ると(私の場合、同窓会がたいていそういう場になるのだが)、ずいぶんと感覚的なズレがあってハッとすることがある。今一番それを実感するのは、『新聞』に対する関わり方の違いだ。私達の世代では、社会人になったら、『日経新聞』をちゃんと自宅に配達してもらって、必ず朝の内に全部読んでおく事が必須と教わって来た。(海外の仕事をするようになると、それに『TIME』誌が加わった。)確かに、上司も、商談先のお偉方も、何だか気味悪いくらいにみんな日経新聞を読んでいて、その記事を話題にしていたものだ。



新聞の優先順位は下がってしまった


だが、今新聞はどんどんインターネットに取って代わられようとしている。大学生などほとんど新聞購読はしないと聞く。私にはその実態は知る由もないが、彼らの気持ちはよくわかる。なにせ、そういう私自身4〜5年前くらいに、長年愛読していた日経新聞の購読をやめてしまった。インターネットを通じて記事を読む事はできるからという理由もさることながら、自分の業界(IT業界)のビジネスに必要な情報は新聞にはほとんど載っておらず、ブログを含むインターネットのほうが有益な情報が多い、というもう一つの理由が実は大きい。もちろん、ビジネスでの成功のためには、狭義の専門知識だけではなく、一般常識や教養、マクロ的な政治経済環境に関わる情報など、広く収集して咀嚼しておくことは不可欠だから、新聞を読むことが無意味になったなどと言うつもりはまったくない。だが、ただでさえ少ない時間を自分にとって最大活用しようと思うと、どうしても優先順位を落とさざるをえない。



新しいビジネスの常識


このことは、ジャーナリストの佐々木俊尚さんが繰り返し指摘していることでもあるが、同様の感想を持つ人は少なくとも私の周囲では年々多くなっている。だが、ある年齢以上の人達にとっては必ずしもそうではないし、今でもインターネット内の情報は、一流の新聞記者が書いた記事の二次流通で、ブログと言っても信頼性の低い戯言ばかりと信じている人は多い。


実のところ、私自身も、数年前まではインターネット内の情報は実はゴミのようなものばかりと半ば思っていた。だが、今は、ゴミで溢れてはいるが、ビジネスにおける最も重要な類の情報はインターネットの中にこそある、ということをしばし実感するようになった。確かにゴミだらけなのだが、このゴミの山の中から、非常に貴重なものを見つけることが大変多くなり、ビジネスを成功に導き、厳しい市場で生残るためには、そういう『探索』と『発見』のノウハウを身につけることが必須要件ではないかと真剣に考えるようになった。それは単に検索が上手いとか、特定のサイトを知っているというレベルの問題ではない。今やインターネットの中で流行(モード)が生まれ、インターネットの中に非常にきらめくようなビジネスのヒントを見つけることができる。最近では、従来は出てくることのなかった人々の息づかいに近い思いや感情が、twitterのような場所に溢れ出している。それはもう情報洪水もいいところなのだが、洪水に流されないで如何に必要なものをつかみ出してくるか、そこにこそビジネスの勝敗を分ける鍵がある。



インターネットがビジネスの常識を変えた


おそらく、インターネット(モバイルインターネットを含む)内を深く探索して理解している人にとってはこんなことは常識なのだろうが、特に日本ではまだその本質に気づいている人はあまり多いとは言えない。だが、従来では考えられないような、いわばコペルニクス的転換とでも呼べるような現象はすでに沢山起きているし、さすがに既存メディアでもいくつかは伝えられるようになった。例えば、オープンソースがそうだろう。無償で有益なソフトがどんどん開示されていくというのは、インターネット以前ではおよそ考えにくいことだ。Wikipediaに代表される集合知もそうだ。専門性も定かではない大衆が吐き出した情報をいくら積み重ねても、専門家が知恵を絞ってつくる百科事典に勝てるはずもないと、私自身固く信じていた。だが、そういう集合知は『案外正しい』どころかしばし専門知を凌駕する。日常的にインターネットをウオッチしていると、ある程度認知されるようになったこういう代表的な事例だけではなく、大小含め、驚くようなことが今も続々と起こっている



今でも行われる様々な実験


インターネットに関わる情報を表面的にしか見ていない人の中には、『インターネットバブルの崩壊』『お金にならないWeb2.0』『セカンドライフの失速』等々、インターネットに関わるビジネスなど結局たいしたものにはならない、というようなことを言う人も少なくない。『Youtubeニコニコ動画も結局赤字』で、Google等の特殊な例外を除けば、有象無象は大不況の到来で大幅に淘汰されていくに違いないと考えて、それ以上の関心は払うつもりもないのだろう。そういう人には、最近旬なtwitterもまたただのバブルに見えるに違いない。だが、猛烈な勢いで生成→急成長→衰退を繰り返すインターネット内のサービスは、ただ意味もなく消長を繰り返しているわけではない。そのエッセンスを学ぶ事ができたかどうかが、次の時代に生残るために決定的な重要性を持つことがわからないのだろうか。短い時間の間にすごいスピードで実践の場での様々な実験が行われている。ものすごく大事な教訓をまき散らしながら。



リアルとは違った法則


そういう驚くべき事象が様々な相互作用を生み、インターネット世界ではリアルな世界とは違った法則が支配するようになって来ている従来のリアルな世界のビジネスの常識がしばし通用しなくなっている。例えば、一物一価というような概念はもはやほとんど重視されないし、価値が価値として等価に認知されるとは限らない。時間概念がすごく大事で、スピードが価値そのものだったりする。そもそも労働等価に見合う対価が払われるとは限らない。(たいてい払われない。労働価値説がまったく意味をなさない世界だ。) しかも、未成熟なものでもユーザーが参加することができる余地があることがむしろ価値になったりする。新しさ/新奇さが大変重視される。時間、距離、空間の制約から解き放たれることもあって、『心理的価値』が最も重要になる。確かに、まだこういうことのほとんどはインターネットの中に閉じた世界での出来事ではある。だが、それに関わりを持ったり、サービスを使う人々のマインドは大きな影響を受ける。そして、何よりコミュニティーやコミュニケーションのあり方を劇的に変えつつある。



実物ビジネスの土台も変えてしまった


ビジネスというのは、煎じ詰めれば『コミュニケーションに関わるシンボル操作』を行う活動だ。コミュニケーションとコミュニティーの土俵がこれほど変化するのだから、どんなビジネスでも深く影響を受けるのは当然のことだ。だから、長く実物のビジネス(自動車や石油製品)に関わっていた私など、依って立つ大地が流れて去ってしまうような呆然とするような感覚に何度もとらわれる。もはや私達のようなオールドタイマーに出番はないのではないか。繰り返しそのような妄想にかられる。



旧世代人の出番


だが、そんな旧世代人にも、少なくとも一つはできることがある。ビジネス(に限らないが)のエッセンスは、リアルなビジネスの現場で時間をかけて出来上がって来たものが少なくない。もちろん、そのいくつかの『常識』が崩れて来ているわけだが、土台を構成する知恵の部分は、今でもかなりの部分はインターネットの外にある。書籍であったり、ビジネスマンや経営者の暗黙知として『人間』や『場』に存在しているものも少なくない。学問分野で言えば、『古典』や『歴史』は必須の基礎素養だが、そのほとんどはまだ旧来の書籍の中にある。(もっともこういうのも、今アマゾンやGoogleによってインターネットの中に取り込まれようとしているわけだが・・)そういうものを、インターネット世界に接合していくことにより、時代を超越したハイブリッドを創り上げることが、最新の競争を制する一つの決定因子となりうることを最近非常に強く感じる。少なくともそういう点では、旧世代人に明らかに一日の長がある。


いずれにしても、これほどの激動の時代が自分が生きている間に起きてこようとは正直思わなかったが、開き直ってもう一度冒険の旅に出る覚悟を決めれば、旧世代人の『出番』も沢山あると確信している。