選挙とインターネット ー 総選挙の総括

選挙とブログ


昨年の今頃、自民党福田首相が退陣して麻生首相が誕生したころ、マスコミがこぞって注目していたのは、解散総選挙がいつ行われるのか、であった。あのころは、麻生首相解散総選挙を戦う旗頭として最も適当な人物として選ばれたと誰もが信じて疑わなかった。もちろん私もその一人である。そして、以前から『注目していたこと』がどのような展開になるのか、興味を持って広くネットを含む世論を注目していた。それは何かと言えば、総選挙にあわせて、日本のブログがどのように反応するか、すなわち『選挙とブログ』についてである。というのも、前回の衆議院選挙、小泉首相による『郵政選挙』であるが、ブログによる議論の応酬がある程度盛り上がり、ブロガーの存在が注目され始めた時期だったという印象がとても強かったからだ。



インターネットと選挙


結果的に、解散総選挙は遅れに遅れて、およそ一年の時が流れることになったが、結果的に、自民党が大敗して結党以来の第一党の地位を失うという戦後史に残る大転換が起きた。もちろんこれは選挙で一夜にして起きたわけではなく、事前に政権交代はほぼ規定事実として語られていたし、そういう意味では今更驚くにはあたらないとも言える。本来『郵政選挙』など比べ物にならないほどの大きな議論が起きるべき時期であった。しかも、ちょうど、米国では民主党オバマ大統領が、これも歴史的な『変化』を実現し、その原動力としてインターネットの力が非常に大きかったことはすでに様々なソースで報道されていた。『インターネットと選挙』、中でもブログの議論の応酬が沸騰するべき、環境がこれほど整った時期もなかった言える。


もちろん、選挙期間中は、『公職選挙法*1がインターネットの利用を許していないという前提があったし、今回の選挙で都合良くインターネット利用が解禁になることを期待するほど楽観的ではなかったけれども、選挙の可能性が取りざたされたのは昨年の秋からであり、その間ずっと政治や選挙が語られるべき時間はあった。



ポイント


だが、結果はどうだっただろうか。実に奇怪な出来事を含めて、事前に予想も出来なかったことが次々と起こったが、大きな動向として見ると、実に重い課題の存在を再認識せざるを得ないことになった。以下、箇条書きで簡単に感想も含めてまとめてみた。



1.ブログ論壇はほとんど盛り上がらなかった


もちろん、中には非常に真剣で優れた議論があったことを否定はしない。また、今回は多くの政治家のインターネットへの参入も相次いだことは確かだ。だが、如何に贔屓目に見ても、議論が議論に引火して大爆発を起こすような沸騰の仕方はなかったとしか言いようがない。そもそも目立った炎上一つ起きていない。多少それに近かったのは、産經新聞民主党に対するTwitterの発言が問題になった程度だろう。*2特にこの時点で『アルファー・ブロガー』として知られるブロガー達は、その静かさが不気味なほどだった。



2. Twitterへのシフト


インターネット界隈で、この一年間の最大の話題がTwitterであることはほぼ誰もが認めるところだろう。日本でもネットでの発言者の多くがブログからTwitterにシフトして来ていることも否定し難いと思う。特に、ブログをネットで注目を集める目的と考えていたり、ちょっとした感想や日記が中心のブロガーは、Twitterのほうが続けやすく敷居が低いことを自ら認める人も少なくない。政府の委員会等の模様を実況中継する、いわゆる『Tsudaる』のような興味深いTwitterの使われ方も出て来ているのものの、140字という制約もあって、議論が盛り上がるということはまではなかったように思う。



3. 自民党2ちゃんねる化?


インターネットの政治利用を阻む最大の壁として、『公職選挙法』の問題は今回も様々な議論の対象となった。現行の公職選挙法では、選挙期間中にインターネット上で、特定の候補者や政党への応援や投票を呼びかけたり中傷したりすることができないというのが共通認識だった。公職選挙法では、選挙期間中は規定されたハガキやビラ以外の『文書図画』は頒布が禁じられており、総務省によれば、インターネット上の書き込みはこの『文書図画』に当たり、しかも候補者や関係者だけでなく、一般の人も該当するとされてきた。もちろん、Twitterも同様で、政府は7月21日の閣議で、Twitterによる選挙運動は公職選挙法に違反するとの見解を示した。


アメリカとの対比で見るまでもなく、さすがに時代錯誤と言わざるを得ず、早期の改正が必要だとの意見は多数出て来たし、一般の人も規制すると言っても、Twitterによるつぶやきに至るまで、取り締まることは事実上不可能なことから、ある程度なし崩しにならざるを得ないことは十分予想できた。だから、どの程度なし崩しになるのか、という点には大変注目していた。


ところが、大変驚いたことに、今回これを堂々となし崩しにしたのは、当の政権与党である自民党だった。8月18日の公示後も、民主党に対するホームページ上でのネガティブ・キャンペーン(「みなさん、知っていますか―十人十色の民主党」「民主党さん本当に大丈夫?」「民主党日教組に日本は任せられない」等)は続き、同様の動画CMが流された。関連の資料は候補者の事務所にもや演説の場でも配布されている。自民党広報担当は、これらは「党の政治活動の一環で、問題ない」とし、「特定候補者を取り上げなければ選挙運動にあたらない」という釈明があったが、さすがに唖然とせざるをえない。特に、今回の選挙の最大争点は『政権交代』だったわけだし、それは特定候補者同士の戦いというより、まさに政党と政党のぶつかり合いだった。インターネットでここまでやってよい、という解釈なら、今回は事実上『公職選挙法』はなし崩しになり、選挙におけるインターネット利用は解禁されたと言っても過言ではないだろう。


しかも、「ネガティブ・キャンペーン」自体も、およそ従来の選挙戦では考えられないような内容だった。パンフレットに記載された「知ってビックリ民主党 これが実態だ!!」 「労働組合が日本を侵略する日」「民主党にだまされるな!」等のコピーはまさに2ちゃんねる的だ。『こんなことがOKなら、オレらに任してくれればもっと大々的に煽ったぜ!』と2ちゃんねらーの声が聞こえてきそうな気がする。いや、本当に驚いた。



4.法律っていったい何?


民主党も全国を遊説する党の幹部の動静や演説等の内容をホームページに乗せて日々更新し、候補者の名前が出ないかぎり、党の政治活動の一環で問題ない、という解釈で応じていた。このような、インターネットを使った各党の活動について、総務省は、「特定の候補や政党の投票を呼び掛ける内容の場合は、公職選挙法上、問題がある。ただ、通常の政治活動の範囲内ならば、直ちに違法とは言い難い。違法かどうかの判断は警察が行う」としている。あらためて振り返ると、そもそも公職選挙法の解釈って、いったいなんだったんだろう、という気がするが、それ以上に日本の法律って誰が決めているのかとあらためて感じた人も多かったはずだ。


違法かどうかの判断は『警察』が行う、というけれども、これほど重要な法律解釈、しかもその根幹に触れるような解釈問題を最終的に決めるのが、警察であり、選挙管理委員会というのも、いったいどういうことなのか。この件は民主党が法案として何度か提出しながら、自民党の反対で見送られて来たはずだ。自民党の内部からも、動議はあったと聞くが、結局選挙前に法案として成立はしなかった。だが、だからといって、結果的に警察が決めるというのでは、当の警察も当惑してしまうのではないか。法案にもならず、司法の判断が下ったわけでもないのに、政権与党と官僚組織が呼応すれば、このようなことがあっさりと起きる。これが良くも悪くも日本の実態であることを認めざるを得ない。これではブログの議論がどうこう言う問題でない。議論は関係ない、と有権者が醒めてしまうのは無理もない。



5.ポピュリズム *3


小泉元首相の郵政選挙もそうだったが、今回も民主党のワンフレーズ、『政権交代』に国民は雪崩をうって呼応した。民主党幹部の中にも、あまりの大勝に薄気味悪さを感じる人もいると聞くが、だとすればそれは貴重なバランス感覚だろう。インターネットの政治利用に一定の歯止めが必要と説く識者も少なくないのは、このような大衆的な熱狂や感情を煽られることで、『政権』というあまりに重いものが左右されてしまうことの危うさがあるからだろう。確かに、多少歴史をかじってみれば、ヒットラーも非合法に独裁政権を樹立したのではなく、ある程度合法な投票によって押し上げられたというのは常識だ。それが飛躍のあるアノロジーとばかりも言えなくなって来ているのかもしれない。


本来、政権にあった自民党がインターネットの政治利用が合法化することを一番恐れていたはずだが、選挙前に野党に転じることがほぼ確実になってしまうと、2ちゃんねらー顔負けになってしまう。そもそも、ポピュリズムの危惧に基づいて、一定の歯止めが必要、というような信念に支えられていたわけではないことがあらためて明らかになった形だ。



政治を語る事も必要かも


今後、インターネットの政治利用の促進は絶対に必要なことだと思うし、それがもはや押しとどめることができないことは、事前の予想以上にリアルになった。だが、単にツールとして導入すれば、すべてが改善するというのは、幻想でしかないことも明らかになったはずだ。3権分立がまったくなし崩しになった今の日本の制度を根本的に手直しせずに、便利なツール利用だけが先行すれば、場合によっては今よりもっとポピュリズムの弊害に悩まされる危惧がある。そして、何より、インターネットが『煽るためのツール』から、『議論するためのツール』としてステージを上げていくことは、やっぱりどうてしても必要なことだと思う。


私自身、政治問題へのブログでのコメントは控えめにしてきたのだが、もしかすると、これからはそれではすまないのかもしれない。特定の政党支持をしていくつもりもなければ、まして誹謗中傷など論外だが、言うべきと感じたことはこれからも書いてみたいと考えている。