『モノからコトへ』を越えて〜付加価値の高い経験価値を求めて

低価格志向


07年11月に始まった今回の景気後退が日本経済に与える衝撃は、戦後最大級となることは決定的な状況で、消費者の低価格志向はあらゆる分野におよびつつある。そんな中、デパート等の小売業が軒並み業績を下げている一方で、ユニクロマクドナルド、セブンイレブン等、低価格に強い企業は好業績となっている。だが、低価格でありさえすればよいというものでもないようだ。カジュアル衣料品『しまむら*1など今こそ稼ぎ時かと思えば、予想ほど実績はあがっていないと聞く。確かに、海外ブランドである、H&MZARA等、商品センスが良くて価格も安いライバルの攻勢もあり、この市場の競争はいかにも厳しい。ユニクロセブンイレブン等も、プライベート・ブランド化*2を戦略の柱にして、価格が安くても品質を下げず、そういう意味でのブランドを維持している。不況=消費者の低価格志向、と短絡できない、今の日本の市場の難しさの縮図が現れていると言える



物欲消滅


ちょうど、日経ビジネスの09年5月25日号が手元にある。表紙の特集記事のタイトルはとても刺激的だ。 『物欲消滅』である。


不況だから物欲はあるが今は抑制してまた景気が良くなるのを待つ、というような従来パターンではなくなったということだ。私のブログでも何度か取り上げたように、若年層の物欲に対する淡白さというのが昨今ではよく話題になる。(その象徴的な現れが、いわゆる『車離れ』だ。)だが、若年層だけではなく、日本の物欲が最高潮に達した時代に青春時代を過ごした中高齢層を含めて、物欲消滅とまでは言わないまでも、物欲の極端な低下、消費の抑制、という傾向は定着しつつある。一時的にではなく、構造として、すべての年代で『モノ離れ』の傾向が定着しているようなのだ日経BP社等の4月のアンケートでは、『モノやサービスを買おうという意欲は以前と比べて変わりましたか?』という問いに対して、何と40.6%が『意欲は低下した』と回答しており、しかも、不況による収入の低下/将来の低下の恐れが主な原因かと思えば、日経新聞社の09年夏のボーナス調査では、モノを買わない理由は、『収入の減少』より『生活に必要なモノが一通り揃ったから』という回答のほうが上回って1位だという。



モノを消費しないライフスタイル


日経ビジネスの記事本文を見ても、消費者が当初は半ば強いられて消費行動を簡素にしながら、いつしかそれが粋なライフスタイルとして根付いて来ていることが読み取れる。初めは、収入の減少、終身雇用/年功賃金の崩壊/年金制度崩壊の危惧等により、なかばやむなく消費行動全般を見直し、特に長期に渡って負担の大きい耐久消費財(住宅、自動車等)の購入を見合わせることを決意する。だが、ふと自分を見つめると、すでに必要なものは一通り揃っていて、敢えて買いたい物がほとんどない。そうして簡素な生活に切り替えてみれば、ローンに縛られ負担感/不自由さに耐えて来た人達にとっては、ある種の解放された自由さを感じることができ、さらにはモノを消費しないことで、環境への負担という罪悪感からも解放される。環境問題だけではない。如何に『消費は美徳』と説得されても、地球規模で見れば今でも飢餓線上に何十億の人達がいる。自分たちだけ飽食の時代を過ごすことは罪悪感とまでは言わないまでも、道徳感情を麻痺させたような割り切れないものを感じていた人は日本人には少なくなかったはずだ。



モノ⇒サービス⇒体験へ


このような消費者を相手に、商品の機能や品質等の付加価値を上げ、他社との差別化をはかったところで、ほとんど意味がないことは明白だ。(だが、今でも日本の製造業の多くは、機能と品質の泥沼の消耗戦を続けている。)博報堂生活総合研究所が4月にまとめた調査では、定額給付金の使い道ベスト5は『旅行』『生活費』『貯金』『外食』『税金/ローン支払い』というから、如何に日本の消費者のモノ離れが進んでいるかがここでも見て取れる。同研究所の夏山明美上席研究員のコメントとして、『モノのストックよりも体験、知識、思い出、人との関係性といったソフトのストックに関心が移っている』とあるが、これが90年代以降盛んに喧伝されて来た、『経験経済』の領域への言及であることは、消費論に詳しい人なら言うまでもない事だろう。『製品→サービス→体験』と付加価値の中核を高度化させていくことで、モノから関心が離れた消費者に購買行動を促すわけだ。『モノからコトへ』*3というキーワードが表現するのもまさにこの範疇だ。



経験経済の先行事例


この理論はすでに、成熟市場の先輩、米国を中心に研究が進み、多くの実践者を生んで来た。今では様々な事例があるが、有名でかつわかりやすい事例の一つはスターバックスのケースだろう。スターバックスの顧客は、コーヒーそのものにプレミアム価格を払うのではなく、非常に心地よい音楽が流れて雰囲気のよい店で、コーヒーの味や香りだけではなくそこで過ごす体験の全体に付加価値を認めて高いお金を払う、とされる。同様に著名な例は、ナイキだろう。ナイキのスポーツ用品の品質が他社の製品に劣るは思わないが、ただそれだけではあのプレミアム価格は説明できない。どちらかというとナイキの愛好者は、ナイキの提供する物語に、製品をきっかけとして自分を参入させ、物語とそれに伴うコミュニケーションを消費しておりそのことに対価を払っている。いずれも、製品の価値、さらには単純なサービスを超えて、消費者の『体験』から対価を得ている例とされている。価値が複合的で、個別的であるがゆえに低価格競争を免れることができる



経験のコモディティー化


しかしながら、『経験価値』『経験経済』というキーワードが普及してきている一方で、誤解、誤用もまた増えて来ているように思う。例えば、商品に触れる機会のない消費者に、商品を経験してもらう機会をつくる、という意味で経験を促すことは、確かに経験価値訴求の一側面ではあるのだが、『経験経済』の示唆する本来の意味からは若干逸脱していると思う。モノの使用感を経験して知ってもらう、というようなモノ中心のあり方ではなく、消費者の経験をどうデザイニングして、どう経験を演出するかを決め、そしてそのきっかけ/小道具としてモノをうまく利用することがより重要だからだ。そうでなければ、単純なモノの消費の経験だけでは、その経験の訴求自体、再び過当競争に巻き込まれ、コモディティー化してしまう。すでにそのような徴候はあちらこちらに見られる。



エクスペリエンス・テクノロジー(経験創出技術)


ネットの技術向上に伴い、ネットでの経験も非常にバラエティーに富んだ演出が可能となってきた。一昔前は、経験と言えば、リアルがほとんどだったが、昨今では、そしてこれからはネットでの経験がより豊かでアピールするものになっていくだろう。動画、3D、AR(Augmented Reality)などの発達の目覚ましさを見ていると、バーチャルの経験も一昔前とはまったく違う。以下の記事によれば、エクスペリエンス・テクノロジー(経験創出技術)は2009年のキーワードだというが、わからないではない。これからもっと注目が高くなることは確実だ。ひとつひとつの技術が大変興味深い。

IT & 経営 :テクノロジー :日本経済新聞



エクルペリエンス・デザイニング


だが、それ以上に鍵となるのは(ならざるを得ないのは)エクルペリエンス・デザイニングのほうだろう。これは人間や、人間の所属する市場や社会の深い理解なしに成果を上げることはできないという意味で大変難しいが、そのレベルでエクスペリエンス(経験)を演出できれば、顧客との長く強い絆ができる。そうなれば、その体験価値は簡単にコモディティー化することもなくなるだろう。そして、エクスペリエンス・テクノロジーを最もタイムリーで有効に活用することができるようにもなるだろう。今のところ、そのために必要な素養を持ち、企業内で一番近いところにいるのは、マーケターだろうが、ただ、伝統的なマーケターの知識や技能を超えた要素が求められるようになる。何よりも、演出、演劇の知に熟達することが求められることになると思う。ここのところは、また機会をあらためて書いてみたい。