私も『プロジェクトX』的価値観を総括しておきたいと思っていた


プロジェクトX』の問題点


NHKの『プロジェクトX』のプロデューサーが、万引きで検挙されたという報道があったが、それにあわせて、『プロジェクトX』という番組自体の問題点につき、池田信夫氏がブログでコメントされている。



このヘルメットのおじさんのような労働者には、「できるかできないか一切考えない。ただやる。無我だ。真っ白だ。突撃だ」という、くさいナレーションが「効く」のだろう。歴代の視聴率ベストテンには、「瀬戸大橋」や「青函トンネル」が入っている。男たちの「不屈のドラマ」の結果は、本州四国連絡橋公団の4兆円を超える債務と、旅客の通らない長大なトンネルだ。


要するに「プロジェクトX」に描かれているのは、日本経済をだめにした局所最適化の錯覚なのだ。「世紀の難工事に挑む」前に、本州と四国の間に3本も橋をかけて採算が取れるのかという目的の合理性を考えるべきだった。G7諸国で最低の労働生産性を上げないで、バラマキ公共事業をやっても「リフレ」をやっても、低い山に登るだけで、かえって全体最適から遠ざかってしまう。与えられた目的に疑問を持たず「無我」でまじめに働くことが報われた幸福な時代は、残念ながらもう終わったのである。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/0ae22852a1f5c0507e18e93c960480c9


賛否や如何に


このブログエントリーを読んだ時、多くの批判コメントが溢れるのではないかと思ったのだが、『糾弾すべき相手が違うのでは?』 という比較的冷静な反論はあったものの、どちらかというと賛同するニュアンスのコメントが多かったことに、かなり感慨深いものを感じた。やはり時代は確実に前進している。だが、おそらく、まだ日本には、特に団塊世代を中心に『プロジェクトX』シンパは沢山いるはずだ。このブログの内容が一般の新聞に掲載されれば、さすがに批判コメントが沢山来るのではないか。


では、お前はどう思うのか、ということだが、団塊の世代の価値観も充分理解ができる立場の私には、『プロジェクトX』シンパの気持ちはとてもよく理解できる。だが、もうこれからの時代には通用しないだろうと思うし、もっと正直に告白すると、昔から必ずしも好きになれない番組だった。番組に登場する人をおとしめるつもりはまったくないが、私が会社に入って以来、会社という組織の中で、もっともなじめなかった要素がこの番組にはてんこ盛りだったからだ。こんなことが日本が成功した要素などと、世界に自信を持って発信できるのだろうか、という気持ちにさせられたことも少なくなかった。労働観、さらに言えば、人生観の隔たりをとても意識させられたものだ。



問題と感じる点


私なりに、何が問題と感じていたのかを以下に整理してみた。私のブログを読んでいただいている方には、比較的シニアの方もいらっしゃるようなので、できることなら、若年層とシニアとのコミュニケーション・ギャプ解消に少しでも寄与できれば、とも思う。

  • 局所最適化の錯覚

これは、池田氏がおっしゃっていることそのものだ。この点については、私も全くその通りだと思う。会社の経営者でも政治家でもない一般従業員が全体最適など考える必要はない、というのは、まさに自分が昔言われ続けたことでもあるが、結局若い頃からそのような視点を持つ事を訓練されていないことが、局所最適化の錯覚に気づかない、経営者を沢山つくってしまった主要な原因ではないかと思う。その点では、残念ながら日本の会社というのは、有能な経営者を教育する環境としては適切な場所ではなかったのではないだろうか。

  • 市民としての責任放棄

かつて、与えられた目的に疑問を持たず『無我』でまじめに働くことは、良い事だと評価されていたし、今でも日本の会社はかなりの程度そうではないかと思う。だがそれは、談合、カルテル、法律違反、パワハラ、環境破壊等々、会社に良くても、社会的に問題のある行為が行われていても、疑問を持たず、見なかった事にするという姿勢に繋がる。終身雇用前提の日本株式会社では、内部告発することはタブーだった。だが、それでは社会との調和をそこね、結果的に社会のモラルを破壊してしまう。(実際破壊してしまった。)

ホワイトカラーの生産性は先進国では日本が最低レベルであるということは、さんざん言われて来たことだが、そもそも生産性をあげて休みを多くとり、残業も、仕事の後の付き合いもしないのでは、日本の組織では評価されなかった。頭を使わずに汗をかけ、というようなことが平気で言われていた時代の象徴が、この『プロジェクトX』だと思う。

  • 創造力のなさ

創造力というのは、与えられた目的に疑問を持たないようでは、全く育つ余地はない。与えられた目的自体に疑問を持つくらいでなければだめだ。そういう意味では時代に全く逆行している。

現場の汗が一番大事、というような価値意識をむげに否定する意図はまったくないが、多くの日本の経営者が、情緒にとらわれて、必要な損切りや撤退ができないという事例をイヤになるほど見て来た自分としては、やはり日本の経営判断に情緒バイアスが強過ぎることをきちんと指摘することのほうが、今後の日本にとってはより重要なことだと信じる。



今後のことを考えると


終身雇用、右肩上がり、企業一家、というような当時の環境と今とでは、おかれた環境が違いすぎる。そういう意味では、現代の環境と価値観で歴史をさばくのもいかがなものかという指摘も理解できるが、逆に環境が激変した今の時代になお、『基本に立ち返れ』というような美しいかけ声の元に、すっかり時代にそぐわなくなってしまった、かつてのウイニングフォーミュラを懐かしみ、強調するような例があまりに多い。やや舵を反対側に大きく切るくらいでバランスするのが、日本の現状だと考える。